写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2011年8月アーカイブ

8月28日、僕の写真の長年の弟子、高松に住むSさんの娘さんの愛ちゃんから突然連絡があって上京するので会いたいという。僕は愛ちゃんが小学校低学年の頃からよく知っているので、前夜の飲みすぎで頭がふらふらしていたにもかかわらず、待ち合わせをしていた東京駅へ向けて、9時過ぎには家を出た・・・・・・・。

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2年半ぶりの愛ちゃんはすっかり大人になっていた。何よりも長い闘病生活に打ち勝ってすっかり元気を取り戻していたのがうれしかった。足取りもしっかりしていたし、笑顔も可愛かった。今は希望していた京都の同志社大学の1回生、大学祭の実行委員もやっているそうだ。国会見学をしたり、友達にあったりするため3日間の滞在するという。僕に会うのも目的のひとつだと、うれしいことを言ってくれた。
昼時になったので、まずは御徒町の江戸前鮨屋へ入り好きなものを食べまくってもらった。この店は上野広小路亭に落語を聞きに来る時には、よく寄る鮨屋。新鮮なネタで安いのがいい。愛ちゃんは雲丹、いくら、鮑、牡丹エビなどおなか一杯注文していた。20歳の誕生日を過ぎたので「ビールも飲めます~」というので、初めて彼女と乾杯をした。大学入学と病気快復を祝って・・・・・・・・。
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上野・アメ横も歩いてみた。大学入学のお祝いに気持ち小さなプレゼントをした。
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彼女は東京をのんびり歩いたことがないというので、浅草・浅草寺にも行ってみた。日曜日とあって仲見世通りは観光客でいっぱい。まずは定番の雷門前で記念写真をパチリ。
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次に下町のシンボルとなったスカイツリーをバックにパチリ。僕はまるで愛ちゃんの専属の記念写真カメラマンで~す☆
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暑いのでなつかしのキャンデーを2人で。
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いよいよ、浅草寺本堂へ。その前にまたパチリ・・・・・・。
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本堂でお参りをすませてからお御籤を引いた。僕はなんと「第9 大吉」それも内容がいままでのどのお御籤よりもいい。ラッキーさ~☆ 愛ちゃんは「中吉」だった。でも内容はすこぶる良し。
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浅草寺山門と新名所・スカイツリーのコラボレーション。
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長い時間歩いたので少し涼しくなるまで「神谷バー」へ。神谷バーへは愛ちゃんが行きたい、行きたいと言うので行った。僕は浅草へ来れば必ず寄る店で、俳句仲間と句会などもここでやる。神谷バーといえば創業明治13年の日本一の老舗バー。130年余の歴史がある。永井荷風、川端康成、石川啄木、萩原朔太郎、谷崎潤一郎、坂口安吾、壇一雄、三浦哲郎など多くの文人たちが愛した店だ。作品の舞台としても登場する。愛ちゃんも僕と同じデンキブランに黒ビールでちびりちびりやっていた。日本酒が好きでよく一人でも飲むのだそうだ。お父さんもお酒が強いからそのDNAなのか・・・・・・・。
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僕がデンキブランをやっているところを愛ちゃんが撮ってくれた。彼女は神谷バーのオリジナルのこのグラスをおみやげに3セットとデンキブラン1本を買い求めていた。
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西日になって少し涼しくなって来たので隅田川の辺に。アサヒビールのビルとスカイタワーをバックにしてまたまたパチリ。愛ちゃんの頬がほんのり赤く染まっていた。川風がここちよかった・・・・・・。
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写真を撮っていた青年が「お二人で撮りましょうか?」と言って記念写真を撮ってくれた。
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隅田川の浅草から日の出桟橋を経て台場まで海上バスで短い船旅をすることにした。韓国や中国、ヨーロッパなどからの観光客が多かった。
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永代橋をくぐる。気持ちよさそうに眠る愛ちゃんでした・・・・・・・。隣は韓国から来たという2人の娘さん。
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暮れなずむ東京湾。
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レインボーブリッチの下を行く。
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お台場で。愛ちゃんが有楽町・銀座へ行きたいと言うので有楽町でディナーをすることにした。
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日曜日なので鮮魚などを専門に扱う店は休みの所が多い。この店は鹿児島料理の店。オープンの時から鹿児島県の観光課のお偉いさんに案内されて来ていた。久しぶりの来店だったが店長が覚えていたらしくあいさつに来た。
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黒豚のしゃぶしゃぶが旨いが、きびなごや桜島のハマチなども歯ごたえがあって旨かった。その他ガツガツと愛ちゃんは食べまくった。若いのだから大いに食べてね~。僕は焼酎のロックをしみしみとやっていた。美味しそうに元気に食べる愛ちゃんを見ているだけでも酒はすすむ・・・・・・・。
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翌29日は午後6時に池袋で待ち合わせた。昼は国会など見学に行ってきたという。東京で夕飯を一人で食べるのは淋しいだろうと思い、出かけてきたのだ。ちょうど前日に中国・四川省の奥地から戻ったばかりの写真家・烏里烏沙君と今度の取材と写真展の打ち合わせが合ったので合流した。
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愛ちゃんは本格的な四川料理を食べたことがないというので、27日に作家の重松清さんたちと来たばかりだったが、また例の民衆食堂へ来たのだ。愛ちゃんは辛いのが大好きと言って唐辛子が大量に入っている四川料理をバクバクと食べていた。「いつも唐辛子をかけすぎてお母さんに叱られるんです」と笑いながらかぶりついていたのだ。
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そして締めはこれまた愛ちゃんが好きな琉球料理の店「みやらび」。ここも27日に寄ったばかりだったが、烏里君も付き合ってくれた。女将で琉球舞踊家の川田功子さんと記念写真。
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僕とお店の琉球舞踊家の陽子ネエ~ネエ~を愛ちゃんがパチリ☆~!!
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3日目となる30日は早朝8時45分に埼玉県の森林公園駅で待ち合わせをした。埼玉北部に位置する比企郡玉川村の東京印書館の印刷工場へ鈴木孝雄写真集『我が心の山嶺』の印刷立会いに行ったのだ。愛ちゃんのお母さんのMさんは7~8年前に東京印書館のADの高柳さん世話になって写真集『じいちゃんの田んぼ』を印刷している。このシリーズの作品で第4回藤本四八写真文化賞奨励賞を受賞している。
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愛ちゃんの突然の工場見学に現場の人たちは大歓迎。地粉を使った手作りうどんの店で、大きな穴子とエビ天うどんをごちそうになって愛ちゃん大満足でした。作者の鈴木さんもとても喜んでいた。その後、最寄り駅まで車で送り愛ちゃんは京都へ戻っていったのでした。3日間ごくろうさまでしたね。オジサンの僕はさすがに4連チャンだったのでくたびれ申した・・・・・・・・。若いということはただそれだけですばらしい。輝いていると改めて思い知った3日間でした・・・・・・・。
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東京印書館の印刷立会いの1日目は夕飯抜きで午後9時まで。家に戻ったのは11時頃だった。立会いの2日目も9時からスタートして夜9時半頃までかかった。全部で28版、9月1日にようやく印刷が終了して、これから製本にまわることになる。本の発行日は、9月25日。すばらしい山岳写真集が出来たと自負している。乞うご期待くださ~い☆!!

