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[no.295] 2011年4月16日 「サハリン回想」の風写俳句を紹介☆(社)日本写真家協会、フォトボランティア基金が呼びかけた「東日本大震災被災者支援・チャリティー写真展」に参加!!

 

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今日も大きな地震があった。埼玉県北部地方は震度5弱、南部地方は震度4だったので、我が家もしばらく強い揺れが続いた。現在の家は自分で設計したものを友人の1級建築士の夫婦に見てもらいアドバイスをしてもらって建てた家だ。この場所では2度目の建築だった。窓などを大きく取ったり、2階の天井が無かったり、柱を少なくしたことなどもあって耐震性が弱いと思い、阪神淡路大震災以降に、全面的に耐震性の補強工事を」したのだが、もう築20年はたっているので、震度4ともなると結構揺れるのである。
この3日間はロシア・サハリンの写真を少し見ていただいたが、この取材も決して楽なものではなかった。取材をした1997年当時は、ソ連邦のぺロストロイカによって急激な社会改革が行われて、国営工場は全て倒産、街には失業者が溢れていた。年金暮らしのお年寄りや学生たちも国からの援助がなくなり、生活苦にあえぐ社会不安の時代だった。街の食堂はほとんど潰れるか閉店状態で、僕は取材しながらも食事にいつも事欠くありさまだった。たまたま知り合った旧日本軍に強制的に連れてこられた朝鮮人の金さんという人に、家で食事をごちそうになり、車で島を案内してもらう事ができた。また釧路から昆布や蟹や雲丹の買い付けに来ていた人の用心棒(学生時代に剣道や柔道をしていたことを売り込んだ)をさせてもらって、寝るところと朝夕の食事が確保できたのだった・・・・・・。

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この時に詠んだ句をここに記録として遺しておこうと思う。 題は「サハリン回想」とでもしておこうか・・・・・。

サハリンの黒き浜辺よ荒布船            霧の海墓標のごとく老漁師
ウォトカのグラスに伝ふ霧笛かな          計り売りの麦酒は温し花野道
秋湿りラジオ短波の演歌かな            霧月夜隣は銃を枕辺に
温かきピロシキを買ひ海霧かな           浜ばらや耳底を衝く朝鮮語
停電に燻製の鱒喰みてをり              一片の黒パン咥えし霧の犬
霧の道露西亜女の足白し               朝鮮の言葉ゆきかふ霧市場
秋岬アイヌ居住区静かなり              (小松風写・1997)

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社団法人日本写真家協会の会員として「東日本大震災被災者支援 チャリティー写真展」に2作品出品した。会期は4月29日(金)~5月5日(木)まで。東京・冨士フイルムフォトサロン。出品作品のサイズは6ツ切り額装。土門拳、木村伊兵衛、細江英公、川田喜久治の各氏をはじめ約200人の写真家が500点出品予定だ。販売価格はチャリティーということもあって、通常価格からすれば破格の値段だ。すべて10000円~50000円の設定である。詳しくは後日にまた紹介したいと思う。(当然僕の作品も安いですよ~)
もうひとつプロ写真家たちがアジアの恵まれない子どもたちの教育支援を目的に設立された「フォトボランティアジャパン基金」が呼びかけた東日本大震災の被災者の人たちに、写真を見て元気になって心を少しでも癒してもらおうとネット上で自由に見ることができる「元気になって!!写真力」(htto://www.stbears.com/pvi-jishin/)に、中心メンバーの熊谷正さんから呼びかけられたので、「ヒマラヤの子どもたち」を2点出品した。現在、南川三治郎さん、榎並悦子さん、BAKU斉藤さんら65人の写真家が参加している。小さなことでも写真家として少しでも役に立つことで協力したいと思っている。この会も今年の12月16日~18日まで東京・冨士フォトサロン(六本木ミッドタウン)で、写真作品を即売する「第15回写真家によるチャリティー展」を予定している。


 

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