旅の4日目は、昨日の荒れた天候が嘘のように晴れ渡った。風は北国、さすがに冷たいが深い青空に白い雲が飛ぶ早春の一日のようである。前回述べた様に、デジタルカメラが故障してしまったために、この日からの写真での現地レポートはできない。以下の写真は、最後の記念写真を除いてすべて、1997年の7月~8月にかけて僕が独りで北海道・稚内からロシアの定期船に乗ってサハリンに入り、10日間ほど巡った時の写真だ。海霧の濃い、冷たい雨が続いた日々であったような記憶がある・・・・・・・。
上の娘さんは、ユジノサハリンスクの大学生。路上で使わなくなった小物などを販売していた。ぺロストロイカによって学生たちに国から支給されていた予算がなくなり、食事もままならない生活を送っていると僕にこぼした。青年はシネゴルスク(旧川上炭鉱)のトンネルで。ここも良質な石炭が取れると日本が開発した炭鉱だ。現在は廃坑となり、温泉が湧いていることからサハリンの人々の保養地となっている。
この写真は、ユジノサハリンスクのレストランで。ガイドのアルック君が、編集者のOさんの携帯電話で撮影したもの。お祖父さんが日本人で、お父さんはロシア人で、お母さんが朝鮮人という可愛い店のウエイトレスをしていた娘さんを囲んで。僕も重松さんも少しニヤケている・・・・・・・・。この他、写真には無いが真っ白に雪をかぶったチェーホフ山や、鈴谷平原、鈴谷川、旭ヶ丘、旧拓殖銀行豊原支店、豊原市役所、王子製紙の貯水池などなど樺太時代の残像を求めて巡ったのである。14年ぶりのサハリンの旅の一番の印象は、やはり麦酒は美味かった・・・・・・・。ちなみに僕がこの旅で覚えたロシア語は、スパシーバ、ハラショー、ダー、ニェツト、トゥアレェット、クラシィーウャ(美しい、美人)だけである。