写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2011年11月アーカイブ

 

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11月29日は、12月8日~14日まで東京・四谷のポートレートギャラリーで開催される「チベット山岳写真協会 第3回写真展」へ出品する作品のプリントチェツクのため、銀座の写真弘社へ行った。今回の写真展の展示・構成を僕が担当しているからだ。18人のそれぞれ異なる焼きのチェツクには時間がかかった。終了した時には外はすっかり暗くなっていた。しばらくぶりの銀座の街はもうXマスへ向けて衣替えをしていた・・・・。
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第36回伊奈信男賞の受賞式は満席状態だった。6時過ぎから始まった祝賀パーティもいつもの倍以上の人たちがつめかけていた。今回の受賞者が韓国の写真家・李尚一(イ サンイル)さんだったからだろう。韓国の人たちも目立った。
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若い人が多かったので料理は見る見る間になくなっていった・・・・・・。
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伊奈信男賞は2011年度二コンサロン写真展年度賞であり、三木淳賞は二コンサロンJuna21写真展年度賞ということだ。三木淳賞には、奨励賞もある。伊奈信男賞の李さんの「光州 望月洞」はそれなりのものを感じたが、三木淳賞と同奨励賞については、正直あんまり感じるものがなかった。でもそれぞれ二コンサロンにふさわしい作品の受賞ではあると思った。各分野の写真家たちが大勢出席していたので久しぶりの話に花が咲いた。 僕の作品「遥かなる チリ」が1993年度の第18回の時に伊奈信男賞の最終候補作品として残ったことがあったことを思い出した・・・・・・・。
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この日、伊奈信男賞の受賞式に参加した写真家の塩崎享君と東京芸大大学院生で写真を学んでいるMさんと夕食に行った。僕が30年来通っている新宿の隠れ家、「三日月」という店だ。途中、塩崎君と事務所を一緒に構えているプログラマーのY君も合流した。
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塩崎君が撮ったMさんとのツーショト・・・・・。
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旨い肴と旨い酒で話は弾んだ。20代と30代の友人たちに囲まれてご機嫌で、いつものより乗っている僕でした・・・・・・・。Mさんの撮影~☆。

 

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11月27日の小春日和に、沖縄出身の友人と劇団「ひの」の第83回公演を観に東京都下にある日野市に出かけた。「ひの」の公演は新羅生門を観た今年の1月以来だった。今回の演目は詩人・宮澤賢治の代表作のひとつ『銀河鉄道の夜』を佐藤利勝の脚本・演出で舞台化したもの。賢治が最晩年の病床のなかでも最後まで原稿に手を入れ続けたという名作であり、広大な宇宙のスケール感に溢れる作品をどう狭い舞台の空間で表現するのか興味を持っていた。

また賢治自身が乗り越えようと葛藤していた宗教問題が色濃くちりばめられているこの作品をどう子どもたちにも含めてわかりやすく構成するのかも見所であった。結論を言うとこの芝居は成功といえよう。演出した佐藤によれば、劇団員9人(20歳~60歳)と準劇団員(小中学生)7人の計16人で40以上の役を演じているというから驚きだ。佐藤の脚色と演出は原作にはない奇抜な試みをしているし、今日的な時代性も取り込んでいて好感を持った。この作品をこの春におきた東日本大震災と原発事故とにしっかりと重ね合わせて、賢治が伝えたかった「いのちの重み」や「みんなの幸い」ということを真正面からテーマにすえていた。この難題なモティーフをうまく劇化しているのに大いに役立っているのが至る所で効果的に流れる音楽だと思った。作曲の関野武志、音楽の中村光志、振り付けの高橋弘子の縁の下力持ちとして果たしている役割は大きいと言えよう。合わせて狭いけいこ場の舞台をうまく活用した舞台美術や音響効果も良かった。

何か誉めてばかりだが、一言いえばやはり、宗教の描き方にいま一工夫必要だと思う。その点原作に少しこだわりすぎたのではあるまいか。賢治は自分が信じた宗派をふくめて宗教を超えようと試み、民衆と共に生きる道を探ろうとしたのが、実はこの『銀河鉄道の夜』だったのだと僕は思っている。今年7月に新潮社から重松清、澤口たまみとの共著で刊行した『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』に、僕は僕なりの考え方を書いているのでぜひ、ご覧下さい。

