写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2011年9月アーカイブ

 

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9月28日、瀬下太刀男写真集『滝巡礼』と鈴木孝雄写真集『我が心の山嶺』の出版を祝う会と合わせてぶどうぱん社創立41周年を祝う会が都内の琉球料理店・みやらびで開かれた。当日は社団法人日本写真家協会名誉会員の丹野章さん、(株)写真弘社柳沢卓也社長、フォトエディターの堀瑞穂さん、板見浩史さん、写真家の北中康文さん、(株)東京印書館役員の高柳昇さん、「フォトコン」編集部の横井麻衣さんら36人が駆けつけてくれた。今回は2人の出版記念を祝うのが目的だったので、いわゆる写真業界には呼びかけてはいなかったが、瀬下、鈴木両人の友人をはじめ大勢の人たちが短期間のよびかけにもかかわらず出席してくれたのはうれしかった・・・・・・・。
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この会の主役、瀬下ご夫婦(左側)と鈴木さんと娘婿の新井さん。
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鈴木さんの友人たち。
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瀬下さんの大学時代の友人と写真仲間たち。
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日本写真界の長老・丹野章さんもお元気に姿を見せてくれた。会は盛り上がりのなか午後9時過ぎに終わったがその後、有志が残り2次会、3次会と12時頃まで続いた・・・・・・・・。






 

 

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9日目、新都橋を早朝に出発。標高3500メートルの塔公高原を通って、八美で昼食。道の両側には小麦畑が広がっていた。
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雅拉雪山(5820m)の雄姿は、深い霧に覆われて山頂までは見えなかった。その山麓4000メートルの地にあった美しい村。この村からダライ・ラマが誕生していると言う。
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正面の残雪が残る山が雅拉雪山。残念ながら全容は見せてくれなかった・・・・・。
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この日泊まる丹巴は標高1900メートルといままでの中では一番低い所。渓谷をどんどん下る道が続いた。
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山肌にはチベット族の村々が見えた。川も中国には珍しい清流である。
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丹巴から車で30分ぐらい走った所にあるソウボ郷。ギャロン・チベット族の独特な集落だ。八角形の石チョウは、見張りや防衛(避難)、貯蔵などの役割を果たしているようだ。その昔は、東女国という女王が治めた強大な国があったいう。清の時代にも40年間にわたり清軍と戦い続けたという歴史がある。参加者で記念写真。
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丹巴の泊まった僕の部屋から撮影。この町は東谷川、金川、大渡河の三つの河が合流している谷の町であり、風の町だった。河の両岸にへばりつくように町が出来ている。
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久しぶりにたまった洗濯物を窓べりに干した。
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夕食にガイド役の烏里君の親戚のオンツーさんが来た。明日、僕らを中国で一番美しい村に案内してくれると言う。烏里君が抱えているのは、彼女のお父さんが作って烏里君にプレゼントしたバター茶を作る道具。
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ギャロン・チベット族の衣装に着替えたオンツーさん。3歳の男の子がいる28歳の若いお母さんだ。背景に広がるのは甲居村。
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中国で一番美しい村として認定されたギャロン・チベット族の暮らす甲居村。丹巴の中心街から30キロメートル程山に入った所にあった。黄金色に実った小麦の段々畑が美しかった。
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歌も踊りもうまいオンツーさんを撮っていたら周りの人たちが彼女がモデルと思ったらしく取り囲んで一斉にシャツターを切りはじめたのには閉口した。
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ゴメンナサ~イ!☆
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家の作りはヒマラヤのムスタンに良く似ていた・屋根の上が作業場になっているのだ。
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トウモロコシの収穫をしていた。
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ゴンパ(寺院)並の立派さだが作りは同じだ。ヒマラヤのムスタン地方ははチベット系のグルン族やタカリ族などが多いが家の作りや部屋なかの様子などは同じだった。
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屋上で丁寧に育てているコスモス。これもまた同じだ。僕のヒマラヤの句に 「秋桜砂塵の村の昼深し」 というのがあるが思い出した・・・・・・。
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オンツーさんと想い出の記念写真。烏里君が少しヤケクソ気味に撮ったのだ!でもモデルがいいから大丈夫だったのだ~。いろいろとありがとう。 合掌
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屋根の上で話し合う烏里君と彼女。
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地元の警察からわけのわからないイチャモンをつけられた関所は突破したものの30キロばかり追跡されたが、それも振り払って越えた峠。標高4200メートルの峡金山峠は深い霧のなかだった・・・・・・。
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11日目。丹巴から約510キロメートル走って、ようやく四川省の省都・成都へと入った。運転手の家の近くに上手い鳥料理があるというので行った。鳥の頭や足が旨かった。なんと運転手が驕ってくれたのだ。中国に20数年間通っているが運転手が驕ってくれたのは初めてだった。警察官とのやり取りも一歩も引かず、堂々としていると思っていたが、後でわかった話だが彼は数年前までチベットの大きな市の副市長を務めていたのだという。理由があっていまはドライバーだ。
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最後の成都の夜は、大奮発して美味しい四川料理の店に繰り出した。昨年涼山であったイ族の女性幹部の人や四川大学院の学生、それに5年ぶりに再会した何芳さんらが来てくれた。
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5年前の取材のときに通訳をしてくれた何芳さんと。塩崎享君が助手で参加してくれた20数日間の長い取材だった。その頃は彼女は独身だったがその後、結婚していまは2歳のお子さんがいる母となった。
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僕は当時から比べると30キロ近く体重が増えたが、彼女はちっとも変わってなかった。お腹に赤ちゃんがいるときの写真をメールで送ってきてくれたことがあったが信じられない。また仕事を始めるという。夫が写真が大好きで高山植物を撮り続けていて、本にまとめたいといっているので一度写真を見て欲しいと頼まれた。烏里君が今度一緒に行きましょうと声をかけていた・・・・・。
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解散後、烏里君とKさんと3人で成都の夜を散策した。四川出版の社長が飲みたいと連絡があったので、ガーデンパーティのようになっている場所へ行った。スチュワーデスをやりながらバーのオーナーをしているという美しいチベットの女性2人と社長。夜の更けるのも忘れて成都最後の夜を楽しんだ・・・・・・。

