写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2011年7月アーカイブ

 

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昨日、29日は「写真集団・上福岡」の7月例会が開かれた。6月に開かれた第29回写真集団・上福岡展以来の例会だ。この日はいろいろな事情で会員の欠席が多かったが、写真展を見て、会に興味を持った人が4人参加してくれた。みなさん写真には積極的な人たちで作品を持ってきた人もあった。上の写真は合評を終えたあとの記念写真。4人とも入会するとのこと。これで今年になって8人の新入会員が増えたことになる。新しいエネルギーは、会に活性化をもたらすいい傾向である。さらに言えば若い会員が増えることだ。30年という歴史をもった集団なのだからそれを継承していく人材を育てていくことが大切だと思う。
山本事務局長がいつも、ろくなものを食べてない僕を気遣って健康的な食事を用意してくれている。ほんとうにありがたい。感謝!! 会の終了後、有志で瀬下さんのッ写真集『瀧巡礼』の刊行と写真展の開催を祝ってささやかな乾杯をした。
この日、自宅近くに戻ってから写真研究会「風」メンバーの千代田さんと会った。10月に控えている第2回写真展「風」への出品作品を決めるためだ。ひさしぶりにたくさんの作品を見せてもらったが、その多彩な感性には驚いた。まったくテーマのことなる作品を4作品制作している。そしてそのどれもが完成度が高いのである。岡山の高田同人からも5作品寄せられた。やはり地域に根ざしたテーマで、高田さんらしさがどの作品からも滲み出ていた。ある中・高生でつくる吹奏楽団を追った作品を出品作と決めた。後2ヶ月余りと迫った写真展、8月中には、DMも完成する予定だ。準備はこれから急ピッチで進んでいくことになる。

☆下の写真は、先日中国へ「三国志巡歴」の取材に行ったとき撮影したもの。今後、何点かづつアップしていきます。ご期待下さい。 カメラは二コンD300S、 レンズはタムロン18-270ミリF/3.5-6.3DIⅡVC PZDだ。

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中国・龍門鎮で(2011.7.13撮影)
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中国・諸葛鎮で(2011.7.12撮影)
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中国・龍門鎮で(2011.7.12撮影)

 

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28日、東京印書館の担当者に原稿を渡し、打ち合わせをした後、前から約束していた『宮澤賢治 雨ニモ負ケズという祈り』(定価1600円・税別)が、ようやく完成したので、担当編集者のOさんとささやかな祝杯をあげた。
来月、もう一人の著者である重松清さんも合流して開く「打ち上げ」の下見も兼ねて、店を廻った。彼女は夕べから今朝方まで、やはり担当の作家・大田和彦さんと飲んでいたので調子がいまいち出ないとスタートはゆる~りと始まった。まずは琉球料理の店から。そこでオリオンビールの生を3杯干したら俄然彼女は元気になった。僕は泡盛の水割りからはじめた。次に重松さんが希望する四川料理の民衆食堂へ。ここではチンタオビールに、15年ものの紹興酒を1本空けた。定番のマーボ豆腐など3品頼んだが、彼女はご飯もここで頼んでしまったのだ。たしかにマーボ豆腐ときたら温かい白いご飯が付き物ではあるが、酒飲みには禁じ手、後がいけなくなる・・・・・・・。

案の定、3軒目の魚の旨い飲み屋では、毛ガニがやになるほど詰まっている毛ガニOOと、刺身盛(小さい方)を頼んだ(上の写真)。だが、結局ほとんど手をつけず残してしまった。僕もかなりがんばって食べたのだがやはり無理。もったいないな~。先ほどの四川料理は残ったものは、パックに詰めてもらったが、こちらは生なので処分するしかない。それでもOさんは日本酒の燗を4合飲んだ。僕は芋焼酎をロックで3杯・・・・・・。11時を過ぎたので、今宵はここらでお開き~とした。駅の改札まで見送り、今度は盛岡で著者の澤口たまみさんと一緒に祝杯をあげることを約束して別れた。 Oさん、本当に2年間ご苦労さまでした。そして、ありがとう☆☆☆・・・・・・・・・・。  合掌

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昨年の暮れに、琉球料理「みやらび」で撮影したOさんで~す☆!!
☆鹿児島在住の写真家M君が毎年送ってきてくれるキリシマハムの「霧島黒豚」の詰め合わせをこの夏も送ってきてくれた。ありがとう・・・・・・・。   合掌

 

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昨日は8日ぶりに都内に出た。いろいろと寄る所があったが蒸し暑いので、的を絞って廻ることにした。まず、クリエイト銀座へ、プリントのチェツクに行った。8月17日から新宿のペンタックスフーラムで開催する「第4回日本中国写真芸術協会展」への僕の出品作品3点と烏里烏沙君の3点だ。僕のは全点焼き直し、烏里君のは1点だった。その足で日本肖像写真家協会展を見てから田町のフォト・ギャラリー・インターナショナルで8月27日までやっている八木清写真作品展「sila」へ向かった。山梨の清里フォトアートミュージアムでも10月10日まで「グレイト・スピリット/カーティス、サルダール=アフガミ 八木清の写真」展を開催している。
彼は水越武さんに師事していたので以前からよく知っていた。今回同時に出版した写真集『sila』は見ごたえがある。大判のモノクロ写真集だ。見るものに静かではあるが、人間と自然、命とは・・・・という根元的な命題が迫ってくる。値段は16800円と安くはないが、限定400冊だから決して高くはない。本年度の出版された写真集のなかでは、僕の超お薦め本だ(上の写真)。
八木君は会場にいなくて話ができなかったのが残念だったが、これからも大いに”我が写真道”を進んで行って欲しいと思った。将来期待できる新鋭の写真家である・・・・・・・・。

