写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2011年6月アーカイブ

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W I N D S T I M E S 風通信 ♯012 2011.6.30
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次回写真研究会「風」例会のお知らせ

日時:7月2日(土)13時~17時

場所:世田谷区新町地区会館 2階
住所:世田谷区新町2-21-10
 
✿2011年度会費をお持ち下さい。
✿10月の第2回「風」展について討議します。
✿欠席の方は事務局までお知らせ下さい。
 

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写真研究会「風」5月例会報告
 
 
5月7日(土)今年度の最終例会が行われました。出席者・森、並木、加藤、塩崎、
平元、吉田、ゲスト・水越まゆみさん。講評は以下のとおりです。
 
食用植物の花(国内外・中国などで撮影)100点以上の中から28点に絞りました。
雄しべ、雌しべに命の源を感じながら撮影しているとのことでした。展覧会用
とめるために更に精査していくこととなりました。
 
並木
自宅(青梅市)の周り1kmに生息する昆虫、小動物、花、草木などの作品を39点に
りました。どのような切り口でまとめていくのかが今後の課題になりそうです。
 
加藤
在日朝鮮学校の作品。テコンドーを練習する子供たちの姿など。次回は今まで撮影
したものを見直してまとめていく作業に入ります。単に成長記録に留まらない作
を期待しています。
 
塩崎
いつもは仕事で撮影しているダンス写真ですが、今回は作品として撮影したものと
併せて発表しました。ダンスのキメポーズやポジショニングよりも、ダンサーひと
ひとりの個性や内面性を映しだした作品に関心が集まりました。今までにない
ンス写真を期待するとの声も。。
 
平元
「松前干潟命の物語」からと「荒池」を撮影した作品を両方発表されました。松前
干潟の方は構成を再度練り直すのが課題。野鳥の世界を日本画的なイメージで描い
たらどうだろうか、との声もあがりました。
 
吉田
6月29日からの展覧会に参加するにあたっての心構えなどをリーフレット等を見なが
アドバイスいただきました。
 
ゲスト・水越まゆみさん(東京藝大大学院在学中)
台湾の海岸で撮影されたカレンダー式の作品を発表されました。立てると屏風型の
日めくりカレンダーになり、折りたたむとBOOKになるという斬新なアイディア。み
んなの関心を集めました。水越さんからの例会参加の感想は、「いろいろな方の作
品を一同に拝見することができてとても勉強になりました。」とのことでした。
 
例会後はいつもの三軒茶の味とめで懇親会を行いその後有志でお茶をしながら写真
談義は続きました。(吉田記)
 
 
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平元盛親会員が2010年度ニッコールクラブネイチャーフォトサロン
年度賞2位に!!
 
平元さんが2010年度ネイチャーフォトサロン年度賞2位を受賞されました。毎回、
例会では見過ごしてしまいがちな小さな命に向けられた、暖かい眼差しで新作を見
せてくれいる平元さん。これから益々のご活躍が楽しみです。 
 
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写真展のおしらせ
  
6月29日より「風」会員の吉田加代さんが参加されるグループ展が開催中です
                                                
「空 KUU」 Beyond the border
石山貴美子、野沢文子、吉田加代、マルレーヌ・マリーノ
 
日時:2011年6月29日(水)~7月18日(月) 10:00~20:00
会場:ギャラリー21
住所:東京都港区台場2-6-1 ホテルグランパシフィック LE DAIBA 3F
電話:03-5500-6711

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編集後記
 
梅雨の晴れ間に、近所の公園でヘビがニョロニョロしているのを息子が発見しまし
た。周りの反応は様々でしたが、僕は素直に美しいと感じました。東京23区内にも
タヌキが出没しているとか。かろうじてつながっている命の鎖、どうか切れないで
いて欲しいと思います。
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Publisher_Kenichi Komatsu. Editor_Toru Shiozaki. © windstimes 2011
 
 
 
 
  
 
 

 

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昨日、28日は俳句同人「一滴(しずく)」の第119回目の句会が新橋でおこなわれた。この日の選者は俳人・中原道夫さん。梅雨の晴れ間ではあるが、うだるような暑さのなか18人が参加した。遠くは山口県(上の写真で中原さんと写る潮女さん)からも毎月参加している。三重・伊勢の会員もいるから交通費や宿泊代を考えると大変な熱意である。
僕はこの句会に出句するために前夜ひねった4句のなかから3句をだした。記録として4句載せておく・・・・・・・。
防波堤船首刺さり暑かな          福島の消印葉書熱帯夜
土用二郎匂ひ纏ゐて会ひに行く       キャラバンのゆく天炎ゆる茶馬古道
残念ながら特選句はなかったが、俳句で時事を詠むことの難しさを改めて学んだ。句会の後は有志で恒例の打ち上げ、この日は暑いので暑気払いでもある。ここ最近は東北支援ということで、青森出身の人が経営している「ねぶた」という店で、夕方4時過ぎからというパターンである。2時間ほど俳句や写真談議に花が咲いた。「俳句四季」7月号に「一滴」が創立10周年迎えたというので紹介されている。僕ら同人の句も載っている。また岡井輝生代表の句と写真がカラーで2ページ掲載されていた。ご覧下さい。

