写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.283] 2011年3月15日 未曾有の東日本大震災の被災者の方々に、こころからのお見舞いを申し上げます。 人間は自然に対して畏敬の念を忘れてはならないとしみじみと思った・・・・・。

 

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今日で、我が国最大といってもいい未曾有の大震災が起きてから5日が過ぎた。今朝、近所のお百姓さんが一輪車に黄水仙の花を積んで売りにきたので、一把買った。今度の大地震の犠牲者となられた方々への手向けにと思ったのである。

今回の地震は日を追うごとにその被害の大きさがあきらかになり、名称も「東日本大震災」だったり、「東北・関東巨大地震」であったりでまちまちである。マグニチュードも8.8からM9に訂正された。気象庁の津波警報もいい加減だった。テレビのニュースでは何度も「3メートル以上の津波」という言葉を聞いた。過去に幾多の津波を経験して大きな被害を体験して、様々な対策を積んできた三陸海岸の人々が一瞬「3メートル程度だら大丈夫だ」と思ってしまったのではないか・・・・・・。それを憂慮する。

僕は先々週まで岩手県に取材でいっていただけに、テレビ画面からひきりなしに流れる悲惨な状況をみていると本当に胸が潰れる思いがする。何度も旅をしているあの三陸海岸の美しい町、やさしい人々のことを思うと涙が止まらなくなる。歴史のある陸前高田の酒蔵「酔仙」が濁流に飲み込まれていく姿を見たときには、声がでなかった。雑誌の取材で行ったときには、ずいぶんと杜氏さんたちにはお世話になったが、みなさん果たしてご無事だろうか・・・・・・。友人たちともなかなか連絡がとれなかったが、3日後ぐらいから少しづつではあるが消息がつかめはじめた。

それにしても甚大な被害だ。そこにきて福島原子力発電所で次々とおこる重大な事故・・・・・。つくづくと人間は驕りすぎていると思った。自然に生かされているということを忘れては駄目なのだ。自然に寄り添って、自然の恩恵に感謝しながら、畏敬の念を肝に銘じながら生かさせてもらっているという事実をしっかりと認識すべきなのだ。原子力に頼らず、太陽、地熱、風などもっと自然界のエネルギーに依存すべきだ。人類の知恵をもっていれば必ず克服できると確信する。

この間、家に篭って「三陸沖地震と宮沢賢治」という原稿を書き上げた。三陸沖大地震は歴史上、記録に残る大きな地震は4回ある。そのうち1896(明治29)年のM8.2~8.5で、死者・行方不明者21、959人を出した地震と1933(昭和8)年の死者・行方不明者3000人以上を出した地震がとくに被害が大きかった。この二つの地震と賢治の生涯の偶然過ぎる符合。賢治が生まれ育った土地柄と時代背景を考察してみたのだ・・・・・・・。

 

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13日だけ午後から出かけた。ひとつは新宿・柿傳ギャラリーで開催している(3月17日まで)「橋本誠やきもの展」だ。彼とは古い友人で久しぶりの再会であった。濱田庄司の民芸論に感化されて、日光市にオリジナルの「倒炎式穴釜」を作り陶芸に専念している。次に横浜の日本新聞博物館(045-661-2040)で5月8日まで開催している「大城弘明写真展 沖縄・終わらない戦後」を見に行く予定だったが11日の地震の影響で急遽休館になっていた。彼は「沖縄タイムス」の写真部長でかれこれ20数年前からの友人だ。沖縄に行けばよく飲む間柄である。これからまだ会場でのギャラリー・トークなどもあるのでぜひ、ご覧下さい。力のこもった写真展だからさ~。
この日、最終日となる烏里烏沙写真展「植物の宝庫・東チベット花紀行ー中国の奥地・横断山脈の生態環境と野生植物たち」に行った。12日に本来は彼のギャラリー・トークと懇親会を予定していたが、地震騒ぎのため、この日にしたのである。しかしやはり参加者は少なかった。写真作品は見ごたえがあったが、会場が光が丘の練馬区立「花とみどりの相談所」という場所なので鑑賞者が少ないのが残念だった。懇親会には写真家の宅島正二さんも駆けつけてくれて久しぶりの旧交をあたためた・・・・・・。

 

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