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続いて品川キャノンギャラリーSで8月11日まで開催している鍵井靖章写真展「青い地球のカシュ」を見に行った。鍵井君とは、7~8年前にフィジーへ1週間ほど一緒に旅をしたことがあった。彼は水中写真家だから潜って」ばかりいたが、僕は先住民の村村を訪ね、そこの生活・文化を撮影した。フイジー政府の観光局の招請取材だった。彼とは久しぶりに会ったが以前と変わらぬのは写真の通り。奥さんと可愛い娘さんも会場にいた。奥さんと会うのも、僕の新宿パークタワーでの写真展「ヒマラヤ古寺巡礼」に来てくれて以来だった。
サメなどの大魚の口に正面から迫った写真が面白かった(上の写真など)。展示方法も鑑賞者が海の中に潜って魚たちと遊んでいるような感覚になるように演出されていて、外の暑さを一瞬忘れさせてくれるユニークな展示になっていた。 彼は東日本大震災の3週間後には、三陸の海に潜ったという。「福島原発がメルトダウンしているのも知らずに潜っちやいました・・・・・」と笑いながら語ってくれた。その写真が掲載された雑誌を見せてもらったが、メディアでは報道されていない海の底の現実には胸を衝かれるものがあった・・・・・・。

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いよいよ”「K2」50年を祝う会”の会場のウエステインホテル東京のある恵比寿へ。会場までの恵比寿ガーデンプレイスは、暑さ対策で、水が霧状になって噴出していた・・・・・・・。僕は午後から歩き回っていたので汗はひどいし、会に参加する前から疲れ果てていた・・・・・・・。
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本会の主役の2人。左から木村恵一さん、熊切圭介さん。発起人を代表してあいさつに立つ、日本写真家協会会長・田沼武能さん。
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2人が参加している「六の会」のメンバー。日大芸術学部の同級生で結成した会。左から斉藤康一、木村、松本徳彦、高村規、亡き野上透の長男、熊切の各氏だ。この会のメンバーも1人が亡くなり、2人が病気で車椅子生活。元気なのは3人だけとなってしまった・・・・・・。僕が日本写真家協会の理事を3期務めていた頃に、先輩としてお世話になった人たちばかりだ。
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昨年、大病をして闘病生活を送っていたが、再起して今年の「日本写真協会賞 功労賞」受賞した木村恵一さん。カメラを向けると傍らにあったワイングラスを高らかに上げて乾杯をした。いつまでもお元気で・・・・・・・。
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各界の方々が大勢みえた。木村さんの隣は写真家・竹内敏信夫妻。
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あとわずかで90歳となる芳賀日出男さんと日本写真家協会常務理事の山口勝広さん。芳賀さんは9月に個展を。山口さんは8月13日~9月27日まで、キヤノンギャラリーSで写真展「御獄信仰と里のまつり」を開催する。2人とも僕の良き先輩である。
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ひさしぶりに冒険家・医師の関野吉晴さんとじっくりと話をした(正面)。 右は、デザイナーの三村淳さん。7月23日から東京都写真美術館ではじまった写真展「昭和史のかたち」の作者・江成常夫さんの姿も後ろに見える。
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僕と日本写真家協会に一緒の1985年に入会した写真家の柏崎育造さんと娘さんの秀美さん。彼女も日大芸術学部の大学院を卒業して現在写真家だ。いまはJPSの同じメンバーでもある。大学時代には三木淳さんに学んだという。僕も三木さんには若い頃、ずいぶんとお世話になったので何か懐かしい気がした。それにしても父娘で同じ写真家として生計し、いつも傍にいられるのは、つくづくうらやましいと思った。柏崎さんは、しわせものである・・・・・・・。SDIM5332.JPG

木村さん、熊切さんは会場前で、参加した一人ひとりと握手をし、お礼をのべて見送っていた・・・・・・・。

会場を出てから参加していた熊切さんの師匠にあたる丹野章さんと軽く恵比寿駅前のよく行く焼き鳥屋で一杯やりながら話をした。丹野さんも御歳86歳になる日本写真界の長老だ。日大芸術学部の出身だから2人にとっては先輩である。烏里君もしばらくしてから駆けつけてきて、この秋の展覧会などについて話し合った・・・・・・・・。

23日~24日の2日間にわたって開かれる敷島神社の夏の祭典に、僕がいつもお世話になっている居酒屋三福の3代目、正修君が出店すというので、手伝いにいった。・・・・というよりは、最初はそこで一杯やって他の店もひやかしながら祭りの宵をぷらぷらと楽しもうと思っていたのだ。僕はこの町に引っ越してきて30数年は経つが、実は1回も参加したことがなかった。敷島神社は、家の近くにあって桜の頃はきれいなので何度か撮影に行っている。また境内に富士講のすばらしい冨士塚があるのだ。

しかし、祭りなどの人混みはあんまり好きでないので参加しなかったのである。今回は「三福きずな寄席」の世話人である正修くんが一人で屋台をやるというので心配で来てみたのだ。やはり世話人の山本建設の奥さんの孝子さん、司会をしてくれたルミちゃん。アイドルワンちゃんの「コロン」までも店の前で呼び込みをしてくれた。山本社長も心配らしく顔を出してくれた。結果は大盛況!!