 

第2回目のレポートは、標高2600メートルの雅江を早朝7時に出発。理塘を越えて巴塘、金沙江まで行ってまた新都橋まで戻る4日間。この間は一番厳しい道程で、標高4000メートル以上の高所が600キロメートル続く。全行程の距離は約900キロだ。一番若く体力のある写真家のY君は、ひどい高山病に悩まされ、撮影もままならない日々だった・・・・・・・・。

 

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雅江をでて直ぐにある標高4657メートルのセンシエン峠。ここも深い霧のなかにあった。
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ソウシ山峠から見る川蔵公路。矢島もこの道を通ってラサにむかったのだろうか・・・・・・・。
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二つ目のソウシ山峠の標識。入道雲が真っ直ぐに立っていた・・・・・・。
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日本を発ってから5日目。思えば遠くに来たものだ。ふり返ってみると僕らが通ってきた道ははるか彼方に見える・・・・・・・・・。
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雅江から4000メートル以上の高地を走ること145キロメートル。ようやく4012メートル世界でも有数の高地にある聖地・理塘が見えてきた。人口約4万人の都市である。矢島もこの砂漠のオアシスのような町で、ゆっくりと休息をとったことだろう。
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理塘の街中。日差しが強く、僧侶の多い町だ。
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遅い昼飯にありつく。日差しが強いので、みなカーボーイのようなひさしの広い帽子を被っている。
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昼飯はチベット料理のモモ。餃子を蒸したようなもの、なかに野菜やヤクの肉が入っている。僕はヒマラヤでよく食べていた。お客さんをもてなす料理である。
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標高4300メートルの高原にいく筋もの川が流れていた。周りには何千頭のヤクが放牧されていた・・・・。
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巴塘に着く手前、5000メートルに迫る海子山峠を越えて来たがまだこの地は標高4500メートルはある。夕日に浮かび上がる6000メートル峰の峰々と湖が目前に見えた。
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チベットとの境界の町・巴塘の穏やかな朝。日本を発って6日目。 明治32年5月18日重慶を出発して、成都、康定、理塘、そして巴塘へ8月11日到着した東本願寺の寺本女宛雅と能海寛を、チベット政府は頑として入国を拒否。寺本らの再三の要請にもかかわらず、かなわなかった。やはり同じルートからの入蔵を試みていた成田安輝も入国できず、あきらめて引き戻した。また幾多の外国人もここで殺害されたり、追い返されたりしている。能海もその後、行方不明となった・・・・・。この町には大きな境界碑があってそこを一歩でも越えたら首が切り落とされたと言う話が残っている。 矢島はどんな思いでこの町に滞在していたのだろう。
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夢とロマンをもって苦労の末、辿りついた幾多の外国人探検家や旅行者のチベット入国を阻んだ金沙江の流れ。長江の上流にあたるが、このあたりでも大きな河である。川面の色はまるで金色に見えた・・・・・・。
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この先は、チベット自治区となる。河の半分辺りまで渡ってみた。
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6年前までチベット自治区と四川省をつなぐ橋として使われていたが、現在は少し下流に金沙江大橋ができている。参加者で記念写真。
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金沙江の辺にある村、竹巴籠村にあった仏塔。この村は巴塘から30キロメートルはある。ここに金沙江大橋が架かっている。
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この地で大きく曲がる金沙江の流れを撮影する僕。向こう岸はチベット自治区の村。
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巴塘の町に戻って遅い昼食。
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巴塘で夕食に入った店で。僕が若い時からよく知っている劇団・俳優座所属の女優のAさんによく似ている店の若女将と出あったのでパチリ・・・・・・。
