写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2011年12月アーカイブ

コピー ~ KMK02372.JPG

 ヒマラヤの国・ネパール、西北のチベット国境にあるムスタン・カグベニ村で。僕が常宿にしている家の屋上からの風景。僕が死んだらこの村に散骨すると決めている。

コピー - KMK00512.JPG

 ネパールの首都・カトマンドゥーで毎年おこなわれる「インドラジャトラ祭」で。生神様のクマリを拝みに集まったネワール族の女たち。

コピー - KMK00462.JPG

 カトマンドゥーの旧王朝街・ダルバート・スクエアーに建つ寺院。

 

3月11日に発生した東日本大震災とその後におきた福島原発の放射能漏れ、この二つの大災害で揺れ動いた2011年もあと数時間で終わる。どんなに過酷なことがあろうと、どんなに悲惨なことに遭遇しようと時は決して止まってはくれない・・・・・・・。何と無常なことか、しかしそれが現実でもあるのだ。生かされている僕らはただひたすらに前を向いて歩いていくしかないのだ。志なかばで無念にも亡くなった人々のためにも・・・・・  合掌。

2009年4月28日に開設した「写真家・小松健一のオフィシャルサイト」が2年9ヶ月となり、僕が日記のように綴ってきたブログも400回を超えることができた。平均すると毎日12回ほど、3日に1度は書いてきた計算になる。このサイトを作成するに当たり、サポートしてくれた若い仲間3人には、こころから感謝している。本当にありがとう。それに名前も知らない多くの日本、世界の人たちが見ていてくれるということが何よりの励みとなったのは、言うまでも無い。この方々にもこころから感謝する次第である。

2009年から今日までのアクセス数は年毎に増え、3倍強となった。合計では約39、000人。この1年間では、18、361人だ。昨年から見ると20パーセント伸びている。さらに世界42の国と地域の人たちがアクセスしている。多い順に記せば、アメリカ101人、中国60人をはじめ韓国、ロシア、タイ、イギリス、台湾、ドイツ、フランス、シンガポール、ネパール、オーストラリア、カナダ、ペルー、ブラジル、チリ、スイス、モンゴル、インド、イタリア・・・・・・などなど42カ国に及んでいた。 ありがたいことである。

新しい年の2012年は、このサイトをさらに充実させて、単なる自己満足などに終わらせるのではなく、仕事に結びつくようにしたいには勿論だが、やはり少しでも社会に役立つようなサイトとして発信していくように今後とも日々精進していきますので、一層のみなさんのご協力とご鞭撻をこころからお願いしたい。

みなさんにとって新しい年、2012年が穏やかな年となりますようこころからお祈りいたします・・・・・・。 合掌

SDIM7463.JPG

 28日午後3時から恒例の「2011年 最後の望年会」(ぶどうぱん社主催)が、地元でおこなわれた。この会は僕がこちらに戻ってから毎年暮の押し迫った時期に開いてきたもの。今年で4回目となる。春の”花見と蕎麦の会”と対をなす会だ。今年の会へのチラシの案内には次のような呼びかけ文が書かれていた。

「2011年という年は、僕らにとってどんな年だったのだろう。早春におきた東日本大震災、そして福島原発の 放射能漏れ・・・・・・。未曾有の大災害であった。菅政権からどじょう内閣に交代したのも、もう昔のよう。 そしてTPP参加問題から消費税率引き上げ・・・・・と年末から新しい年に向かって眼を離せない事態が続きそう。師走の一日、それぞれの2011年を振り返り、新しい年をどう迎えるのか! 旨い肴と酒をやりながら親しい友とじっくりと語り合う恒例の望年会に参加してくれんことにはいかんぜよ~」

この呼びかけに、写真研究会「風」のメンバー、写真集団・上福岡のメンバー、フリーの写真家、地元の「三福きずな寄席」の世話人会のメンバーなど18人が参加してくれた。3時から6時までが1次会、6時から9時半までが2次会、9時30分から12時30分までが場所変えて3次会。最後まで8人が残っていた。みんなよく食べそしてよく飲んだ一日であったさ~。今年最後だから許して~チョウダ~イ☆☆☆

SDIM7465.JPG

塩崎亨君の空撮で~す。

SDIM7468.JPG

少し遅れて到着した若手フリー写真家の富樫君と本田さんに囲まれた地元の武士俣さん。この日、故郷・新潟から「栃尾の油げ」と「景虎の生しぼり酒」と自家製野菜の「ヤーコン」のサラダとたくさん振舞ってくれた。武士俣さん、ありがとう・・・・・。

SDIM7467.JPG

得意の蕎麦打ちを生かして、最近町興しのために週2日間、蕎麦店を出してボランテァ活動をしているという松ちゃん(右)。高知の名物・栗焼酎を差し入れてくれた。奥正面、左から4人目の鈴木孝雄さんには金一封をいただいた。感謝~!!

SDIM7480.JPG

 この日、一番若い参加者。フリー写真家としてがんばっている本田さんで~す。

SDIM7471.JPG

最後に来た地元のKさんで、仕事の関係で遅れると連絡のあった(株)タムロンの千代田さんを除いて全員が揃った。

SDIM7473.JPG

「三福きずな寄席」の世話人を務めてくれている武士俣さんは、現在休耕田を借りて野菜を50種類ほどつくっているが、実は前はカメラマンをしていたことがわかった。今は亡き写真家・林忠彦さんの教え子だったいうからビックリした。来年からオープンする彼のブログサイトの名称には「黄色いトマト」とするので、サインをしてといわれたので・・・・・・・。

SDIM7477.JPG

 2次会が6時半過ぎから始まった。残ったのは9人。千代田さんも到着して仕切りなおしで乾杯~!!

