写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.332] 2011年7月16日 中国大陸の暑さは半端じゃなかった~!! 「三国志巡歴」最後の旅、浙江省・諸葛鎮、龍門鎮、化竹村、紹興県安昌鎮などを訪ねる・・・・(その1)

7月11日から15日の短い旅ではあるが、「中国三国志巡歴」の最後と言うべき取材に中国・浙江省に点在する三国志が今に生きる土地を訪ねてみた。ひとつは、諸葛亮の一族の末裔が暮らす諸葛鎮。もうひとつは、呉の孫家の故郷で、いまもその子孫が暮らす龍門鎮と化竹村。最後は、紹興酒で知られる昔の面影を色濃く残す紹興県安昌鎮だ。上海に空路で入って列車に乗り換えて浙江省の州都・杭州へ。そこからタクシーて富陽市へ。ここを起点に2日間。そして車で紹興市へ。ここで1泊。そして列車で上海へ戻って1泊という旅程だ。

中国の内陸部の南京や重慶などの夏は「火鍋の底」といわれるぐらい暑いが、沿岸部に近い浙江省は、暑いというよりも蒸す、ただひたすらに蒸すのだ。まるで蒸し風呂に放り込まれたような状態だった。ヒマラヤからチベット、アンデス、ボルネオ、ニューギニア、シベリアなどいわゆる秘境といわれる地を旅してきた僕もさすがにこの得体の知れない気候にはまいった。最後の2日間は、歩くのもやっと食事も、話すこともできず、好きな酒まで飲めなかった。せっかく紹興酒の故郷に来ているというのに・・・・・・・。熱中症、日射病、水分・塩分欠乏症か、とにかくただ休むしかなかったのだ。

「小松さんの取材は、ハード過ぎますよ。だから倒れるのです。付いていけませんよ」と今回一緒に来てくれた若い写真家の烏里烏沙君は口をとがらせて具合の悪い僕に言うのだ。確かに毎日、早朝7時から取材開始。車での走行距離は、延べで約630キロメートル。列車が500キロメートルだ。これを実質、2日間半で廻ったのだから確かにハードだったかもしれない。今回カメラは、4台持っていった。フイルムカメラがいつもの二コンF3P(レンズ2本)、ブロニカRF645、それにブログ用のシグマDP1だ。それに今回はじめて使ってみた二コンD300Sを持ち込んだ。これをメインに撮影したこともあり、シグマDP1ではほとんど撮影していない。 ということでブログの写真はいまいちとなってしまったが、近いうちに今回の取材の写真をみなさんに見てもらう機会があると思いますので、それまでお待ち下さい。 この旅を2回にわたってご報告します。

僕は帰国後、鮨を食べて10時間程寝たら大分良くなりました。現金なものですね。体は正直です。ところで日本の暑さが爽やかに感じるのは僕だけでしょうか・・・・・・。

 

