写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2012年1月アーカイブ

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 1月28日都内で「鈴木孝雄写真集『我が心の山嶺』の出版を祝う会」がおこなわれた。ちょうどこの日は鈴木さんの喜寿の誕生日とあって、ご家族や親戚の方々をはじめ、町内会の役員さんたち、板橋区の教育委員会の人たち、写真や山の仲間たちなど50人を超える人たちが出席して盛大であった・・・・・・・。

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会場には鈴木さんの作品も展示され、出席者には全員に写真集『我が心の山嶺』がお土産として配布された。鈴木さんは板橋区内の図書館、小中高学校などすべてに写真集を寄贈したという。教育長がお礼を述べていたが合計100冊を教育委員会を通じて配布したのだ・・・・・・。またカメラ雑誌「フォトコン」の3月号(2月20日発売)には、鈴木さんが”一生懸命フォトグラファー”として巻頭から作品もふくめて7ページの特集が掲載される予定だ。ぜひ、ご覧下さい。

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 鈴木さんの山と写真の先輩であり、南米やチベットなど世界の山々に一緒に撮影に行っている利根川さんが祝辞をのべた・・・・・・・。

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この日の主役・鈴木孝雄さんと奥様。こうして2人で写真を撮るのは、無いことなので恥ずかしいと照れていた・・・・・・・。

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奥様は、故遠藤実さんの高弟で、歌を教えているし、CDも発売している本格派である・・・・・・・・。着ているコスチーュムは歌の指導者のみが着られるものだという・・・・・・・。

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写真の仲間やヒマラヤやチベットなどに一緒に行った仲間たち・・・・・・・・。

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 鈴木さんの長男と長女・・・・・・。こうして兄妹で写真を撮ったのは40年ぶりだと笑った・・・・・・・。

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長女のまゆみさんと僕と・・・・・・・。会社を受け継いでいる息子さんがシャツターを押してくれた・・・・・・。

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2次会ではないが、鈴木さんを囲んでご苦労さん会と誕生会をささやかに場所を移しておこなった。

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JUNのママが鈴木さんの喜寿祝いにとウイスキーのボトルをプレゼントしてくれた・・・・・・・・。

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最後の締めは鈴木さんと2人でと思っていたが、陽子ネーネーが近くにいるからと駆けつけてくれたのであらためて、喜寿の乾杯をした・・・・・・・。僕は久しぶりに電車で降りる駅を3つ乗り過ごしてしまったのだ。午後3時30分から飲んでいたので、少し酔いがまわったのだろうか、座席に座ったとたん眠ってしまったである・・・・・・・。とにかくこの冬は寒い。みなさんくれぐれも風邪など召さぬようご自愛くださいまし・・・・・・。 合掌

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 「小松さんのブログを見ていると毎日飲んでるみたいですね~」などとよく言われるが、そう毎日飲み歩いているわけではない。そんなことをしていれば、金は無論だが体も持たない・・・・・・。しかし、25日は前からの約束で志遊師匠と会うために出かけた。前の日は一滴も飲まず、準備をして。この日は話にもよるが多分したたかに飲むことになるだろうと思っていたからである。夕方、池袋で待ち合わせてまずはいつもの四川料理の民衆食堂へ行った。彼は辛いのはあまり得意ではないといいつつも美味いですねと頼んだ料理を平らげた。2時間ほどで8年ものの紹興酒をボトル1本半を空けた・・・・・・・。

7時前に琉球料理「みやらび」へ場所を移した。この日みやらびでは、沖縄をはじめアジアの国々の多くでは旧正月(陽暦の1月下旬あたりの旧暦の正月)で正月を祝う。その正月にはじめて踊りを舞うことを「舞い始め」というのだ。その行事を毎年おこなっているのだ。そこに呼ばれていたので参加したのだった・・・・・・・・。

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全部で8種類の舞が披露された・・・・・・・。

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お客は常連と琉球舞踊のお弟子さんとその家族や友人たちが多かった・・・・・・。

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「川田功子の会」の高弟である琉球舞踊家」の陽子さん。珍しい着物姿で・・・・・・。

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琉球のお正月料理を食べる志遊師匠と三線も琉球舞踊もやるSさん。

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島酒こと泡盛をぐびぐびとやるSさんで~す。ちなみにこの日の島酒は30度でした。