でも僕らは夕飯も食う暇もなく、酒も飲む暇もなかった。 ただひたすらに、正修くんが10数年間かよって覚えてきたというタイ・バンコック仕込のココナツハイをメインに、チュウハイ、グレープフルーツハイなどを売りまくっ邸たのである・・・・・・・・・。疲れました。 みなさん、ごくろう様でした。

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準備完了。出店の前で緊張する正修君で~す。
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祭りの始まり。地元のおじさんバンドの演奏がにぎやかに始まった・・・・・。
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看板娘のルミちゃんもスタンバイ。メニューがいまいちイメージが出ないので僕が少し書き直した・・・・・・。
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アイドル・コロンの前はいつも人だかり。「コロンちゃんに触ったら1杯飲んでね~」などとしっかりと商売!!
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山本建設の孝子さんも「監視役」どころでなく、一店員になりきってフル回転でした・・・・。ごくろうさま。
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神輿が店の前を通り過ぎたので、記念に一枚だけ撮った・・・・・・・。
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田舎の小・中学校の同級生のYさんが、娘夫婦とお孫さんを連れて、激励にきて、少し手伝ってくれた。ありがとうね。 娘さんに会うのは、彼女が高校生のとき以来だ。それがいまや2人のお母さんに・・・・・・・。
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あとかたずけを終えてから遅い夕食とごくろうさん打ち上げをした。神輿を担いで疲れたという女性も参加。当初の目標の20万円の売り上げには届かなかったものの、手ごたえをつかんだ”若”こと正修君は満足そうな笑みを浮かべた。 解散は深夜2時過ぎ・・・・・・。明日もまだあるのだぜよ~☆!!

 

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昨日、25日に発売となる『宮澤賢治 雨ニモ負ケズという祈り』(1600円+税)の見本が届いた。僕としては一昨年の『太宰治と旅する津軽』に続いて2冊目のとんぼの本である。この本から新シリーズとなり、幅が2センチ、タテが1センチほど大きくなった。見開きのページが35ミリフイルムサイズと同様になったので写真が大きく見える。

「宮澤賢治(1896~1933)の死後、メモやスケッチが配されたノート類がみつかった。うち一冊の手帳に『雨ニモ負ケズ』で始まる、よく知られた詩がある。今なお私たちの心に響くその一篇を、彼はどんな人生の中で書き留めたのだろう。『自然を見たままに記録した』と賢治自身が語った作品と生涯をたどる。作家・重松清氏には、大正12(1923)年に賢治が向かった樺太(サハリン)を、鎮魂の思いをこめて歩いていただいた。ナチュラリスト賢治の後輩に当る盛岡在住の作家・澤口たまみ氏には、作品に謳われた『自然』を考察するとともに、賢治の秘められた恋と、知られざる恋人の実像を明らかにする。詩人の郷里、岩手の美しい四季の情景は、30年にわたり賢治の原風景を追い続ける写真家・小松健一氏による。」・・・・・本書の表紙カバーより。

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作者の瀬下さんとADの高柳さんと綿密な打ち合わせをする僕ですが・・・・・。
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自転車なみのスピードで、各地に被害をもたらした台風6号が、太平洋上に離れつつある今朝は、6時前に起床した。8時過ぎから東京印書館の工場において、瀬下太刀男写真集『瀧 巡礼』の印刷立会いがあるからである。AD責任者の高柳さんをはじめ、営業の佐々木さんらスタッフも顔をそろえた。作者の瀬下さんも定刻には来た。デザインを担当した塩崎君は昨日から山梨へ取材に行っており、台風の影響で今朝戻ったというので、少し遅れて来た。現場スタッフの努力もあり、順調に印刷は進み、夕方まで8版まで終えることが出来た。ご苦労さまでした。
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遅い昼食は、武蔵野のたたずまいを残す平林寺の門前にある有名なうどん屋さんへ行った。夏野菜のかき揚げざるうどんを食べてみた・・・・・・・。
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今日の立会いを終えてから東京印書館の別な事務所へ行って打ち合わせをした。その後、塩崎君と鮨をたべてから自宅に戻り、鈴木孝雄写真集『我が心の山嶺』の表紙に使う書を揮毫した。デザイン担当の塩崎君が「瀧」に続いて「嶺」を書けというのだ。ネパールヒマラヤで梳いてもらった紙に何点か揮毫してみたが、なかなか気に入った字が書けなかった。おかげで部屋はご覧の通り・・・・・・・・。

明日も朝早くから印刷の立会いだ。今年になってこれで4冊目の立会いとなる・・・・・・・・。

ご夫婦そろって友達の画家・美崎大洋さんの「第17回美崎大洋個展ーみなと横浜と花ばな展」の開催にあわせて初日の18日(海の日)に会場となっている銀座アートスペース(中央区銀座6-3-2ギャラリーセンタービル4F TEL03-3573-1271)で開かれた。泰明小学校の真ん前で、シャンセン美術館と併設している良い会場だ。僕も毎年顔を出しているので、中国から帰国してはじめて外出したのだ・・・・・。