劇団「ひの」の”銀河鉄道の夜”の公演は、12月3日、4日、10日、11日と午後、夜の部でおこなわれる。詳しいお問い合わせは☆TEL&FAX042-584-3436  http://www.gekidanhino.org/

 

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11月23日の勤労感謝の日に写真集団「上福岡」の月に1度の例会が行われた。そういえば遥か昔になるが37年前のこの日、僕は結婚式を挙げたのだ。結婚式といっても町内の公民館で、料理は大学生協の店長をしていた同級生が用意してくれた。会費は確か1500円だったと思う。それでも100人からの人たちが参加してくれたので黒字となり、その余ったお金をお祝いでいただき新婚旅行へ行った。2人が出合った信州の白馬・五竜岳連峰へ1週間スキーに行ったのだった。何故か、ふっと思い出した・・・・・・。

この日は、風邪や用事のある人が多くて参加者は10人と少なかったが、作品は力のこもったものが多かった。毎回、各自が5点ほどの点数を持ち、自分が良いと思った作品に点数を入れる。そして何故その写真を選んだのかということを説明するのだ。無論、僕も選ぶ。その毎月の点数を1年間で合計して一番得点を多く取った会員に年間最優秀賞を与えることになっている。賞品は僕のオリジナルプリント作品である。その発表を12月の例会の後の忘年会の席上でおこなうことになっているのだ。それで最後の追い込みとなるので、みんな力作を持って来ているのだ。2011年度の結果ははたしてどうなるのか・・・・・。楽しみではある。
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机一面に並べられた写真・・・・・・。

 

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千代田区一番町のJCII PHOTO SALONで今月の27日まで開催されている渡部雄吉作品展「海への道」の会場。渡部さんの著書と愛用していたカメラなどが展示されていた。
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jciiビルで開かれた「渡部雄吉さんの思い出を語る会」の司会・進行役を務めていた斉藤康一さんと渡部さんの遺影。
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日本写真界と業界、それに出版界のそうそうたるメンバーが集い、渡部さんの在りし日の思い出を次々と語った。渡部雄吉さんは、1924年山形県酒田市の生まれで、1993年に69歳で亡くなられた戦後日本を代表する写真家の一人。僕との係わりはそんなに古くはないが、1980年から亡くなるまでの付き合いだった。渡部さんは戦後すぐに写真家・田村茂の助手を務めているので、僕からすると大先輩の兄弟子となる。2番弟子だった川島浩さんも亡くなって久しい。第1回土門拳賞を受賞している三留理男さんも一時期田村門下に入っていたと本人から聞いたことがある。

僕は直接的に田村先生に弟子入りや助手はしたことがなかったが、写真家としてどう生きるかという部分では随分と学ばされた。僕が日本写真家協会に加入する時の推薦人にもなっていただいている。公私共に本当にお世話になった。先生が亡くなった後も、奥様や娘さんともお付き合いをさせてもらっていた。そうしたこともあって一昨年出版した『太宰治と旅する津軽』(新潮社)の末巻に僕の田村茂論を書き下ろしたのである。

そんな兄弟子にあたる渡部さんとの想い出は何と言っても日本写真家協会でのことだろう。当時、渡部さんは副会長、僕はまるっきりの新参者だったが故会って理事を務めていた。3期約9年間である。その時期の思い出が尽きない。それに渡部さんの事務所が原宿にあった。その隣にやはり副会長をしたことのある藤川清さんがいた。それでよく若い写真家たちが泊まりや酒を飲みに行ったものだ。そうした時にも渡部さんと顔を合わせたのだ。今回の写真展も迫力のあるドキュメント作品群だが、とにかく精力的な仕事ぶりだった。あらためて渡部さんの仕事が見直されてもいいと強く思った・・・・・・・。  合掌