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一次会が終えて外に出るとまだ日が高いというのでさらに2次会へ。そして3次会へ、と中原道夫さんも付き合った。驚いたのはいつも何気なく飲んでいる面々がみな80歳を過ぎていたということだ。写真家でもあるのでけっこう会う機会があるのだが、改めて歳を聞いたことはなかった。小西北斗さんは85歳だというし、上の写真で同人のくららさんと写っている丸山巌子さんは80歳。みな若い。この日、久しぶりに出席した巌子さんは、スペインからもどったばかりで7月にはまたアフリカへ取材に行くという。世界の祭り、日本の祭りをモチーフにしている写真家だ。昨年六本木の冨士フイルムフォトサロンで「カーニバル in 欧羅巴」を開いている。20余年にわたり7つの海を渡って撮影した作品だ。丸山さんの作品は埼玉県秩父の小鹿野宿のメインストリートの店頭に全倍の「小鹿野歌舞伎」の作品80点が半永久的展示してある。この功績により、「町つくり文化大賞」、「文化ともしび賞」を受賞されている。
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瀬下太刀男写真集『瀧 巡礼』と鈴木孝雄写真集『我が心の山嶺』の色校とテスト製版が出来上がった。A4変形の大判サイズなので迫力がある。7月1日から東京印書館へ出張校正だ。いよいよ本番となる。『瀧 巡礼』の方には、日本の瀧の写真の第一人者である北中康文さんに文章を寄せてもらった。『我が心の山嶺』の方は「アサヒカメラ」元副編集長の掘瑞穂さんに、著者へのロングインタビューをしてもらっている。『瀧 巡礼』の刊行予定は8月上旬。8月19日~25日まで銀座のコダックフォトギャラリーで同名の写真展の開催が決まっている。『我が心の山嶺』は9月上旬発行の予定だ。2人とも喜寿を迎える写真家、鈴木さんは3日前に南米のペルー・アンデスから戻ったばかり。本当に元気をもらえる写真集だ。どうぞご期待ください~☆~

 

世界を旅する4人の女性写真家の目の前の視界、本来全く異なる作品がいつしかひとつの調べを奏で出し、このグループ展が生まれました。・・・・・・・・(DMチラシより)

 

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 photo:kayo yoshida

写真研究会「風」のメンバーで写真歴が一番浅く、そして若い方の吉田加代さんが、念願の写真展を今月29日(水)から7月18日(月)まで、東京お台場にある「GALLERY21 DAIBA」(ホテルグランパシフィク3F/03-5500-6711)で開催する。この展覧会はそれぞれの土地で異なる創作活動をしている4人の女性写真家が、それぞれのテーマで作品を展示する特別企画展だ。吉田さんは、インド、ミャンマー、ブータンなどアジアの国々を旅するなかから自らの原点ともいうべき精神的ルーツを探し求めた作品群である。

彼女が生まれ育ったのは、古都・金沢でも古刹のひとつとして知られる浄土宗の寺だ。寺町界隈のなかでもひときわ大きい山門がある寺である。僕も彼女の両親と付き合いがあったので何度か訪ねたことがある。数年前に僕が金沢の浅野川の辺で個展をしたときに、山岳写真愛好家の母親に連れられてきたのが初めての出会いだった。その後、写真家を志、上京してアルバイトをしながら写真専門学校に1年間通った。学校に通いながらも写真研究会「風」にも入ってがんばってきたのである。会にはプロ写真家をはじめ、すでに個展や作品集を刊行した人ばかりなので、彼女がはたしてどこまでついてこれるかと心配したが、持ち前の楽天性と北陸人の粘り強さでしぶとく、先輩たちに何を言われようとも付いて来たのだ。最近は事務局の仕事も手伝う中心的なメンバーとなりつつある。

それにしても写真をはじめてまだ2年足らずで、作品の出来は兎も角、よくやったと思う!! 主宰の僕としてまずは拍手を送りたい。おめでとう☆~ しかし、これは単なる第一歩に過ぎない。これからが本当の勝負だ。さらに精進を重ね、がんばって写真家として生きていくことを期待している・・・・・・・☆☆~

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梅雨のじめじめした日が続いていたかと思っていたら一転、ここ数日は真夏日の極暑。九州地方は記録的な豪雨だったり、東北で真鯛が豊漁だったり・・・・・・・。地球全体の異常気象現象がおきつつあるのか・・・・・・。
さて22日、23日の猛暑のなか、田中四郎写真集『心のふるさと 雲南』(光陽出版・7月1日刊行)の本刷り印刷立会のため、江戸川橋の印刷工場に缶詰だった。心配していた色具合は、本番できちんと修正されていてスムーズに進んだ。上の写真は田中さんを囲んで出版社の担当者と印刷工場のスタッフとデザイン担当の塩崎君。上がりの良さに満足して、みんなで記念写真を撮った・・・・・・。
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印刷がバッチリと決まればやはり、冷たいオリオンの生ビールが飲みたくなる。残念ながら田中さんはまったく飲まないので、1日目は表紙デザインを担当してくれた塩崎君と、2日目は出版社の担当者と印刷工場の役員とで祝杯をあげた。1日目は疲れ果てて2軒でダウン。2日目は気を引き締めなおして4軒ハシゴした。といっても酒屋さんの立ち飲みなどだから一杯300円と安いのだ~。 今日はどんなに暑くても一滴も飲みません。
上の写真は、「みやらび」での琉球舞踊(水曜日と金曜日の20時過ぎから鑑賞することができる)。写真の踊り手は美崎陽子さん、魅力的な舞いである。次の写真は琉球音楽のリズムに合わせて沖縄の楽器「サンバ」を鳴らす僕。隣にいた若いカップルに「サンバ」を教えて仲良くなってパチリ・・・・・・・。
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今日昼に「写真集団・上福岡」の田中会長と事務局担当の山本さんが先日終了した写真展に出品した作品を返却にきてくれた。それでもっていつものように、僕が貧しくろくなものを食べてないだろうと手作りの料理を持参してくれて、一緒に昼飯。僕は朝から何も食べてなかったので古代米のご飯が美味しかったので軽く2杯もいただいてしまったさ~。鹿児島産カボチャの煮物、ヒジキの煮付け、玉葱と鶏肉の酢もの、生野菜サラダ・・・・・・。どれも美味かったさ~。「風」事務局長の鈴木紀夫さん手作りの味噌も評判がよかったさ~。