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大洋さんと奥さまの琉球舞踊家の陽子さん。「宇宙への調べ ハーモナイズ・ヨコハマ」(F100)の作品の前で、記念写真を撮った。何故か、2人ともとても照れていたさ~・・・・・・。
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日本写真界の大先輩の写真家・丹野章さんと東京芸術大学大学院生で写真とデザインを学んでいる水越まゆみさん。彼女の父親が陽子さんの知人ということで、大学に行く前に少し顔を出してくれた。
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「レンズの前に立つと緊張してしまうのです」という水越さんのポートレート。陽子さんの手作りの沖縄のつまみと島酒が美味しかった。会場は和気藹々としていた・・・・・。
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陽子さんの姪・紗貴子さんと丹野さん。紗貴ちゃんは昨年も叔父さんの100号の大作の前で撮影しているが、1年たって少し大人の雰囲気が出てきたようだ・・・・・。それにしても60歳以上歳が離れているとはとても見えないのは、丹野さんが若いのか、それとも紗貴ちゃんが大人びたのか・・・・・・・。
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紗貴ちゃんは、23歳の青春真っ盛り~☆~いま、沖縄に彼がいて遠距離恋愛中だという。ガックリこないでね・・・・オジサン族よ!
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☆昨年の紗貴ちゃんを見逃した方のために・・・・・特別出血大サービス~☆☆☆~!! (2010.7 撮影)
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この写真から下の3点は、「シグマDP1」に初挑戦した写真家・丹野章さんの撮影だ。やはり、”舞台写真”を撮らせたらまだまだ鋭い切れ味、なかなかのものだ・・・・・・・・。
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僕が少々テレているのがわかる~??~。だからさ~ ・・・・・・・。
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わずか1分程度の間のことである・・・・・・。記念写真でないドキュメント作品になっているね。
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2次会は夫妻を囲んで気心しれた友だち10人で、巣鴨駅の近くのお店に繰り出した。ご夫婦の常連のお店らしい。大洋さんの絵画も何点か飾ってあった。三線をしている七夕子さんと陽子ネ~ネ~。大分、泡盛が効いている・・・・・・。
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紗貴ちゃんが「叔父さんと一枚撮ってさ~」と言うので、最後の一枚は今日の主役・美崎大洋を・・・・・。

★中国から戻ると「日本お布施党」本部には、全国のあたたかいみなさまから多くの”善意”が届いていた。心からの感謝を申し上げます。 ありがとうございました。  福岡のTさんからは、僕が楽しみにしているかねふくのからし明太子を。 岡山のTさんからは、半田手延めんと一番海苔を。 名古屋のH君からは、定番の香川の鎌田醤油のセット。僕の料理の隠し味にはすべてこの醤油が使われているほど気に入っている。創業1789年(フランス革命の年)の伝統を継いだ讃岐の味である。 東京の(株)フレームマンさんからは、恵比寿ビールのセットを。 東京の(社)海員福祉センターさんからは、高級干し椎茸の詰め合わせなど・・・・ 合掌

旅の3日目は、富陽市内から車で30分ほど約20キロ郊外にある呉国の王・孫権一族の故郷・龍門鎮から取材は始まった。昨日の教訓からタクシーは止めて、個人で車を所有して営業をしている人を烏里君が昨日中に探しておいたので、朝7時にはホテルの前から出発できた。今朝は早朝から晴れわたっている。昨日の分が挽回できるかもしれない。神にただ感謝・・・・・・・・  合掌

 

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7時30分には、龍門鎮に着いたので、当然まだ観光客は来ていない。村は静かな日常生活のなかにあった。この光景に出会いたくて朝食も抜きで来たのだ。龍門は、富陽市の孫一族の子孫がいる村でもとりわけ多い。現在の人口7000人のうち約90パーセントが孫姓を名乗っている。石畳の道と石造りの家々は風格があり、歴史も感じさせる。しかし、ここも文革の嵐の被害を受けた傷跡は生々しく残っていた。小麦を製粉している小さな工場が村のなかにあった。
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路地の奥のわんたんの店。テーブルはひとつ。村びとたちが朝飯を食べていたので、僕らもここで遅い朝食とした。わんたんとクレープみたいな小麦粉を薄く焼いて巻いたもの。香ばしくて美味しかった。扇風機が壊れたので修理に来ていた電気屋さん。
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僕らが30分程いた間にも次々とお客さんが食べに来た。みな村の人たちだ。孫権が部下を台湾に送った「開拓台湾」の史実がとりわけ印象的に打ち出されていた。やはり現在の国の政策の一環なのだろうか・・・・・。
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龍門鎮から10数キロは鳴れた所にある化竹村。こちらも孫家の古い家系図が残っていたり、明代や清代の歴史書の中にもこの村の項に、孫堅や孫権の名が記されている。現在は、村の入り口に「呉大帝孫権後裔衆居地」と金文字で彫った大きな碑が不釣合いな感じで建っていた。
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孫権をはじめ、父の孫堅、兄の孫策の像を安置してある廟の前は綿工場の荷物置き場となっていた。
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化竹村の孫家一族の現在の長を務めるという家は、廟の裏手にあり、敷地内で工場を建てていた。地元の人に話を聞くと「がっぽりと商売で儲けて、御殿にすんでいるよ」と苦笑していた。村そのもは、龍門鎮と違いまったく現代の変哲のない家が立ち並んでいた・・・・・・・。
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化竹村から約180キロ走り、紹興市に着いた。朝がドライバーにご馳走になった、わんたんだけだったので、ホテルのレストランで遅い昼食とした。ここの杭州料理は烏里君も「いける~」というぐらいに美味しかった。
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三菱自動車の新車で、クーラー、ステレオはもちろんカーナビまで搭載している車のドライバーと乾杯。彼はウーロン茶。僕と烏里君はビールに2種類の店お薦めの紹興酒を空けた。夕方まで一休みしてから、市内の運河の残る旧市街へ撮影に出かけた。そして夜は、遊覧船に乗って市内を縦横に張り巡らしている運河を走ってみた。至る所がライトアップされていて、日本の節電生活を思い出して勿体無く思った。震災前までの日本も同じことをしていたのだが・・・・・・。僕はネオンのような原色とやたらと点滅する仕掛け、それに噴水ときているから1時間が長く感じられた。昔ながらの掘割の町並みを想像していたので写真は撮る気にならなかった。
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中国の旅の常識は、ホテルの食事は不味くて高く、町の屋台や民衆食堂などが美味しく安いと決まっていたが、今回の旅は、その常識が狂った。屋台も町の食堂・レストランもむん安いが味はどこも不味かった。紹興最後の夜の晩餐もはずれ~。2人ともほとんど手をつけなかった。烏里君は今回の旅は四川料理とはちがう杭州料理の美味しいものを食べに来たのだと言っていたのだが・・・・・・・。
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上海に夜には戻らねばならぬ4日目。僕の要望で昔の紹興の面影が残る紹興県安昌鎮を訪ねることにした。早朝タクシーを拾って一路、安昌へ。約30キロの道程だ。「東洋のベニス」と歌われ、文学者・魯迅の故郷でもある紹興の歴史は古い。春秋戦国時代の越国の都が置かれた町だ。2400年の歴史のある黄酒。うるち米と小麦と鑑湖の澄んだ水でつられる中国が誇る代表的な酒・紹興酒の名産地としてもよく知られている。
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堀の両岸に石畳の道が続きそこに古い町並みが1キロ程連なっていた。まず、小舟に乗って堀割りから村の人びとの暮らしをみようと思った。船頭さんは器用に櫓を足と手と両方でバランスを取りながら漕ぐ。写真のようにね。乗っている者がうまくバランスを取らないと小さい舟なのでひっくり返りそうになる。2度、ひゃっとした。烏里君は「船が好きでない」と何度も言っていた。
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船頭のおじさん、ごくろうさまでした。記念写真をパチリ☆!
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岸に上がって、ビールで喉を潤した。2匹のワンちゃんが僕らのつまみの豆腐をほとんど食べてしまった。それでは犬君、撮らしてよ~と一枚・・・・・・。書の教室をしていた店で白扇を2人で買い求めて記念に書をしたためた。僕はひとつには「風」と、もうひとつには「写極楽道」と揮毫した・・・・・・・。
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上海の空港に近いホテルのロビー。日本の一昔前の逢引用のホテルみたいな大きなタイル張りの風呂があって閉口した。紹興を出る辺りから体調が一層悪くなった。まず、部屋で1時間ほど横になったが良くならない。中国最後の夜だし、烏里君にごくろうさん会をと思って出かけたがやはり、食べれないし、飲むこともできない。烏里君はバケツひとつあるような羊の肉の鍋をかぶりついていた。イ族の料理に似ていた。僕はきゅうりの塩もみとスイカを数切れを何とか食べ、ビールで乾杯だけして申し訳ないが先に失礼することにした。紹興酒のボトルをゆっくりやってから戻って来たらと、烏里君と別れたのだ・・・・・・・。冴えない上海の夜であったさ~★