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10時半ごろにみやらびを辞して、もう一軒足を運んだ。いつも志遊師匠の高座に来てくれている順子ママが経営している店だ。ここでは僕も師匠も久しぶりに歌いまくった。帰宅時間は言わずもがなである・・・・・・・・。

1月23日、都心に本格的に雪が舞うなか、「新海均さんの『深沢七郎外伝ー淋しいって痛快なんだ』(潮出版刊)の出版を祝い、励まし、励まされる会」に出かけた。新海さんとは20数年の付き合いで、光文社の月刊「宝石」時代からカッパノベルス副編集長時代を編集者として、そして俳句仲間として付き合ってきた。彼の故郷・信州佐久の実家にも泊まりにいったこともある。同時代人として何となく気が合ったのだ。その彼が2年ほど前に突然と光文社を退職してどこかに潜っていたと思ったら今回のノンフィションを取材し書いていたのだった。新海さんとも久しぶりだったが、この会の発起人の人たちとも久々に」会えると思って出かけたのである。発起人は嵐山光三郎、斉藤慎爾、白石かずこ、テリー伊藤、ねじめ正一、冨士真奈美、水野真紀、道浦母都子、吉行和子さんたちなどである・・・・・・・。 

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最初にあいさつに立ったのは、新海さんの俳句の師匠、結社「未来図」主宰の鍵和田柚子さん。僕も以前はずいぶんとお世話になった。僕の写真展にも何度も来てくれた。ご夫婦と一緒に隅田川の花火大会に行って句なども捻ったこともあった・・・・・・・。

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前通産大臣の海江田万里国会議員も昔、音羽町界隈で飲み遊んだ仲だっとエピソードを語った・・・・・・・。

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乾杯の音頭をとった吉行和子さんと冨士真奈美さん。右端は俳人の角谷昌子さん。吉行さんは以前2度ほど撮影したことがあり、覚えていてくれた。冨士さんとも句会でご一緒した以来だった・・・・・・・。角谷さんは俳句仲間だが、彼女はいま気鋭の俳人として注目されている・・・・・・・・・。

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詩人の白石かずこさんは、新海さんと一緒に深沢さんを訪ねたときに作った詩を朗読した。白石さんとは何度もお会いしているが、忘れられないのは新海さんと白石さんの家を訪ねて撮影したことだ。「宝石」のグラビアに5ページほど掲載した。2~30センチぐらい顔に迫って目を中心にアップで撮った写真を白石さんは気に入ってくれた思い出がある・・・・・・・・。

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作家の志茂田景樹さんを囲んで。右となりは俳人で「炎環」編集長で、江戸ソバリエで、NPO法人神田雑学大学理事長もしている吉田悦花さん。僕が以前月1度のペースで開いていた「新宿・ボルガ梟句会」のメンバーだった・・・・・・・・・。

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 ミュージシャンの三上寛さんは、深沢七郎の詩をアカペラで歌った・・・・・・・。

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 新海さんと鍵和田先生を囲で「未来図」同人の女性たち・・・・・・・。

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写真家の橋本照嵩さんと吉田悦花さん。橋本さんとも10数年ぶりぐらいの再会だった。彼は俳人たちの肖像を撮りつづけている・・・・・・・・。

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 詩人のねじめ正一さん。彼とは月刊「宝石」で”新港町ブルース”という連載をしたことがあった。僕が写真で彼が詩を担当するという企画で、北海道からはじまり横浜まで来たときに突然ストップとなった。ねじめさんが写真の方がインパクトがあって詩が負けてしまう・・・・・・というような理由だと担当編集者から聞いた。僕の俳句の師匠のボルガの主人・高島茂とねじめさんのお父さんがとても親交が深く、俳句の仲間ということもあり、ボルガにも良く見えていたのだ・・・・・・。しかし”新港町ブルース”は完成したら歌手の森進一に歌ってもらおうなどとみんなで意気込んでいたので残念ではあった・・・・・・・。

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国会議員の有田芳生さん。そういえば今日から通常国会が始まったのだ。有田さんとは彼が雑誌の編集者時代からの知り合い。僕がときどきその雑誌のグラビアをしていたのだ。その後も池袋にある沖縄料理屋「おもろ」で何度か会ったことがあった・・・・・・・・。国会議員も両手に華で少し照れくさそうだね。右は俳人の石地まゆみさん・・・・・・・・・。

