今日は朝から本格的な雨模様。五月雨というには少し寒い。もう少しで入梅の季節・・・・・・。こころも湿っぽくなる季節がやってくる。そして「東日本大震災」が発生してから2ヶ月間が過ぎる・・・・・・。
昨日、甲斐の国の八ヶ岳麓にある韮崎へ行ってきた。昨年からこれで4度目。目的は宮沢賢治に大きな影響を与えた”心の友”保阪嘉内のご子息の保阪庸夫さんに会うためである。嘉内の子どもたちは、次男の庸夫さん(84歳)をはじめ長男の善三さん(85歳)、長女の牧子さんもみな長寿でお元気である。庸夫さんは、東京大学医学部卒の医学博士で、現在も現役のお医者さんである。この日も僕のインタビューのために午前中で診療を切り上げて、ご自宅で待っていてくれた。庸夫さんと最初にお会いしたのは、いまから15年程前のこと。当時、韮崎相互病院の医院長を務めておられたが、僕の突然の電話にも快く出てくれて「もしかしたら岩波新書の『三国志の風景』の著者の小松さんですか、私は家と病院とに本を置いていつも読んでいるファンですよ」と言って、いつでも来てください。ということであった。
数日後、韮崎のご自宅へ伺った。僕がお願いしていたのは、宮沢賢治から保阪嘉内に宛てた手紙などの資料を見せて欲しいと言うことだった。「わたしはまだ仕事の途中でなので、小松さんに預けておきますからどうぞご自由に・・・・」と缶の箱に入った賢治の膨大な手紙や葉書など手渡された。僕はその数に呆然としてしばらくは縁側に座ったまま賢治の自筆の手紙の文を眺めていた記憶がある。その賢治の手紙73通を2年前に、テレビ東京の番組「何でも鑑定団」へ出したら1億8000万円の鑑定結果がでたのである。15年前は僕が一人で確か5時間ほど見ては写真を撮り、また読んでは写真を撮っていたのだった・・・・・。勤務を終えた庸夫さんと韮崎の町の居酒屋へ繰り出して遅くまで飲んだ覚えもあるが、今回「あの店はどこでしたかね」と庸夫さんに訪ねたが「何処でしたかね~」と2人とも思い出せなかった・・・・・。