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7日目の朝、巴塘を出発して秘境・措布溝の近くまで渓谷を登る。途中にあったチベット族の村。
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措布溝の夫婦。赤ん坊を抱いてオートバイで町に行ってきた帰り。カメラを向けると赤ちゃんは大きな声で泣き出した。
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後ろに見えるのが措布溝。狭い激流の渓谷を50キロメートル程、走ってきたのでこの風景は信じられなかった。草原が広がり、そこにはヤクの群れ。真ん中を川がゆったりと流れ、色とりどりの高山植物の花が咲いている。村の背後にはザージンガボ山(標高5812メートル)の峰々が残雪をたたえて聳えている。アメリカの植物学者で民俗学者のヨーセフ・ロック博士が数年滞在していた村である。ガイド役の烏里君は「こここそが、本当のシャングリラだと僕は思っている・・・・・」と自説を披露した。
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烏里君が記念に撮りましょうと言うので、醜い体を晒してパチリ・・・・・。ああ~美しいシャングリラの風景が壊れる・・・・・・・・・。
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2日前の夕方、ここを通った海子山峠の下の展望台。エメラルドグリーンの向こうの峰峰の反対側に僕らが訪ねたシャングリラ・措布溝があるのだ・・・・・・。
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標高4700~800メートルの地にあるチベット族の村々。放牧していたヤクが家路につくところ。理塘へ行く途中。
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チベット族で放牧をしているテントを訪ねた。突然の訪問にもかかわらず、バター茶やヤクの燻製生肉、大麦で作った饅頭、大麦粉を煎ったツァンパなどでふるまってくれた。チベットの青年たちは、長髪で髭をはやし、お腹がでている僕にものすごく興味があるらしく、次々とテントの中に集まってきた。そして髭にさわり何か不思議なものでも見るような目つきで、僕の大きな腹が本物かどうか見せてくれと言う。みな自分の腹を出して頼むのだ。これほどまでにお腹がでている人間を見たことがないということなのか??・・・・トホホホ・・・・・・。
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8時前にようやく理塘の町に着いた。標高は4000メートルは越えている。僕の部屋から見た夕焼け。日が長く7時30分頃までは、まだ明るいのだ。夜はさすがに高地だけあって一気に冷えてきた。夕飯を食べさせてくれる所を探すがなかなかない。ようやくありついたが帰りの足がなく40~50分冷え込む外をふらつくはめになった・・・・・・。
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9日目の朝、理塘を囲む山の中腹にある理塘寺に行った。矢島保治郎も当然この寺を訪れていることだろう。由緒ある古刹で現在でもラマ僧は3700人いるというからひとつの町である。この地方から歴代のダライ・ラマを4人輩出しているというから、とりわけてチベット仏教への信仰は深い。町のあちこちの交番があり、武装警察が目立つが、この町はチベット自治区のどの町よりも独立運動が盛んな所なので、当局がとりわけ警戒しているのだ。外国への電話なども制限されていた。
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ラマ僧と理塘の町並み。
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理塘寺の本堂。中に入って参拝した。堂内や仏像などは、本来は撮影禁止なのだが、ラマ僧が特別にこっそり撮らしてくれた。 合掌
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新都橋まで村も食堂もないので、理塘で大麦を焼いたパンみたいなものや水を買い込んで途中の草原で昼食にした。草原にはりんどうなど高山植物の花々が咲き乱れていた。
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新都橋へまで60キロメートル程の峠から大雪山脈の最高峰・ミニヤ・ゴンガ群峰が見えた。日が沈むほんの一瞬だから時間との勝負だった。28ミリレンズだとこうなってしまう。でも正面にうっすらと見えるでしょう。もちろんフイルムカメラに300ミリレンズを付けて撮影はしたが・・・・・・。
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大草原の日没。
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新都橋の食堂。この夜は何度も停電になりローソクの灯の下での夕食となった・・・・・・・・・。