 

7月11日から15日の短い旅ではあるが、「中国三国志巡歴」の最後と言うべき取材に中国・浙江省に点在する三国志が今に生きる土地を訪ねてみた。ひとつは、諸葛亮の一族の末裔が暮らす諸葛鎮。もうひとつは、呉の孫家の故郷で、いまもその子孫が暮らす龍門鎮と化竹村。最後は、紹興酒で知られる昔の面影を色濃く残す紹興県安昌鎮だ。上海に空路で入って列車に乗り換えて浙江省の州都・杭州へ。そこからタクシーて富陽市へ。ここを起点に2日間。そして車で紹興市へ。ここで1泊。そして列車で上海へ戻って1泊という旅程だ。

中国の内陸部の南京や重慶などの夏は「火鍋の底」といわれるぐらい暑いが、沿岸部に近い浙江省は、暑いというよりも蒸す、ただひたすらに蒸すのだ。まるで蒸し風呂に放り込まれたような状態だった。ヒマラヤからチベット、アンデス、ボルネオ、ニューギニア、シベリアなどいわゆる秘境といわれる地を旅してきた僕もさすがにこの得体の知れない気候にはまいった。最後の2日間は、歩くのもやっと食事も、話すこともできず、好きな酒まで飲めなかった。せっかく紹興酒の故郷に来ているというのに・・・・・・・。熱中症、日射病、水分・塩分欠乏症か、とにかくただ休むしかなかったのだ。

「小松さんの取材は、ハード過ぎますよ。だから倒れるのです。付いていけませんよ」と今回一緒に来てくれた若い写真家の烏里烏沙君は口をとがらせて具合の悪い僕に言うのだ。確かに毎日、早朝7時から取材開始。車での走行距離は、延べで約630キロメートル。列車が500キロメートルだ。これを実質、2日間半で廻ったのだから確かにハードだったかもしれない。今回カメラは、4台持っていった。フイルムカメラがいつもの二コンF3P(レンズ2本)、ブロニカRF645、それにブログ用のシグマDP1だ。それに今回はじめて使ってみた二コンD300Sを持ち込んだ。これをメインに撮影したこともあり、シグマDP1ではほとんど撮影していない。 ということでブログの写真はいまいちとなってしまったが、近いうちに今回の取材の写真をみなさんに見てもらう機会があると思いますので、それまでお待ち下さい。 この旅を2回にわたってご報告します。

僕は帰国後、鮨を食べて10時間程寝たら大分良くなりました。現金なものですね。体は正直です。ところで日本の暑さが爽やかに感じるのは僕だけでしょうか・・・・・・。

 