SDIM7484.JPG

武士俣さんと目一杯調子に乗っている富樫君で~した!!

SDIM7483.JPG

 

最後の締めはなんと言っても美女軍団に囲まれていかにもご機嫌な主催者の僕で~す☆☆☆!!

この後、9時半過ぎから場所を韓国料理店に移し、3次会。黒マッコリで牛タンやミスジという牛の肩の部分の肉を焼いてバクバクと食っていた・・・・・・・。最後の最後は、僕もふくめて地元の年配組み4人が残った。それぞれが「良い年末年始を!」と固い握手を交わして深夜の町に別れていったのだ・・・・・・・。

 

SDIM7458.JPG
(仕事場のアトリエぶどうぱん社で 2011年12月27日午後3時30分 自写像)

26日、27日は年内最後の病院巡りとなった。まずは伸びに伸びた髪と髭を切りに馴染みの床屋へ行った。上の写真が証拠。すっきりと若返ったでしょう。これで正月に安心して田舎に帰れる。お袋さんの「汚らしいから頭の毛を切れ、髭を剃れ・・・・・」の小言を毎日聞かなくて済むからである。床屋に聞いたら10ヶ月ぶりの来客だという。僕みたいな人間は珍しく、だいたい平均2ヶ月か1ヵ月半ぐらいでお客さんは散髪にくるという。さしずめ僕は、店にとってはありがたくないお客だ。しかしこの床屋には、引越してからもかれこれ10数年は通っているから長い常連でもあるのだ・・・・・・・。

すっきりとした頭でまずは眼科、そして内科。ここでは血液、エコー検査など多かったので診察が終えたのは午後7時半を廻っていた。特段病気が進行している訳ではないが、新たに薬を2種類増やされた。これで今飲んでいる薬は2種類の注射を別にして8種類。ちと多すぎはしないか。今回は別に風邪薬も予防でもらったから、薬代だけでも2万円近くとられた。師走で懐が寒い時に冗談じゃないぜよ~!!と思わず薬剤師さんに言ってしまった。お腹が空いていたので、沖縄料理、宮古島料理、焼き鳥屋と馴染みの店を軽く廻って、古本屋などものぞいて家に戻った。

27日は「写真集団・上福岡」の元会長のSさんと事務局のYさんが来た。Sさんは来年87歳になる。今では集団では最長老になったが、きびきびし、背筋も伸びていて若々しい。現役で写真も撮っている。そのSさんが、かって使用していたマミヤRB67と交換レンズやバック、露光計など一式を僕に使って欲しいともって来てくれたのである。取り扱い方法を習ってさっそく撮影をしてみた。シャツター音がなんとも心地よいし、レンズシャツターということもあって以外にぶれないことがわかった。今後ゆっくりと撮る被写体を選んで使ってみたいと思う。三脚だけはYさんに持っていってもらった。
Yさんが用意してきてくれた煮物をはじめとした手料理をいただいた。僕は野菜たっぷりの味噌汁を作って食べてもらった。いつもながらの美味しいYさんの料理で年越しと新年を迎えられそうな気分になったのである。その後、呼吸器内科科へ診療に行って、最期に薬局へ。耳鼻科だけは、年内でなく年明けてから行くことにしょうと思っている。やり残した仕事をやりきるためにはやはり体だけは気をつけないと思っている。いまさら言ってももう遅いわ~!!と叱られるのは解ってはいるけれども・・・・・・。それでも僕は、来年は少しでも健康に留意した生活をとひそかに思ってはいるのだ・・・・・・・・。

 

11月21日に喉頭がんで突然に亡くなった希代の落語家・立川談志師匠。享年75歳だった。12月21日に故人を偲んだ「お別れ会」が都内のホテルでおこなわれた。師匠と親交のあった各界の著名人、立川流一門の愛弟子たちをはじめとした関係者約1000人と一般の参列者約3000人が故人との別れを惜しんだ・・・・・・。このことはすでに新聞やテレビのニュースなどでご存知のことと思う。僕もテレビでその様子を見たが、いかにも談志師匠らしい楽しいジョークに溢れた心温まる会であった。

昨日、談志師匠が直接指導した最後の愛弟子と言ってもいい立川志遊師匠から電話があった。「お別れの会も無事終えることができ、ほっとしていますが、今になって師匠の大きさを改めて感じています。小言を言ってくれる親父さんがいなくなった様で寂しさが募ります・・・・・・」と言った後、師匠の教えに恥じないように、これからも日々精進すると語っていた。談志師匠の芸風を一番継いでいると思う志遊師匠には、真にがんばって欲しいと心から期待している。「志楼」と名乗っていた前座から二つ目、そして真打と約20年間に渡って見つづけてきている僕の願いでもある。

 

下の写真は、4点とも志遊師匠の真打昇進披露パティー(2009年5月25日付けの僕のブログに詳しい文章とたくさんの写真が載っている)の時の談志師匠であるが、僕は師匠とは直接5回ほどお会いしている。銀座での飲み方にもご一緒したことがあった。師匠と小・中学校時代の同級生だったという写真家の先輩が紹介してくれたのだ。そのときは旨そうにウイスキーの水割りを飲んでいた。写真を何枚か撮らせてもらった記憶がある。高座やテレビで見る師匠とは全然違うなという印象を強く持った。とてもダンディーな紳士だった・・・・・・・・・・。 談志師匠。  安らかにお眠りください。  合掌