 

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宮澤賢治の詩のモチーフとなった岩手・種山が原の夏(2010.8撮影)

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右が作家の重松清さん。左は新潮社の人たち。
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8月27日、『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』刊行を祝ってご苦労さん会が開かれた。著者の重松清さんと僕と編集者の新潮社のOさん。それに出版部長、「新潮45」編集長などが参加した。まず最初は、重松さんのリクエストだった池袋の僕が行っている四川料理の民衆食堂。これぞ四川というに唐辛子入りの辛い料理をメインに注文。青島ビールからはじめて、15年ものの紹興酒1本、それに56度の白酒1本を4人で乾した。
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2軒目は、いつもの琉球料理の店「みやらび」。この店も重松さんが以前から行きたいと言っていた店。友人の陽子ネェネエ~とその友だちの七夕子さんが駆けつけてくれた。ありがとうね・・・・・・。
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三線を引き、サンバを叩き、指笛を鳴らし、カチャシーを踊った。愉快な一夜。泡盛をボトルで2本空けた・・・。
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楽しそうな重松さんでした・・・・・・・。
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三線を引いて盛り上げてくれた七夕子さん。ありがとうさ~☆!!
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担当編集者のOさん。ありがとうね~☆!!
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3軒目もみんなで繰り出して、これまた20数年来の友人がしているスナックへ。カラオケを歌いまくったのだが、ここら辺からの記憶は実は僕にはない・・・・・・・・。調子こいて飲みすぎたらしい。しかし家にはきちんと戻っていた。最寄駅までタクシーできてから自転車で。朝起きてみるとズボンやシャツは泥だらけ、体のそこらじゅうが打ち身で痛く青あざになっていた。自転車を見ると前のカゴなどはグチャグチャに潰れていた。途中で転んだらしい。荷物もなくなっていたので、いつも通る道を探したら家のすぐ近くにそのまま散らかっていた。たいした怪我でなくて感謝!もう歳だからあんまり飲むのはやめなくてはと反省したのである。
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10月の展覧会に向けて、作品内容をみんなで熱い討論をした写真研究会「風」8月例会。一人を除いては、作品が決まり、それぞれ展示方法などこれから決めていくことになる。展覧会のDMもまもなくできますのでみなさんには、あらためてご案内させていただきます。詳しくは後日お知らせしますが、ぜひ、おこし下さい。お待ちしています。