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出発は羽田空港、中国東方航空MU536便だ。羽田だとやはり便利、家から1時間半で着く。
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上海西空港に隣接してある駅から出ている高速鉄道に乗った。いま何かと話題となっている列車だ。杭州まで約200キロメートルを1時間で着く。」烏里君が間違えて一等包座という個室を取った。一人246元だからいまのレートで日本円にすると3196円だ。広い個室で飲み物とお菓子セットがサービスについた。彼は今回の旅で一番よかったのは、この列車に乗ったことだと言っていた。
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紹興からも特急の1等車で上海まで戻ったが、線路が直線で、トンネルがないので騒音、揺れとも日本の新幹線よりも静かな感じがした。乗っている乗客はメチャクチャ煩いが・・・・・・。しかし僕が「三国志巡歴」の旅を始めた20年前とくらべると隔世の感がある。道路が整備されていなかったことと車が悪かったこともあっていつも列車で大陸を移動していた。蒸気機関車は主役で走っていたし、列車も満杯で足の踏み場もないほど。荷物棚にさえ人が乗っていた。それもよく止まって、線路を歩かされたこともあった。なかには20数時間車内に閉じこまされたことも・・・・・・。それでも楽しかった。どこでも止まると近くの村々から農民がアヒルの卵やわけのわからない食べ物を籠に入れて売りに来る。それを車窓から買うのだ。でもこれは今も同じ。昨年、高速道路で事故が発生して数時間待たされた時にも、どこからか農民たちが大きな籠にポットなを担いでインスタントラーメンなどを売り歩いていた。
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時々時速300キロを超えている表示が出ていたが・・・・・。
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やはりどこかで見た感じはいなめない。先頭は荷物が重いのと遠いので撮りに行かなかった・・・・・・。
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一日目の夜は、杭州から飛ばすタクシーで約1時間少し行った富陽市。『三国志』の呉書には孫権の一族の本籍地が、呉郡富春と記されている。その富春は普代に富陽と改名されたが、とにかく歴史のある古い街である。市内を貫流する富陽江の岸辺の屋台街へ繰り出した。烏里君は四川省のチベット国境にある高地のイ族出身、酒もめっぽう強いが料理もやたらとうるさい。だいたい彼が美味いと誉めたことはあまり聞いたことがないくらいだ。この回族の料理についてもやはり・・・・・・。水のようなビールしかないとわかると酒屋を探して、アルコール46度の白酒を買って来た。「これは少し弱い酒です~」と言って・・・・・・。
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最近、中国でも生ビールが人気があるが、正直これはいけない。瓶ビールの方がまだ飲める。ご注意を。
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夜遅くなると食事を終えた後、遊びに来る若いグループでデーブルはいっぱいになった。僕らが行った7時半過ぎには誰もいなかったのに、10時過ぎた頃からはあっという間に満席となった。見ていると、とにかく中国人はよくしゃべるし、またよく食べる・・・・・・・。僕は野菜、とくにニラとブロッコリの串焼きが美味かった。
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翌日は、朝8時にタクシーでホテルを出発 (このタクシーが最悪。クーラーが効かないオンボロ車は許せるが、運転手がひどい。道は知らないし、文句ばかり垂れるし、挙句の果ては決めた料金の倍をふっかけてきた。到着時間が大幅に遅れたので撮影は昼の炎天下となってしまった。烏里君と終始怒鳴り合っていた) 蘭渓市にある諸葛鎮八卦村へ向かった。
この村がはじめて注目されたのは1992年だからつい最近だ。現在、諸葛孔明から数えて50代目がおり、その子孫は中国全土で約10000人いるといわれているが、そのうちの4500人がこの村にいまも住んでいるという。では何故、遠い四川省の成都で亡くなった諸葛孔明の子孫が、と思われるでしょう。烏里君もさかんに「信じられない、中国の歴史は嘘が多い。特にビジネスになると・・・・」と指摘するのだ。僕だってまるっきり信じている訳ではない。それなりに歴史書を読んで筋は通っていると思ったのだ。ここで詳しくは書けないが、現在のこの村の原型が作られたのは、時代はずーと下って元朝中期(1340年頃)。第28代目諸葛大獅が風水に通じていたことから九宮八卦陣に基づき建物を配置したその構造はいまも変わっていないという。写真は丘の上から見た村の美しい風景。こういう村に出会うと本当にうれしくなる・・・・・・。
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村のあちこちに池が多い。生活にはかかせない場だ。そして村の中心にも大きな池がある。左側は古い茶店が立ち並ぶ。  僕が一番に興味を持つのは、1800年も前の英雄を祖先と崇め、その教えを守り、いまも毎年4月と8月に諸葛孔明を祀った祭事を執り行なっているという人びとになのだ・・・・・。
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茶店の一軒に入ってビールで喉を潤した。今回の旅では、ビールをどんぶりで飲むことが多かった。コップよりも陶器のどんぶりの方が旨いのだそうだ。窓の外は池。孔明の子孫という男たちは、昼間から酒を飲みマージャンやトランプなど賭け事に熱心だった。これを見た諸葛亮はいったいなんといううだろうか・・・・・。
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僕の取材スタイル。島ぞうりにタオルと帽子。暑さのため、くたびれて小休止している所を烏里君がパチリ・・・・・・。
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村の入り口には大きな池が囲むようにあった。蓮の花が咲いていた。蓮の実を生で食べるととても美味しかった。町でも籠に吊るして売り歩いている人を見た。いまが旬だという。

 

 

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夕べ今日の「三福きずな寄席」のために書き上げた看板。千代紙などは、七夕の飾りにと高松の友人・Mさんが送ってきてくれたものを使わせてもらった・・・・・・・。

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今日の「三福きずな寄席」は、午後3時40分開場、4時開演の予定だ。世話人会は2時に会場集合。60人を超える予約が入っているので、座席の準備や看板の取り付け、表ののれんや高座の準備など手分けして済ました。赤、緑、黄、青、白の幕はチベット仏教の祈祷旗(タルチョー)と同じである。天、風、火、水、土を表しており、外敵や病魔、悪霊などから守るバリアとして村々の出入り口や峠などには必ずある。この幕は世話人の山本建設の奥様の90歳を超えるお母さんが縫ってくれたものだ。玄関にも同じ物を張った。 感謝!!

