今日で、我が国最大といってもいい未曾有の大震災が起きてから5日が過ぎた。今朝、近所のお百姓さんが一輪車に黄水仙の花を積んで売りにきたので、一把買った。今度の大地震の犠牲者となられた方々への手向けにと思ったのである。
今回の地震は日を追うごとにその被害の大きさがあきらかになり、名称も「東日本大震災」だったり、「東北・関東巨大地震」であったりでまちまちである。マグニチュードも8.8からM9に訂正された。気象庁の津波警報もいい加減だった。テレビのニュースでは何度も「3メートル以上の津波」という言葉を聞いた。過去に幾多の津波を経験して大きな被害を体験して、様々な対策を積んできた三陸海岸の人々が一瞬「3メートル程度だら大丈夫だ」と思ってしまったのではないか・・・・・・。それを憂慮する。
僕は先々週まで岩手県に取材でいっていただけに、テレビ画面からひきりなしに流れる悲惨な状況をみていると本当に胸が潰れる思いがする。何度も旅をしているあの三陸海岸の美しい町、やさしい人々のことを思うと涙が止まらなくなる。歴史のある陸前高田の酒蔵「酔仙」が濁流に飲み込まれていく姿を見たときには、声がでなかった。雑誌の取材で行ったときには、ずいぶんと杜氏さんたちにはお世話になったが、みなさん果たしてご無事だろうか・・・・・・。友人たちともなかなか連絡がとれなかったが、3日後ぐらいから少しづつではあるが消息がつかめはじめた。
それにしても甚大な被害だ。そこにきて福島原子力発電所で次々とおこる重大な事故・・・・・。つくづくと人間は驕りすぎていると思った。自然に生かされているということを忘れては駄目なのだ。自然に寄り添って、自然の恩恵に感謝しながら、畏敬の念を肝に銘じながら生かさせてもらっているという事実をしっかりと認識すべきなのだ。原子力に頼らず、太陽、地熱、風などもっと自然界のエネルギーに依存すべきだ。人類の知恵をもっていれば必ず克服できると確信する。
この間、家に篭って「三陸沖地震と宮沢賢治」という原稿を書き上げた。三陸沖大地震は歴史上、記録に残る大きな地震は4回ある。そのうち1896(明治29)年のM8.2~8.5で、死者・行方不明者21、959人を出した地震と1933(昭和8)年の死者・行方不明者3000人以上を出した地震がとくに被害が大きかった。この二つの地震と賢治の生涯の偶然過ぎる符合。賢治が生まれ育った土地柄と時代背景を考察してみたのだ・・・・・・・。