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約1ヶ月ぶりぐらいに最寄り駅前にある韓国人が経営している店に寄ってみた。ここの焼肉はもちろんだが、マッコリが旨い。満席だったが一人で飲んでいたやはり韓国の女性が相席をすすめてくれたのでそこに座った。春子ママ(左)と英淑さん。記念にパチリ・・・・・・。
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英淑さんは韓国のプサン出身、大学で福祉学を学んでから日本に来てもう長い。日本語も流暢で日本人かと思うほどである。初対面の僕にもやさしく、肉をみごとに焼いてくれるのだ。この店の常連客でもあるが、ステーキ店でバイトをしていた事もあり、肉を焼くのがとても上手だ。プサンにいる両親に送りたいと言うので写真を撮ったのが上の写真。一人で、激辛キムチを肴にグビグビト韓国焼酎を1本空けている姿はちょつぴりカッコよかったな~☆!!
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春子ママと常連客のご夫婦で記念写真を撮った・・・・・・。

 

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17日は前橋で遅くなったので、弟の渋川の家に泊めてもらった。翌日、三男の勝三と実家のある東吾妻町へ向かった。すでに叔母は前日、横浜から一人で来ていた。次男の修二夫婦を待って、さっそくお墓参りへ行った。
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小松家の墓はもともと東京の多磨霊園にあるのだが、親父が亡くなったのを機に母がちょくちょく参れるように故郷へ遺骨を移したのだった。多磨霊園の方は僕がたまに掃除に行っている。この故郷の墓には、親父の他に、祖父母と幼いうちに亡くなった親父の兄弟たちが入っている。叔母にとっては両親と兄弟たち家族が入っていることになる。横浜に暮らしているのでそうこれるものではないので、墓掃除をした後、長い時間墓標の前で手を合わせていた・・・・・・。墓地の周りの野山は、晩秋というよりも初冬の装いをしていた。
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墓参後、地元の上州牛を食わせる農協が経営している店に行って昼食を取った。三男の勝三も仕事を終えて合流。昼から焼肉料理と重い食事だったが、80歳を優に越えている母と叔母が一番よく食べた。
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東京生まれの叔母は生まれてはじめての経験だという柿の皮剥き。これを紐で吊るし干し柿にするのだ。僕は50年ぶりくらいか、懐かしかった。家の庭にはちや柿の大きな木があり今年は200個ほどの干し柿を作ったというので少しおすそ分けをしてもらった。
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実家の水道水は町営の山から引いてきている清水なので、東京の水などと比べると旨いのだが、母はお茶が好きで水にもこだわり近くの山から出ている清水を汲んできて使っている。米炊きや料理などにも。それで残り少なくなったので、この日60リットルばかり汲みに行った。この街道は、江戸や越後から信州へつながっている旧街道だ。この先には博徒・国定忠治が処刑された大戸の関所があった地だ。この左側の沢から出る清水をお袋はいつも汲みにいっているのだ。
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清水を汲んだ帰りに源泉かけ流しの吾妻峡温泉へ入ってきた。八ッ場ダム建設工事で湧き出てきた単純硫黄温泉。少し温めの湯だがとても温まる。家から車で10分足らずの吾妻川沿いにある一軒家の日帰り温泉だ。露天風呂や貸切家族風呂などもあり穴場の湯である。入場料400円。
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19日は朝から冷たい雨だった。10キロほど奥に入った地は雪になったという。この日は、昨日行った吾妻峡温泉とは反対方向に車で10分ほど走った所にあるあずま温泉に行った。この湯はナトリウム・塩化物温泉で肌がぬるぬるとなる白濁の湯だ。露天風呂からの吾妻川の流れと奇勝「岩井洞」の眺めが絶景だ。大人3時間500円、18:30以降は400円。
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本格的なカラオケも完備されている。司会がいて曲目や名前まで紹介してくれるのには驚きだ。叔母や弟の勝三も歌った。観客はほとんど居なかったので、楽に歌えたと叔母は言った・・・・・。
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1927年世界金融恐慌のはじまった年に生まれた叔母と中国の張作霖爆死事件が日本の関東軍によって引き起こされた年に生まれた母。2人合わせて167歳の肖像・・・・・実家の庭で。
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僕との散歩をとても楽しみにしている2代目「五右衛門」。母は「ピーチャ」と呼んでいる。
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帰京する20日の午前中。次男の小松修二の家族と叔母。甥の宗徳は29歳になったという。久しぶりの対面だった。すっかり大人に成長してうれしかった。握った手も逞しかった・・・・・・。
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保険会社をしている三男・勝三のお客さんで、次男の修二が今月末から勤めるという料理店に行って叔母とのお別れ会をした。豆腐料理が美味だった。
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味良し、ボリューム満点で、魚から肉料理までバリエーションがあり、器にも凝っていた。若い女性客などには人気があるだろう。今度ゆっくりと飲みに来たいと思った・・・・・・。
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その店の割烹着姿の女将。あまりにも板についた感じで麗しかったので思わずパチリ~☆!!。海鮮豆腐サラダを大盛り2皿もサービスしてもらったし・・・・・・。 ありがとうね~。 ご馳走様でした。
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高崎駅で名物駅弁の「鳥めし」と缶チュウハイとつまみを買って列車に乗り込んだら、先ほどまでのにわか雨が止んで赤城山にきれいな虹がかかった。車窓からシャッターを切ってみたが残念ながら写っていなかった。叔母は「とても楽しい日々だった。健ちゃんありがとうね・・・・」としみじみと言った。母の兄弟も後、伯母が一人だけになってしまったし、親父の兄弟はこの84歳の叔母だけ。こうした旅があと何回できるかわからないが、僕ら兄弟としては、できる限り続けたいと心から思っている・・・・・・。 みんなにありがとう!!   合掌