その他、高知の夜須のフルーツトマトをFさんがまた送って来てくれたのでそれも少し味見をしてもらった。また、埼玉のSさんが送ってきてくれた霞ヶ浦の「イナゴの佃煮」、長崎のY君が今日、上海から送ってきてくれた 血糖値を下げるという「苦丁茶」、埼玉のYさんが送ってきてくれた自家製の玄米、東京のYさんが送ってくれた銘菓「両口是清の千なり」、東京のYさんが送ってくれたおかずセット・・・・・・・・。”御中元の季節”t到来か!?。 みなさん、心からありがとうございます。  合掌

 

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(写真は昨夏撮影の夕暮れの岩手山。山麓に広がる春子谷地湿原から)

18日(土)から昨日まで3日間こもって「マリナーズ・アイ展」の審査総評と作品評を約6000字を書き上げ、続いて上毛新聞の連載記事1100字を書き上げた。その間、ただちに校正も同時進行だからけっこうハードだった。
夕方まで一段落ついたので、チベットのカイラス山と新疆ウイグル地方から約1ヶ月ぶりに戻った写真家の烏里烏沙君と池袋であった。この3月まで都の保育園に勤めていた沖縄出身の友人Yさんも一緒だった。烏里君は、一年の内、約半年間は、チベット地方、四川・雲南地方に取材に出かけている。超忙しい写真家。この24日からまた、ブルーポピーを撮影に出かけるという。その合間を縫って会うことにしたのだった。

来月一緒に「中国・三国志巡歴」の最後となる取材に同行してもらう為の打ち合わせだ。彼は雲南にも7月中に行く予定だというので、日程調整が大変なのである。Yさんは彼の娘さんをこの前預かったという。そのお礼もしたいということで誘ったのだ。この秋一緒に四川省の奥地のチベット国境周辺を旅することにもなっている・・・・・・・。
先ずは軽く、いつもの沖縄酒場「おもろ」へ。月曜日なのにずいぶんとお客さんは多い。よかった・・・・・・。ここ3回ほどいつも一杯だ。僕は空いているおもろが好きなのだが・・・・・・・。続いて烏里君が日本料理が食べたいというのでこれまた古くからあり、160円で焼酎が今だ飲める店へ行った。ここもいつも満員。ぶり、北海生だこ、鮪、つぶ貝の刺身、きす、あなご、めごち、ほたての天ぷら、合鴨のロースなどを頼んだがどれも安い割には美味いときているからうれしい。烏里君は満足そうに食べていた。そして「みやらび」へ・・・・・・・。
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みやらびのカウンター。画家の美崎大洋さんの小作品や世界のお面などが掲げられてる。「第17回美崎大洋個展ーみなと横浜と花ばな展」が「海の日」の7月18日~24日まで、ジャンセン美術館・銀座アートスペース(03-3573-1271)で開催される。海を愛する美崎さんの個性的な作品。ぜひご覧下さい(無料)。
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店の壁面には石川文洋さんの作品と僕の作品も展示してある(右手前の写真)。
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左が女将で、琉球舞踊家の川田功子さん。正面は琉球舞踊家の美崎陽子さんで~す(大洋さんの夫人)。正面の壁は前にも紹介したが昭和文壇の作家をはじめ、画家、俳優、科学者などなど著名な人たちのサインです。実は店を閉めた後、4軒目に挑戦。4人でチューハイを6杯のんで仕上げに蕎麦を食べて終電前に解散。それぞれ家路に急いだ訳さ~☆~

今日はあの大災害をもたらした東日本大震災が発生してから100日となる。今日も余震が続いた。いまだ避難所で暮らしている人たちは9万人を超えているし、行方不明者も9000人を超えているのが現状だ。福島原発事故にいたっては、その解決どころが実態させわからない・・・・・・・。声にもならない胸のうちの叫びが渦巻いているような気がする・・・・・・・・。 合掌