 

入場者は60人を超えて満席となった。志遊師匠も張り切って演目2題を力をこめて噺した。会場は大いに盛り上がった。世話人を代表して三福の大将が開会前に、最後には僕がこの寄席をやることになったいきさつを述べ、目的を語った。寄席終了後は、三福さんのご好意で、お店を開けてもらい8割がたの参加者が残り、乾杯を各テーブルでくり広げていた・・・・・・・。

 

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三福の奥座敷で、志遊師匠を囲んで打ち上げをした。山本建設の社長、奥様をはじめ、写真集団・上福岡のメンバー、写真研究会「風」同人。それに世話人のOさんなど・・・・・・。土佐から送られてきた夜須のフルーツトマトやメロンも食べてもらった。中国の白酒の最高級品の「五根液」もいただいていたのでみなさんに味わってもらったのだ。
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娘さんと一緒に参加してくれた20数年来の友人Jさん。池袋の店ではいつもお世話になっています・・・・。
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「写真集団・上福岡」と「風」のメンバーたちも参加してくれた。正面のタオルを首から提げているのが師匠。
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今日の名司会を務めてくれた浴衣姿のルミさん。ごくろうさまでした~☆
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浴衣のルミさんに合わせて浴衣を着て司会を一緒にしてくれたワンちゃんの「コロン」ちゃんもごくろうさま・・・・・・。
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次々とつがれるお客さんからの差し入れで、すっかり気持ちがよくなってご機嫌の師匠。駅まで師匠を送ってくれた世話人で自称・志遊応援団長のOさんと記念写真をパチリ・・・・・・・。本当にみなさんごくろうさまでした。これからも第2回、第3回・・・・と復興の暇で継続していき、地域に文化の花を咲かせていきましょう☆~

 

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昨日は、僕が主宰する写真研究会「風」のメンバーである吉田加代さんが初めてのグループ展「空 KUU」を東京・台場にあるギャラリー21で開催しているので有志で出かけた。会期は今月18日まで。行く前に銀座で数カ所と新橋でも寄るところがあったので、極暑のなか1時間ほど歩いた。汗はダクダクだし、体はだるくなるはで、やっとの思いで会場に着いた。ちょうどメンバーの加藤さんが帰るところだった。体調を少し崩していると言うので心配だ。事務局長の鈴木さんと元メンバーで吉田さんとは、インド取材に行ったこともある菱山君がいた。後でJPS会員の烏里烏沙君も駆けつけてきてくれた。遠い所から忙しいのにありがたい・・・・・。
同展に出品しているベテラン作家の石山貴美子さんも会場にいたのでごあいさつさせてもらった。石山さんは、パリ、ベルリン、ハノイ、など国内外で旺盛な発表活動をしている。作家の五木寛之さんのエッセイ「流されゆく日々」(日刊ゲンダイ連載)での文章と写真のコラボレーションは、すでに20年余続く人気の企画連載である。僕も連載開始頃から写真での挿絵は当時は斬新だったので注目して見ていた。その本人と話すことができて楽しかった。会場はご覧の通り、ホテル グラシパッフィック LE DAIBAの3Fなので非常にいいのだが、足の便が少し悪いためか、観客が少ないのが残念だ。キューバの女性写真家もふくめた4人のまったく異なるフィールドで創作をしている女性写真家の野心的な展覧会なのでもっと多くの人に見て欲しい思った・・・・・・。

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お台場に帳がおりて夜景が灯ると、先ずは会場の近くの沖縄料理の酒場で軽く喉を潤してから新橋の烏森界隈に繰り出した。句会の帰りによく寄る「いそむら」で魚の美味いので口直しだ。この日は吉田さんの展覧会を祝う会だ・・・・ったはずなのだが、菱山君を中心に泡盛1本と芋焼酎900ミリ)を1本の他にビールなどを飲むは飲むはで・・・・・・。祝う会というよりも親父連中の単なる飲み会に大変身!! ああ~こんなんだったら忙しいなか来るんじゃなかった・・・・・・。と後悔もしたが、やはり仲間との酒も悪くない。旨いのである。烏里君が今年10月に練馬区立美術館で開催する「中国・イ族写真家たちの展覧会」の写真を持ってきた。驚くような力作だった。いまのところ、150点の作品が集まっているという。選考と構成を手伝って欲しいというので引き受けた。チベット山岳写真協会も12月の四谷ポートレートギャラリーでの展覧会とこのイ族の展覧会に全力を挙げることになるだろう。

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☆本日の本来の主役は、なんと言っても吉田加代ちゃんで~す。ちょつぴりとおすましして、呑んべぇ~おじさん連中と遅くまで付き合ってくれたのでした。 ごくろうさまでした・・・・・・。

 

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仕事部屋の窓ガラスに可愛い子どものカマキリ君がいた。どんなに小さくても駄目!!僕が一番苦手な生物。見ただけでも鳥肌がたってしまう。恐る恐る撮影してから、長い棒の先に止めて外に逃がしたのだ~。「やった~!!」 ふ~う疲れた・・・・・・・・・。
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(写真左が半七写真印刷工業(株)の創業者・田中松太郎、右が2代目社長の米屋勇)

7月4日、5日の2日間は、7月25日新潮社から発売となる『宮澤賢治 雨ニモ負ケズという祈り』の本刷りの印刷立ち合いで品川の先の青物横丁にある半七写真印刷工業株式会社へ缶詰状態だった。とりわけ2日間の東京は熱射地獄のようなうだるような炎暑。埋立地の芝浦地区は特に熱風がひどい。外に少しいるだけでもフラフラするほどしんどかった。初版は8000部で、版は16面の8版。色見は順調にいったが、けっこう時間がかかった。初日は20時前、2日目は21時を過ぎたが、何とか無事に終えることができた。最初から最後まで付き合ってくれた新潮者の担当編集者Oさん本当にご苦労さまでした。そしてありがとう・・・・・・・。実は7月4日は僕の誕生日だったので、立会いを終えた後、Oさんは青物横丁駅前の小さな居酒屋で、誕生をささやかに祝って乾杯をしてくれた。創業30年というその居酒屋の女将は、お祝いにと豚足にランの花をつけて持たせてくれたのだ。はじめて入った店なのに。僕の誕生を祝ってくれるとは、ありがたいことです・・・・・・。 合掌