 

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プロジェクトチームのスタッフの紹介
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8月25日、都内のセンチュリーコート丸の内の「アカンサス」において「60周年プロジェクト写真展説明会&感謝の会」がプロジェクトに参加する写真家やマスコミの人たちを集めて開かれた。この企画は日本の60人の写真家たちが「瞬間と永遠」をテーマにタムロンのレンズ「18-270ミリDILL VC PZD」を用いて撮り下ろした作品をスペシャルWebサイト(http://tamron60.com)で日本語・英語で制作し、国内外に発信する。合わせてせて10月5日~11日まで、東京千代田の 「3331 ARTS CHIYODA」(URL:http://www.3331.jp/)で写真展を開催する。
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出品写真家の木村恵一さんと田沼武能さん。この他、ベテランから若手まで様々のジャンルの写真家が集まった。主だった写真家は、青野恭典、赤城耕一、有元伸也、飯田鉄、石川梵、魚住誠一、榎並悦子、大西みつぐ、熊切圭介、齋藤康一、テラウチマサト、中谷吉隆、ハービー山口、広田尚敬、ホンマタカシ、前川貴行、横木安良夫、吉野信・・・・・・。に僕もだ。参加する写真家のうち半数以上は名前も知らない人ばかり。時代の流れか・・・・・・・。知っているのは何故か、大御所と呼ばれている写真家ばかりなのだ。トホ、トホ・・・・・・・。
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車椅子でも創作活動をする先輩・木村さんと写真家・榎並悦子さん。
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手前、右から齋藤康一さん、田沼さん、青木勝さん、木村さん、吉野信さん。
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熊切さんと写真家・テラウチマサトさん。彼は「ファットフォト」の編集長も務めている。久しぶりの再会だった。
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「フォトコン」藤森編集長と坂本副編集長と木村さん。「フォトコン」の2人がこうしたパーティに出席するのは珍しい。僕はこの日、午後から「フォトコン」10月号の座談会をしてきたばかりだった。
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ジ~ャン!!☆~スペシャルWEBサイトに5作品と写真展に2作品を出品する僕と、今回のプロジェクトの総責任者の千代田路子タムロンマーケティグコミニュケーション室長・部長。 記念にパチリ~☆

 

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8月13日~9月27日まで、品川のキャノンギャラリーSにおいて、山口勝廣さんの写真展「御岳信仰と里のまつり」が開催されている。全点全倍以上で100点ほどの大きな写真展だ。山口さんは木曾周辺の歴史や伝統文化をこよなく愛し、約30年間にわたり撮り続けている。それは「木曾ふるさと大使」を2005年まで務めていたことでもわかるであろう。今回は御岳信仰と祭りに絞った展覧会なので、木曾地方の風土や人びとの暮らしがないのが少し残念なような気もしたが、これはこれで堂々とした力作の展覧会である。9月10日(土)には、午後1時30分より3時まで、講演会も予定されている。申し込みは、canon.jp/eventより。先着300名。ぜひ、お出かけください。
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3Fのキャノンホールで開催されたオープニングパーティには、写真界をはじめ多くの方々200人ほどがつめかけ、盛大な会となった。
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中央でマイクを握るのが山口さん。音楽家、文芸家、大学教授など各階の著作権を推進している人たちを紹介している。彼はいま、写真家の著作権活動を推進しているのだ。
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奥様と山口さん。彼とは30数年前からの友人であり、写真の先輩である。いま山口さんは、日本写真家協会常務理事、日本写真著作権協会理事、日本旅行写真家協会会長など多くの役職を務め多忙な毎日を送っている。故田村茂先生と山口さんの2人が僕が日本写真家協会に入会する時の推薦人だ。いつまでもお元気で創作活動を続けて欲しいと思うばかりだ・・・・・・・。
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左から先輩写真家の中谷吉隆さん、木村恵一さんと全日写連の元総事務局長で、現在JPS会員の酒井憲太郎さん。酒井さんは、この日まで開催していた第4回日本中国写真藝術協会展の実行委員長だった。ご苦労さまでした。
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山口さんが会長を務める日本旅行写真家協会のメンバーが揃って記念写真、 パチリ~☆