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 200名近い出席者にたいしてお礼の言葉をのべる今夜の主役・新海均こと新海あぐり(俳号)。今回の著書はまだ読んでいないが、評判はいい。これを契機に物書きとしてスタートする決意がひしひしとあいさつから伝わってきた。がんばれ~あぐり! また旨い酒を呑もうぜよ~☆

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 池袋駅西口から1分もかからない路地にある沖縄料理屋「おもろ」にはかれこれ30年ほど通っている。昭和23年創業だから創業64年になる。池袋界隈、いや都内でも一~二番の沖縄料理店の老舗だろう。この昭和の雰囲気が漂う店内は、いまや沖縄にさえ少ない。僕は大好きな店だ。新海のパーティを切り上げて、雪の中、久しぶりに寄ってみた。あいにくの天気なので交通が不通になることを恐れたのか客は誰もいなかった。御陰で大将とゆっくりと飲みながら話せた。彼の代で店を閉めることになるというが、大将は死ぬまで店は続けるというので、僕も死ぬまで通うよと約束したのだ・・・・・・・・。昔はここの2階で俳句会や飲み会をよくやったものだが、最近はほとんど僕一人でくることが多くなった・・・・・・・。

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大雪のなか駅に向かっていると画家で音楽家の美崎大洋夫妻と会った。奥さんは琉球舞踊家の陽子さん。沖縄出身だ。2人ともまだ「おもろ」に行ったことが無いと言うのでこんど案内することにした。駅前の安酒屋に入って軽く一杯やって別れた。最寄駅に着くと都内とは雪の積もり方違っていた。すでに10センチほどの積雪だった。自転車では危ないと思いつつ、明日また取りに来るのは面倒なので自転車で帰った。田舎で雪の中をよく自転車で走ったからバランスの取り方は体が覚えていた。無事転倒しないで帰宅できたのでした・・・・・・・・・・。

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今日1月21日は、暦のうえでは大寒。二十四節気の一つで、陽暦の今日頃をさしている。昨日初雪だったので正に大寒にふさわしい日となった。 「大寒の一戸もかくれなき故郷」という飯田龍太の有名な句がある。

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六本木のホテルIBISのロビーにあるギャラリーで開催されている芳賀日出男さんの写真展「写真歳時記」を観てから東京ミッドタウンの冨士フィルムフォトサロンで始まった鈴木一雄写真展「日本列島ー季の 声」を観た。彼が日本各地を巡り歩いて自然が発する声を聴き撮影してきた集大成だという。入場者も初日とあって多かった。写真展はこの後、2月14日~19日まで、福岡市美術館、24日~3月1日まで、冨士フイルムフォトサロン大阪、3月16日~22日まで同フォトサロン名古屋で開催される・・・・・・。

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その足で赤坂の乃木会館で6時半から始まる「鈴木一雄 『日本列島ー季の声』写真展・写真集記念パーティーに出席した。会の発起人代表の熊切圭介さんをはじめ、秋月岩魚さん、木村恵一さん、児島昭雄さん、林義勝さんら発起人が紹介された。左端が鈴木一雄さん、司会は「フォトコン」編集長の藤森邦晃さん。

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この日は180人を超える出席者で会場はムンムンとしていた・・・・・・。

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いま、自然写真家として人気がある鈴木一雄さん。僕とは5~6年前からの付き合いだ。彼が尊敬している写真家は土門拳だというのは、以外であったがどこかで僕とつながっているのかもしれない・・・・・・・。

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カメラ雑誌のすべての編集長たちが発起人となっていたので、編集部のスタッフも大勢見えていた。僕は写真家の秋月岩魚さんとマレーシアのボルネオの熱帯雨林のジャングルで会った以来だったので、ひとしきり話をした。10年ぶりぐらいだろうか・・・・・・・・。なつかしかったなあ~。

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写真家の木村恵一さんは、数年前から体調を崩され、最近は車椅子生活だ。しかし、好きな酒はまだよく飲んでいる。 木村先輩、いつまでもお元気で大好きな酒を飲み続けてくださいな・・・・・・・。

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 先輩写真家の斉藤康一さんと写真家の榎並悦子さん、林勝義さん。記念写真をパチリ~☆