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6月16日、午後2時から新潮社へ行って色校の再校を見た。印刷所の製版担当者にも来てもらって僕のイメージを直接に伝えた。これが最終的な打ち合わせとなる。後は本刷りの立会いだ。「週刊新潮」のグラビアページの原稿を渡して構成の確認を済ませた。
夕方6時前に銀座のライカ銀座サロンの5周年記念レセプションの招待状が来ていたので顔を出してみた。知っている写真家は少なかったが、野町嘉和さん、中谷吉隆さん、松本徳彦さん、吉野信さんらと話をして早々と引き上げた。久しぶりの銀座の夜。この日が友人の命日で1周忌と言うのでよく行っていた店を2軒ほど廻って家路に向かった。
上の写真は、僕の愛用のライカM4。まだベルリンの壁があったころのドイツの通称"カメラ通り"で求めたもの。もう26年も前のことである。後はライカ銀座店で、おみやげにもらったライカを形どったチョコレートとヘミングウェイとキャパの17年間をキャパが撮影したヘミングウェイの写真を軸に2人の出会いと交流を集大成した『PAPA&CAPA』(山口淳著)の一冊だ。
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野町嘉和・榎並悦子御夫妻。僕がカメラを向けると野町さんもコンパクトカメラで写真を撮った・・・・・。
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カメラを構える社団法人日本広告写真家協会(APA)の善本喜一郎常務理事と同理事の永嶋勝美さん。永嶋さんはオリジナルプリントの展示・販売に力を入れている写真家だ。
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翌17日も田中四郎写真集『心のふるさと 雲南』の最終的な色校正と表紙カバーの色校正に印刷所へ出かけた。右端上が柄見本と表紙カバー。左端が「週間新潮」のグラビアの色校ゲラ。この日もこの後、新潮社へ行って写真の一部差し替えと文章校正に行ったのだ。真ん中の5ページがとんばの本『身沢賢治 雨ニモ負ケズという祈り』の一部。すべての作業が終わった後、独り神楽坂で祝杯をあげた。家の最寄り駅に着いたらまだ日が明るいのでもう一杯と思っていたら地元の友人たちにつかまり後は、いつものコースで3軒のハシゴ・・・・・・。でも今日から3日間、禁酒し篭もって原稿書きがあるので4軒目は断わって午前様になるまえに家に帰還したのである・・・・・・・・。

 

12日、14日、15日つまり今日と3日間飲まない日が続いたので、少し体は元気になってきた。確かに飲まない日の翌日は爽やかなのだ。いままで毎日、それもだらだら何時間もよく飲んできたものだと我ながらにあきれ果てている。やり残している仕事を考えれば飲んでいる時間がもったいないと思うようになったのだから僕としては飛躍的な進歩でしょう☆~
この2日間7月刊予定の『宮澤賢治 雨ニモ負ケズという祈り』のキャプション等の最終校正に集中していた。明日、色校の再校が出るということなので新潮社へ行って再チェックをするがいよいよ最終段階になってきた。30数年取材してきたものが形となって世に出るのだから、いま僕にできる限りのことはしたいと思っている。著作物を作るということはそいうものだ。僕が死んでもこの本は世に残るのだから・・・・・。

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13日、田中四郎写真集『心のふるさと 雲南』の本紙色校正のため、午後から印刷所に行った。この間何度となく打ち合わせをしてきたのにもかかわらず、仕上りがいまいち納得がいかない。AD責任者に来てもらって僕のイメージをもう一度よく伝えた。うえで全てのページについて指示を出す。著者の田中さんと表紙カバーなどのデザインを担当してくれた塩崎君も来て、一緒に見た。表紙まわりの方は比較的よかった。全部が済んだのは、4時間後の6時過ぎ。飲めない田中さんと別れた後、塩崎君と池袋へ出た。まだ宵の口、夏の夜は遅くまで明るい・・・・・・。
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まず向かったのは、30年ほど通っている沖縄料理の店「おもろ」である。昭和23年創業だからすでに63年の歴史がある。いま厨房に立つのは2代目主人。この界隈の沖縄の店では僕が知る限りでは一番古い。「みやらび」でさえ昭和28年だから、「おもろ」の方が5年先輩である。僕はこの店の匂いが好きだ。雰囲気が好きなのだ。そして飲んでていてなんとも意心地が良い・・・。こうした店が一番酒が旨いのである。いまや沖縄に行ってもなかなかこれだけの雰囲気を持った店には遭遇できない。もちろん料理もここでしか食べれない「おもろ煮」をはじめ写真のように、その日のおすすめ料理が大皿に盛られている。

最近こういう店を若い人たちはあまり好まなくなったらしく、お客が少なくなった。昔からの常連はみな歳を取って第一線から身を引いているのでどうしても来客する回数は減る。だいたい家から出れなくなっているのだ。以前はこの池袋界隈にもたくさんの歴史をもったいい店があったが、ここ10数年の間でそのほとんどが消えていってしまったのだ。残念というしかない。味もそっけもない日本中何処でも同じ味で、同じような店員がいるチェーン店ばかりである。「ふざけんな!!あんな店で人類の文化遺産ともいうべき酒が飲めくさるか!!」と言いたくなるのだ。「あれ~」酒控えているのじゃなかったけ・・・・・とお思いでしょう。
そうです。僕が言いたいことは、この「おもろ」のような多くの文化人たちが愛し、民衆が安心して飲める由緒ある店は酒飲み連中が守るべきではないか!と言うことなのだ。無論僕もだ。暇があったら「おもろ」で会おうぜよ~☆☆~

 

 