会場を出て品川駅に向かっていたら写真の著作権問題のさきがけであり、第一人者の丹野章さんに声をかけられた。86歳になる丹野さんと2人でかき氷を食べながら写真の著作権のことなど50分ばかり話合った。

 

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昨日は、銀座・コダックフォトサロンで25日まで開催している瀬下太刀男写真展「滝 巡礼」を見て、同じ銀座のサッポロビールビルで開催中の篆刻展に行った。友人の作家・中村すなおさんが出品しているのだ。まだはじめて1年半足らずというが、堂々としたものだった。本人がいたのでしばし話をしてから今度は新宿・ペンタックスフォーラムへ向かった。これは僕も出品している「第4回日本中国写真藝術協会展」だ。
そしてこの日の本命は午後6時から始まる「リビングセンターOZONE 東北支援チャリティーイベント」のトークショーの講師を務めることなので、急いで新宿パークタワーへと向かった・・・・・・。
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新宿パークタワー3Fに作られた宮沢賢治の空間。賢治の絵本の展示や賢治の童話のおやつ教室、絵本読み聞かせー自然につながる絵本の世界ー、盛岡の光源社の販売コーナーなど楽しい広場となっていた。
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僕が1時間半トークする「夕暮れからの大人のトークー写真で感じる宮澤賢治」の会場。第1回目が宮沢賢治記念館副館長の牛崎敏哉さんで僕が2回目、3回目が8月27日(土)6時からで、声優の平野正人さんと桑島法子さん演奏は大久保かおりさんによる「わたくしは森やのはらのこひびと」の朗読会。
当日の参加者は30人ほどとあんまり多くはなかったが、僕の賢治ワールドの写真のスライドを見ながらのトークは好評だった。花巻の「風の又三郎」の舞台といわれている花巻・大迫のワイン「コンツェルト」と「月のセレナーデ」を飲みながらの楽しい一夕だった・・・・・・・・。
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会が終了した後、休日なのにわざわざ足を運んでくれた新潮社のO編集者と同ビルの「パークハイアット東京」の54Fにある”NEW YORK BAR”に行った。6年前にこのビルの1Fにあったギャラリーで展覧会をしたときなど以前は何度か来ていたが、久しぶりだった。夜景がきれいなことと生の歌とジャズ演奏が素敵なことで人気がある。しかし、震災以後ご覧の通り東京の夜景はすっかり暗くなってしまったとのこと。それでいいのだ~。だいたい今までが明るすぎたのだ。土曜日なので都庁も真っ暗・・・・・・。
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Oさんは、めずらしくGパンでなかった。高校生の息子さんが合宿から今日もどるので早く帰らなければならなので「軽~く一杯だけですよ」と言っていたが、3杯くらいは飲んだかな・・・・・。僕もこの洒落た店にはふさわしくないと思いつつも芋焼酎のロックを3杯お代わりをした。アメリカに取材に行った時に、ニューヨークでもサンフランシスコでも毎晩のように独りで黒人のジャズバーへ入り浸っていた若き日のことが懐かしく思い返された・・・・・・・・・。
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リニューアルされて広さが約倍になった新宿センタービルにあるフォトイマジネーションスペース「PENTAX FORUM」で開催中の第4回日本中国写真藝術協会展。僕も「三国志巡歴の旅より」という題で3作品を出している。会場は鑑賞者でいっぱいだった。出品作品と写真家のプロフィールが載っているパンフレットも同時発売中、定価500円。
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午後6時半から新宿センタービルにある「銀座ライオン」で行われたオープニングパーティ。外務省、中国大使館をはじめメーカー各社など多くの来賓の方々がお見えになった。日本写真家協会名誉会員の芳賀日出男さん、丹野章さん、伊藤則美さんも出席してくれた。
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初めにあいさつをする佐藤成範会長と同協会の会員たち
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来賓としてかけつけてくれた丹野さんと(株)コスモス インターナショナルの新山社長(左)。10月にギャラリーコスモスで写真研究会「風」第2回写真展でお世話になる。
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90歳になられた芳賀日出男さん。20数年前に日本写真家協会で理事を3期ご一緒したことがある。芳賀さんは藤本四八写真文化賞の第1回受賞者で、僕が第2回受賞者ということもあって長いお付き合いをさせてもらっている。いつまでもお元気で・・・・・・・。
☆芳賀日出男作品展「1955-1957 自然と文化 奄美」 8月30日~9月25日まで JCIIサロン(03-3261-0300) 講演会 9月3日(土)14:00~15:00
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芳賀さんと写真研究会「風」の鈴木事務局長と・・・・・・。
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53歳の歳の差がある写真家の肖像。左は塩崎享君。
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今日午後から中国四川省へ発つという烏里烏沙君と塩崎君と鈴木さんと4人でパーティが終わったあと一昨年暮の「冬の中国大陸5200キロ走破」の同窓会をした。烏里君は4日前に東チベットから戻ったばかり。来月上旬にもまた出かけるという大忙しだ。この店は以前に、火災をおこしてピアノが焼けてしまい僕らが発起人となってピアノを贈ったのだが、友人だった当時のマスターは亡くなっていた。久しぶりに生演奏のジャズを聴きながら飲んだ・・・・・・・。