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出発は羽田空港、中国東方航空MU536便だ。羽田だとやはり便利、家から1時間半で着く。
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上海西空港に隣接してある駅から出ている高速鉄道に乗った。いま何かと話題となっている列車だ。杭州まで約200キロメートルを1時間で着く。」烏里君が間違えて一等包座という個室を取った。一人246元だからいまのレートで日本円にすると3196円だ。広い個室で飲み物とお菓子セットがサービスについた。彼は今回の旅で一番よかったのは、この列車に乗ったことだと言っていた。
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紹興からも特急の1等車で上海まで戻ったが、線路が直線で、トンネルがないので騒音、揺れとも日本の新幹線よりも静かな感じがした。乗っている乗客はメチャクチャ煩いが・・・・・・。しかし僕が「三国志巡歴」の旅を始めた20年前とくらべると隔世の感がある。道路が整備されていなかったことと車が悪かったこともあっていつも列車で大陸を移動していた。蒸気機関車は主役で走っていたし、列車も満杯で足の踏み場もないほど。荷物棚にさえ人が乗っていた。それもよく止まって、線路を歩かされたこともあった。なかには20数時間車内に閉じこまされたことも・・・・・・。それでも楽しかった。どこでも止まると近くの村々から農民がアヒルの卵やわけのわからない食べ物を籠に入れて売りに来る。それを車窓から買うのだ。でもこれは今も同じ。昨年、高速道路で事故が発生して数時間待たされた時にも、どこからか農民たちが大きな籠にポットなを担いでインスタントラーメンなどを売り歩いていた。
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時々時速300キロを超えている表示が出ていたが・・・・・。
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やはりどこかで見た感じはいなめない。先頭は荷物が重いのと遠いので撮りに行かなかった・・・・・・。
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一日目の夜は、杭州から飛ばすタクシーで約1時間少し行った富陽市。『三国志』の呉書には孫権の一族の本籍地が、呉郡富春と記されている。その富春は普代に富陽と改名されたが、とにかく歴史のある古い街である。市内を貫流する富陽江の岸辺の屋台街へ繰り出した。烏里君は四川省のチベット国境にある高地のイ族出身、酒もめっぽう強いが料理もやたらとうるさい。だいたい彼が美味いと誉めたことはあまり聞いたことがないくらいだ。この回族の料理についてもやはり・・・・・・。水のようなビールしかないとわかると酒屋を探して、アルコール46度の白酒を買って来た。「これは少し弱い酒です~」と言って・・・・・・。
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最近、中国でも生ビールが人気があるが、正直これはいけない。瓶ビールの方がまだ飲める。ご注意を。
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夜遅くなると食事を終えた後、遊びに来る若いグループでデーブルはいっぱいになった。僕らが行った7時半過ぎには誰もいなかったのに、10時過ぎた頃からはあっという間に満席となった。見ていると、とにかく中国人はよくしゃべるし、またよく食べる・・・・・・・。僕は野菜、とくにニラとブロッコリの串焼きが美味かった。
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翌日は、朝8時にタクシーでホテルを出発 (このタクシーが最悪。クーラーが効かないオンボロ車は許せるが、運転手がひどい。道は知らないし、文句ばかり垂れるし、挙句の果ては決めた料金の倍をふっかけてきた。到着時間が大幅に遅れたので撮影は昼の炎天下となってしまった。烏里君と終始怒鳴り合っていた) 蘭渓市にある諸葛鎮八卦村へ向かった。
この村がはじめて注目されたのは1992年だからつい最近だ。現在、諸葛孔明から数えて50代目がおり、その子孫は中国全土で約10000人いるといわれているが、そのうちの4500人がこの村にいまも住んでいるという。では何故、遠い四川省の成都で亡くなった諸葛孔明の子孫が、と思われるでしょう。烏里君もさかんに「信じられない、中国の歴史は嘘が多い。特にビジネスになると・・・・」と指摘するのだ。僕だってまるっきり信じている訳ではない。それなりに歴史書を読んで筋は通っていると思ったのだ。ここで詳しくは書けないが、現在のこの村の原型が作られたのは、時代はずーと下って元朝中期(1340年頃)。第28代目諸葛大獅が風水に通じていたことから九宮八卦陣に基づき建物を配置したその構造はいまも変わっていないという。写真は丘の上から見た村の美しい風景。こういう村に出会うと本当にうれしくなる・・・・・・。
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村のあちこちに池が多い。生活にはかかせない場だ。そして村の中心にも大きな池がある。左側は古い茶店が立ち並ぶ。  僕が一番に興味を持つのは、1800年も前の英雄を祖先と崇め、その教えを守り、いまも毎年4月と8月に諸葛孔明を祀った祭事を執り行なっているという人びとになのだ・・・・・。
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茶店の一軒に入ってビールで喉を潤した。今回の旅では、ビールをどんぶりで飲むことが多かった。コップよりも陶器のどんぶりの方が旨いのだそうだ。窓の外は池。孔明の子孫という男たちは、昼間から酒を飲みマージャンやトランプなど賭け事に熱心だった。これを見た諸葛亮はいったいなんといううだろうか・・・・・。
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僕の取材スタイル。島ぞうりにタオルと帽子。暑さのため、くたびれて小休止している所を烏里君がパチリ・・・・・・。
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村の入り口には大きな池が囲むようにあった。蓮の花が咲いていた。蓮の実を生で食べるととても美味しかった。町でも籠に吊るして売り歩いている人を見た。いまが旬だという。

 

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