写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2011年3月アーカイブ

 

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3月29日、友人の陶芸家の「第15回色絵陶器 森一蔵作陶展」を見るために新宿・京王百貨店の京王ギャラリーに行った。森さんとは20数年来の友達で彼の桑名にある窯元にも何度か行ったことがある。桑名に古くから伝わる「萬古焼」の復元にここ数十年かけてきて、2005年に「萬古焼色絵無形文化財」に認定され、昨年、桑名市文化功労賞を受賞している。東京・青山で僕の写真と彼の陶器とでコラボレーション展もしたことがあった。僕の故郷・上州にも足を運んで泊り込みで花見をするなど、酒が好きなのでよく飲み明かしたものである。作陶展は今日30日で終了する。

その後、29日が最終日の石川武志写真展「ガンガー巡礼」を見に銀座・二コンサロンへと急いだ。26日に、わざわざ写真研究会「風」の飲み会に足を運んでくれたので、見に行かないわけには行かないと思って来たのである。モノクロプリント作品で1点1点に力のこもった写真展であった。奥様も見えられていて、記念写真を撮ってもらった。写真評論の妹尾三郎さんも来ていたので一緒にパチリ・・・・・・。その後、3つのギャラリーの写真展などを巡り、写真弘社へ。いま、ぶどうぱん社で企画・編集をしている写真集『心のふるさと雲南』のプリント原稿の打ち合わせに来たのだ。

 

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最後に向かったのは、池袋の東京芸術劇場。この2Fにある大きな喫茶店を僕はよく待ち合わせや打ち合わせに使っている。しかし、この日は「東日本大震災」の影響で立ち入り禁止になっていた。待ち合わせたのは、「世界花博覧会」の取材で行っていた中国の西安から戻ったばかりの

中村愿さんだ。彼の肩書きは何と言ったら良いだろう。中国史研究家、中国古書店店主、中国古美術研究家・・・・・。さまざまな肩書きを持つがやはり現在は、作家と紹介した方がいいであろう。つい最近も画家の安野光雅さんとの共著で『三国志逍遥』(山川出版社)、平凡社からは、やはり安野光雅さん、半藤一利さんとの共著で『「史記」と日本人』を出版したばかりである。

中村さんとは中国へも2人で旅したことも何度かあり、僕との共著で『三国志誕生』を新人物往来社から15年前に刊行している。昨日あったのも2人で新たな仕事をやろうという相談であった。四川料理の大衆食堂へ案内しようと行ったらやはり3月11日の巨大地震と福島原発事故の影響で当分の間は閉店するという張り紙が出ていた。スタッフが全員中国人だったので、みなしばらくの間は、本国へ避難したらしいと近くの店の人は言っていた。鮮魚を安く食べさせる魚屋の店で一杯やったあと琉球料理の店、みやらびへ行ってゆっくりと飲み直しながら、出版のこともふくめて新企画を2人で練り直したのである・・・・・・・。

 

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☆どうでも良いことではあるが、心配されている方もあるので一言書いておく。今月20日から今日までの間、一滴も酒を飲まない日がなんと7日間もあるのだ。信じられないだろうが・・・・、実は僕もちくっと信じられない。しかし、これは真実である。振り返ってみると6年前に足の親指切断一歩手前で1ヶ月間入院したとき以来である。何でそうしたかと言えば、簡単なこと。つまり家にいるときは基本的に酒は飲まないと決めたのだ。外に出ていろんな人と会っての打ち合わせなどでは普通に飲むが、自宅で仕事や読書、映画など独りで見ている時に、だらだらと飲み続けると切がなく、心身によくないと、いまさらながらに深く反省したのである。やり残している仕事はまだまだある。取材したい外国もたくさんある。体調を崩して途中で挫折するわけには行かないとつくづくと思ったのだった・・・・・。(もう遅いぜよ~と言われるかもしれないが)

 

 

いまだ余震が毎日のように続いているが、あの未曾有の「東日本大震災」がおきてから今日で17日目となる。津波による大被害をこうむった地はむろんのこと、そうでない土地でも福島原発事故による放射能物質による被害とその風評被害と広がるばかりである。そしていまだ死者・行方不明者は毎日増大し続けている・・・・・・。

大自然に立ち向かうという驕った意識を改めて、自然との共生というのもおこがましいが、自然によって人間は生かされているという意識をもっと明確に認識すべきときにきている。温暖化の問題しかりで、このまま地球を人間が傷つけつづければ取り返しのつかないことになる。人間の豊かさを追求し続ける利己によってどれだけの地球上の生命体が消滅しているか!。もうこれ以上、自然・環境破壊をしてはならないのだ。その警告を人間に対して大自然はしているのだと思う・・・・・・。

 