 

レポートの第1回目は、矢島保治郎が1年間暮らした四川省の成都を出発して、約3ヶ月間滞在したダルッエンド、現在の康定を抜けて雅江までの4日間。写真は撮影順に並べている。

 

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日本の我が家を早朝5時前に出発。昨夜は2時間ほどの睡眠しかとっていないのでバスの中では眠りぱなっしだった。成田で同行者5人と現地ガイド役の烏里君と合流。中国国際航空422便は定刻の9時に離陸した。北京でトランジエットして成都には16時に到着。20数年間、中国の航空機に乗っているが、これほど時間が正確だったのはじめての経験だった。
常宿の武候伺前のホテルにチェクインした後はフリータイム。みなそれぞれ周辺のチベット街へ買い物に出かけた。夜は屋台の四川料理を食べに繰り出した・・・・・・・・。
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烏里君の友人の山岳ガイドをしているYさんが来てくれた。僕も3年ぶりの再会だったので懐かしかった。明日からの旅の成功を願ってみんなで乾杯をした。
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2日目。朝9時ホテルを出発。遅めの出発だが今日は比較的道の良い康定までの380キロメートルだ。最初に寄ったのは矢島も寄っている雅安。桃、棗、ザボン、梨などの果物が豊富に獲れる温暖な土地。標高は650メートル。街中を青衣江が流れる。現在は人口約100万人の大きな街となっている。
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昼食は天全という町。まだ標高は850メートルだ。古い町並みが至る所に残る。風情のある町だ。烏里君がどうしてもここの鳥肉料理を食べてくれというので小さな店に入った。「この鳥を食べたら他で食べれなくなりますよ~」とまでいうだけあって確かに旨かった。
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店内は地元の人で込み合っていた。
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白酒をやりながらの鳥は旨い。餃子ワンタンも・・・・・・・。
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店の下に下りてみたら朝鮮人参みたいなものを火で燻製状態にしていた。出汁にでも使うのか・・・・。
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この町を流れるのは長江の支流である大渡江。この川とはこれからの旅のなかで何度か会うことになる。
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康定に入る前の峠で。ここでいつも露天商からくるみ、ひまわりの種や乾燥フルーツなどを買うのだ。
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途中からダム建設のため道路がひどく、待たされることも多くなった・・・・・・・。
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康定に着いたのは暗くなっていた。谷間の町だから余計に日が落ちるのは早い。標高も2600メートルになっているので朝夕は冷える。狭い町の中を大きな2つの川が流れていることも気温を下げているのだろう。
矢島はここに2度来ていて合わせて3ヶ月間ほど滞在していた。烏里君はこの町で小学校から高校を卒業するまで暮らしている。現在も兄弟の多くがこの町にいる。いわば故郷である。彼のチベット族の友人がお酒を持って来てくれた。僕も1年前にこの町で一緒に飲んでいるので再会を喜んだ。
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3日目の朝。ホテルの前の屋台で麺を食べる。この日は高度順化のためこの町にもう一泊し、標高3830メートルの雅加峠にある中国高山植物園へ出かける。
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標高は一気に上る。みな頭や足がふらふらしてきた。高山病の初期症状。ゆったり行動し、深呼吸をくり返すことや水の補給をするように注意した。
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目の前には5000メートル級の山々が迫って来た。山霧の動きが早い。万年雪が所々に見える。
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峠の頂上はどこでもタルチョーとよばれる祈祷旗が張られ、石を積んだ仏塔が出来ている。風が冷たい。
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濃い霧の中、よく見るとリンドウが可憐な紫色の花を咲かせていた。写真のリンドウは4~5センチだが、さらに小さいものなど5~6種類のリンドウが咲いていた。
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この花は、烏里君に言わせると珍しい植物で、自分で温室になる袋を作り、寒さなどから守って花を咲かせる植物だという。
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池があったので撮影したが光線が悪く、ほとんど見えないでしょ。
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馬が放牧されていたので近寄ってパチリ。 一瞬、霧が晴れて背後の山容が見えた・・・・・・。
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同行者と記念写真。長崎の写真家Y君、山岳写真家のKさん、写真研究会「風」の鈴木さんの3人は写真家。他に印刷関係者のKさん、この4月まで保育園に務めていたYさんの5人だ。それに烏里君と僕、ドライバーの総勢8人のメンバーである。
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明日、越えていく山々が霧の中から顔を見せた・・・・・・・。
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康定はチベットへの玄関、かっての西康省の省会でカム地方最大の都市。矢島が滞在した101年前はと言うと、人口1万余。チベット族7割、漢族3割だと矢島は書いている。チベットからのキャラバン隊が往来して交易の町として栄えている様子を父親宛の手紙に書き送っている。僕も1年ぶりの康定が懐かしかった。街中に大きな河が2本流れていて、昨今の温暖化による集中豪雨など考えると少し心配になる。この町には様々な民族、文化、宗教が触れ合って独特な雰囲気をかもし出している。夜はチベットの歌と踊りを見せる店に行った。そこで昨年、成都で知り合った成都の藝術出版会社の社長と偶然に再会して乾杯をした。
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矢島が康定から一人で一日歩き泊まったと日誌に記してある「チリコ」という地名はいくら調べてもなかったが、この先はいまも人家はなく最後の村・折多村(標高3300m)が矢島の言う「チリコ」ではないかと思われる。ここなら1日で康定から歩いてこれるからだ。いまも数十軒の集落がある。
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康定から川蔵公路の最初の峠、折多山峠は4298m。ここからは純粋なチベット族が暮らす地域だ。山頂にはたくさんの祈祷旗が風にはためいていた。
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この急坂を自転車で登って来る中国の若者がいた。その根性は見上げたものがある。
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次の峠は高弥寺山峠、4412m。
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高山植物が咲き乱れる草原で記念写真。僕は「島ぞうり」と呼ばれるゴムぞうりで歩いている。後方には白く光っているミニヤ・ゴンガ群峰が雲に見え隠れしていた。
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はるかに延びる標高4000メートル以上の高原の道をみていると100年以上前に、独りこの道を歩きラサへ向かった矢島青年のことがしきりと思われるのであった・・・・・・・。
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道端には色とりどりの高山植物が咲き乱れて僕らの眼を楽しませてくれた。矢島も歩きながらこうした草花をみて、遠き故郷・上州の山河を思い出したに違いない・・・・・・・・・。
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成都を出発して3日目、矢島も泊まっている渓谷の町・雅江に到着。狭い谷間に流れる雅龍河にへばり付くようにある小さな町だ・・・・・・。