 

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僕の家の墓の前からの風景。一面広がるのはコンニャク畑。僕の原風景のひとつだ・・・・・・・。
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一番下の弟・勝三とまず、親父や祖父母らが入っている墓へ。盆前の12日に、母とすぐしたの弟・修二の嫁とが来て掃除をしてくれたので、とてもきれいだった。 感謝!
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夏の吾妻川の河原でやってきた恒例の収穫祭。その「あがつま清流倶楽部」の面々が、今年は榛名山麓の集落に夕方から集まってきた。急遽河原が使用できなくなり、メンバーの庭でのバーベキューとなったのだ。今年は新盆などが重なり参加したメンバーが少なく寂しかったが、それはそれ、飲み始めれば一気にそんなことは吹き飛んでしまうのがこの倶楽部の面々。一人を除いて後はみな僕の後輩にあたるが、この歳になるともうりっぱなオジサン連中である。紅一点の可愛い人は、フリィピンから嫁に来たみんなの”アイドル”エミ~ちゃんです。僕はこの倶楽部の正規のメンバーではないが、いつもゲストととして呼んでくれる。面と向かってはみんなに気恥ずかしくて言えないが、こころからありがとうと感謝している・・・・・・・。
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僕がこの会に参加して一番楽しみなのは、メンバーが釣ってきた山女や岩魚などを焼いたり、燻製にしたり、その場で骨酒を作ったりすることだ。みな釣り師だから料理はお手の物。それに地場野菜、故郷の手作り料理などがふんだんに味わえることだ(上の写真)。下の写真は、僕が魚は大好物だと連発していたら、弟の同級生のA君が2日後の15日に燻製にして届けてくれた岩魚と山女。形のいいのがそろっている。家が近所のK君も猟師なので撃った鹿の肉を届けてくれた。ありがたい限りである。 感謝・・・・・・。   合掌
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山間の夕焼けを肴に飲み始めた「あがつま清流倶楽部」の会も夜遅くまで続いた・・・・・・・。
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翌14日は、お袋が10年間以上、務めた四万温泉へ弟の勝三夫婦と出かけた。小さな共同湯だが、湯質が良く、空いている穴場の湯場へ行った。お盆の午後だから、幾等なんでもそれなりの混雑は覚悟していたが、写真の通り僕らだけの貸切状態だった。ラッキー。 実は前々日の12日の夕方も僕が好きな赤城山麓の湯へ連れってもらった。弟たちは夫婦でほぼ毎日、近くのいろいろな温泉へ浸かっているという。こうしたことが実は暮らしのうえでは最高の贅沢なのだ・・・・・・・。うらやましい。
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15日は朝の涼しいうちにお墓参り。小松家、そして母方の本家にあたる上田家の墓と。帰省のたびに墓参りは必ずしている。何か気持ちが洗われるような感覚になるのだ。町が見渡せる岡にある小松家の墓のある墓地をゆく日傘の母・・・・・・・・。
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上田家の墓の前で。  故郷では22年ぶりに駅前で盆踊りが再会された。過疎化と商店街の閉店が相次ぐ中で1889年以来、中止に追い込まれていた戦後すぐにはじまって町の復興と絆のシンボルだった盆踊り。この行事が大震災を期に復活することになったのだ。町にまだ避難している福島・南相馬市の住民100数十人も参加し、共に踊るという。僕も子どもの頃の思い出がたくさん詰まっている盆踊りの再会に拍手を送りたい。
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実家の ”門番” 五右衛門。全然役には立たないが、一応母を守ってくれているのだね。元気なことは間違いない。力がありすぎてみな散歩をやがるのだ。僕は帰省した時には日に1回は必ず散歩はしている・・・・・。
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実家の庭の一隅で。勝三と母と勝三の嫁の美香。 みな何時までも健やかに・・・・・・・・。

 

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「三国志巡歴」の旅より・・・・・紹興県安昌鎮・2011年7月14日撮影