 

 

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17日午前中から群馬県前橋市へ新幹線で向かった。この日午後からおこなわれる平成23年度「ぐんまの山村」フォトコンテストの審査委員会に参加するためだ。11時過ぎに高崎に着き、群馬県庁の担当者の迎えの車で会場の県庁へ。県庁の最上階にあるレストランで僕の好きな石焼カレーを食べた。上の写真は、その席からの上州の風景。坂東太郎こと利根川の流れに白雪の谷川岳をはじめとした上越の山々が一望できる最高のロケーションである。右側は赤城山が連なり、左側には榛名山、浅間山、妙義山が連なっているパノラマの展望である。この絶好の風景を見ながらバングラデシュ出身のコックが作る本格的なカレー料理を堪能するのは悪くない。それも安価でお薦めだ・・・・・・・。
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午後1時から始まった審査委員会は、審査委員長の僕のほかに、群馬県企画部長、群馬県企画部地域政策課長、全国山村振興連盟群馬県支部長・神流町町長、同連盟副支部長・中之条町町長の5名でおこなわれた。1次審査、2次審査と厳正な審査は進んだ。
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最終審査になると各審査委員たちも一層熱が入る。最優秀賞、優秀賞、県教育長賞など特別賞や入賞、佳作など44点が決定した。来年2月1日から5日まで群馬県庁1階ロビーのギャラリーで写真展と受賞式がおこなわれる。僕も出席して総評と作品について合評をすることになっている。作品の巡回展は、県内や銀座でもおこなわれる予定だ。今年の入賞作品は例年よりもさらにレベルが高くなっていて、審査委員たちも各賞の選定に悩み、うれしい悲鳴をあげていた・・・・・。
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審査が終了して外を見るともうすっかり陽は傾いていた。正面右側が榛名連山、奥の一番高く見えるのが浅間山だ。手前の光る川面は利根川。
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この日夕方から来年、生誕130年となる上州出身の探検家・矢島保治郎の記念事業について有志の人たちに集まってもらい相談することになっていた。株式会社朝日印刷工業社長、前群馬県立土屋文明記念文学館館長、上毛新聞社論説委員、それに矢島保治郎の娘さんにも遺族として参加してもらった。来年11月に向けて具体的にどう活動していくかが中心に話し合われた・・・・・・。(上の写真は話し合いの会場の「ノイエス朝日」で18日から始まるガラス工芸の展覧会の作品)
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話し合いが終了してから場所を変えて夕食をとった。弟の小松勝三にも群馬県の倫理法人会の専任幹事をやっている関係で県内に人脈を持っているので参加してもらった。話は文化から政治の話までにおよんで楽しかった。酒もまたよく飲んだ・・・・・・。