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会の締めのあいさつに立ったのは写真家の中谷吉隆さん。俳句を一句詠んで鈴木さんに贈った・・・・・・。中谷さんとはいま、「一滴」俳句会の同人として一緒に句を捻っているのだ。

下の写真は鈴木一雄さんの生徒さんたちが先生を囲んでの記念写真で~す!☆

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節約のため暖房器具を基本的に使用していないので、朝方の我が家は冷え込む。寝床からカーテンを開けて見ると外は雪景色だった。例年より大分遅い降雪だ。まずは起き出して愛用のシグマDP-1を持って玄関前の雪の光景を撮った。 それが上の写真。昨年までは栗の木が2本あってポイントになっていたのだが、虫にたかられて枯れてしまい、伐採されてしまった・・・・・・・。

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 昨日、19日は「弟49回 立川志遊の会」を聞きに日暮里サニーホールへ行った。この日の番組は、前座の立川吉笑と今度二つ目に昇進する立川らく太の落語。志遊の演目は、最初が「粗忽の釘」仲入り後、「鼠穴」だった。特にとりに噺、「鼠穴」は良かった。150人ほど入った満員のお客さんが水を打ったように静かに聴き入っていた。志遊にこう言う人情噺をさせるとさすがに上手い。まるで噺のなかの登場人物が高座にいるようである。緊迫感を持たせたまま、最後まで観客を引っ張っていき、ラストのどんでん返しでホッとさせて、落ちでどっと笑いを誘う・・・・・・。観客はそこでようやく「鼠穴」の意味が理解できるという仕組みなのだ・・・・・・。

僕も何度もこの会には足を運んでいるが、昨日ほどを客さんが入った事はなかった。椅子席が足りなくて始まる前に追加したほどであった。高座の終わったあと師匠は、この会をしばらく休会にする旨を発表した。しかし、必ず節目となる弟50回目は開催することも約束したのだ。20数年間にわたって彼を見続けてきた僕にはその心境が痛いように理解できた。志遊よ、多くのことを学んでさらに芸を磨き、一回りも二回りも大きな噺家となって僕らの前に現れよ~!!☆と願うばかりである・・・・・・・・・。 合掌

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 一番前に陣取った左から「志遊応援団長」のOさん、「三福きずな寄席」の世話人・居酒屋三福の主人(3人目)とその友人、左端は、琉球舞踊家の美崎陽子さん。遠くから駆けつけてくれてありがとう・・・・・・・。

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お客さん一人ひとりにお礼のあいさつをする志遊師匠を囲んで、記念写真をパチリ!・・・・・・・。

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この日は遅くなったのでいつもの師匠を囲んでの打ち上げはしないと言うので、僕らで立川流一門がよく飲みに来る店で打ち上げをした。初めて飲む面々だったが、話は多岐にわたって盛り上がった。陽子ネーネーをのぞいて、みな帰る方向が同じなので、最寄駅でもう一軒寄って氷雨のなか家路についたのであった・・・・・。

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今年になって2回目の都内行きだった。今年の11月に開催されることになっている「上州の探検家・矢島保治郎への旅ー生誕130年記念展」のために、昨年に続き5月にチベットへ取材に行くことに関して打ち合わせをしたのだ。僕の他に写真家の烏里烏沙君と塩崎亨君の3人が集った。この2人が取材チームの予定メンバーとしていままで準備をしてきたのだ。コースや期日、予算などについて話し合った。矢島が100年前に辿った道程を地図で確認しながらの話し合いだったが、敢行する方向で準備を開始することで合意した。ただし、現在のチベット情勢から中国政府が外国人の立ち入りを禁止している地域があり、そこの地域には矢島が通った町や村があり、取材には欠かせない地域だ。この難問をどうクリヤーするかが大きな課題であることもわかった。準備期間が後、3ヶ月間余りと迫っていることから急ピッチで準備を進めることを確認したのである・・・・・・・・。

はじめは、塩崎君が四川料理を食べたいと言うので、よく行く民衆食堂へ。生ビールで乾杯したあと、紹興酒を1本空けた。次に行ったのは琉球料理店・みやらび。ここの店は静かでゆっくりと話し合えるので打ち合わせにはいいので、時々利用させてもらっている。新年のあいさつ方々顔をだしたのである。9時過ぎには引き上げた・・・・・・・・・。

