写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.333] 2011年7月17日 僕のいつもとは違うあまりにも短期の旅、果たして納得のいく作品は撮れたのか!! 「三国志巡歴」の最後とすべき旅は、紹興酒の香りに浸る間もなく終わりを告げたのだ~・・・・・・。

旅の3日目は、富陽市内から車で30分ほど約20キロ郊外にある呉国の王・孫権一族の故郷・龍門鎮から取材は始まった。昨日の教訓からタクシーは止めて、個人で車を所有して営業をしている人を烏里君が昨日中に探しておいたので、朝7時にはホテルの前から出発できた。今朝は早朝から晴れわたっている。昨日の分が挽回できるかもしれない。神にただ感謝・・・・・・・・  合掌

 

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7時30分には、龍門鎮に着いたので、当然まだ観光客は来ていない。村は静かな日常生活のなかにあった。この光景に出会いたくて朝食も抜きで来たのだ。龍門は、富陽市の孫一族の子孫がいる村でもとりわけ多い。現在の人口7000人のうち約90パーセントが孫姓を名乗っている。石畳の道と石造りの家々は風格があり、歴史も感じさせる。しかし、ここも文革の嵐の被害を受けた傷跡は生々しく残っていた。小麦を製粉している小さな工場が村のなかにあった。
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路地の奥のわんたんの店。テーブルはひとつ。村びとたちが朝飯を食べていたので、僕らもここで遅い朝食とした。わんたんとクレープみたいな小麦粉を薄く焼いて巻いたもの。香ばしくて美味しかった。扇風機が壊れたので修理に来ていた電気屋さん。
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僕らが30分程いた間にも次々とお客さんが食べに来た。みな村の人たちだ。孫権が部下を台湾に送った「開拓台湾」の史実がとりわけ印象的に打ち出されていた。やはり現在の国の政策の一環なのだろうか・・・・・。
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龍門鎮から10数キロは鳴れた所にある化竹村。こちらも孫家の古い家系図が残っていたり、明代や清代の歴史書の中にもこの村の項に、孫堅や孫権の名が記されている。現在は、村の入り口に「呉大帝孫権後裔衆居地」と金文字で彫った大きな碑が不釣合いな感じで建っていた。
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孫権をはじめ、父の孫堅、兄の孫策の像を安置してある廟の前は綿工場の荷物置き場となっていた。
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化竹村の孫家一族の現在の長を務めるという家は、廟の裏手にあり、敷地内で工場を建てていた。地元の人に話を聞くと「がっぽりと商売で儲けて、御殿にすんでいるよ」と苦笑していた。村そのもは、龍門鎮と違いまったく現代の変哲のない家が立ち並んでいた・・・・・・・。
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化竹村から約180キロ走り、紹興市に着いた。朝がドライバーにご馳走になった、わんたんだけだったので、ホテルのレストランで遅い昼食とした。ここの杭州料理は烏里君も「いける~」というぐらいに美味しかった。
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三菱自動車の新車で、クーラー、ステレオはもちろんカーナビまで搭載している車のドライバーと乾杯。彼はウーロン茶。僕と烏里君はビールに2種類の店お薦めの紹興酒を空けた。夕方まで一休みしてから、市内の運河の残る旧市街へ撮影に出かけた。そして夜は、遊覧船に乗って市内を縦横に張り巡らしている運河を走ってみた。至る所がライトアップされていて、日本の節電生活を思い出して勿体無く思った。震災前までの日本も同じことをしていたのだが・・・・・・。僕はネオンのような原色とやたらと点滅する仕掛け、それに噴水ときているから1時間が長く感じられた。昔ながらの掘割の町並みを想像していたので写真は撮る気にならなかった。
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中国の旅の常識は、ホテルの食事は不味くて高く、町の屋台や民衆食堂などが美味しく安いと決まっていたが、今回の旅は、その常識が狂った。屋台も町の食堂・レストランもむん安いが味はどこも不味かった。紹興最後の夜の晩餐もはずれ~。2人ともほとんど手をつけなかった。烏里君は今回の旅は四川料理とはちがう杭州料理の美味しいものを食べに来たのだと言っていたのだが・・・・・・・。
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上海に夜には戻らねばならぬ4日目。僕の要望で昔の紹興の面影が残る紹興県安昌鎮を訪ねることにした。早朝タクシーを拾って一路、安昌へ。約30キロの道程だ。「東洋のベニス」と歌われ、文学者・魯迅の故郷でもある紹興の歴史は古い。春秋戦国時代の越国の都が置かれた町だ。2400年の歴史のある黄酒。うるち米と小麦と鑑湖の澄んだ水でつられる中国が誇る代表的な酒・紹興酒の名産地としてもよく知られている。
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堀の両岸に石畳の道が続きそこに古い町並みが1キロ程連なっていた。まず、小舟に乗って堀割りから村の人びとの暮らしをみようと思った。船頭さんは器用に櫓を足と手と両方でバランスを取りながら漕ぐ。写真のようにね。乗っている者がうまくバランスを取らないと小さい舟なのでひっくり返りそうになる。2度、ひゃっとした。烏里君は「船が好きでない」と何度も言っていた。
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船頭のおじさん、ごくろうさまでした。記念写真をパチリ☆!
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岸に上がって、ビールで喉を潤した。2匹のワンちゃんが僕らのつまみの豆腐をほとんど食べてしまった。それでは犬君、撮らしてよ~と一枚・・・・・・。書の教室をしていた店で白扇を2人で買い求めて記念に書をしたためた。僕はひとつには「風」と、もうひとつには「写極楽道」と揮毫した・・・・・・・。
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上海の空港に近いホテルのロビー。日本の一昔前の逢引用のホテルみたいな大きなタイル張りの風呂があって閉口した。紹興を出る辺りから体調が一層悪くなった。まず、部屋で1時間ほど横になったが良くならない。中国最後の夜だし、烏里君にごくろうさん会をと思って出かけたがやはり、食べれないし、飲むこともできない。烏里君はバケツひとつあるような羊の肉の鍋をかぶりついていた。イ族の料理に似ていた。僕はきゅうりの塩もみとスイカを数切れを何とか食べ、ビールで乾杯だけして申し訳ないが先に失礼することにした。紹興酒のボトルをゆっくりやってから戻って来たらと、烏里君と別れたのだ・・・・・・・。冴えない上海の夜であったさ~★


 

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