昨日の14日は先月の30日以来、久しぶりに都内へ出かけてみた。この間にもいろいろと用事はあったのだが、不義理をしたのだ。あんまり人に会いたくなく、話もしたくなかったのである。まず、新宿・コニカミノルタプラザギャラリーで18日までやっている先輩写真家の橋本さんの写真展「農燦燦」に行ってみた。久しぶりに本人に会えるのかなと楽しみにして行ったが残念ながら会うことができなかった。彼とはかれこれ40年ほど前からの付き合いになる。20代~30代にかけての頃一番付き合っていただろう。橋本さんたちは、当時、今は亡き根室の写真家・平野禎邦さんと今は車椅子生活を送っている竹内敏信さんと現在、沖縄にいる小橋川共男さんと4人で、有名な「ビボ」の向こうを張って、「バブ」というグループを作り、その事務所兼暗室が中野坂上にあった。そこが僕ら後輩の写真家たちもふくめたたまり場的存在になっていて、よく飲んで語り泊まったものだった。若き希望を抱いた写真家たちの”梁山泊”のような存在であった。いま橋本さんは新潟の豪雪地帯として知られる十日町市松之山に暮らしている。あの先輩メンバーたちもそれぞれにユニークだったとつくづくと思う・・・・・・・・。

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その足で大酉祭の二の酉がおこなわれている新宿の花園神社へ行ってみた。まだ夕暮れの明るさが残っている頃だったので、人出はあんまり多くなかった。
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一昨年に求めた熊手を返納してからお参りした。いつもは動けないほどごった返しているのだが、昨日はご覧の通り空いていた。まだ時間が早かったからだろう。
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僕はこの江戸の暮の風物詩が好きで、この花園神社か浅草の大鳥神社へよく出かける。昨年はこれなかったので今年は三の酉まであるが、この日に来たのだ。羽子板市や鬼灯市なども好きで時間があれば出かける。いわゆる庶民の祭りが好きなのである。僕の父は神田の生まれ育ちで、祖母も愛宕山の下の魚屋の娘だった・・・・・・。僕は父の仕事先の備中の山の中で生まれた。岡山県蒜山高原の湯原温泉だ。1歳までこの地にいた。
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花園神社の大酉祭には、日本で最後になってしまったという見世物小屋が建つ。毎年入り口で、小人の人たちがやっていた口上などは聞いていたが、昨日は初めて入場してみた。この日最初の見世物だったが、満員のお客、人気がある。「蛇おんな」だとか「火を吹く女」だとか「二つの頭をもつ牛」などを見せながらマジックショーあり、犬の曲芸ありで1回約35分間で、大人800円なり。ジリジリ~とベルを鳴らして入場者を煽って誘い、代金は出口で払う仕組みだ。何かたわいもないような気もするが、みなそれなりに満足するらしく歓声や拍手もおきた。斜めの板の上に立ち、ぎゅうぎゅう詰め状態だったので僕は足が疲れた。周りにこどもたちがいたのでよけい気を使って変な体勢でいたのが良くなかったのだろう。いまも太ももなどが痛む。
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以前はこうした見世物小屋は、いたるところで見かけたが今はもうない。跡継ぎがいないのだそうだ。 僕が見た見世物小屋は「おみね太夫」という80歳近い老婆に若い20歳代の娘が2人、30~40歳の女性が中心になって舞台は進められた。インドの大ニシキヘビや日本のシマヘビ、青大将など蛇たちがやたらと舞台に登場して観客に触らせたりサービスをくりかえした。僕もニシキヘビの脱皮した皮をもらって財布の中にしまった。お金が溜まると昔から言われているからだ(しかしこの日、けっこう財布の中身は飲み代で消えてしまったし、気に入っていたルビーの指輪も無くなってしまったが・・・・・・)。
話は見世物小屋に戻るが、この日の最大のハイライトは、若いきれいな娘さんが生きている蛇を頭からバリバリむしって食べ、生き血も旨そうに搾り出して飲んでしまうことだ。眼の前でのことだからリアルだった。歯で蛇をバリバリと食いちぎる音がよく聞こえた。その瞬間、みなかたずを飲んで静まり返っていたのだ・・・・・・。場内は撮影禁止だったので見せられないのが残念~☆!!
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さまざまな熊手。僕はいつも神社の特制の熊手の御守りを求めている。
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浅草の大鳥神社は、樋口一葉の名作『たけくらべ』の舞台にもなっているが、あちらは吉原の近くで本家本元なので、賑わいが違う。 この酉の市は関東だけの行事で西は静岡浜松あたりまでに限られているらしい。由来は諸説あるが、日本武尊の命日の11月の酉の日、江戸時代に武士や町民が詣でたのが始まりで、東国武士の武神信仰からその後、庶民、わけても商人の守り神に転化していったらしい。お鳥さまの鳥は、取に通ずるとして熊手で開運を手っとり早くかき集めるということらしい。庶民には難しい理屈でなく、わかりやすいということが受けて広がっていったのだという・・・・・・。
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お参りをして熊手を買い求めてから、お神酒を飲むのが庶民の喜び。これは時代を経ても変わらない光景のようだ。僕はこの的屋さんがやっている出店がみな高いのが面白くないので、一杯だけひっかけて近くのゴールデン街へ行った。
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まだ午後7時前だったせいか何処もネオンの明かりが点いてない。シャツターを開けていた一軒の店の前では猫が暇そうに留守番をしていた。しかたないのでかれこれ30年ほど通っている歌舞伎町の店へ顔をだした。いまは2代目の僕と同じ年の大将と女将で切り盛りしているが、ここ数年めっきり客足が減ったという。「団塊の世代の人たちが退職したからですよ・・・・」という。以前は作家たちが通ったこういう昭和の雰囲気のある店が消えていくのは残念でならない。なんとか残したいものである。 池袋で友人とばったり会って2軒ハシゴをして帰宅したのは午前様でありんした・・・・・・・。 すみませんね~。今晩はのみませんぞ~。夕べ買ってきた切山椒でも食べて寝てしまおう。  合掌