昨日でちょうど東日本大震災が発生してから5ヶ月が過ぎた。福島原発事故の放射能漏れ、うだるような炎暑、そしてゲリラ豪雨と気が重い日々が続く・・・・・・・。まして被災された人びとにとっては耐え難い5ヶ月間だったろう。2万人を越える死者・行方不明者と、そのご家族のことを想うと胸がはり裂かれる思いがする。己の無力さも痛感しながら・・・・・・・。

せめて節電をして蒸し暑さのなかに身を置き、少しでも苦痛を共感できればと思い家の中ではパンツ一枚でこの夏は暮らしている。お客が来るたびに慌てて布を腰に巻いて出るのである・・・・・・・。

僕らが子どもの頃は、夏といえば大人も子どもも上半身は裸というのは当たり前。小さいガキどもは、みな素っ裸だった。いわゆる「フルチン」というやつだ。先日、中国に取材に行ったが、中国は大都市でもまだまだ上半身は裸で町を歩いている人がけっこういるのが懐かしくもあった。

そういえば中学生になるまでは、褌をして泳ぐとお姉さんたちに殴られたものだ。その中学生や高校の姉さんたちはシミーズという白い下着で泳いでいた。もちろんパンツは履いていたが、ブラジャーなどはしていなかったので濡れた布に張り付いた乳房は子ども心に眩しかった記憶がある。裕福だったふとん屋の息子が、町で20円で買ってきたという前あてに三角巾が付いている黒い褌を「ジャ~ン!」という感じで締めてきたときには、僕らはうらやましさとカッコよさに憧れたが、それを見つけたネエネエたちがたちまちに取り囲んでその黒い褌を剥ぎ取ってしまい、投げ捨てた。あげくの果ては、ふとん屋の倅はネエネエ軍団に、掟を破ったと川に突っ込まれてギャーギャーと泣いていた。僕はその光景を目撃して以来、女性に対しての恐怖心がどこかにトラウマのようにあるのかも知れない?!~☆ 嫌いではありませんが・・・・・・。

まだまだ晩夏にはほど遠く極暑の日々が続きます。みなさん、くれぐれもご自愛くださいまし・・・・・ 合掌

 

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東京・隅田川の夏 (2009撮影)

昨年来、準備をしてきた瀬下太刀男写真集『瀧 巡礼』が8月上旬に刊行された。本書は瀬下さんがこの5年間、主に東日本の120の瀧を四季を通じて取材したもの。有名、無名の瀧もあるが、そのどれもが瀬下さんがほれ込んで通った瀧ばかりである。作品を見てもらえればわかるが、厳寒の氷雪のなかの瀧をはじめ、どの瀧も深山にひっそりとあるものばかり。来年、喜寿を迎える瀬下さんにすれば、決して楽な撮影ではなかった。トレーニングを重ねて何時間も重いカメラと三脚を担いでの取材行だったのが忍ばれる。

本のサイズはA4最大上製本、240センチX310センチ。130ページ(内モノクロ8ページ)。日本の瀧の写真の第一人者、写真家・北中康文さんの文章と僕の「日本人の精神を求めて瀧巡礼をする写真家」を収録。撮影した全ての滝のデータも。限定250部で、すべての本にシニアルNOと作者の印章が捺印されている。定価は税込みで12000円だ。印刷は現在、日本で最高のスタッフが担当。すばらしい仕上がりとなっている。

大震災があった2011年の夏に”元気がでる本”として、世に送り出した「ぶどうぱん社」の第1弾目の写真集をぜひ、お手に取ってごらんください。(申し込みは、FAX048-456-7302・ぶどうぱん社)
最後に写真家・北中康文さんの本文中からの一節を紹介します。
「滝を崇め、滝に身をゆだね、そして滝によって心身を清めるという日本人独自の精神性にまで、瀬下さんのカメラアイが迫りました。」

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仕上がった写真集『滝 巡礼』を抱えてカメラの前に立った著者の瀬下太刀男さん。ぶどうぱん社で

一昨日の6日が、広島にアメリカによって原爆が投下されて66回目の夏、明日9日が長崎に原爆が投下された日である。犠牲になった多くの方々、66年経ってもいまなお、放射能による原爆病によって苦しんでいる被害者の方々、そのご家族の方々に、心からの哀悼の意を捧げるとともに、お見舞いを申し上げる・・・・・・・・ 合掌

そしてこの春、3月11日に起きた福島原発事故によって、改ためて放射能の危険性を知った日本人は、今後原子力とどう向かいあっていくかという重い課題を突きつけらる時代に生きていかねばならない・・・・・・・・。

 