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昨日、3月26日都内で写真研究会「風」の例会が上州・伊香保温泉の合宿以来開かれた。毎日余震や計画停電が続いている時にどうかという判断もあったが、周りのさまざまな企画や催しものなど次々に中止や延期となっていて、仕事はキャンセルと落ち込むばかりなのであえてやることにしたのだ。写真仲間と会ってみんなに元気を出してもらおうと思ったのである。そういう意味で、25日にも「写真集団・上福岡」は例会を実施した。6月に開かれる「第29回写真集団・上福岡写真展」の準備をしたのである。
「風」の例会は、やはり参加者は僕を含めて5人と少なかった。いつも名古屋から一番先に参加していた平元君は、入会以来初めての欠席だった。個展の最後の仕上げ段階にきている加藤さんと事務局長の鈴木さン、以前取り組んでいた米軍横田基地周辺の街のモノクロ作品を持ってきた並木さん。つい数日前にブータンから帰国して、撮ってきたばかりのホヤホヤの作品を70~80点もって張り切って参加した吉田さん。時間もたっぷりあったのでそれぞれじっくりと批評をした。また会の運営や会員を拡大すること、4月17日に横浜の新聞博物館で開催されている大城弘明写真展「沖縄・終わらない戦後」を見に行くこと、10月に開催する第2回「風」展のことなどを話し合った。

5時過ぎから会場をいつもの居酒屋「味とめ」に移して有志で懇親会をした。ここには写真学校の授業を終えて駆けつけた塩崎君、中国の写真家・烏里君、銀座二コンサロンで29日まで「ガンガー巡礼」という写真展を開いている石川武志さんと元「風」メンバーだった写真家の菱山君も駆けつけてくれて大いに写真談議に盛り上がった。
2次会は塩崎君と烏里君と僕とで俳句仲間がママをしている店に行って久しぶりにカラオケなど2~3曲歌った。この十数日間のもやもやみたいなものが少し晴れたような気がした。帰宅途中の電車の中の光景を1カット撮ったのが上の写真。2011年3月26日の一光景である・・・・・・・。



 

僕の身体は、あの地震のあった日からいつも揺れている感じがする。食事をしている時にも、トイレに行っている時にも、寝ている時にもだ・・・・・・。今日は朝から冷たい雨が降っている。東北地方の被災地は、氷雨から雪に変わるのではないかと天気予報は報じている。地震から9日間たった昨日、津波の被害の大きかった岩手県釜石市で、80歳のおばあちゃんと孫の16歳の少年が瓦礫の下から救助されたという明るいニュースが飛び込んできた。動けなくなったおばあちゃんを守りながら必死に生き抜き、救助を求め続けた少年の勇気ある行動と人間の持つ生命力の強さにあらためて感動したのは僕だけではないだろう・・・・・・。

3日前に、2008年に起きた四川大地震の地からお見舞いと激励のメールが入った。記憶にまだ新しいと思うがこの大地震で亡くなった人は行方不明者と合わせると約9万人。被災者は4616万人をこえるという空前絶後の大地震だった。僕はその半年前の2007年秋、地震後の2009年冬、そして2010年5月、7月と最大の被災地だった四川省の各地を「三国志」の取材で巡った。そのどこもが、まだまだ被害の爪痕は深く残っていたものの復興に向けて元気に活動していたのが印象的だった。僕が何人かに「あれだけの被害を受けたのに・・・・・」と訪ねると誰もが「済んでしまったことをいつまでもくよくよしていても亡くなった人は喜ばない。亡くなった人たちの分までがんばって幸せにならなければ・・・・」と笑顔で言うのである。僕は強く胸を打たれたものだった・・・・・・・。

 

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励ましのメールをくれたのは、四川省の成都に暮らす何芳(かほう)さん。2007年の取材の時に5日間通訳をしてくれた女性だ。当時は独身だったがその後結婚をして、いまは2歳のお子さんを持つお母さんである。もう4年も前に会っただけなのに、彼女もネパールの青年のように、日本の友人と被災者の人たちのことをこころから心配しているのだ。ありがたいことである・・・・・・・。一緒に写っているのは、写真家の塩崎亨君。当時はまだフリーではなく会社員だったが、僕の取材のために半月ほど休んで助手として同行してくれたのである。記念に何芳さんと撮った写真を載せておこう・・・・・・・。

今月の5日に銀座の写真展のトークショーに出たのと13日に出かけたきりで、後は家に篭もっている。今日で15日間・・・・・・・。毎日流れ続ける被災のニュースに、なかなかおさまらない余震、さらに原発事故の放射線被害の風評、店で欲しい物は、買占めで手に入らない。僕は買占めもあろうが、店側のコントロールが気になる。東電の計画停電のためといって冷凍食品などはすべて棚からなくし、野菜や豆腐などは全て一人一品限りとなっている。こういう状況では消費者心理としては、何となく何でも買っておこうという行動はわからなくもない。店の側の配慮を望みたい・・・・・・・・。
こんな日々が続いていると気持ちが落ち込む、何となく暗くなるのだ・・・・・・。そこで僕は好きな落語を毎日聞くことにして、独り笑っている。今聞いているのは、古今亭志ん朝の「夢金」と「品川心中」、桂枝雀の「代書」と「親子酒」だ。独り笑いでもこころは晴れてくるものである。
みなさん、こんなときにこそ明るく元気にいきましょうね ☆☆☆!!