先月の30日から都内に出ていないので今日で約2週間になる。その内、家から近くの病院など出かけたのが、「三福寄席」を含めて2回きりだからほとんどが引き篭もりの日々・・・・・。溜まっていた手紙の返事や雑誌の記事を読んだりしているものの時間はたっぷりとある。夕寝も毎日2~3時間した。12月開催の「チベット山岳写真協会 第3回写真展」の展示・構成や12月の締め切りの雑誌のグラビアの原稿セレクトなども終えた・・・・・。こうなるともうブログに書くネタがなくなってくるのだ~。

 

この春、写真家の水越武さんに酒の席で突然「小松さんは文章がいいから写真家など辞めて、作家にでもなった方がいいよ・・・・」と言われ面食らったことがあった。もちろんいくら尊敬する先輩の言葉でも僕は反論した。「僕は写真家として死ぬまで生きていくつもりです。やり残していることがまだたくさんあるし・・・・・」と。 この日は普段おとなしく人の話を聞く事が多い水越さんが、珍しくよくしゃべった。そして半ば根負けした感じで僕が「わかりましたよ。そこまで仰るのならば僕の還暦の時までに句集を出しましょう」と言ってしまったのである。水越さんは「う~ん、それはいいね~。楽しみだね」と言って、ニコニコしながら泡盛をあおったのだ・・・・・・。

そんなこんなで僕は、後1年余りで句集をだすはめになってしまった。もうこうなったらヤケクソ気味だ。意地でもやってやる~。句集の題名は「ヒマラヤ」と決めた。基本的には写真は使わないで俳句のみで勝負しょうと思っている。かれこれ先師の俳人・高島茂に本格的に俳句を学んでから17年。句集が刊行される頃にはちょうど20年になるだろう。句集の一冊ぐらいは死ぬ前にまとめておくのも悪くないかもね。 水越さんどうもありがとう。あなたのお陰様で句集を作る決心がつきました。 正に瓢箪から駒ですね。   合掌!!