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 琉球舞踊家であり、みやらびのオーナーでもある川田功子さん(右)と琉球舞踊家の陽子さんと・・・・・。

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ツーショットを塩崎君が撮ってくれた・・・・・・・。

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矢島保治郎への旅の取材メンバーの予定の烏里君と塩崎君・・・・・・。

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もう一軒行ったのは、近くのスナック。20数年来、通っている友人が経営している店だ。大学時代からすでに10年程アルバイトをしているというYさんと・・・・・・・・。

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中国国籍だがイ族出身の烏里君は、社団法人・日本写真家協会の正会員でもある。チベットには詳しい。今までに彼とは4度、中国、東チベットなど取材している・・・・・・・・。

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Yさんをパチリ!~☆ 彼女は医療関係の出版社に務めているという。中国の歴史にも詳しくとくに三国時代には、ハマッテいるという。三国志のなかで誰が好きなのか聞くと「馬超」だと言う。なかなか渋い武将が好きなのには驚いた。 この日はじめて話をしたのだ・・・・・・・・・。

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烏里君がお子さんが熱が出たと言うので10時に帰り、塩崎君も妻子が具合いが悪いと11時前には帰っていった。僕は一人で軽く飲んだあと駅近くの店に寄って仕上げの酒盛をして終電前に帰路についたのである・・・・・・・・・・。

 新年になって都内に出かけたのは6日の1回だけ、後は病院へ行った以外は家に閉じ篭っているうちにもう半月がすぎてしまった。2012年も24分の1が過ぎ去ってしまったことになる。読書や音楽を聴いていても身に入らない。残された己の人生を考えるとどうしても焦ってしまうのだ。地元に住んでいる「写真集団・上福岡」の会員2人が餅をついたのでと届けてくれた。市議会議員を伴って・・・・・・・。その市議は昨年、家の周辺に建売住宅が突然建築するという事になった時に、地元住民の立場になって動いてくれたので知ってはいた。コーヒーを飲んでひとしきり世間話をして帰った。大福餅をはじめいろいろな餅をもって来てくれたのでしばらくは小正月気分で餅三昧の日々である・・・・・・・・。感謝!~☆

2012年の今年は、ある意味では僕にとって勝負の年にしなければならないと思っている。森鴎外の生誕150年の年であり、石川啄木の没後100年の年でもある。日本中国国交正常化40年の年であるから、今年こそ、20数年取材を続けてきた「三国志巡歴」を本にまとめ、写真展を開催したいと思っている。さらにこの間、「上毛新聞」に連載してきた矢島保治郎の生誕130年、来年が没後50年だ。微力ながらも記念の事業を矢島の地元群馬で考えている。「上州の探検家・矢島保治郎への旅ー生誕130年記念展」の開催は、すでに前橋で11月10日~18日で決まっている。その後、伊勢崎市などで巡回をする計画だ。

そのための最後の取材を今年の春に敢行できるかどうかがひとつの要だ。取材期間も1ヶ月間と長いし、取材費もチベットを1万キロメートル走るので相当かかる・・・・・・・・。できれば森鴎外の写真展も鷗外の故郷、津和野でやりたいと思っているのだが・・・・・・・。いろいろとやらなければならぬことはあるのに、ことしももう16日 間が過ぎてしまったのである。 まあ~こんなことをぐちゃぐちゃ書いていてもしょうがないので、今日はチベット取材の打ち合わせに久しぶりに都内に出かけよう。ついでに何軒か呑んで来よう~と・・・・・・・・。

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 (「日本文学風土記」より 紀州・新宮で)

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 (「日本文学風土記」より 岡山・吉備路で)

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 (「日本文学風土記」より 島根・津和野で)

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(「日本文学風土記」より 土佐・桂浜で)

ここ3日ほどこの冬一番の寒波が列島を覆っていて、節約のため暖房器具使っていない我が家も冷蔵庫の中のような寒さだ。羽毛を着込んで、首にはショールを巻いている。手袋をしていては何も出来ないので素手だから手の寒さはどうしょうもない。時々お湯の中に手を入れて温めたりしている・・・・・・・・。

昨日の13日は「頼朝忌」。武士がはじめて幕府を築いた鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝が亡くなった日だ。建久10年1月13日に没している。俳人・秋元不死男の句に、 「頼朝忌雨だれ絞る松の瘤」 がある。