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「ぐんま山村フォトコンテスト写真展」が8月10日まで開かれている銀座にあるぐんま総合情報センター2F(ぐんまちゃん家)へ行ってみた。夕立の直後だったので会場は閑散としていた。 その足で銀座二コンサロンへ。江成常夫写真展「GAMA」を見に行った。
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出版された本をみんなで掲げて記念写真を撮った・・・・・・。最前列正面の女性が松井牧歌夫人の和子さん。一人おいて右が岡井輝毅「一滴」代表
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昨日は夕方5時から松井牧歌著『寺山修司の「牧羊神」時代ー青春俳句の日々』(朝日新聞出版)の刊行を祝っての会が銀座で行われた。牧歌さんのご夫人の和子さんをはじめ、主宰されていた「水路」の同人とぼくらと一緒にやっていた「一滴」の同人メンバー、朝日新聞出版の編集者らが参集した。機会があればこの本にについて書くが、「一滴」の創刊号から5号まで連載していた牧歌さんの原稿を中心にまとめたもの。解説を俳人の齋藤慎爾さんが、あとがきを「一滴」代表の岡井輝毅さんが手筆しいている。寺山の高校時代の貴重な未発表俳句や手紙が収録されていて、文学資料としても価値ある一冊である。
和子さんと牧歌さんの青春時代と俳句を僕が、「一滴」の牧歌追悼号に書いたので、とても喜んでいただき、東京四季出版から1991年に発行された松井牧歌句集『牧歌』をわざわざお持ちいただいた。うれしかった。

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会を終えた後、「一滴」同人数人でホテルオオクラのバーへ行って俳句・写真論議をしながらブランデーをしばし傾けた。メンバーの一人が常連なので、驕ってもらったのだ・・・・・・・・・。

 

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受賞のあいさつをする石川直樹さん
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((株)二コンイメージングジャパン取締役会長の西岡隆男さんと話す石川君
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毎日新聞社主筆の岸井成格さんが、主催者を代表してあいさつをのべた(写真中央)

昨日は、毎日新聞社主催の第30回土門拳賞受賞式とパーティが都内の学士会館で開かれた。石川直樹君の受賞なので無理をして出席した。午後2時からという時間帯なので暑い盛りを出かけたのだった。僕も第10回と19回目の土門拳賞の最終作品に残ったが、縁がなかったのだろう。今回の受賞作品は、写真集「CORONA]。南太平洋のポリネシア・トライアングルと呼ばれる広大な海域に暮らす同種の言語と共通の文化を有する海洋民を10年間にわたり追った旅をまとめたもの。受賞については賛否両論聞いたが、1977年生まれの石川君が、ある意味、日本写真界の頂点ともいえる土門拳賞を受賞したことは、今後の彼の写真人生にどう影響をもたらすか、彼自身が背負う課題であろう。僕は石川君のさらなる飛躍を望んでいる一人ではある・・・・・・・。
日本写真家協会創立60周年祝賀会以来の土門拳先生の娘さんである真魚さんと思い出話を懐かしく話した。いわゆる写真家はあんまり参加していなかった。選考委員の江成常夫さん、内藤正敏さん、野町和嘉さん他、数名だった。長い居は無用と思い早々に会場を後にした。

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学士会館は神保町にあるので、久しぶりに古本屋街をのんびりと歩いてみた。何軒か覗いてみたが、どの店も閑散としていて、人通りも少ない。友人の作家・Nが店主をしている蘭花堂へ行ってみた。あいにく本人はいなかったが、奥様がいてしばし話し込んできた。古本屋もずいぶんと閉店して、町も様変わりした感じがした。やたらとチャラチャラした飲み屋も増えた。以前は、よく利用していた喫茶店がそのままで営業していたのがうれしかったのでパチリ。蘭花堂で『満州昭和15年』桑原甲子雄写真集を求めて帰路についた。古本屋街の路地裏まで、真夏の西日が容赦なく照りつけていた・・・・・・・。
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家の近所の酒屋さんの津軽出身の女将。しかしこの酒屋、ほとんど小売りはしていない。大口の配達のみ。後はごらんの通り、立ち飲みで酒を飲ますのだ。近所の老若男女が早い時間から遅くまでわさわさおし掛けている。津軽美人の女将の人気も一役かっているのだろう。それに白い柴犬の「さくら」も・・・・・・・。
下の写真は、たまたま樽席で同じになった初めて会ったお客さん。スポーツジム仲間だという。カメラを向けると、いかにもスポーツジム仲間らしいポーズをしてくれた。
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雷鳴が腹中に棲み駆け狂ふ

つつがなく腹中を涼風ふきぬけよ

八十の少年にして曼珠沙華       (遺句「原風景」より)