 

コピー - SDIM1295.JPG
談志師匠とイラストレーターで立川流顧問でもある山藤章二さん。歌手のミッキー・カーチスさんの歌声を聞いている・・・・・・。
コピー - SDIM1299.JPG
談志師匠が大好きなディキシーランドジャズをディキシーキングスの演奏で歌ってみせた・・・・・・・。
コピー - SDIM1282.JPG
この日、師匠はとてもご気嫌が良く、マイクを握って小噺を連発していた・・・・・・。
コピー (3) - SDIM1316.JPG
3本締めのあいさつに立つ毒蝮三太夫さんと談志師匠、山藤さんら。紋付はかま姿が志遊師匠、着物姿が智江夫人。

[♪ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪]
☆鹿児島のMさん お正月にはありがたい ニッポンハムの詰め合わせ・・・・・・・・・ 合掌



 

SDIM7436.JPG
真剣に作品を見る会員たち。この中から自分で5作品を選び、時には評をすることになっている。、
SDIM7440.JPG
21日、来年創立30年を迎える「写真集団・上福岡」の今年最後の例会が行われた。12月例会にふさわしく100点を超える作品が集まり、熱の入った合評となった。年度賞受賞者の発表は、新年の例会となった。会員の蕎麦打ち名人・松村さんの手打ち蕎麦を食べながらやると決まった。僕もこの日、今年の締めということもあり、昨年取材して雑誌「季論21」の新年号のグラビアに発表する「岩手の民俗芸能」を見せながら写真の真髄とは何かということを30分ばかり語った・・・・・・。
SDIM7441.JPG
午後5時からは会場を移して毎年恒例の望年懇親会となった。今年、写真集の刊行や銀座で写真展を開催した会員の瀬下さんが乾杯の音頭をとって宴は始まった。
SDIM7445.JPG
新入会員とベテラン会員で~す。
SDIM7443.JPG
風邪などのため4人が欠席したが14人が参加して賑やかな懇親会となった。毎年続けているビンゴーゲームによるプレゼント交換も新入会員が増えたこともあり、一段と盛り上がっていた。僕は29年間ではじめて「餅代」をみなさんからいただいた。 感謝!!
SDIM7447.JPG
入会してから29年になる事務局として、裏方で写真集団を支え続けてきた山本さん(真ん中)と島貫さん(右)。いつまでも若々しくがんばってね。本当にありがとう~☆


SDIM7448.JPG
弟・勝三と小笠原村の箭内ご夫婦。
SDIM7451.JPG

 

22日、午後3時から新宿で写真研究会「風」の役員会をおこなった。鈴木事務局長と塩崎編集長と僕だ。来年2月に伊東温泉でおこなう合宿の参加要綱を決めるためだ。どこの喫茶店も満席で仕方なくビヤホールでビールをやりながらの打ち合わせとなった。要綱は年内に「風通信」で発表されることになった。ぜひ、ご参加ください。お待ちしています。

5時からは会社の研修会で月に1度上京している三男の弟・小松勝三と会い久しぶりに飲むことになっていた。前から弟が行ってみたいと言っていた歌舞伎町の奥まった場所にある「三日月」に案内した。生ホヤに海鼠腸を和えた「莫久来」を肴に、種子島の芋焼酎「久耀」のお湯割で飲んだ。はじめての味覚に弟は喜んでいた。席が隣になった大将の大学時代の後輩だったという今は小笠原諸島に暮らすご夫婦に、世界遺産登録後の島の暮らしの変化などについて聞いた。観光客は120パーセント増えたそうだが、環境の激変を心配していた。弟と小笠原村総務課長の箭内さんご夫妻(上の写真)と三日月の大将と女将さん(下の写真)。

その足で近くのゴールデン街へ。久しぶりに写真家が集まるバー「ことじ」へ寄ってみた。ママは相変わらずお元気で何よりだった。写真家の福田文昭さんや石川武士さんなど何人かの知り合いがいた。オーストラリアから来たという女性も2人カウンターで写真集を見ながら飲んでいた。毎日新聞の根岸基弘君の写真展「バレースクダンサー・ミス キャバレッタ」が新年1月5日から31日までこの店で開かれる。 その後、家の最寄駅まで戻ってから2軒ハシゴをした。家に戻ったのは12時を廻っていたがそれからまた飲みながら話した。いつの間にか弟の方が寝息をたてていたので僕も休むことにしたが、それにしても今日も3日間連チャンだったが、5軒のハシゴ酒。よく飲んだものだ。これで後は28日の「最後の望年会」を残すのみとなったが・・・・・・・。体が持つか少々心配ではある・・・・・・・・。

 

[ ♪ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪ ]

☆東京のTさん ご飯の友として 飛騨の漬物セット ☆東京のNさん 独り者にはうれしい無農薬手作り野菜をたくさん  ☆東京のMさん HERGOPOCH製のワキシングレザーのそろいの名刺入れと財布 ☆埼玉のOさん これは便利な 2012年度の黒皮の手帳 ・・・・・・・・ 合掌

 

SDIM7397.JPG
地元で東日本大震災以後、「地域に心通うきずなと文化の花を咲かせよう。そして被災地の人たちとこころをつなぎ笑いを届けよう・・・・・」を合言葉にはじめた「三福きずな寄席」。7月、11月の2回とも大盛況で好評だった。噺家は、僕が前座の頃から付き合いのある立川志遊師匠の協力を仰いだ。その裏方をしてくれている世話人会のメンバー12人がそろって、今年の打ち上げを18日、地元の割烹料理屋でしたのだ。