名古屋で活躍している日本写真家協会会員で日本写真家ユニオンの会員でもあるM君が写真作品を300~400点を持って上京してきた。この数年間に4度取材へ行っているバングラデシュの娼婦の町に生きる少女たちを撮った写真である。昨年は2ヶ月間現地で暮らしながら取材したと言う。今回はまとめて個展を開催したいので見て欲しいと僕の所にきたのだ。以前にも何回か見ていて、力の入った作品なので雑誌社に紹介して2度グラビアとして取り上げられたことがあった。

4時間ほどかけて約50点に絞り込んだ。重いテーマではあるが逞しく生きている少女らが眩しく見えるすばらしい作品群であった。単なるドキュメンタリーでない作品だった・・・・・・・。作業が終了した後、最終で名古屋へ帰るまで時間があると言うので取材でのエピソードなど聞きながら呑んだ。M君の作品は彼が若い頃から知っていたが、改めて今回の作品を見せてもらって写真家としての底力を見たような気がした。同時にこうしたテーマに真正面からぶっかっているM君に心からのエールを送りたいと思ったのである・・・・・・・・・。こういうときの酒はまた格別に旨いものだ。僕は家から出るのは6日振りであった・・・・・・・・。

 

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 (「日本文学風土記」より 信州・木曾街道 大妻籠宿で)

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 (「日本文学風土記」より 秋田・乳頭温泉で)

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(「日本文学風土記」より 信州・更埴市 森で)

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(「日本文学風土記」より 山形・最上川畔で)

上記の作品は僕が40年来取材を続けている「日本文学風土記」のなかのもの。沖縄から北海道までのすべての都道府県を文学を切り口にして、表現しょうという試みである。日本人のそれぞれの土地の暮らしや文化を一人の写真家の眼でまとめたいと思っている。一昨年刊行した『太宰治と旅する津軽』も、昨年刊行した『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』、『啄木への旅』もその流れのなかのひとつの作品なのである。あと何年かかるかわからないが、どうしても一本にまとめたいと思っている・・・・・・・・・。

 

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 (中国・四川省にて)

 

今日、1月11日でちょうどあの東日本大震災が発生してから10ヶ月となる。12月末現在、死者15843人、行方不明者3469人、仮設住宅などに非難している人は70000人を超えるという。これが現実である。津波によって崩壊した町の瓦礫の処分はそのままだけれども、最も深刻なのは、福島原発の放射能漏れ事故で、こちらの方はまったくの目途がたっていない。廃炉までは30~40年といわれているが、実際に放射能が半減するまでには、1700年~1800年と言われている。日本史上で1700年前といえば卑弥呼の時代で、邪馬台国が実際何処に存在していたかも判明していない時代までさかのぼらなくては影響がなくならないのが事実だなのだ。果たして現在生きている我々がそんな未来までも左右することを犯していいのだろうか。責任は一体だれが負うのだろうか。人類以外に多くの生命体が地球上生きているがそうした生命を絶つ権利がはたして現存する我々人間にあるのだろうか。あるはずはないのは明確だが、地球の覇者のごとく不遜に振舞う人類と言う生物の驕りと果てしない欲望とが、この美しい星を消滅させようとしていることに、もうそろそろ気づいて行動をおこさないと本当に手遅れになるのだ・・・・・・・・・。われわれ人間は自然によって生かされているという認識を全人類が持つべきである!!  合掌

 

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(自宅近くの新河岸川の辺で)

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あいさつをする水谷章人さんと奥さま。(2012年1月6日、アイデムフォトギャラリー「シリウス」) ☆写真展は1月6日~18日まで。日曜日、祝日休館 最終日のみ15時まで。平日は10時~18時  地下鉄・丸の内線 新宿御苑前駅下車1分  TEL03-3350-1211

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水谷さんと日本写真界の長老91歳になる芳賀日出男さん。弟1回飯田市藤本四八写真文化賞の受賞者が芳賀さんで、弟3回に受賞者したのが水谷さんだ。そして実は僕が弟2回目の受賞者なのである。水谷さんは、藤本先生が亡くなった後、その遺志を継いで現在、同賞の選考委員を務めている。

