W I N D S T I M E S 風通信 ♯012 2011.6.30
日時:7月2日(土)13時~17時
場所:世田谷区新町地区会館 2階
住所:世田谷区新町2-21-10
✿欠席の方は事務局までお知らせ下さい。
瀬下太刀男写真集『瀧 巡礼』と鈴木孝雄写真集『我が心の山嶺』の色校とテスト製版が出来上がった。A4変形の大判サイズなので迫力がある。7月1日から東京印書館へ出張校正だ。いよいよ本番となる。『瀧 巡礼』の方には、日本の瀧の写真の第一人者である北中康文さんに文章を寄せてもらった。『我が心の山嶺』の方は「アサヒカメラ」元副編集長の掘瑞穂さんに、著者へのロングインタビューをしてもらっている。『瀧 巡礼』の刊行予定は8月上旬。8月19日~25日まで銀座のコダックフォトギャラリーで同名の写真展の開催が決まっている。『我が心の山嶺』は9月上旬発行の予定だ。2人とも喜寿を迎える写真家、鈴木さんは3日前に南米のペルー・アンデスから戻ったばかり。本当に元気をもらえる写真集だ。どうぞご期待ください~☆~
世界を旅する4人の女性写真家の目の前の視界、本来全く異なる作品がいつしかひとつの調べを奏で出し、このグループ展が生まれました。・・・・・・・・(DMチラシより)
photo:kayo yoshida
写真研究会「風」のメンバーで写真歴が一番浅く、そして若い方の吉田加代さんが、念願の写真展を今月29日(水)から7月18日(月)まで、東京お台場にある「GALLERY21 DAIBA」(ホテルグランパシフィク3F/03-5500-6711)で開催する。この展覧会はそれぞれの土地で異なる創作活動をしている4人の女性写真家が、それぞれのテーマで作品を展示する特別企画展だ。吉田さんは、インド、ミャンマー、ブータンなどアジアの国々を旅するなかから自らの原点ともいうべき精神的ルーツを探し求めた作品群である。
彼女が生まれ育ったのは、古都・金沢でも古刹のひとつとして知られる浄土宗の寺だ。寺町界隈のなかでもひときわ大きい山門がある寺である。僕も彼女の両親と付き合いがあったので何度か訪ねたことがある。数年前に僕が金沢の浅野川の辺で個展をしたときに、山岳写真愛好家の母親に連れられてきたのが初めての出会いだった。その後、写真家を志、上京してアルバイトをしながら写真専門学校に1年間通った。学校に通いながらも写真研究会「風」にも入ってがんばってきたのである。会にはプロ写真家をはじめ、すでに個展や作品集を刊行した人ばかりなので、彼女がはたしてどこまでついてこれるかと心配したが、持ち前の楽天性と北陸人の粘り強さでしぶとく、先輩たちに何を言われようとも付いて来たのだ。最近は事務局の仕事も手伝う中心的なメンバーとなりつつある。
それにしても写真をはじめてまだ2年足らずで、作品の出来は兎も角、よくやったと思う!! 主宰の僕としてまずは拍手を送りたい。おめでとう☆~ しかし、これは単なる第一歩に過ぎない。これからが本当の勝負だ。さらに精進を重ね、がんばって写真家として生きていくことを期待している・・・・・・・☆☆~
左が女将で、琉球舞踊家の川田功子さん。正面は琉球舞踊家の美崎陽子さんで~す(大洋さんの夫人)。正面の壁は前にも紹介したが昭和文壇の作家をはじめ、画家、俳優、科学者などなど著名な人たちのサインです。実は店を閉めた後、4軒目に挑戦。4人でチューハイを6杯のんで仕上げに蕎麦を食べて終電前に解散。それぞれ家路に急いだ訳さ~☆~
今日はあの大災害をもたらした東日本大震災が発生してから100日となる。今日も余震が続いた。いまだ避難所で暮らしている人たちは9万人を超えているし、行方不明者も9000人を超えているのが現状だ。福島原発事故にいたっては、その解決どころが実態させわからない・・・・・・・。声にもならない胸のうちの叫びが渦巻いているような気がする・・・・・・・・。 合掌
翌17日も田中四郎写真集『心のふるさと 雲南』の最終的な色校正と表紙カバーの色校正に印刷所へ出かけた。右端上が柄見本と表紙カバー。左端が「週間新潮」のグラビアの色校ゲラ。この日もこの後、新潮社へ行って写真の一部差し替えと文章校正に行ったのだ。真ん中の5ページがとんばの本『身沢賢治 雨ニモ負ケズという祈り』の一部。すべての作業が終わった後、独り神楽坂で祝杯をあげた。家の最寄り駅に着いたらまだ日が明るいのでもう一杯と思っていたら地元の友人たちにつかまり後は、いつものコースで3軒のハシゴ・・・・・・。でも今日から3日間、禁酒し篭もって原稿書きがあるので4軒目は断わって午前様になるまえに家に帰還したのである・・・・・・・・。