世話人会を代表して山本建設社長の浩さんが総括的なあいさつ、黒字の会計報告を孝子さんと正くんがして、居酒屋・三福の大将の音頭で乾杯~!!☆  後はごらんの通り無礼講でワイ!ワイ!!がや!がや!!・・・・・で、1次会が3時間半、2次会が3時間、3次会が2時間と続いたのである・・・・・・・・。フゥ~・・・・・・・。
写真に写っている少年は、写真家・塩崎君の長男のA君。浩オジサンからXマスプレゼントをゲット!ラッキーだったね。遠い所ごくろうさまでした~☆。
SDIM7399.JPG
会計報告を真剣に聞く僕です・・・・・・。少し残ったお金から師匠にXマスプレゼントをすることが満場一致で決まった。
SDIM7407.JPG
「居酒屋・三福」の大将、女将、そして若大将・・・・・・・・。
SDIM7409.JPG
志遊師匠の”応援団長”の康ちゃんと三福の調理人の博くん~。
SDIM7412.JPG
いつも寄席のときには、名司会役を務めてくれる”世話人会のマドンナ”ルミちゃんと変なオジサン・・・・・・。
SDIM7404.JPG
山本建設社長夫婦とその幼友達で野菜作りの名人・武士ちゃん夫婦・・・・・・・。
SDIM7415.JPG
独身同士の若大将こと正くんとルミネェネェ~の肖像・・・・・・。
SDIM7417.JPG
2次会は席を変えて韓国料理店。ここのママもお店の常連客もみな「三福きずな寄席」の常連だ。3次会もここで。最後まで残ったのは3人でした。遅くまでご苦労さまでした。

SDIM7427.JPG

SDIM7431.JPG

19日、今年の9月に12日間かけて、東チベット地方へ、上州が生んだ明治の探検家・矢島保治郎の足跡を巡る旅に同行した5人のメンバーが集まって、新橋の「いそむら」で会食をした。同行した長崎の写真家・山崎政幸君は遠方のため参加はできなかったが、ガイド役の烏里君を除いて全員が集合したことになる。それぞれが撮影した写真なども持ち寄って、旅の苦労話などで大いに盛り上がった。3人は先日終了した「チベット山岳写真協会 第3回写真展」にも出品したことも大きな成果であった。

「いそむら」のマスターと大学時代に合唱部で一緒だったという旅の参加者の一人であるK女史が、僕がよくこの店に来るということを知り、合わせて僕のご苦労さん会もと言うことで、今回の会を催すことになったのだという。いつもながらの手作りの手間隙かけた料理でおいしく酒をいただいた。16日にも来たばかりであったが新橋の烏森にこうした温度感のある店が存在するのは、僕ら呑ベェ~には、とてもありがたいのである・・・・・・。

 

[♪ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪]

☆東京のYさん 鹿児島黒豚のロースハムセットとGODIVAのブランデー   ☆埼玉のYさん 味噌漬け国産牛ステーキ   ☆埼玉のKさん 仙台の牛タン弁当 ・・・・・・・・  合掌

 

SDIM7268.JPG
発起人を代表して元岩波書店の編集者Gさんがごあいさつ。
SDIM7273.JPG
みやらびのスタッフによる琉球舞踊が繰り広げられた。
SDIM7276.JPG
参加者が飛び入りで三線や八重山太鼓など披露した。
SDIM7279.JPG

 15日、家で独りでくすぶっていても、グダグダとろくな事を考えないからこの際、師走の街に出てパ^ッーと行こうと毎年暮に開いている池袋の琉球料理の店「みやらび友愛会」に出かけた。僕はいつも発起人に名を連ねているので出ようとは思っていたが、正直体調も優れなかったし気が進まなかった・・・・・・。来年で「東京から琉球の文化を発信させよう」と池袋の地で店を先代がはじめてから59年になるという。僕も初代の店の頃から通っているからかれこれ30数年にはなる。何かとお世話になっているので「えいや~」で来たのである。
前日体調が悪いから・・・・と電話していたのでみんな心配してくれた。そして泡盛を飲み、琉球料理を食べ、舞踊を鑑賞し、みんなでカチャシーを踊り、歌っていたらすっかりと元気になってしまった。初めての人とずいぶん話した。僕の最新刊の本も7冊売れた。来てよかったと思った次第である・・・・・・・。

SDIM7284.JPG
発起人であり9月に一緒に東チベットへ行ったKさんと2次会へ。結局この日は午前様となり申した・・・・・・。


SDIM7286.JPG
あいさつに立った社団法人日本写真家協会田沼武能会長。
SDIM7288.JPG
会場は写真家をはじめ写真業界の人たちで満員だった。
SDIM7290.JPG

翌16日は、写真家の先輩である松本徳彦さんと木之下晃さんと一時期塾生として学んだ英伸三さんの3人展のオープニングパーティに行った。会場は新宿御苑前のアイテムフォトギャラリー「シリウス」だったので新宿二コンサロンへも寄るつもりでいたが、夕べの泡盛がたたってぎりぎりまで家にいるはめとなった。3人ともそれぞれに親しいのでこれには参加せざるを得なかった。
上の写真は前列右から木之下晃さん、木村恵一さん、山口勝廣さん、後列左から島内英祐さん、松本徳彦さん、日本写真文化協会会長の大石直臣さん、一人おいて英伸三さんである。今回の3人が50歳のときに奥様も同じ昭和11年生まれだったことから「300歳の会」を作ったのだそうだ。今年75歳になって6人の合計が450歳になったのを記念して、それぞれが20代の時の作品と現在の作品が並べてあって興味深かった。