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10日、第22回マリナーズ・アイ展(財団法人全日本海員福祉センター主催、国土交通省後援)の審査が六本木の同会館ビルで、厳正におこなわれた。審査員は僕の他に、(社)日本写真家協会名誉会員の丹野章さんだ。丹野さんはこのコンテストが始まった時から審査員を務めているのでもう22年となる。僕が18年目だ。今年は未曾有の大震災の影響が心配されたが極端な減少はなかった。しかし宮城が30分の1に減るなどやはり10パーセント程度の減少はあった。でも全県、海外もふくめて2974点の作品が応募されたことは良かったと思う。入賞作品も大震災の中で捉えた作品など見ごたえがある。
展覧会は7月5日(火)~11日(月)まで横浜赤レンガ倉庫1号館となった。巡回展は、神戸第2地方合同庁舎1Fロビー、8月2日~8月18日まで。北九州市立美術館・本館、8月21日~9月30日までとなっている。お近くの方は無料ですのでぜひ、ご覧下さい。(お問い合わせは、03-3475-5391まで)
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約6時間の審査の後の恒例の反省会は、いつも「陳健一の四川飯店」と決まっている。普段食べれないフカひれや鮑の料理などはまあまあだったが、上の写真の四川料理の定番、唐辛子で鶏肉を炒めたもの。名前は忘れてしまったが、僕はこれが大好きで中国の四川省へ行ったときにもよく食べるのだ。辛いが止まらない病み付きになってしまう味なのである。みなさんに奨めると塩っぱいという。食べてみると塩を使い過ぎというより間違えたとしか思えなかった。直ぐに店員を呼んで、「調理人に味見をさせてくれ、塩を入れすぎていると思う」と言った。しばらくすると料理長兼店長という人が来て、「すみません。直ぐに作りなおして、お持ちします」と誤りにきたのだ。僕は偉いなあ~と思った。そして改めて持ってきた料理はとても美味であった・・・・・・。みんなにも笑顔が戻ったのでお店で丹野先生を囲み記念写真をパチリ☆~
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6月11日の朝、弟の勝三を「グランドプリンスホテル新高輪」の部屋で少し真面目に撮った。カメラ越しに、しみじみと見つめると母親の眼差し似ていることに気がついた。
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四川飯店で人騒動あった後、8時過ぎに突然、一番下の弟・小松勝三から電話が入った。いま品川にいるという。毎年、グランドプリンスホテル新高輪でおこなわれる損保ジャパンの全国表彰式とパーティに来たのだという。そういえば弟は、ほぼここ10年間毎年のように来ていたのだった。「みんなは赤坂などのクラブに飲みに行ったが、興味がないので兄貴飲まないか・・・」という誘いだった。丹野さんたちと別れた後、六本木から近い恵比寿で待ち合わせた。せっかく群馬から来ているのだからと珍しいネパール料理の店に行った。ここは日本で唯一本格的なネパール料理とネパールの酒を出す。「チャン」という濁り酒も「ロキシー」という度が強い蒸留酒もあるのだ。僕も久しぶりの味で懐かしかった。弟は「モモ」などのネパール料理を美味い美味いと言ってよく食べていた。

その後、長年通っている「日本一の焼き鳥屋」の看板を出していて、ネパール人の友人たちが勤めていた店で深夜2時頃まで話しながら飲んだ。結局、家に帰れなくなって恵比寿からタクシーで高輪へ。そして弟の部屋で4時まで飲み、話した・・・・・・。疲れポンチのスケ~。でもこれ程、勝三と話したのは何年ぶりだろうか、10歳下の弟だがもう歳の差はないなとつくづくと感じたのだ。朝、シャワーを浴びてからまず、キャノンギャラリーSで2つの写真展を見て(タクシーで来るほどではなかった)、銀座へ行った。銀座でもギャラリー巡り。最後にライカ銀座サロンで「ロバートキャパ写真展」。ヘミングウェイの日常を追った写真でこころが和まされた。
そしてギャラリー新居の「第6回日本写真家ユニオンオリジナルプリント展」へ(上の写真、ギャラリーのスタッフと佐藤さんと弟)。第1回展から3回展まで僕も出品してきたがここのとこは出していない。今回は芥川仁さん、佐藤理さん、佐藤浩視さん、三本和彦さん、山本偉紀夫さんら6人が作品を出している。佐藤浩視君は仙台で自らが被災しているのだが、3月11日以降、本来のコマーシャル関係の仕事を止めて被災地を記録し続けているのだ。支援金にすると言うので1点購入した。オリジナルプリント展の中心メンバーでもある佐藤理さんがいたのでしばらく話した。弟は彼が撮った群馬の上野村の写真に興味をもったらしくずいぶんと盛り上がっていた。

その作品展が今月同時開催で2会場で開かれる。8X10インチの大型カメラ撮影のオリジナルプリントだ。
☆佐藤理 「山人」 写真展  6月17日~29日まで。 ZEN FOTO GALLERY  港区六本木6-6-9  ピラミデビル208  TEL050-5539-6334
☆「山人」 佐藤理写真展 6月22日~7月10日まで。 ギャラリーE&M西麻布 港区西麻布4-17-10 TEL03-3407-5075
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午後3時からは川越市で開催している第29回「写真集団・上福岡」写真展の合評会が行われることになっていた。僕が講師なので遅れるわけには行かないので、弟と有楽町で別れてから家に戻らずそのまま行くことにした。時間にはぎりぎり間にあったがすでに会場は満員の人だった。寝不足の冴えない頭で一生懸命しゃべったが喉はカラカラでろれつもあまり廻っていなかったと思う。1時間半ほどで終えたがおおむね好評のようであった。一安心・・・・・・。 メンバーたちは、年々作品の質は上がっており、今回も恥ずかしくない出来で顧問としてはホッとしている。
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午後6時から会員の有志と都内から来てくれた写真家の塩崎君、菱山君と山本事務局長の旦那さんが参加してくれて、会場の近くで「反省ごくろうさん会」をした。写真展は12日が最終日だからもう1日あるが、まあ軽く一杯やりましょうということだ。一仕事やりとげた感じでみなご機嫌でビールも旨かった・・・・・。でも僕は限界に近く疲れ果てていたので2次会へも顔は出したが、珍しく先に失礼させてもらった。翌朝まで10時間ほど爆睡したのは言うまでもない・・・・・・・。
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昨日でちょうどあの大災害を巻き起こした東日本大震災がおきてから3ヶ月となる。いまだ行方不明の方々が約9000人、避難所で暮らしている方々も90000人を超えているのが現状だ・・・・・・・・。  こころから一日も早い復興への道と行方不明者の発見を祈るばかりである・・・・・・・。  合掌