 

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初蝶の流されゆけり大雪渓             菩提樹の花散る根方枕とす

瞑想の尼僧の指先風光る              少年の拳のごとし蝸牛

雨季大河子象は沈みつつ渡る           日干し壁に陰の膨らむ唐辛子

待宵や神々と眠る拉薩の宿             隊商の日がな黄砂の中にをる

秋桜砂塵の村の昼深し                標高四千我に親しき寒雀       (風写)

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岩塩担ぐ天秤棒や月の冴ゆ            曼陀羅の宙に撒きをる濁り酒

崑崙の嶺しらしらと月の村             少年の痩せ馬氷柱舐めてをる

初夏の隊商の鉦過ぎゆけり            日溜りに冬の毛蟲の眠りかな

氷雪や蝿は一途に空を欲り            凍河原水瓶重く少女の背

貴重なる卵ふるわす雪崩かな           雪に死す村に赤子の響きかな    (風写)

 

☆この20年間に多数詠んできたヒマラヤの句のなかから、すぐに思い浮かんだ句を20句記してみた。

立冬も過ぎ明日11月11日で、東日本大地震がおきてから丸8ヶ月間となる。いまだ多数の行方不明者があり、仮設住宅などで避難している人々は無数だ・・・・・・・。 一日も早い行方不明の方々の発見を祈るばかりである。  合掌

今朝のニュースではトルコでまた地震が発生し、現地でNPOの難民救助活動をしていた日本人2人が倒壊したホテルに取り残されているという外電が飛び込んできた・・・・・・。全宇宙のなかでも稀に見る美しい星・地球は、人類だけのもではないのは言うまでもない。人類よりも遥か以前からこの星に生息してきた生物は数限りない。なのに人類は一体どれだけの生命体を絶滅させてきたのか、自らの欲望を満たすだけのために・・・・・・。そしてこれからも絶滅させ続ける。 もういい加減に眼を覚まさないと本当に手遅れになる。人類が滅亡するだけならまだしも、この美しい地球そのものが崩壊していく危機が迫っているのだ。いま、世界でおこりつつある温暖化をはじめとしたさまざまな影響による自然現象は、けっして偶発的に起きているのではないと危惧しているのは僕だけではないだろう・・・・・・・・。

 

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(2010年夏 岩手山)

昨日は、市がおこなっている特定健康診査と、ついでに肺がん、大腸がん、前立腺がんの検査もおこなってきた。毎年おこなっている検査だがまあ、一種の気休めにはなる。僕は毎月3つの病院で定期的な検査をしているから安心はしているものの、淋しいかな最近とみに体全体が老化しているのを実感している。本人はまだ気持ちだけは2~30代のつもりでいるのだが、実際の身体と内臓の器官の年齢は、70歳を越えているという結果を医師に突きつけられて正直がっくりしているのだ。「なに、こんな器械いいかげんで当てになんかなるもんか~。あっしは先月も世界の屋根・チベットを旅してきているんですぜ~」と若い看護婦もいる手前、強がりを言ってみた所、病院を一歩出て木枯らしにさらされたとたんに、現実に引き戻されて不安になるのである。

皆さんも僕も、寄せる歳にはどうしたって抗うことはできやしない。歳相応の生き方をする時期に来ているやもしれません。 酒も、食も、旅も・・・・・・ね。 自然体の生き方が真に求められている年代になったのだろう。残された己の人生をどう生きていくのか、この命をどう全うしていくのか、考察する日々だ。 今年のお酉様は三の酉まである。昨年は行けなかったので今年は出かけてみようかと思っている・・・・・・・・。

 

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(2010年夏 盛岡・さんさ祭りで)

 

 

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早いもので2011年も後2ヶ月を切った。3月11日のあの未曾有の大震災がおきてからまもなく8ヶ月になろうとしている・・・・・・。しかし、復旧・復興のめどはまだたっていないばかりか、福島原発事故処理にいたってはいまだ国民に真実を明らかにしていない状況が次々と判明している。この国の行末を憂慮しているのは僕だけではないであろう・・・・・・。

今朝は澄み渡った青空でさわやかな神無月の一日だ。重い気分も一層されそうな気持ちの良い天候である。この11月を時雨月や神去月、あるいは初霜月ともいう。出雲地方ではこの月に諸国から神々が出雲に集まるので、神有月、神在月という。日本古来からの季節を表す季語は奥が深く興味がつきない・・・・・・。日本人が持つ独特な繊細な季節感であろう。それはまた四季折々がある環境で暮らしてきた民族に培われた感性でもある。

 