新年と言うこともあってか、写真界、写真業界、出版界など大勢の方々が見えていたので一通りあいさつをしてまわり、早々に引き上げた・・・・・・・。藤本四八写真文化賞の弟8回目は今年募集され、審査がおこなわれる年だ。2年に1度の賞だから現在までに、僕ら3人の他には、三好和義、野町和嘉、竹内敏信、井上博道の各氏が受賞している・・・・・・・・。

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9時前には最寄り駅についたので、「三福きずな寄席」などなどでお世話になっている居酒屋にまず年頭のあいさつに行った。次に韓国料理屋さんへ。そして最後は酒屋だが、立ち飲みをしている「みのる」(写真)へ。深夜にもかかわらず、地元の若者たちのたまり場的な存在になっていていつも混んでいる。僕は疲れるのでいつも椅子をだしてもらって座りながら呑んでいる。この店のアイドル犬「さくら」と語り合いながら・・・・・・・。その「さくら」をパチリ・・・・・・・。

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W I N D S T I M E S 風通信 ♯013 2012.1.2
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新年あけましておめでとうございます。
毎年恒例となっております合宿の要綱ができましたのでお知らせいたします。
写真漬けとなる2日間です。皆様のご参加おまちしております!
  
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小松健一主宰 写真研究会「風」2011年度合宿参加要綱
 
3月11日に発生した東日本大震災とその後の福島原子力発電所の放射能漏れに揺れ動いた2011年。
人間、環境、生命、愛などについて深く考えさせられた年でもありました。
10月に開催した写真研究会「風」第2回展が好評のうちに終えることができたのはうれしかった事のひとつでした。
「風」も創立して3年、来年辺りは各自が作品をまとめ発表する時期を迎えていてい
ると言っても良いでしょう。
年に1度の合宿は1年間の創作活動の総決算となる場であ
り、全国から「風」のメンバーでない写真家たちも参加し、真剣に作品を通じて、テーマや創作、発表方法などについて論じ合う「道場」でもあります。ふるってご参加下さい!
 

日  時 : 2012年2月11日(土)午後2時~12日(日)
            午後 1時まで

場  所 : 伊東温泉・ホテルニュー岡部(http://www.okabehotels.co.jp/ito
       静岡県伊東市桜木町2-1-1 TEL:0557-38-2611

参 加 費 :「風」同人・会員 17,000円  一般:22,000円
       (宿泊代 夕・朝食付、講師料、交流会費、
       会議室使用料等を含む) 

集合場所 : JR伊東駅 2月11日 午後1時30分集合(送迎
      バスでホテルへ)
       *東京駅 10番線ホームに11時15分集合(東京方面の方)
              *踊り子111号(自由席) 東京11時30分発
        →伊東着13時15分
       ※集合に間に合わない方、車の方は
       直接ホテルへお出でください。
 
日 程 表 : 2月11日(土)
       13:45~     ホテルチェックイン
       14:00~17:30  合評(第1回目)
       17:30~18:30  自由時間・温泉風呂
       18:30~20:30  夕食と懇親会
       21:00~     合評後、交流会
      2月12日(日)
       08:00~09:00    朝食
       09:00~13:00    合評(第2回目)
       13:00~     昼食の後、解散

      ☆その後、希望者で伊豆の海の撮影と海の幸で交流
 
申込〆切 : 2012年1月20日(金)      
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Publisher_Kenichi Komatsu. Editor_Toru Shiozaki. © windstimes 2011
 
 
 
 
 
 

 

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1月1日、田舎の上州へ帰省しようと思っていた矢先大きな揺れが襲った。新年早々やな気分ではあったが母親と兄弟が待っている実家へと向かった。僕はのんびりと各駅停車で行くのが好きでこの日もそうしたが、やはり正月とあって車内はとても混んでいた。元旦の午前中から家に近所の友人たちが集ってわいわいやるのが恒例になっていたが、今年はバラバラに来てみな早めに帰ってしまって僕が着いた午後6時過ぎには兄弟とその嫁の他は後輩が一人きりだった。それから家族だけで12時過ぎまで語りながら呑んだのだった・・・・・・・。

上の写真は翌2日の午前中に、母と次男の修二とで、この地域の鎮守様である川戸神社へ初詣に行った時のもの。鎌倉時代からあった城下町の平川戸の一宮として栄えた神社だ。戦に破れた岩櫃城の城主・吾妻太郎の首を祀ってあると言うことから「首の宮神社」とも呼ばれていた。現在この神社がある地名は「上の宮」(かみのみや)と言う。実家から歩いて5分足らずのとこにある。  

