9月8日早朝、まだ眠りの中にいるだろう澤口さん、O編集者には、電話はせずに独りでレンタカーを駆って三陸海岸の街・宮古市へ向かった。距離は市街地までは約100キロメートル。田老町や浄土ヶ浜周辺など廻ると往復260キロメートルほどになろう。但し、北上山地を横断するため、山また山で、トンネルと急カーブの連続の街道である。僕も20年ぶりぐらいに走る道なので、けっこう神経を使った。
今回の東日本大震災が起きた時代に生きている一人の日本人として、その現状を少しでも瞼に焼き付けておこうと思い、出かけたのだ。写真を撮るのが目的でないから日帰りのつもりだった。しかし、僕が見た現状は想像をはるかに超えていた。僕はその現場に立ちすくんで言葉がなかった・・・・・。照りつける炎天下、巻き上がる土埃、鼻をつく異臭のなかをただ歩いた。そしてやはり僕は写真家として、この現実を撮らねばと強く思ったのだ。
皆さんに見てもらう写真はすべて愛用のシグマDP1だ。順番は撮影した順である。それ以外に6X4.5ミリのフイルムカメラ、ブロニカRF645で16本撮った。65ミリ1本のみで。できるだけ被写体に近づくようにして撮影をした。合掌を繰り返し、犠牲者の方々に思いをはせながらシャツターを静かに切った・・・・・・・・。 合掌