SDIM7298.JPG
僕は少し顔を出してあいさつだけして早々に引き上げた。この日8ヶ月ぶりに友人のMさんと銀座で忘年会をすることになっていた。パテー会場では何も食べていなかったので、久しぶりに銀座の路地裏にある三州屋へ行った。この店は魚が旨いので以前はよく来たものだ。久しぶりで来たが今も安くて美味しかった。Mさんは熱燗で日本酒7合を軽々と空けた。
SDIM7301.JPG
いつも満席だったがこの日は珍しく席が空いていた・・・・・・。みつばのお浸し、里芋のから揚げ、カツオの刺身、とこぶしの刺身、カキフライ、鯛かぶとの酒蒸し、なまこ酢・・・・・どれも旨かった。
SDIM7306.JPG

俳人の鈴木真砂女さんが開いていた小料理屋「卯波」があった場所は更地になって時間貸しの駐車場となっていた。しかし路地に入る角にあったお稲荷様と大きな銀杏の木は健在。今年はじめて紅葉らしい紅葉にめぐり合えた。真砂女さんが健在だった頃、何度かおじゃましたことがあった。写真家の水越武さんもこの店が好きで通っていた。一度一緒になって、真砂女さんが流氷が見たいということで盛り上がって、水越さんが案内してくれて僕が写真を撮り、彼女が句を作って発表しようと同席していた朝日新聞社の編集者が企画するということになった。朝日新聞社の若い写真部員が、僕らの記念写真を撮ってくれた。なかなか写真を送ってくれないので、後日その編集者に尋ねたら、失敗して写っていないということだった。何をしているんだ!と叱りたくなったが後の祭り。 僕にとっては記念碑的な写真になったかもしれないのに・・・・・・・・。そんな昔の事を思い出した夜であった。

SDIM7309.JPG
その足で今度は有楽町の路地のそのまた奥の路地にある店にいってみた。先々代、先代と通ったが、現在は直接には関係の無い人がこの店をやっているので、店のコンセプトは全く変わってしまった。しかし店内のたたずまいにはまだかっての面影が残っている。この店で終電近くまで飲んで解散したのである。豚筋の煮込みをフランスパンに付けて食べるのが旨かった・・・・・・・。


SDIM7310.JPG
17日は、俳句同人「一滴会」の125回目の句会に出席した。基本的に月に一度の句会だからもう10年以上は続いてきたことになる。よくやってきたと思う。この間には、亡くなられた方もいるし、遠方の方たちの参加も年々減ってきている。ご他聞にもれずこの会も高齢化が進んでいるのだ。同人も最盛期からみると半分以下になった。この日は、句会の終了後は恒例の忘年会だったが参加者は19人と少し寂しく感じた・・・・・・。
SDIM7315.JPG
岡井輝生代表と同人たち。
SDIM7324.JPG
選者の中原道夫さんと。
SDIM7321.JPG
2011年度優秀賞ならび新人賞を受賞した同人たち。ちなみに僕は出席率が悪いので賞には入ったことがない。
SDIM7326.JPG
懇親会に駆けつけて来た今や人気の板見浩介同人と・・・・・・・・。
SDIM7327.JPG
岡井代表が「井筒部屋の歌」を披露。この店はちゃんこ鍋で有名な「井筒」。いつもだと主人が得意の喉で相撲甚句を朗々と歌ってくれるのだが、この日はお客さんが満員で残念~。
SDIM7332.JPG
いつも記録担当を務めてくれるアサヒペンタックスに勤務している池永一生同人。
SDIM7335.JPG
記念写真を僕もパチリ!☆!この日の句会には僕は次の三句を投稿した。

たれこめし雲間にひかり久女の忌   (中原選準特選・5点)    線量計握る皺の手畑凍てる   (5点)
耳底にぐわぁんぐわぁんと師走なり   (2点)

SDIM7337.JPG
中原道夫選者を囲んで、この日参加した女性同人たちで記念写真。
SDIM7342.JPG

SDIM7341.JPG

SDIM7344.JPG

SDIM7353.JPG

SDIM7384.JPG

SDIM7383.JPG

SDIM7381.JPG
一次会終了後、有志で中原さんを囲んで2次会へ。2次会はいつも行く大将と女将が俳句をしている店「いそむら」へ。新橋の井筒では鳥料理と鳥ちゃんこ鍋だったので、少し刺身など魚料理と葉物料理で一杯やった。僕は焼酎一本だがみんなは〆張鶴の美味しい生酒をやっていた。その後、地元の宝海同人が合流して、銀座の常連の店へつれて行ってくれた。ビルの中はどの階の店も満員で賑やかだった。景気が悪い悪いとシャバは大変な思いをしているのに、この界隈は”別世界”のような感じだった。僕も「郷に入れば郷に従え・・・・」の例えのように、乗るしかないと思いっきりはしゃいだのだ。中原さんも美声で歌っていた・・・・・・・・。
SDIM7392.JPG

終電が間にあわなくなるので家が遠い僕と中原さんは111時半に一緒に出た。残りの同人たちはさらに店を変えて4次会へと深夜の銀座の巷を流れていった・・・・・・・。有楽町駅周辺のイルミネーションが真っ赤だったので・・・・・。