さて、僕は先週の水曜日から出ずっぱりの日々が続き、心身ともにくたくたに疲れ果ててブログも書けない日が続いていた。今日アップするのは9日のことである。宮澤賢治の無二の親友・保阪嘉内の息子さんの保阪庸夫さんとその娘・美佳さん夫婦と嘉内の8人兄弟の一番末の妹・静枝さんの息子さんの4人が突然、山梨県の韮崎から上京して来たのだ。前日に美佳さんから電話があり、「明日の新宿10時38分着のスーパーあづさでいきます」という事であった。この間、僕が歩き探している嘉内が昭和7年から亡くなる3ヶ月前の昭和11年11月まで暮らしていた「雑司が谷1丁目365番地」の家を確認に来るのだという。いろいろとお世話になっていることもあり、万障繰り合わせて約束の11時に護国寺に出かけたのである。以下は、その日の「写真日記」だ・・・・・・・・。

 

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まず最初に向かったのは護国寺。善三・庸夫兄弟がよく遊び場にしていたという境内にある富士塚。一合目から山頂までの道程はこども心に冒険心をかき立てられたという。
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護国寺の山門をくぐり、本堂への階段の前で。84歳でお元気な庸夫さんと記念写真。
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庸夫さんの記憶によれば、家の隣にあったという日本女史大学の寮の門前。当時と変わらないで現在もある。左端が静枝さんの息子さんのFさん。保阪静枝は嘉内と21歳違いの妹。当時、嘉内の家に住んで伊勢丹に務めていたという。94歳まで生き、一昨年に亡くなったという。僕が「ご存命の時にお母さんとお会いして嘉内のことを聞きたかったです」というとFさんはとても残念がった。
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庸夫さんの「家の東側に寮があった・・・・・」という記憶に基づいて東側一帯を探すが、その一帯は雑司が谷1丁目350番地代。先日お世話になったご夫人を訪ねると今回もまた案内をかってでてくれた。そうしてその後2時間ほど熱い中一緒にさがしてくれたのである。その他にも70代、80代の地元に永年暮らすおばあちゃんたち、町内会長さん、蕎麦屋の2代目、床屋の2代目の青年、郵便局の2人の職員、そして地元の「生き字引」といわれていた八百屋の86歳のおじいさんなど多くの人たちにお世話になった。最後はこの辺り一帯の土地を持つ地主さんを訪ねた。上の森の中にその家はあった。訪問の目的を話すと快く、明治時代からの公図を見せてくれて旧番地を示しながら教えてくれた。探し始めて4時間、ようやく目的地の「雑司が谷1丁目365番地」が判明したのである。
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嘉内の家の左側にあったという作家・三角寛の旧邸。現在は料亭になっていた。
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この地で60年ほど前から八百屋をしているという86歳のおじいさん。嘉内の家の裏の丘の上にあったと言う金山稲荷の場所や菊池寛の家で金平糖をもらって紙芝居を見た話など庸夫さんと盛り上がった。おじいさんの家は雑司が谷1丁目362番地だ。その後、367番地、369番地、368番地、372番地、そして366番地まで見つかったが、どうしても365番地が見つからなかったのである・・・・・。
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昔は地元人びとが大勢信仰してお祭りも賑やかだったという「金山稲荷」の跡。何と5~6年前に売り飛ばされてしまって今は何処に移ったかもわからないという。徳川将軍とも所縁のあったという稲荷神社だったという。現在は歴史を感じさせる巨木が数本残っているだけであった。
しかも、この「金山稲荷」があった場所の地番が目的地の「雑司が谷1丁目365番地」だったのには驚いた。庸夫さんも「僕らが暮らした家が、金山のお稲荷さんと同じ住所だったとは・・・・・・・」としきりに首をかしげていた。
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今だ旧地番の表札が付いてた家の玄関。うれしさのあまりパチリ。この近くであることは地元の人たちの証言や庸夫さんの記憶と合う。煎餅屋さんがあって・・・・、お米屋さんがあって・・・・・。「理化学研究所」という醤油や化粧品など何でも研究していた家があったという記憶と・・・・・・。そして下の更地で現在駐車場になっている場所に当時、貸家が3軒あったことも判明したのだ。地主さん証言もあることだし、総合的に見てどうやらこの土地に保阪嘉内は住んでいたらしいということが判ったのである。梅雨の晴れまで蒸し暑い日であったが、そのときに一陣の爽やかな風が吹き渡った。
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雑司が谷1丁目の路地にある創業54年目の鉄板焼き煎餅の「小倉屋」の前で、従業員たち。
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雑司が谷から鬼子母神堂へ行く弦巻き通りであった研ぎ屋さん。寅さんのような青年だった。
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鬼子母神堂の境内で1781年から店を出している駄菓子屋の「上川口屋」。江戸時代、田沼意次が老中で、天明の大飢饉の前年、いまから230年前のことである。美佳さんは、懐かしそうに大量に駄菓子を買い込んでいた。
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雑司が谷鬼子母神堂の参道前でご夫婦で記念写真。このお堂は安土桃山時代の天正6(1578)年に「稲荷の森」と呼ばれていた現在の地に、村人がお堂を建てたのが始まりで今日にいたっているという。
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知らないカップルもパチリ・・・・・。
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ついでに美佳さんが僕と一緒に一枚というので。ご主人がシャツターを切った。美佳さんは「ラブチューニュ~!」と言ってハートマークを作ったので僕は半分のハートマークを作った・・・・・。美佳さんは愉快な人なんです~ね☆~~
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5時前に新潮社のO編集者が鬼子母神に駆けつけて来た。庸夫さん一家にごあいさつ方々、昨日編集部へ行って構成してきた「週間新潮」のグラビアの組直しをせよと来たのである。重いビュアーとポジフイルムを担いでてきたのだ。2人でみなさんを駅のホームで見送った後、池袋のみやらびへ行って1時間ほど作業をさせてもらった。ページごとにレイアウトをし直して6時半過ぎにようやく終わった。彼女はオリオン生ビ-ルを2杯クビッと干して社に戻って入稿してきま~す。と戻ってしまった。この日は疲れ過ぎて飲まないと決めていたのに・・・・・・。仕方なく少しだけお付き合いをしたのだ。少しだけ・・・・・。仕事をさせてもらったし、飲まないでは帰れないもの。写真は店で会った日暮里のお寺のご住職さんとその俳句仲間の方。着物姿は、功子ママと琉球舞踊の名手・幸代さんでした。この日は結局6時間、万歩計を持っていたFさんよると1万数千歩は歩いたという。雑司が谷は昔は谷間だったのか、坂道が多かった。 とにかく疲れた~~。

