写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.301] 2011年4月30日  東北の人たちに思いをこめた「宮沢賢治の本」夏刊行目指して編集進む。 第36回木村伊兵衛写真賞受賞式・パーティに出席する・・・・・。

今日は4月30日、弥生の季節が終わる。季語で言えば暮の春、行く春、惜春、夏隣、そして四月尽・・・・。沖縄で言えば「うりずん」の季節である。

岩手県の三陸海岸にある田野畑村も今回の巨大津波によって、甚大な被害を受けた村であるが、この村にある三陸鉄道北リアス線・島越駅の駅舎も、辺りの人家もすべて津波によって流され、破壊された。しかし唯一、駅前にあった宮沢賢治の詩碑だけがわずかに損傷したのみで、残ったと言う。「津波ニモ負ケナカッタ・・・・賢治の碑」として話題になっているようだ。碑は平成9年に村が建立したもの。碑には賢治の「発動汽船」が彫られている。賢治作品の「グスコーブドリの伝説」に出てくる島の名前にちなみ、この駅の愛称が「カレボナード島越駅」と呼ばれていたことから碑の建立に至ったそうである・・・・・。それにしても心が和むニュースではある。今、僕のなかで、東北の被災地に行くか、行くまいか葛藤がある・・・・・・。

 

_SDI4278.JPG

_SDI4283.JPG

_SDI4280.JPG

_SDI4285.JPG

4月28日は、午後から新宿区矢来町にある新潮社へ。神楽坂の坂道を行くのがいつものコースだ。この日は、宮沢賢治の亡くなった9月に毎年おこなわれる賢治祭までに、刊行するという「とんぼの本シリーズの宮沢賢治」の写真の入稿のためである。前回すでに約2000点渡してあるが、今回は、昨年夏以降取材したものからセレクトしたものである。岩手地方3回、保阪嘉内の故郷・韮崎に3回(5月上旬に再度行く)。そして東京の本郷、根岸界隈を取材したものからである。さらにこれから、賢治の「オホーツク挽歌」を辿って、ハバロフスクからサハリンも取材を予定しているのだ。そんな作業が6時頃までには終わったので、この4月から変わった新編集長にあいさつをしてから新潮社をおじゃました。

今回の本の企画の時から担当のO編集者を誘って、第36回木村伊兵衛写真賞受賞式とパーティに向かった。タクシーの車窓からの東京の街の夕暮れは美しかった。Oさんとは22年前からの付き合いで、森鴎外の雑誌の取材で小倉や津和野を旅したこともあった。今回本格的な仕事を一緒にするのは初めてで、僕はとてもうれしいのだ。彼女の夫もよく知っている写真家で、会場では、彼の父親と毎日新聞時代同期だった江成常夫さんや前編集長だったKさんがいま作っているインドの写真集の著者、野町和嘉さん、「アサヒカメラ」新編集長の早坂元興さんたちと一緒に記念写真を撮った。ここしばらくのこの賞の受賞式はまるで場ちがいの所に来たようで落ち着かない。一応、受賞した下園詠子さんをパチリとやってオジャマ虫・・・・・・・。

有楽町駅近くの房総の漁師の小さな店で、Oさんと静かに、宮沢賢治の本について語り合った・・・・・・。彼女は日本酒の温燗で、僕は芋焼酎のロックをやりながら・・・・・・・旨い酒であった。

 

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。