今日は飲まないと決めたが明日、18日が地元の「きずな寄席」の世話人会の忘年会、19日が9月に東チベットへ行ったメンバーで懇親会、21日が写真集団・上福岡の忘年会、22日は弟が上京し新宿で飲む、それに28日が僕が毎年主催している「最後の望年会」とまだまだ続く・・・・・・・・。これ以外にも編集者との打ち合わせなども予定しているので年内あわただしい。ここ5~6年前から忘年会やパーティなどは極力参加しないようにしているのだが、それでも・・・・・・・。みなさんもあんまり体調はご無理なさらないようにしてくださいね。(お前には言われたくないよ~と叱られそう)

 

[♪ありがとう♪ ありがとう♪ ありがとう♪]

☆福岡のTさん ご飯のおかずには最高の「かねふくのからし明太子」 ☆岡山のTさん 芋焼酎のお湯割りの肴に抜群の瀬戸内のさよりの干し物セット・・・・・・・・・     合掌 

 

 

 

 

SDIM0331.JPG

SDIM0332.JPG

[2011年5月撮影。 中国・四川省西部に聳える大雪山脈の最高峰・ミニヤ コンカ(7556m)へ行く途中の鶏丑山峠(4500m)で]

 

近年、しみじみと歳月の流れるのが早いと思う。それだけ歳を取ったということなのか。一日が、一ヶ月が、そして一年が・・・・・・。あれよあれよという間に過ぎ去ってしまう。己の先行きを考えると焦りさえ感じる。後、20年は生きられる見通しはないが、もし仮に生きていたとすれば80歳。その時に僕は、一体何をしているのだろうか、と思うと想像がつかないのだ・・・・・・。ここ5~6年前から内科、眼科、呼吸器科は定期的に通院していて、薬剤も飲んでいる。これらの病気はもう完治しない、一生付き合っていかなければならない病なのである。

最近はそれに加え耳鼻科へも通うようになった。ここ数ヶ月は胃の調子もおかしい。胃痛が続いている。そう考えるとどうしても残された日々をどう生きていくか、何をすべきか、優先順位はどうするのか・・・・・・などと考えざるを得ない。別段、死に対しては恐れてはいないつもりではあるが、やり残しの仕事だけはやり遂げてから死を迎えたいと思うのはわがままだろうか。 などと日々の酒をはじめとした節制した生活は何一つおこなっていないのに都合の良いことばかり考える毎日である・・・・・・・。

昨日、例年より早く2012年の年賀状を印刷所に持っていった。今年を振り返り報告をし、来年の抱負を宣言をするのが毎年の僕の賀状のパータンであるが、今年はいろいろなことがありすぎて、新年度の抱負と決意がかけなかった。ただ「やりたいこと、やれねばならぬことがたくさんある」とだけ最後に一言書き記した。それにしても「懐中につき年末年始のごあいさつは・・・・・」という喪中葉書が多いことか、今年もすでに20枚ほど来ている。僕もそういう歳周りになったと言うことなのか。寂しい限りである。 そういえば明日12月15日は、忠臣蔵で有名な討ち入りで吉良上野介が没した日。歳時記では吉良忌、義央忌、高家の忌などと言われている。   合掌

 

友逝きて九ヶ月後の枯野旅          唐突に姿勢崩れしあばれ独楽       風写

今日12月11日は、あの未曾有の大災害を引き起こした東日本大震災が発生してからちょうど9ヶ月目。日々の過ぎ去るのは早いものだが、僕らは決して忘れてはならない事として、しっかりとこころに刻み込んでおかなければならない。そして被災地に対してそれぞれの立場から一人ひとりができる支援を続けなければならないのだ・・・・・。  合掌

 

SDIM7256.JPG
11月におこなった「風」の第2回写真展以後の作品をそれぞれが持ち寄った。参加者は新しく入会した鈴木孝雄さん(左)をふくめて6名と少し淋しかった。しかし来年の個展をめざした作品選びや各写真賞への応募する作品のことなど参加した会員は創作意欲に燃えていた・・・・・・。
SDIM7258.JPG
合評が終了後、写真研究会「風」第2回展の総括と会計報告、それに来年2月11日~12日の合宿について話し合った。
SDIM7260.JPG
5時半過ぎからは場所を移して毎年の締めとなる忘年会をした。会には仕事を終えて駆けつけた塩崎享君と元メンバーだった写真家の菱山忠浩君が参加してくれた。紅一点は青梅の奥の自然のなかで暮らしている並木さん。若いメンバーからは、「頼れるお姉さん」的存在である。
SDIM7266.JPG
「風」第1回展から参加している塩崎、菱山両君。酒を飲みながら写真談議が弾んだ。
SDIM7261.JPG

左から鈴木紀夫「風」事務局長と今後の活躍が期待される名古屋から通っている平元君、それに同人の塩崎君も来年は飛躍の年となるようがんばって欲しい・・・・・。最後にみんなで来年は「いつ死んでも悔いの無いように1点1点魂のこもった写真を撮ろう!!☆」と乾杯をした~☆~☆!!