 

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(標高5000メートルに迫る海子山峠近くにあるチベット村。背後には6000m級の山々が並ぶ)

9月22日夜、12日間の東チベット(カム地方)取材から無事戻った。全行程の半分以上が標高4000メートルから5000メートル弱という高地の上、2000メートルの差がある深い渓谷を走るという悪路の連続。正直、体中がガタガタになるほど疲れた。もちろんこうしてブログを書いていても背中から腰、膝に時々激痛が走る

 

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(四川省の成都からラサへとつながる国道318号は、川蔵公路と呼ばれている。康定から雅江へ向かう最初のの峠、折多山峠4298メートルは深い霧に包まれていた。自転車で旅をするのがいま、中国の若者の間でブームとなっていて、旅の途中、ずいぶんと出会った)

今回の旅は来年生誕130年を迎える上州出身の明治の探検家・矢島保治郎が101年前に単身辿った道を巡る旅である。その道は、はるか遠く今回はその一部を辿ったにすぎない。しかし100年経って、車を使ってその道程を辿っても非常に厳しい旅であった。同行の5人の内3人は高山病で苦しんだ。

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(カズラ山峠4778メートルでであったチベット族の青年。オートバイで遊びに来たという。ここらあたりになると空気は薄く少しでも激しい動きをするとすぐに苦しくなった)

そのレポートを数回にわたって写真を中心に紹介しょうと思っている。ことわっておくが、メインは35ミリフイルムと6X4.5のフイルムカメラで撮影した。50数本撮った。このブログにアップする写真は28ミリレンズ付きのデジタルカメラで撮影したものだ。だから7000メートルを越す山岳などの写真のアップや可憐な高山植物の花のアップなどは残念ながらここでは紹介できない。またの機会を楽しみにしてもらいたい・・・・・・・・。

