中国・龍門鎮で(2011.7.12撮影)
中国・龍門鎮で(2011.7.12撮影)
木村さん、熊切さんは会場前で、参加した一人ひとりと握手をし、お礼をのべて見送っていた・・・・・・・。
会場を出てから参加していた熊切さんの師匠にあたる丹野章さんと軽く恵比寿駅前のよく行く焼き鳥屋で一杯やりながら話をした。丹野さんも御歳86歳になる日本写真界の長老だ。日大芸術学部の出身だから2人にとっては先輩である。烏里君もしばらくしてから駆けつけてきて、この秋の展覧会などについて話し合った・・・・・・・・。
23日~24日の2日間にわたって開かれる敷島神社の夏の祭典に、僕がいつもお世話になっている居酒屋三福の3代目、正修君が出店すというので、手伝いにいった。・・・・というよりは、最初はそこで一杯やって他の店もひやかしながら祭りの宵をぷらぷらと楽しもうと思っていたのだ。僕はこの町に引っ越してきて30数年は経つが、実は1回も参加したことがなかった。敷島神社は、家の近くにあって桜の頃はきれいなので何度か撮影に行っている。また境内に富士講のすばらしい冨士塚があるのだ。
しかし、祭りなどの人混みはあんまり好きでないので参加しなかったのである。今回は「三福きずな寄席」の世話人である正修くんが一人で屋台をやるというので心配で来てみたのだ。やはり世話人の山本建設の奥さんの孝子さん、司会をしてくれたルミちゃん。アイドルワンちゃんの「コロン」までも店の前で呼び込みをしてくれた。山本社長も心配らしく顔を出してくれた。結果は大盛況!!
でも僕らは夕飯も食う暇もなく、酒も飲む暇もなかった。 ただひたすらに、正修くんが10数年間かよって覚えてきたというタイ・バンコック仕込のココナツハイをメインに、チュウハイ、グレープフルーツハイなどを売りまくっ邸たのである・・・・・・・・・。疲れました。 みなさん、ごくろう様でした。
あとかたずけを終えてから遅い夕食とごくろうさん打ち上げをした。神輿を担いで疲れたという女性も参加。当初の目標の20万円の売り上げには届かなかったものの、手ごたえをつかんだ”若”こと正修君は満足そうな笑みを浮かべた。 解散は深夜2時過ぎ・・・・・・。明日もまだあるのだぜよ~☆!!
今日の立会いを終えてから東京印書館の別な事務所へ行って打ち合わせをした。その後、塩崎君と鮨をたべてから自宅に戻り、鈴木孝雄写真集『我が心の山嶺』の表紙に使う書を揮毫した。デザイン担当の塩崎君が「瀧」に続いて「嶺」を書けというのだ。ネパールヒマラヤで梳いてもらった紙に何点か揮毫してみたが、なかなか気に入った字が書けなかった。おかげで部屋はご覧の通り・・・・・・・・。
明日も朝早くから印刷の立会いだ。今年になってこれで4冊目の立会いとなる・・・・・・・・。
ご夫婦そろって友達の画家・美崎大洋さんの「第17回美崎大洋個展ーみなと横浜と花ばな展」の開催にあわせて初日の18日(海の日)に会場となっている銀座アートスペース(中央区銀座6-3-2ギャラリーセンタービル4F TEL03-3573-1271)で開かれた。泰明小学校の真ん前で、シャンセン美術館と併設している良い会場だ。僕も毎年顔を出しているので、中国から帰国してはじめて外出したのだ・・・・・。
旅の3日目は、富陽市内から車で30分ほど約20キロ郊外にある呉国の王・孫権一族の故郷・龍門鎮から取材は始まった。昨日の教訓からタクシーは止めて、個人で車を所有して営業をしている人を烏里君が昨日中に探しておいたので、朝7時にはホテルの前から出発できた。今朝は早朝から晴れわたっている。昨日の分が挽回できるかもしれない。神にただ感謝・・・・・・・・ 合掌
7月11日から15日の短い旅ではあるが、「中国三国志巡歴」の最後と言うべき取材に中国・浙江省に点在する三国志が今に生きる土地を訪ねてみた。ひとつは、諸葛亮の一族の末裔が暮らす諸葛鎮。もうひとつは、呉の孫家の故郷で、いまもその子孫が暮らす龍門鎮と化竹村。最後は、紹興酒で知られる昔の面影を色濃く残す紹興県安昌鎮だ。上海に空路で入って列車に乗り換えて浙江省の州都・杭州へ。そこからタクシーて富陽市へ。ここを起点に2日間。そして車で紹興市へ。ここで1泊。そして列車で上海へ戻って1泊という旅程だ。
中国の内陸部の南京や重慶などの夏は「火鍋の底」といわれるぐらい暑いが、沿岸部に近い浙江省は、暑いというよりも蒸す、ただひたすらに蒸すのだ。まるで蒸し風呂に放り込まれたような状態だった。ヒマラヤからチベット、アンデス、ボルネオ、ニューギニア、シベリアなどいわゆる秘境といわれる地を旅してきた僕もさすがにこの得体の知れない気候にはまいった。最後の2日間は、歩くのもやっと食事も、話すこともできず、好きな酒まで飲めなかった。せっかく紹興酒の故郷に来ているというのに・・・・・・・。熱中症、日射病、水分・塩分欠乏症か、とにかくただ休むしかなかったのだ。