 

SDIM7252.JPG

 

昨夜に引き続いて今朝も一段と冷え込んだ。寒さのため今朝方目がさめたら、外には大きな雪がちらついていた。今シーズンになっての初雪である。昨日、「写真集団・上福岡」の会長のTさんが、3日前に数年前から撮影に通い続けている西上州へ行ってきたという。その折、農作業をしていた農民から分けてもらった下仁田ネギと白菜と手作りの梅干をもって来てくれた。梅干は彼が撮影した写真にざるで天日干しをしている美味しそうな梅が写っていたので、僕が「これ食べたい~」と言ったのを覚えていてくれて、その梅干おばあちゃんにおすそ分けしてもらったのだそうだ。 なんともありがたい!・・・・・・・ 合掌。

それで夕べさっそく下仁田ネギと白菜たっぷりの鍋スープを作って食べた。味は鶏がらをメインにしたあっさり仕立てで存分にネギの旨味をだしたものだ。そういえば先日もいただいた高級干ししいたけの煮物を作った。これまた、だし醤油と日本酒をベースにしたあっさり仕立てで煮込み、飽きの来ない、「どんこ」と呼ばれるしいたけそのものの味が万遍なくでていて我ながらよくできたと思ったものである。冷蔵庫に入れておき3日間、酒の肴に、そしてご飯の友にして食べたのだ・・・・・・。

今朝は夕べの残りのスープに白菜をたして、いつも高松のSさんが盆暮れに送って来てくれる僕の大好きな讃岐うどんをたっぷりとぶち込んでいただいた。冷えた体が心まで温まって、丼一杯たべてしまった。この中に豆せんべいなどを割っていれても案外いけるよ。今日の献立は一日この"特製ネギ白菜うどん”になるだろう。 これだから独り身の食卓はちょつぴりとさびしいと思うのである・・・・・・・・。 みなさん。風邪などにくれぐれもご注意してください~!!☆

 

 

SDIM7227.JPG
主催者を代表して開会のあいさつに立つ、社団法人日本写真家協会の田沼武能会長(12月7日・東京・アルカディヤ市ヶ谷で)
SDIM7228.JPG
大勢の招待者と会員たちで会場は熱気ムンムン。第37回「日本写真家協会賞」は、神奈川県相模原市に贈られた。今年11回目となった「さがみはら写真賞」などの活動が高く評価されたのであろう。長年にわたって活動を支えてきた写真家の江成常夫さんに「おめでとうございます。良かったですね」と言ったら「本当によかった。これでまた続けられるよ・・・・」と顔をほころばしていた。
SDIM7230.JPG
新たに名誉会員に推挙された川田喜久治会員(左)と中谷吉隆会員(右)と田沼会長。
SDIM7236.JPG
アトラクションは、ジャズ歌手の奥土居美可さん。美しい歌声で東北の被災地支援の歌も歌い上げた。
SDIM7239.JPG
第7回「名取洋之助写真賞」を「硫酸に焼かれた人生ーナイラとセイダの物語」で受賞した林典子さんと会長を挟んで同奨励賞を「工場の少女たち」で受賞した山野雄樹君が餅つきに挑戦した。受賞作品展は、東京・冨士フイルムフォトサロンで2012年1月27日から2月2日まで。大阪・冨士フイルムフォトサロンで3月16日から22日まで開かれる。
SDIM7233.JPG
写真家の細江英公さんと「フォトコン」の若き坂本大士副編集長との記念写真。細江さんは、現在の写真雑誌は写真雑誌ではなくカメラ雑誌になってしまっていると本来の写真雑誌のありようを坂本君に熱く語った。そして「フォトコン」への今後の期待も・・・・・・・・。
SDIM7234.JPG

僕が撮った写真を細江さんは一枚一枚見て、「小松君、記念写真の本当の撮り方がわかってないね~、看板は全部いれないと駄目なんだよ~」という。僕は「細江さんと坂本君を撮りたいので看板は理解できる程度に入れました」というと「それではだめよ。ちゃんと写っていることによって、記録として意味があるんだから・・・・」と。何回も撮りなおしをさせられたのだ。とんだ所で「世界の細江」さんに直々に写真撮影論を伝授されたのである。
上の写真が最初に僕が撮った写真。下の写真が何度か撮りなおした写真。これでもきちんと第何回の数字が入ってないので、ダメ出しされたのだ。僕と細江さんのそんなやり取りに坂本副編集長は、目を丸くして聞いていた。

SDIM7241.JPG

 

社団法人日本写真家協会が7年前に30歳までの新進写真家の発掘と活動を奨励するために創設したのが「名取洋之助写真賞」だ。今回受賞した2作品とも正統なドキュメンタリー作品で名取洋之助賞にふさわしい内容だと思った。選考委員の一人の大島洋さんとも話をしたが、収穫のあった今回の賞だった。第8回となる「名取洋之助写真賞」の作品の募集期間は、2012年7月18日~8月20日までおこなわれる。詳しくはJPS事務局(03-3265-7451)まで。

ところで今回受賞した林典子さんは、僕が主宰している写真研究会「風」のメンバーであるYさんと写真学校の同期だったそうだ。それにしてもずいぶんと写真の創作方法などについて2人の考え方が違うなあ~と思った。写真そのものについても捉え方が根本的に違うのかもしれない・・・・・・。この写真学校出身で2人の先輩にあたる「風」同人の塩崎享君は現在、この学校で教えている。僕が「典子ちゃ~ん」と呼んだらこちらに振り向いてくれたのですかさずパチリ~☆☆☆