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(チベット自治区との境となる金沙江に近い街・丹塘への最後の峠となる海子山峠を少し下った場所で同行者の記念写真。右端が現地ガイドをかって出てくれた中国の写真家で探検家の烏里烏沙君)

9月8日早朝、まだ眠りの中にいるだろう澤口さん、O編集者には、電話はせずに独りでレンタカーを駆って三陸海岸の街・宮古市へ向かった。距離は市街地までは約100キロメートル。田老町や浄土ヶ浜周辺など廻ると往復260キロメートルほどになろう。但し、北上山地を横断するため、山また山で、トンネルと急カーブの連続の街道である。僕も20年ぶりぐらいに走る道なので、けっこう神経を使った。

今回の東日本大震災が起きた時代に生きている一人の日本人として、その現状を少しでも瞼に焼き付けておこうと思い、出かけたのだ。写真を撮るのが目的でないから日帰りのつもりだった。しかし、僕が見た現状は想像をはるかに超えていた。僕はその現場に立ちすくんで言葉がなかった・・・・・。照りつける炎天下、巻き上がる土埃、鼻をつく異臭のなかをただ歩いた。そしてやはり僕は写真家として、この現実を撮らねばと強く思ったのだ。

皆さんに見てもらう写真はすべて愛用のシグマDP1だ。順番は撮影した順である。それ以外に6X4.5ミリのフイルムカメラ、ブロニカRF645で16本撮った。65ミリ1本のみで。できるだけ被写体に近づくようにして撮影をした。合掌を繰り返し、犠牲者の方々に思いをはせながらシャツターを静かに切った・・・・・・・・。  合掌

 

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9月7日、新潮社のO編集者とこの2年間かけて7月25日ようやく発売となった『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』の各方面への報告と著者の澤口たまみさんとの打ち上げのために岩手県盛岡市を訪れた。僕にとってはあの東日本大震災前の2月末いらいであった・・・・・・・・・。

 

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盛岡市玉山区渋民からみた姫神山。40年近く通っているがこれほど美しく姫神山が見えたのははじめてかもしれない。黄金の稲穂はたわわに実っていた。
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石川啄木記念館を訪ねたが、あいにく山本玲子学芸員は仙台に出張、館長も留守であった。はじめて来たOさんを少し館内を案内した。展示は愛されて百年企画展第2部「啄木を愛した作家たち」をしていた。11月30日までやっている。与謝野晶子・鉄幹、野村胡堂、立原道造、井上ひさし、渡辺淳一などそれぞれの作家の視点から啄木像に迫っているユニークな企画展示である。北上川畔に建つ啄木の「やはらかに柳あをめる北上の・・・・」の歌碑の公園へも行ってみた。僕は40年程前の冬に独りでこの歌碑を訪れている。青春の想い出がいっぱい詰まった土地である。
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この日も岩手山は、僕らをあたたかく、雄大に迎え入れてくれた。感謝するばかりである・・・・・。合掌
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賢治の詩「溶岩流」の舞台となった焼き走り溶岩流に、高校生たちが来ていた。1731年の噴火の際にできたものだが、いまだ草木も生えない。10メートルの深さでこの石が堆積しているのが原因だという。国の特別天然記念物に指定されている。
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Oさんは「ほんとうに賢治の書いたように鳥のいっぴきさえ見ないですね・・・・」と感嘆の声を上げていた。
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焼き走り溶岩流の一角にできた温泉に浸かる。湯船からは正面に霊峰・岩手冨士の雄姿が見渡せる・・・・・。
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ゆっくりと温泉に浸かったOさんは気持ちよさそうな顔をして「わたし温泉大好き~。ビールが早く飲みたい~」と叫んでいた・・・・・。
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ホテルにチェクインした後、いよいよ今日の最大の目的である澤口たまみさんと合流して打ち上げだ。場所はいつものモリーオの田舎料理「どん兵衛」。『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』を前においてOさん待望の生ビールで乾杯~☆
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宮古漁港から上がったばかりの秋刀魚の刺身、青森の大間の鮪、ホヤなどどれも美味であった。半年振りの大将の佐々木さんが腕をふるって次々に旨い料理を出してくれた。
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9時過ぎに朝日新聞盛岡総局のT記者が駆けつけてくれた。Oさんとは20数年前、同じ出版社にいて先輩・後輩の間柄だった。Oさんは僕の担当編集者だったので、大学卒業して間もない2人とよく連れ立って神楽坂界隈を深夜まで飲み歩いたものである。それぞれ歩む道は異なっても、こうして出合って飲めることは本当にうれしい限りだ。T君は11日投票の岩手県知事選と県議選の取材のため忙しいのに合間をぬって駆けつけてくれたのだ。ありがとう・・・・・・・。
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今回の本の僕との共著の澤口たまみさんと記念写真。T君が撮る。実は20年程前に僕は彼女を「トランベール」という雑誌で取材し、撮影もしている。いまは2人のお母さん。でもとても可愛いが、当時は・・・・・・・。この間、写真を整理していたら賢治が生前に出した『注文の多い料理店』の発行所だった光源社の庭で撮影した彼女の写真が出てきたのだ。ちょつと僕が気取り過ぎているね・・・・・・・。
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「どん兵衛」の大将と女将を囲んで。
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2軒目は、T記者のお薦めのバーへ。まるで曲芸のように瓶などを空中に投げ回してカクテルなどを作って出すイケメンのバーテンダーがいる店で女性の2人には、えらく受けていたのだ。3軒目は僕の好きな南部蕎麦屋で蕎麦湯割りに盛で締めた。時計を見たら午前3時を過ぎていた。疲れましたな・・・・・・・。みな若いさ~。
明日、早朝から三陸海岸の宮古を中心に独りで廻ってこようと思っている・・・・・・。おやすみなさい~☆