 

 

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今週の月曜日から毎日、新潮社のある新宿区神楽坂界隈と東京印書館のある文京区音羽界隈に通っている。今日も午前中から出かけるので4日間連続だ。重松清さんと澤口たまみさんと僕との共著『宮澤賢治 雨ニモケズという祈り』新潮社のとんぼの本の新シリーズがいよいよ刊行に向けて作業が大詰めを迎えているのだ。それで印刷の製版の打ち合わせや校正をするために新潮社へ通っているのである。後は最終的な色校正とキャプション等のチェック、本刷りの立会いだ。7月20日頃には、全国の書店で販売になる予定である。取材を始めて35~6年になり、今までにも賢治の本は何冊かは刊行しているが、やはり感無量という感じはするのである・・・・・・。 ご期待ください~☆~☆

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東京印書館で、製版の打ち合わせをするAD責任者の高柳昇さん(左)と営業担当の佐々木政美さん(右)と『我が心の山嶺』の著者、鈴木孝雄さん。鈴木さんがまもなく最終的な取材として、南米のペルーアンデスへ行く前に、テスト製版の打ち合わせをしたのだ。いま、東京印書館とはもう一冊、写真集『瀧巡礼』の作業を進めているので印書館へもどうしても通うことが多くなるのだ。ちなみに今月末に発売される編集構成を担当した『心のふるさと 雲南』の出版社、光陽出版社も江戸川橋だから同じ界隈である。こちらも最後の仕上げの段階に入っている。 そんなことで8月の盆前までは、何だかんだと忙しい日々が続きそうである・・・・・・・。

 

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この日のご苦労さん会は、音羽界隈で済ませて早く帰ろうとしたら鈴木さんが1時間ほど飲んで後、「久しぶりに順子さんの店に行きましょうよ・・・・」と言う。「順子」とは、前にも紹介したことがあるが、30年ほど前、僕がまだ若く、池袋に仕事場を持っていた頃からよく食事などに行っていた店だ。あれから3箇所店も移ったが、いまでも年に何回かは顔を出している。鈴木さんは以前1度お連れしたことがあったが彼はすっかり気に入り、その後通っているらしかった。僕は今年初めてだったので少し気恥ずかしい気がしたが、順子はいつもと変わらずに”みちのくの女”の優しさで出迎えてくれたのだった・・・・・・・・・。

 

 

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宮沢賢治の無二の親友・保阪嘉内が1932(昭和7)年3月から亡くなる3ヶ月前の1936(昭和11)年11月まで一家で暮らした雑司が谷1丁目365番地を訪ねてみた。先月、山梨県韮崎市の保阪庸夫さんを訪ねた折に数年前に行ってみたら当時のままで残っていたという話を伺っていたからである。「日本女子大の寮が東側に面していた」という庸夫さんの記憶だけをたよりに行ってみたが、案の定、地番変更が昭和40年代のはじめに行われていて旧住所ではわからなかった。古くからある八百屋さんや魚屋などに聞いてもおおよその所はわかっても特定できない。日本女子大の寮は当時のままなので、守衛さんに聞いて東側に面する所を端から端まで歩くことにした。昭和の初期からあったような建物は4~5軒はあったが、特定はできなかった。

そんな時に自転車のご夫人が通りかかったので、声をかけた。そうしたら私の家かもしれないと案内してくれたのだ。先程、僕が最初に撮影したお宅であった。しかし地番が少しずれていた。たぶん裏のお宅だと思うのでとまた案内をしてくれたのである。それが上の写真。昭和初期から6軒、一戸建ての貸家があつて主に女子大の教授たちが住んでいたという。いまはこの一軒しか残っていない。残念ながら家の方は留守だったので旧住所の確認はできなかったが、ほぼ間違いないと思った。その後、近くの54年前からこの地でせんべい工場をしている女将さんに聞いたりもしてさらに確信を深めたのである・・・・・。