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昨日は3日ぶりに外出した。地元の「写真集団・上福岡」のメンバー2人が誘ってくれたからだ。まず第50回朝霞市文化祭へ行った。この地に暮らして四半世紀は優に超えるが、初めて行ってみた。じつは僕も今回写真作品を出展したのだ。これもまた初めてのこと。先の2人があまりにも言うので出品したのである。会場はどこも満員であった。ついでに近くにある市立図書館へ行ってみた。僕の著書が10冊しか入っていなかったので3冊リクエストしてきた。郷土関係資料の方にも『ヒマラヤ古寺巡礼』が入っていたのはちょぴりうれしかった。

その足で2011年富士見市民文化祭・市民美術展へも行ってみた。ここにも写真集団・上福岡のメンバーが出展しているのだ。会場には顔見知りの人がいて案内をしてくれた。力のこもった作品が数点見受けられた。冷たい雨が降り続けていたので帰りには蕎麦屋で一杯。僕はせいろを肴に蕎麦焼酎の蕎麦湯割で体をあたためてから帰宅した。すぐに布団に潜って3時間ほど眠ってしまった。亡くなった親父やしばらく会ってない娘が出てくる夢をみた・・・・・・・。

 

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2011年11月7日撮影 : 僕の家の周辺は、この1年間に激変した。上の4点の写真はすべて僕の家のベランダ、玄関前で撮影したもの。 住宅が家の前と左右に畑や駐車場をつぶして19棟建った。 僕がここに越してきた頃は、まだ辺りには武蔵野の面影がいたるところに残っていた。子どもたちや動物たちにとって雑木林や丘、沼地などは、絶好の遊び場だったのである。

 

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会場となる居酒屋三福の前は、悪霊や病魔を払うチベットのタルチョー(祈祷旗)が張られ準備万端。このタルチョーは9月に僕が東チベットへ行ったときに現地で求めたもの。5色の色は空(赤)、風(緑)、火(黄)、水(青)、土(白)の全宇宙を表している。一枚一枚に神々と経文が印刷されていて、風にはためくと経典を唱えたことになる。 今回も司会を務める世話人のるみちゃんと愛犬コロン君。
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控え室で出番を待つ立川志遊師匠。緊張した面持ちだ・・・・・。
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開場前から入場者が殺到して超満員。立ち見も多くうれしい悲鳴・・・・・・。タルチョーと同じ色の幕は、世話人の山本孝子さんの90歳を越えているお母さんが縫ってくれたもの。 感謝!!
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会場は終始笑いの渦。 祝日にもかかわらず、来ていただいたのに狭い席でごめんなさい!
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この日の演目は、会場が居酒屋ということもあり、お酒に関する噺だった・・・・・。師匠の熱演を不思議そうに見つめる少女。
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「お母さん、このオジサン何をしているの~」という顔である・・・・・。
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寄席が終了後は、志遊師匠と世話人を囲んでの打ち上げ。盛り上がりすぎて深夜まで続いたのはいつものこと・・・・・・。飲みすぎはあかんぜよ~!!
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世話人の山本ご夫妻と僕の小学・中学時代の同級生のOさん。この3人は世話人会の中心メンバーだ。 ご苦労さまでした・・・・・・。 合掌

地域に心通うきずなと文化の花を咲かせよう!!・・・・・・・・ 大好評だった今年7月に続き第二回目の「三福きずな寄席」が明日、3日午後4時から居酒屋三福で開催されます。噺家は、前回に続いて立川志遊師匠。木戸銭は千円。当日は立ち見となるかもしれませんが、ぜひ、お越し下さ~い!!☆ 主役はあなた、どじょうでも金魚でもありません。みなさんの笑顔と元気を被災地に届けましょう~!!!☆☆☆

◎2011年11月3日(文化の日・祝日) 午後3時半~開場 開演午後4時~5時 (終了後、師匠を囲んで世話人会の人たちと懇親会をおこないます)

◎居酒屋 三福 (TEL048-471-0062  東武東上線・志木駅東口徒歩3分)

◎木戸銭 千両 (当日券1500円・立ち見になるかもしれません)

 

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2009年、都内のホテルで開かれた真打昇進披露パーティで、家元の立川談志師匠から免状を授与される志遊師匠

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2009年、200人を越える各界の人たちを集めて盛大に開かれた「立川志遊真打昇進披露パーティ」で

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真打昇進後、はじめておこなった「立川志遊独演会」(2010年)。日暮里サニーホールで

 

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