そうです。僕が言いたいことは、この「おもろ」のような多くの文化人たちが愛し、民衆が安心して飲める由緒ある店は酒飲み連中が守るべきではないか!と言うことなのだ。無論僕もだ。暇があったら「おもろ」で会おうぜよ~☆☆~
昨日でちょうどあの大災害を巻き起こした東日本大震災がおきてから3ヶ月となる。いまだ行方不明の方々が約9000人、避難所で暮らしている方々も90000人を超えているのが現状だ・・・・・・・・。 こころから一日も早い復興への道と行方不明者の発見を祈るばかりである・・・・・・・。 合掌
さて、僕は先週の水曜日から出ずっぱりの日々が続き、心身ともにくたくたに疲れ果ててブログも書けない日が続いていた。今日アップするのは9日のことである。宮澤賢治の無二の親友・保阪嘉内の息子さんの保阪庸夫さんとその娘・美佳さん夫婦と嘉内の8人兄弟の一番末の妹・静枝さんの息子さんの4人が突然、山梨県の韮崎から上京して来たのだ。前日に美佳さんから電話があり、「明日の新宿10時38分着のスーパーあづさでいきます」という事であった。この間、僕が歩き探している嘉内が昭和7年から亡くなる3ヶ月前の昭和11年11月まで暮らしていた「雑司が谷1丁目365番地」の家を確認に来るのだという。いろいろとお世話になっていることもあり、万障繰り合わせて約束の11時に護国寺に出かけたのである。以下は、その日の「写真日記」だ・・・・・・・・。
東京印書館で、製版の打ち合わせをするAD責任者の高柳昇さん(左)と営業担当の佐々木政美さん(右)と『我が心の山嶺』の著者、鈴木孝雄さん。鈴木さんがまもなく最終的な取材として、南米のペルーアンデスへ行く前に、テスト製版の打ち合わせをしたのだ。いま、東京印書館とはもう一冊、写真集『瀧巡礼』の作業を進めているので印書館へもどうしても通うことが多くなるのだ。ちなみに今月末に発売される編集構成を担当した『心のふるさと 雲南』の出版社、光陽出版社も江戸川橋だから同じ界隈である。こちらも最後の仕上げの段階に入っている。 そんなことで8月の盆前までは、何だかんだと忙しい日々が続きそうである・・・・・・・。
この日のご苦労さん会は、音羽界隈で済ませて早く帰ろうとしたら鈴木さんが1時間ほど飲んで後、「久しぶりに順子さんの店に行きましょうよ・・・・」と言う。「順子」とは、前にも紹介したことがあるが、30年ほど前、僕がまだ若く、池袋に仕事場を持っていた頃からよく食事などに行っていた店だ。あれから3箇所店も移ったが、いまでも年に何回かは顔を出している。鈴木さんは以前1度お連れしたことがあったが彼はすっかり気に入り、その後通っているらしかった。僕は今年初めてだったので少し気恥ずかしい気がしたが、順子はいつもと変わらずに”みちのくの女”の優しさで出迎えてくれたのだった・・・・・・・・・。
雑司が谷の小さな蕎麦屋で軽く腹ごしらえをして国立演芸場に向かった。立川志遊独演会を聴きに行くためである。7月10日に「三福きずな寄席」を主催する世話人会のメンバー2人も来てくれた。居酒屋三福の3代目の正修くんと”志遊応援団長”のOさんだ。この日の番組の師匠の噺は、高校時代に談志師匠のこの噺を聴いて感動して噺家の道にはいったといういわくの「小金餅」と志遊師匠の18番のひとつ「船徳」。前座には、後輩の立川吉幸、中入り後に手品の伊藤夢葉が舞台にたって、客席から受けていた。会終了後は、3人で池袋にでて、琉球料理店ツアーをして盛り上がったのは言うまでもない。
午後から定期的に通っている都内の内科と眼科の病院へ行った。3月20日から家での飲酒を一切やめたことが効果があったらしく血糖値もずいぶん下がり医者がびっくりして誉めてくれた。体重も5キロではあるが痩せた。やっと「山が動いた・・・・」という心境である。眼の方も進行はしていなかった。ほっ!とした。
というわけで病院の診察後、さっそく前から約束していた病院の近くの大学の寮で暮らしている友人の娘さん、Mさんと”沖縄料理店泡盛ツアー”を実施した。彼女は芸大の大学院生。僕とは30歳は歳が離れているのだが、小学生の頃から知っているせいか、お互いに違和感がないのだ。オーナーと知り合いの店に行ってみた。上の写真は僕らと隣合わせた若い母親のお客さん。小さな子ども連れで来て美味そうに生ビールを干していた。僕たちともすっかり仲良くなって記念写真をパチリ~☆!Mさんからは、将来の話や恋愛の話などを聞いた。聞きながら若いということはそれだけですばらしいなあ~、きら☆きら☆輝いて見えるのだ。一緒にいる僕も何故か、若返って青春時代に戻ったような錯覚を覚えたので~す☆~&%$#~