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嘉内が暮らしていた家の近くにある創業54年の鉄板焼きせんべい 小倉屋さん。16種類の味のせんべいは風味があって美味い。炭火焼のおかきやあられも種類が多い。こんな路地の奥まった所で50年以上続けているということに驚いた。こうしたことがまた東京の街の魅力でもあるという再認識をした。下の写真は旧菊池寛邸だった所。記念館があったが最近、ご覧の通りマンションが建ってしまった。今は入り口に小さな建て看板あるだけである・・・・・・。
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雑司が谷の小さな蕎麦屋で軽く腹ごしらえをして国立演芸場に向かった。立川志遊独演会を聴きに行くためである。7月10日に「三福きずな寄席」を主催する世話人会のメンバー2人も来てくれた。居酒屋三福の3代目の正修くんと”志遊応援団長”のOさんだ。この日の番組の師匠の噺は、高校時代に談志師匠のこの噺を聴いて感動して噺家の道にはいったといういわくの「小金餅」と志遊師匠の18番のひとつ「船徳」。前座には、後輩の立川吉幸、中入り後に手品の伊藤夢葉が舞台にたって、客席から受けていた。会終了後は、3人で池袋にでて、琉球料理店ツアーをして盛り上がったのは言うまでもない。

 

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今日は昨日に続き梅雨の晴れ間で、爽やかである。寝起きに直ぐ洗濯をした。昨日午前中、「写真集団・上福岡」の田中会長と山本事務局長が来た。6月8日~12日まで、川越駅前のデパートアトレの6Fで開催される「第29回 写真集団・上福岡 写真展」へ顧問として特別出品する僕の作品を取りに来たのだ。いつもひもじい食事をしていることを知っていて山本さんが旬のたけのこご飯を作ってきてくれた。自家菜園の取れたて野菜やふきの煮付け、きゅうりの浅付けなども。僕の冷蔵庫にあったもやし、ゆば豆腐、サハリンで買った樺太マスの燻製なども出し、即席で味噌汁を作って3人で楽しい昼食をとった。僕は朝食をしてなかったので、とても美味しくいただいた。その後、近所へ車で買い物に連れて行ってもらった。モップ、小さい掃除機、洗濯干しなど荷物になるものを運んでもらったのである。感謝~☆☆~!!

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午後から定期的に通っている都内の内科と眼科の病院へ行った。3月20日から家での飲酒を一切やめたことが効果があったらしく血糖値もずいぶん下がり医者がびっくりして誉めてくれた。体重も5キロではあるが痩せた。やっと「山が動いた・・・・」という心境である。眼の方も進行はしていなかった。ほっ!とした。

というわけで病院の診察後、さっそく前から約束していた病院の近くの大学の寮で暮らしている友人の娘さん、Mさんと”沖縄料理店泡盛ツアー”を実施した。彼女は芸大の大学院生。僕とは30歳は歳が離れているのだが、小学生の頃から知っているせいか、お互いに違和感がないのだ。オーナーと知り合いの店に行ってみた。上の写真は僕らと隣合わせた若い母親のお客さん。小さな子ども連れで来て美味そうに生ビールを干していた。僕たちともすっかり仲良くなって記念写真をパチリ~☆!Mさんからは、将来の話や恋愛の話などを聞いた。聞きながら若いということはそれだけですばらしいなあ~、きら☆きら☆輝いて見えるのだ。一緒にいる僕も何故か、若返って青春時代に戻ったような錯覚を覚えたので~す☆~&%$#~

 

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今年もすでに6月に入った。あの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」が発生してから間もなく3ヶ月間が過ぎようとしている。日本列島はいつの間にか梅雨入りの季節となった。今日も朝から冷たい雨が降り注いでいる。被災地で避難している約10万人の人々に思いを寄せる・・・・・・・。

6月1日の昨日、新宿にある「東放学園映画専門学校」という学校の2年生に特別ゲスト講師として、90分の授業に行った。一昨年もしたので、これで2回目である。TBSの教育事業本部を前進とした学校で卒業生は4万人を越えるという。業界では有名な卒業生もたくさんいるらしいが僕は知らない。生徒は、映画、ミュージックビデオ、CM,アニメ、小説、マンがなどを専攻している。僕は僕の行き方を淡々と語った。どこまで通じたかはわからないが、終了後、熱心に質問する生徒たちもいた。上の写真は授業終了後に撮った記念写真。約3分の1は、韓国、台湾、中国などの留学生である。

このゼミはアート理論を担当している講師、金大偉君の受け持ちである。彼が年4回特別授業として、様々のジャンルの芸術家を呼んで講義をしてもらっているのだそうだ。その一人に写真家の僕が選ばれたと言うわけだ。金君とは10年程前からの知り合いで、僕とのコラボレーションで、CDの「地球巡礼」の音楽を担当してもらったり、新宿パークタワーでの個展のオープニングの時に演奏をしてもらったこともあった。音楽家であるとともに映像作家としても活躍している。中国・雲南省のナシ族の古典音楽を収集して研究したりもしていて活動の幅が広いのだ。今度また一緒に創作をしましょうと言って握手をして別れた・・・・・・。久しぶりに若いエネルギーに囲まれて話したせいか、疲れがどっとでて、昨夜は午後7時過ぎには寝てしまったのであ~る☆

 

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