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岩手から戻った翌日の9日、地元の「三福きずな寄席」の世話人たちを中心に韓国料理のサムゲタンとマッコリを飲む会に誘ってくれた。山本建設の社長と奥さんを中心にみなお仲間。僕はあんまりこうした地域の人との付き合いをいままでしてこなかったのだが「、きずな寄席」をはじめてからきずなの輪が広がり始めている。数人を除いて知らない人ばかりだったが、とても愉快な宴会だった。僕はこの日は6時から居酒屋・三福で写真集を出した瀬下太刀男さんと2人でささやかな祝う会をしていたのだ。
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参加した女性たちを連写!!寄席の司会をしてくれるRちゃんを除いて知らないひとばかり。でもすぐお友達になってしまったのだ。
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これが朝鮮人参たっぷりのサムゲタン。手のモデルをしていたというネールアーティストのSさんの美しい御手に登場してもらった。
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山本建設の浩社長と地元の小学校からの同級生。右奥が孝子奥様でござ~い。
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2軒目はまた居酒屋・三福に戻った。農業で野菜を作っているというご夫婦。
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Rちゃんと僕の小学校、中学校の同級生のYちゃん。彼女はお孫さんが2人いる”おばあちゃん”なのだが、今は「三福きずな寄席」の世話人兼応援団長をやってくれている。40数年ぶりにこうして同じ町で会って一緒に飲み、語るのは何か不思議な感じがするのだ・・・・・・・。

 

 

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(写真は、児島湾に近い瀬戸内の櫃石島漁港 2009.10撮影)

「児島湾岸の魅力再発見」をテーマに第2回児島湾岸写真コンクールの作品募集が9月1日より9月23日(当日消印有効)までがおこなわれている。昨年から始まったこのコンクールは、今年も引き続き僕が審査をすることとなった。このコンクールは、岡山県の児島湾干潟の歴史を物語る景色や祭りなどをはじめ、早島、さらには児島湾岸干拓地周辺の後世に残したい風景や人々の暮らしなど魅力溢れる写真を募集している。ぜひ、児島湾岸周辺の写真を持っていたら応募してください。写真展や受賞式もおこなわれます。
☆詳しくは早島町・教育委員会(TEL086-482-1511)、ホームページでも子細はわかります。

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9月6日、午後から写真集団・上福岡の9月例会が開催された。昨年暮れから8人の有望な新人が加入したので、久しぶりに会が盛り上がっている。まもなく30年間在籍しているベテランもうかうかしていられないと張り切っている。いい傾向だ。やはりどんな組織でも新しい力が加わるとエネルギーが湧いてくるものだ。加えて会員の瀬下さんがこの度、コダックフォトサロンでの個展と写真集『滝巡礼』を刊行して、写真界でも注目されているからなおさら会員に刺激を与えているのだ。
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終了後、有志でいつものように近くの焼き鳥屋で、酒を傾けながら写真談議に花を咲かせた。瀬下さんの写真集の出版を祝って会として、祝う会を催すことになった。やはり写真仲間はいいものだな~とその話を聞いていてつくづくと思った・・・・・・・・。

