写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.384] 2011年11月22日 83歳の母と84歳の叔母と弟たちの嫁たちと1年ぶりに再会し、墓参や温泉めぐりなどのんびりと過した故郷での日々・・・・・。

 

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17日は前橋で遅くなったので、弟の渋川の家に泊めてもらった。翌日、三男の勝三と実家のある東吾妻町へ向かった。すでに叔母は前日、横浜から一人で来ていた。次男の修二夫婦を待って、さっそくお墓参りへ行った。
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小松家の墓はもともと東京の多磨霊園にあるのだが、親父が亡くなったのを機に母がちょくちょく参れるように故郷へ遺骨を移したのだった。多磨霊園の方は僕がたまに掃除に行っている。この故郷の墓には、親父の他に、祖父母と幼いうちに亡くなった親父の兄弟たちが入っている。叔母にとっては両親と兄弟たち家族が入っていることになる。横浜に暮らしているのでそうこれるものではないので、墓掃除をした後、長い時間墓標の前で手を合わせていた・・・・・・。墓地の周りの野山は、晩秋というよりも初冬の装いをしていた。
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墓参後、地元の上州牛を食わせる農協が経営している店に行って昼食を取った。三男の勝三も仕事を終えて合流。昼から焼肉料理と重い食事だったが、80歳を優に越えている母と叔母が一番よく食べた。
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東京生まれの叔母は生まれてはじめての経験だという柿の皮剥き。これを紐で吊るし干し柿にするのだ。僕は50年ぶりくらいか、懐かしかった。家の庭にはちや柿の大きな木があり今年は200個ほどの干し柿を作ったというので少しおすそ分けをしてもらった。
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実家の水道水は町営の山から引いてきている清水なので、東京の水などと比べると旨いのだが、母はお茶が好きで水にもこだわり近くの山から出ている清水を汲んできて使っている。米炊きや料理などにも。それで残り少なくなったので、この日60リットルばかり汲みに行った。この街道は、江戸や越後から信州へつながっている旧街道だ。この先には博徒・国定忠治が処刑された大戸の関所があった地だ。この左側の沢から出る清水をお袋はいつも汲みにいっているのだ。
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清水を汲んだ帰りに源泉かけ流しの吾妻峡温泉へ入ってきた。八ッ場ダム建設工事で湧き出てきた単純硫黄温泉。少し温めの湯だがとても温まる。家から車で10分足らずの吾妻川沿いにある一軒家の日帰り温泉だ。露天風呂や貸切家族風呂などもあり穴場の湯である。入場料400円。
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19日は朝から冷たい雨だった。10キロほど奥に入った地は雪になったという。この日は、昨日行った吾妻峡温泉とは反対方向に車で10分ほど走った所にあるあずま温泉に行った。この湯はナトリウム・塩化物温泉で肌がぬるぬるとなる白濁の湯だ。露天風呂からの吾妻川の流れと奇勝「岩井洞」の眺めが絶景だ。大人3時間500円、18:30以降は400円。
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本格的なカラオケも完備されている。司会がいて曲目や名前まで紹介してくれるのには驚きだ。叔母や弟の勝三も歌った。観客はほとんど居なかったので、楽に歌えたと叔母は言った・・・・・。
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1927年世界金融恐慌のはじまった年に生まれた叔母と中国の張作霖爆死事件が日本の関東軍によって引き起こされた年に生まれた母。2人合わせて167歳の肖像・・・・・実家の庭で。
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僕との散歩をとても楽しみにしている2代目「五右衛門」。母は「ピーチャ」と呼んでいる。
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帰京する20日の午前中。次男の小松修二の家族と叔母。甥の宗徳は29歳になったという。久しぶりの対面だった。すっかり大人に成長してうれしかった。握った手も逞しかった・・・・・・。
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保険会社をしている三男・勝三のお客さんで、次男の修二が今月末から勤めるという料理店に行って叔母とのお別れ会をした。豆腐料理が美味だった。
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味良し、ボリューム満点で、魚から肉料理までバリエーションがあり、器にも凝っていた。若い女性客などには人気があるだろう。今度ゆっくりと飲みに来たいと思った・・・・・・。
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その店の割烹着姿の女将。あまりにも板についた感じで麗しかったので思わずパチリ~☆!!。海鮮豆腐サラダを大盛り2皿もサービスしてもらったし・・・・・・。 ありがとうね~。 ご馳走様でした。
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高崎駅で名物駅弁の「鳥めし」と缶チュウハイとつまみを買って列車に乗り込んだら、先ほどまでのにわか雨が止んで赤城山にきれいな虹がかかった。車窓からシャッターを切ってみたが残念ながら写っていなかった。叔母は「とても楽しい日々だった。健ちゃんありがとうね・・・・」としみじみと言った。母の兄弟も後、伯母が一人だけになってしまったし、親父の兄弟はこの84歳の叔母だけ。こうした旅があと何回できるかわからないが、僕ら兄弟としては、できる限り続けたいと心から思っている・・・・・・。 みんなにありがとう!!   合掌

 

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