「小松さんの取材は、ハード過ぎますよ。だから倒れるのです。付いていけませんよ」と今回一緒に来てくれた若い写真家の烏里烏沙君は口をとがらせて具合の悪い僕に言うのだ。確かに毎日、早朝7時から取材開始。車での走行距離は、延べで約630キロメートル。列車が500キロメートルだ。これを実質、2日間半で廻ったのだから確かにハードだったかもしれない。今回カメラは、4台持っていった。フイルムカメラがいつもの二コンF3P(レンズ2本)、ブロニカRF645、それにブログ用のシグマDP1だ。それに今回はじめて使ってみた二コンD300Sを持ち込んだ。これをメインに撮影したこともあり、シグマDP1ではほとんど撮影していない。 ということでブログの写真はいまいちとなってしまったが、近いうちに今回の取材の写真をみなさんに見てもらう機会があると思いますので、それまでお待ち下さい。 この旅を2回にわたってご報告します。
僕は帰国後、鮨を食べて10時間程寝たら大分良くなりました。現金なものですね。体は正直です。ところで日本の暑さが爽やかに感じるのは僕だけでしょうか・・・・・・。
村の入り口には大きな池が囲むようにあった。蓮の花が咲いていた。蓮の実を生で食べるととても美味しかった。町でも籠に吊るして売り歩いている人を見た。いまが旬だという。
今日の「三福きずな寄席」は、午後3時40分開場、4時開演の予定だ。世話人会は2時に会場集合。60人を超える予約が入っているので、座席の準備や看板の取り付け、表ののれんや高座の準備など手分けして済ました。赤、緑、黄、青、白の幕はチベット仏教の祈祷旗(タルチョー)と同じである。天、風、火、水、土を表しており、外敵や病魔、悪霊などから守るバリアとして村々の出入り口や峠などには必ずある。この幕は世話人の山本建設の奥様の90歳を超えるお母さんが縫ってくれたものだ。玄関にも同じ物を張った。 感謝!!
入場者は60人を超えて満席となった。志遊師匠も張り切って演目2題を力をこめて噺した。会場は大いに盛り上がった。世話人を代表して三福の大将が開会前に、最後には僕がこの寄席をやることになったいきさつを述べ、目的を語った。寄席終了後は、三福さんのご好意で、お店を開けてもらい8割がたの参加者が残り、乾杯を各テーブルでくり広げていた・・・・・・・。
次々とつがれるお客さんからの差し入れで、すっかり気持ちがよくなってご機嫌の師匠。駅まで師匠を送ってくれた世話人で自称・志遊応援団長のOさんと記念写真をパチリ・・・・・・・。本当にみなさんごくろうさまでした。これからも第2回、第3回・・・・と復興の暇で継続していき、地域に文化の花を咲かせていきましょう☆~
☆本日の本来の主役は、なんと言っても吉田加代ちゃんで~す。ちょつぴりとおすましして、呑んべぇ~おじさん連中と遅くまで付き合ってくれたのでした。 ごくろうさまでした・・・・・・。
☆配本となって届いた田中四郎写真集『心のふるさと雲南』(光陽出版社)。装丁は塩崎享さん、題字は風写こと僕でした。さっそく今日数人から反応があった。9月に八王子駅ビルでの写真展も決まったそうである・・・・・・。
今年もすでに7月に突入。梅雨も明けていないのにやたらと暑い。大暑、極暑、炎暑、熱帯夜・・・・・・・。
あまりにも暑いので少しでもみなさんが涼しくなるようにと、この冬に撮影したみちのくの霊峰・岩手山をお届けします。1点目は、小岩井農場からさらに登っていった山麓に広がる春子谷地湿原から撮影。2点目は、啄木のふるさと盛岡・渋民を貫流する北上川の辺の丘から望む暮れなずむ岩手山です。この日は、マイナス4~5度の寒い夕暮れでした・・・・・・。
(写真は沖縄料理屋で。写真集のゲラ刷りと僕のパナマ帽と島酒・・・・)
今日、僕が大好きな今期最後の高知県「夜須のフルーツトマト」が届いた。地元でご夫婦でトマト栽培をしている福永さん、本当にありがとうございます。 さらに高知の須崎のOさんから大量の食料が届いた。僕がひもじい暮らしぶりなのをご存知のうえのご配慮、ありがたや・・・・。土佐名物の鰹の酒盗、芋けんぴ、生しらす、メロン、小夏みかん、わさび漬け、プチトマト、きゅうり、みようが、ししとう、オクラに、いわしの丸干しなどの干物・・・・・感謝!! 高松のSさんからは好物の讃岐うどん、 埼玉のMさんからは隠岐の海藻焼酎、 Sさんからは、小田原の名産・早瀬の干物、 Tさんからは赤坂松葉屋の佃煮の詰め合わせ、 Oさんからは健康にいいと阿蘇の万能茶、 岡山のTさんからはさよりの干物・・・・・・・。みなさんに心から感謝申し上げます。 ありがとうございます~☆~☆~ 合掌