 

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宮澤賢治が故郷・岩手県をイーハトーブと呼んだ。岩手山に寄り添うようにある鞍掛山の前に広がる牧草地(2010.8 撮影)

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9月2日から5日まで、八王子駅北口前にある東急スクエアの11Fギャラリーで写真集『心のふるさと雲南』出版記念・田中四郎写真展が始まった。1997年~2010年までの間に中国・雲南省に10回取材したなかから厳選して50点を展示している。写真集には掲載しなかった写真も多く展示されていて見ごたえがあった。また会場には東日本大震災被災者支援のポストカードも2種類制作されて置かれていた。僕が行った時にも大勢の人がつめかけていた。田中さんは友人たちに囲まれながら「やはり写真展をしてよかった・・・・」としみじみと語っていた・・・・・・・。
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5時半から会場を移して出版記念パーティがおこなわれてた。僕も編集・構成者ということで招かれていたので顔をだし、あいさつをした。装丁を担当した塩崎君も来た。「風」事務局長の鈴木さん、菱山君、それに福岡県から以前にヒマラヤへ一緒に行った塚原君も来てくれた。久しぶりの再会だった。会には田中さんの友人知人、写真仲間たちが大勢参加、いつまでも和やかに、田中さん作品を肴に会は盛り上がっていた・・・・・・。
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合唱仲間と熱唱する田中さん(右)。『心のふるさと雲南』に寄せられたたくさんの感想のなかから一部を紹介する。ありがとうございました・・・・・・・・   合掌

「私も写真から昔の日本にあった光景を思い浮かべながら拝見して、心のふるさとを感じました。」(写真家・石川文洋)

「人間のぬくもりがかんじられ楽しく拝見させていただきました」(写真家・田沼武能)

「人々のしぐさや表情がとてもやさしく和やかで親近感を覚えました。田んぼや畑で農作業に励む人々の姿が大変美しいです。」(写真家・英伸三)

「この写真の中には、生活があり、人間が生きています。美しい光があり、風景があり、人生がある。」(書家 詩人・岡田芳保)

 

 

 

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宮澤賢治が多くの作品のモチーフとした早池峰神楽。早池峰山麓にある早池峰神社に奉納する岳神楽、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている(岩手県花巻市早池峰神社で撮影・2010年8月撮影)

上毛新聞 (8月30日付)の「オピニオン21・視点」のページに今回で連載6回目となる記事が掲載された。いままで上州の明治の探検家・矢島保治郎について5回書いてきたが今回は、群馬出身の詩人・伊藤信吉(1906~2002)さんとのエピソードを書いた。この5月、作家の重松清さんとロシア・サハリン(旧樺太)に行ったときのことをふまえて書いたものだ。上毛新聞のサイトでも読めますので一度ご覧下さい。

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僕の暮らす町でこの7月からはじめた「三福きずな寄席」の世話人。左から山本建設社長のHさん、奥様のTさん、居酒屋三福の3代目若ことM君。前回の好評だったこともあり第2回目を11月3日の祝日の文化の日にすることになった。お噺は立川志遊師匠。「地域に心通うきずなと文化の花を咲かせよう」、「地元の笑顔と元気を被災地に届けよう」をスローガンとして継続していきたいと思っている。9月1日から前売り券の発売を開始した。(木戸銭は1000円・定員60人) ☆予約はお早めに・・・・・(TEL048-471-0062)
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「三福きずな寄席」世話人の会計担当をしているTさんにいただいた茨城県産の梨「ジべ幸水」になんと「放射能測定結果報告書」なるものが付いていたのには驚いた。測定日時は7月28日11時39分。なにを測定しているかと言えば、放射性ヨウ素I-131、放射性セシウムCs-134,Cs-137,Cs-136だ。そのどれもが検出されていなかったが、株式会社化研の水戸研究所というところが検査したらしいが、やたらと仰々しくて、かえって消費者の不安心理をあおるような気がした。僕は皮の固い所が好きなのでそのままかぶりついたのは言うまでももない・・・・・・・・。

 

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