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[no.304] 2011年5月6日 僕の育った上州の片田舎の町に、福島原発事故被災した人たちが約420人も避難していたのには驚いた!!・・・・・。

 

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(実家の前にある真田昌幸領の岩櫃城の平時の時の城として使われていた内出城本丸跡からの故郷の風景)

今日、5月6日は二十四節気の一である立夏である。午前中から7月末刊行予定の瀬下太刀男写真集『瀧巡礼』の入稿と製版の打ち合わせのために、東京印書館印刷へ行っていた・・・・・・・。
実は5月2日~5日まで、83歳の母が一人で暮らす上州へ帰省していた。2月に帰った以来だから3ヶ月振りである。この間には東日本大震災、福島原発事故など僕ら現代人が体験したことがない事が立て続けに起きた。久しぶりの車窓からの故郷は、大陸からの黄砂で赤城山も榛名山も上越の山並みまったく見えなかった。『瀧巡礼』の編集作業と来週取材に行く、甲斐の国・韮崎の保阪嘉内関連資料等を持ち込んだので、実家に居る時間はほとんどそれらに費やした日々であった・・・・・。
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我が家の飲み水として汲んで来る山清水は、国定忠治が何度か子分らを引き連れて通い、最後には関所破りのとがで処刑された地・大戸関所跡から信州へとつながる旧街道から山に分け入っていくのだ。父たちが眠る小松家の墓と母方の本家の墓に参いってから弟夫婦と水汲みに寄ったのである・・・・・。
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実家から車で15分以内の町内には、11の温泉がある。古くからある浅間隠温泉郷や吾妻渓谷温泉郷などもあるが、ここ20年ぐらいにつぎつぎと誕生した。母と家から最も近い2箇所の温泉に行った。帰路ぶらぶらと歩きながら上州牛の農協焼肉店と母の友だちが女将をしている鮨屋によってゆっくりと2人で飲んだのである。上記の写真は、吾妻峡温泉・天狗の湯、鉄分が多く温たたまる湯だ。
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釣り好きと故郷の川の環境を守ろうと活動をしている仲間たちの清流倶楽部の飲み会に誘われた。毎年夏の会には参加していたが、春は初参加。メンバーが釣ってきた山女やマス焼き。中には樺太マスも入っていて美味であった。山菜は、こごみ、山椒、たらの芽、ふきのとう、行者大蒜などのてんぷらや胡麻和えなどの手作り料理が並んだ。今年は、こしあぶらだけはまだ季節が早かった・・・・・・。
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参加した清流倶楽部の面々。話題は環境問題から政治の話、特に原発事故の話などに熱が入っていた。僕は何も知らなかったが、原発事故直後から町内4箇所で、南相馬市の被災者を420人受け入れていて、現在でも2箇所に約290人の家族が避難しているのだそうだ。母と行った温泉施設にも200人がまだ滞在しているという。僕は話を聞きたいと思い職員に聞くと、ボランティアなどに正式に登録しないと面会も駄目だと断わられてしまった。何か閉鎖的な感じがした。もっと地元住民とのオープンな交流があってもいいのではと思った。僕が今年3月に作った写真スケッチ集「啄木への旅」を清流倶楽部のみんなに渡したら”東北支援カンパ”としてその場で、21000円が集まったことも報告しておく。感謝☆!!
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最後の5日は、二つの板に揮毫を頼まれた。以前にも倫理法人会渋川支部の役員が持つ名刺に「感謝」「愛」などを頼まれて書いたが、今回は大きな板。失敗は許されないので、正直やだった。弟の勝三は自分の会社に掛けたいと「日日是好日」。もう一人は弟の友人でやはり200人からの従業員がいるという会社の常務取締役の人。こちらは「一生勉強 一生青春」。これから二スを何度か重ね塗りをして完成させるのだと言う。もちろん僕はボランティアだがクタビレタ申したのでした・・・・・・・・。

 

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