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 この神社は実家のすぐ近くにある宇佐八幡宮。通称内出神社とも言う。戦国時代、真田昌幸が支配していた頃、内出城があった場所に建つている。子どもの頃、僕らの絶好の遊び場だった・・・・・・。 

 

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3日、実家の庭で記念写真を撮ったあと松井田にある上増田温泉・砦乃湯へ行った。実家からは地蔵峠を越えていくので40~50分はかかった。質泉はナトリウム炭酸水素塩温泉で少し温めの温泉だった。三男の勝三夫婦が好きでよく来るという。僕ははじめての温泉だった。

下の写真は上増田温泉で三兄弟と母親。ここに父がいれば小松家は揃ったのだが・・・・・・。父が亡くなってからは久しい・・・・・・・・。  

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4日、僕の田舎での日課はこの2代目五右衛門の散歩である。五右衛門の後ろの畑は、内出城の本丸跡。母の実家の上田家の所有だ。小さく見える建物は従兄弟にあたる今は亡き上田光義が建立した「城址神社」である。  

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次男の修二の嫁が来てくれたので一緒に墓参りに出かけた。榛名山麓にある墓地は、底冷えのする寒さだ。以前に僕が詠んだ句に 「墓石のぴしぴしと鳴る三日かな  風写」 というのがあるが、この句を俳人の大御所・伊丹三樹彦さんが誉めてくれたことがあった。上越国境の山々は吹雪いている。時々北風とともに雪が舞い降りてきていた。体がすっかり冷えてしまったので近くの桔梗の湯と言う温泉に浸かりに行った。舞茸のてんぷらでビールをやりながらのんびりと入った・・・・・・・。

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 夜は、弟が住む渋川に行って新年会となった。次男が風邪気味ということで来なかったが、嫁たちはみな参加してくれた。それに弟たちの親しい友人たちも加わって賑やかになった。僕ははじめての方もいたが、僕の本を熟読していて、その感想など聞かせてくれた。写真家冥利に尽きる晩であった・・・・・・・・。母も嫁たちもよく食べ、よく飲み、そして歌い踊っていた・・・・・・・・。本当に楽しい正月4日であった。

弟たちが月1回のペースで6~7年続けている「とんぼ会」という文章を学ぶ会があるが、そこではじめて短歌を詠むことになったので少しアドバイスをして欲しいと言うので、まだあまり呑まない内に1時間ほどレクチャーをしたのだ。仕事とは別にこうした場を設けて精進していることは良いことだと思う。

 

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今日、5日弟の小松勝三が代表取締役をしている有限会社ケーツーに母と次男の修二と寄った。トータル リスク マネジメント会社、つまり保険代理店だ。弟一人で1987年にはじめたのだが、いまは7人の従業員を抱え、さらに今年も新入社員を入れると言う。今日が仕事はじめだったのでみんなで記念にパチリ・・・・・・。

「優しさと愛情」が経営理念だというこの会社、けっこう信頼できますぞ~!!。保険に関することや事故の相談など一度気楽に連絡してみてください。海外旅行保険などもすごくサービスしてくれるよ。

☆有限会社 ケーツー  群馬県渋川市渋川1599-3 セレクト21-A  TEL0279-24-2258  FAX0279-24-2204  E-mail k-2@ag.sompo-japan.co.jp    URLhttp://www.sompojapan-ag.com/a/k-2/

その後、僕は前橋に出て「ノイエス朝日」で”X氏コレクション展パート3”を覗いた。売り上げを全額仙台フィルに募金するというので、南蛮焼きの湯のみ2点を4000円で買うことにした。午後からは会場で四重奏のコンサートをやるという。ゲネプロが始まっていた。写真家ユニオン会員の天川弘さんが来てくれ、手打ち蕎麦とソースカツ丼が美味しい店でごちそうになった。 感謝!! 

2012年をどう生きていくか、一歩一歩しっかりと大地を踏みしめて進んで行きたいと思っている・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

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ネパールヒマラヤ・アンナプルナ山群のマチャプチャレ(6993メートル)主峰。

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 ネパールの首都・カトマンドゥーの丘に建つヒマラヤ最古の寺院、スワヤンブナートの仏塔。

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