いま3つの印刷所を掛け持ちで仕事をしているが、半七印刷は由緒ある歴史をもつ印刷所だった。僕は今回はじめて仕事をしたのだ。大正4(1915)年創業のこの会社は、写真家の田中松太郎が創設した。田中は明治33(1900)年にパリで開催された万国博覧会に日本事務員として参加、終了後、画家の浅井忠の助言により、ウイーンの王立写真学校で、三色印刷技術を学ぶ。(僕は晩年の浅井忠には何度か会う機会があった。若造の僕から見ると画家というよりもいかにもコワそうなおじいさんに見えた)
つまり半七印刷は、日本最初のカラー印刷を導入した会社なのである。

当時のヨーロッパには、浅井忠をはじめ、画家の中村不折(半七印刷の社章のデザインは不折)や夏目漱石、永井荷風らがおり、親しく交流をしている。帰国後も木下杢太郎、北原白秋、高村光太郎らが結成した「パンの会」や永井荷風、巌谷四緑らの「木曜会」などにも参加し、自然主義に反抗する新芸術運動を展開している。社歴をみせてもらって僕とも少なからぬ縁だと思った。昭和10(1935)年、日本で始めて創刊された美術誌「みずゑ」の原色版印刷を担当しているが、この雑誌の編集長は、僕の写真の師匠のひとり藤本四八先生の実兄、先生もずいぶんとこの雑誌の仕事をしていた。さらに岩波書店の岩波写真文庫や岩波新書などを印刷している。初代社長の岩波茂雄とも松太郎は懇意だったという。新人物往来社、山川書店、光文社など僕が仕事をよくしていた出版社の印刷をずいぶんと担当していたこともわかって一気に親しみを持ったのだった・・・・・・・。

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☆配本となって届いた田中四郎写真集『心のふるさと雲南』(光陽出版社)。装丁は塩崎享さん、題字は風写こと僕でした。さっそく今日数人から反応があった。9月に八王子駅ビルでの写真展も決まったそうである・・・・・・。

今年もすでに7月に突入。梅雨も明けていないのにやたらと暑い。大暑、極暑、炎暑、熱帯夜・・・・・・・。

あまりにも暑いので少しでもみなさんが涼しくなるようにと、この冬に撮影したみちのくの霊峰・岩手山をお届けします。1点目は、小岩井農場からさらに登っていった山麓に広がる春子谷地湿原から撮影。2点目は、啄木のふるさと盛岡・渋民を貫流する北上川の辺の丘から望む暮れなずむ岩手山です。この日は、マイナス4~5度の寒い夕暮れでした・・・・・・。

 

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2011年度、の第1回目の写真研究会「風」の例会が都内で昨日開かれた。展覧会や法事や病気や土曜出勤などが重なり欠席者が多く、少し寂しい新年度のスタートとなった。名古屋の平元君や上尾から来ている長老の森さん、事務局長の鈴木さんは、それぞれ撮影をつづけている作品を持ってきた。平元君は、自然写真の新境地に挑戦するといままでにない雰囲気の作品を持ってきた。ここ1~2年で個展にまとめると決意をかためている。森さんは、ここ10年ぐらい撮影をつづけている食用植物の花シリーズの新作。3年ほど前にコニカ・ミノルタプラザで個展をしてから、さらに約100種類の食用花を撮影している(並べてある写真は森さんの新作)。鈴木事務局長は5月下旬に仙台から入って三陸の被災地を北上して取材してきたモノクロ作品を持ってきた。”男純情シリーズ”の番外編としてさらに1~2度取材に行き、秋の「風」第2回展に出品することにした。塩崎君はポートレート写真を・・・・・・。僕はいま、作業中の写真集の印刷ゲラを見せながら少し「テーマを持った撮影」について話をした。
その後、今年の10月18日~30日まで、東京のコスモスギャラリーで開催する「風」第2回展のことについて討議した。オープニングパーティやギャラリートークをはじめ展示作品と展示方法、DM作成のことなど具体的に決まった。次回例会までにはそれぞれの出品作品と展示方法を決めることになった。
終了後、まだ暑さが残る街にでて、軽く蕎麦屋で一杯やって解散した・・・・・・。

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(写真は沖縄料理屋で。写真集のゲラ刷りと僕のパナマ帽と島酒・・・・)

今日、僕が大好きな今期最後の高知県「夜須のフルーツトマト」が届いた。地元でご夫婦でトマト栽培をしている福永さん、本当にありがとうございます。 さらに高知の須崎のOさんから大量の食料が届いた。僕がひもじい暮らしぶりなのをご存知のうえのご配慮、ありがたや・・・・。土佐名物の鰹の酒盗、芋けんぴ、生しらす、メロン、小夏みかん、わさび漬け、プチトマト、きゅうり、みようが、ししとう、オクラに、いわしの丸干しなどの干物・・・・・感謝!! 高松のSさんからは好物の讃岐うどん、 埼玉のMさんからは隠岐の海藻焼酎、 Sさんからは、小田原の名産・早瀬の干物、 Tさんからは赤坂松葉屋の佃煮の詰め合わせ、 Oさんからは健康にいいと阿蘇の万能茶、 岡山のTさんからはさよりの干物・・・・・・・。みなさんに心から感謝申し上げます。  ありがとうございます~☆~☆~   合掌

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