世辞

黒牛の地を蹴る時は戦時興る

白牛の地にまほろびしは平和なりし  (1999年7月23日)

僕の俳句の師は、俳人の高島茂。師は戦後すぐにはじめた西新宿のばん焼き「ぼるが」の主人としてもよく知られている。今日、8月3日が亡くなってから12周忌の命日だ。一日早かったが、久しぶりにぼるがへ行ってみた。店を覆っていた蔦はきれいに取り払われて、埋もれていた「ぼるが」の看板が恥ずかしそうにあらわになっていた。そういえば40年近く通っていて、初めて見る光景だった。店員たちも大方が変わり、常連客はいなくなっていた。一人だけ俳句仲間だった青山敏行が、いつものようにカウンターに座り、白ぶどう酒に濃いチュウハイを入れて飲んでいた・・・・・。先師の後を継いだ息子の高島征夫も2年前に急死し、主宰がいなくなって同人誌も廃刊となってしまったのだ。青山君たちは、征夫さんが指導していた「六花の会」で句会は続け、今回合同句集を発行したと一冊僕にくれた。「小松ちゃん今度、遊びに来てよ~」と句会に誘ってくれた。この間、俳句仲間や常連客、従業員などずいぶんと亡くなっている。「お互いに元気で、いつまでも旨い酒呑んでいような・・・・」と言って握手をして別れた。

 

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正面の白髪の人が、2代目「ぼるが」店主の高島周一さん。
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新宿パークタワーの3FにあるリビングデザインセンターOZONEに行って担当者と20日のスライドトークの打ち合わせをしてから、NPO法人・チベット高原初等教育・建設基金会の理事長の烏里烏沙君と会った。10月に練馬美術館で開催する「中国少数民族写真展」の打ち合わせの為だ。協賛をお願いする文章などについて確認し合った。
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烏里君お薦めの四川料理の池袋の店に行った。客のほとんどは中国人。写真の料理は「豚の血とハチの巣鍋」。何やらめちゃくや辛くて気持ち悪そうだが、それが美味い。実はほとんどが豆腐と野菜。蜂の巣というのは豚の内臓のセンマイだった。他の料理も木耳や豆腐料理だ。「三国演義」という10年ものの甕出しの紹興酒を2本空けてしまったのだ・・・・・・。
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途中から先日まで、銀座で個展をしていた画家の美崎太陽・陽子ご夫妻に電話したら、近くで二人で呑んでいるということで駆けつけて来てくれたので、”個展のごくろうさま会”に急遽変更~となって、大いに盛り上がったのだった。この後、もう一軒行ったのは言うまでもない・・・・・・。

☆岡山のKさんが岡山名産のマスカットを友人の農家の方から直送してきてくれた。暑い季節なので冷やしていただきます~。ありがとう~☆~

残暑お見舞い申し上げます   2011・晩夏

 

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今年も早いものでもう、8月となってしまった。あの大震災からもまもなく4ヶ月間が過ぎようとしている。まだ自宅に戻れず避難所生活を余儀なくされている人は7万人を超えるという。福島原発事故にいたっては、収束の方向性すらみえていない。それだけでなく広島にアメリカが投下した原子爆弾の約20倍の放射能が大気に拡散していると言うのに、その対策すらままならないのが現状である・・・・・・・。重い、息苦しい毎日が続いている。ここ毎晩見る夢は、いつも地震に追われ逃げ惑う自分の姿だ。朝方それでいつも眼が覚める。つい先日の震度5強の余震の時も夢の続きかと一瞬思ったほどである・・・・・・。

さて、このサイトのなかに「写真展・イベント」という項目があるが、このページだけは、サイト開設以来、一度も更新したことがなかった。というよりも僕ができなかったといった方が正しい。大変失礼いたしました。しかし、今日思い切って挑戦して見たら更新することが出来た。あんまりかっこよくはないが、僕の係わる写真展やイベントの最新情報は伝えられるだろう。この秋は、10月に4つの大きなグループ写真展に出品するし、12月にも予定されている。ぜひ、早めにお知らせしますので、お出かけ下さい。みなさんとお会いするのを楽しみにしています。

まだまだ残暑がつづきますので、くれぐれもご自愛くださいませ・・・・・・。   合掌

☆ 岩手県盛岡市で料理屋をしているSさんから清酒「あさ開の生」が1ダース届いた。感謝~!!宮沢賢治の取材の折にはずいぶんとお世話になった。Sさんは地元の山岳クラブのベテランメンバー、200回以上岩手山に登っている。岩手山の撮影ポイントを詳しく教えてもらった・・・・・・・。

 

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