会は盛り上がっていたが、僕は、フォトエディターの堀瑞穂さんと板見浩史さんの3人で会場を後にした。近くの酒場でゆっくり飲みなおそうということになったのだ。3人だけで飲むのは久しぶりだった。3人が寄れば写真の話はもちろんだが、この夜は俄然俳句論だった。3人とも趣味で俳句をやってから長い。特に板見さんは、NHKなどの俳句番組にレギュラーとして出演している。3時間ほど語り合って、芋焼酎のボトルを2本空けてお開きにしたのである。なんだか心温まるいい夜であった・・・・・・・。

 

[♪ありがとうございます♪ ありがとうございます♪]

☆岡山のDさん 酒のつまみには僕は大好き~「瀬戸内海の雑魚とオオタコの干し物」 ☆埼玉のTさん 冬の食卓にはありがたい!「下仁田ネギと白菜と手作り梅干し」・・・・・・・  合掌

 

SDIM7217.JPG

SDIM7221.JPG

SDIM7224.JPG

 

12月に入って初めて家の外に出た。この4日間は本当に家から一歩も出なかったのである。寒むい雨の日が続いたこともあったが、人と会いたくなかったし、話をするのも面倒だった。しかし、僕の家の中にある食料はたかがしれていて、野菜やおかずになるものは無く、とにかく食える物で食いつないでいた。焼酎も切れていた・・・・・・。ようやく昨日は太陽が顔を見せ、気温も上がってきたので、シャワーを浴び、愛用の「シグマDP1」をポケットに家の周りを歩いて見たのだ。いくつかの荷物を発送し、地元の市議会議員選挙の投票を済ませ、野菜、焼酎など買い物をしたのだ。上記の写真はその折、撮影した10カット余りの中からのもの。みな家の近所である。 写真を撮っている時は、何もかも忘れられて本当に楽しいな~とつくづくと感じたのだった・・・・・・・。

毎年この季節になると日本特有のありがたい風習である「お歳暮」というものがある。貧しき「日本お布施党」党首としては、何とか夏の「御中元」の季節と師走のお歳暮の時期まで、その間をどう生き延びるのかが大きな課題である。しかし2011年もどうにか暮まで生き延びることが出来た・・・・・。まず神々に感謝~☆ そして全国のありがたいみなさまにひたすら感謝~☆

この「歳暮」には、古くは米や魚が多かった。これは神仏への供物の一部で、共に食べることにより贈られた人と贈った人とのつながりが一層親密になると考えられていたからだという。盆の贈り物を「中元」というが、「盆歳暮」と言う所もある。何はともあれ、僕にとってはありがたい限りである。俳句の世界でも「歳暮」りっぱな冬の季語だ。いままで歳暮を季語としてたくさん句は作られてきているが、僕は作ったことない。いくつか先人たちが詠んだ句を紹介してみよう・・・・・・・・。

 

お歳暮や少しばかりの田地持  村上鬼城        かくれ棲む身にお歳暮の届けらる  木村蕪城

山里へ送る乾鮭歳暮かな    小沢碧童        遠母へ妻が歳暮と逢ふは何      岩瀬善夫

 

[♪ありがとうございます♪]

☆高知のOさん みずみずしい味の「水晶文旦」 ☆香川のSさん 大好物の「石丸の讃岐うどん」 ☆名古屋のH君 創業222年の香川の料理に万能の「鎌田醤油の詰め合わせ」 ☆東京のKさん 酒の肴に最高の燻製セット「マイスター山野井」 ☆長崎の写真家Y君 一度食べたら忘れない「長崎こじまの角煮まん」 ☆埼玉のSさん 朝の食卓には欠かせない「小田原 早瀬の干し魚 炭火焼きセット」 ☆東京の全日本海員福祉センターさん 最高級乾し椎茸「どんこ詰め合わせ」 ☆東京のF社さん 温かい部屋で飲みたい「恵比寿ビール箱セット」 ☆宮崎のKさん 冬はお湯割り「黒・白・赤霧島の3本セット」  心から感謝申し上げます!!  合掌

 

 

コピー - 画像鈴木結婚式 043.jpg

コピー (3) - 画像鈴木結婚式 062.jpg

(2点とも友人の結婚式でのカット写真)

2011年も早、師走に。今年はあまりにいろいろなことが起きてめまぐるしく歳月が流れた。なかでも日本人として歴史上からみてもおそらく記憶から忘れてはならない年となった。早春の3月11日には発生した東日本大震災、そして福島原子力発電所の放射能漏れ・・・・・・。民主党・菅内閣は吹き飛んで、いつのまにやら野田どじょう内閣に変わったものの、今度は国論を二分するTTPへの参加問題から消費税率の値上げまで次々に僕ら庶民に重くのしかかる深刻な難題が降りかかってきている・・・・・・・・。しかし今年も確実に年の瀬は迫ってくるのだ・・・・・・・。

昨日夜、「季論21」(本の泉社刊)という雑誌の巻頭モノクログラビア8ページの原稿を渡すために都内に出た。文章の原稿は書きあがっていなかったが、写真のポジだけはと思って出かけた。若き日の新聞記者時代に一緒に働いていた友人Sが編集している雑誌なので協力しているのだ。正月に発行されるということなので、季節感などもある程度考えて「岩手の民俗芸能」というタイトルで組んでみた。鹿踊り、早池峰神楽、鬼剣舞、さんさ踊りなど昨年取材して撮り下ろしたものを中心に組んでみたのである。

編集者で文芸評論家のSさんとは、久しぶりの再会だったので、ゆったりと泡盛をやりながら5時間ほど文学、芸術、歴史、政治のことなど多岐にわたって語りあった・・・・・・・。

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。