 

 

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今日であの悲惨な三陸沖の巨大地震が発生してから1週間となる。被災されたみなさんをはじめ、ボランティアの人たちなど現地では大勢の人たちが力を合わせてがんばっている。僕等も同じ日本人。こころを同じくして一人ひとりがそれぞれの場でできることをして連帯していこう☆!

今日、ヒマラヤの国・ネパールの写真の教え子からメールが入った。いまネパールの首都カトマンドュウでは、一日14時間の停電が続いているのだそうだ。これは何か事故がおきたのでなくて一年を通じてそうなのである。僕が行っていた頃は、一日7時間停電というのは、よくあったがいまや14時間になったのかと驚いたが、そのネパールの写真仲間や家族がみな、日本の友人たちと日本のことを心配してやっとの思いでメールをしてくれたのである。うれしいではないか・・・・・。ネパールでも毎日のテレビや新聞の日本のニュースを釘付けのようにみているとのこと。福島原発や停電のこと、津波の被害のことなどもふくめてよく情報をしっていた。テレビや新聞にしても現地では、充分な状態ではないことはよく知っているが、そのなかでもあれだけ被害を受けた日本の状況がヒマラヤの国にも流れているのだと思うと”人類は兄弟”という実感が湧いてくる。またこの間、全国各地の人たちからメールや電話で、ご心配をいただき、こころからの感謝を申し上げる次第である・・・・・・。合掌

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今日9日間ぶりに買い物に行ってみた。地震のおきた2日前の3月9日に、何故か米や電池、ティシュなど普段めったに買わないものを買ったのだが、さすがに食料は少なくなったのでスーパーを3店舗回った。どの店の棚もなにもない。僕がよく買う納豆、豆腐、もやし、缶詰、インスタントラーメンなどは皆無なのである。トイレットペーパー、ティシュ、米、パンなどもいつもは山積みされているのに跡形もないのである・・・・・。テレビのニュースで買いだめにみんなが走っているとは聞いたが信じられなかった。ここは「世界一の豊かな東京」だぜよ。しかし、現実の光景は・・・・・・みな買い物客の眼が血走って殺気だっているのだ。レジをすましたおばさんたちが口々に「この世の終わりかとおもったわ・・・・」、「人生お金など持っていても仕方ない、こんな時にこそ使わなければね・・・・」などと雑談していた。それぞれ両手に抱えきれないような買い物袋をぶらさげたまま・・・・・。僕は売れ残り物の「三陸産いかの塩辛」や「気仙沼産のめかぶ」など買ってきた。

それにしてもさまざまな催しものや仕事の打ち合わせなどが次々とキャンセルや延期となっている。僕の関連したものだけでも昨日開催予定だった毎日新聞社主催の第30回「土門拳賞」受賞式をはじめ、これまでに10件が中止ならび延期となっている。御陰様で僕などは、暇な上に一層暇となって今月のスケジュール表は、ほとんどが真っ白である。うれしい限りだ・・・。と開き直ってもいられないがね。現状は・・・・。でもこの際、大いに読書でもしょう。灯りの要らない昼間に・・・・・・。

[上の写真は、家にあるもので作った今朝の食事。たらこパスタ、最後の夜須トマトを使ったレタスサラダ、大仙納豆、パントエア菌入り大分産青汁]

 

 

 

 

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今日で、我が国最大といってもいい未曾有の大震災が起きてから5日が過ぎた。今朝、近所のお百姓さんが一輪車に黄水仙の花を積んで売りにきたので、一把買った。今度の大地震の犠牲者となられた方々への手向けにと思ったのである。

今回の地震は日を追うごとにその被害の大きさがあきらかになり、名称も「東日本大震災」だったり、「東北・関東巨大地震」であったりでまちまちである。マグニチュードも8.8からM9に訂正された。気象庁の津波警報もいい加減だった。テレビのニュースでは何度も「3メートル以上の津波」という言葉を聞いた。過去に幾多の津波を経験して大きな被害を体験して、様々な対策を積んできた三陸海岸の人々が一瞬「3メートル程度だら大丈夫だ」と思ってしまったのではないか・・・・・・。それを憂慮する。

僕は先々週まで岩手県に取材でいっていただけに、テレビ画面からひきりなしに流れる悲惨な状況をみていると本当に胸が潰れる思いがする。何度も旅をしているあの三陸海岸の美しい町、やさしい人々のことを思うと涙が止まらなくなる。歴史のある陸前高田の酒蔵「酔仙」が濁流に飲み込まれていく姿を見たときには、声がでなかった。雑誌の取材で行ったときには、ずいぶんと杜氏さんたちにはお世話になったが、みなさん果たしてご無事だろうか・・・・・・。友人たちともなかなか連絡がとれなかったが、3日後ぐらいから少しづつではあるが消息がつかめはじめた。

それにしても甚大な被害だ。そこにきて福島原子力発電所で次々とおこる重大な事故・・・・・。つくづくと人間は驕りすぎていると思った。自然に生かされているということを忘れては駄目なのだ。自然に寄り添って、自然の恩恵に感謝しながら、畏敬の念を肝に銘じながら生かさせてもらっているという事実をしっかりと認識すべきなのだ。原子力に頼らず、太陽、地熱、風などもっと自然界のエネルギーに依存すべきだ。人類の知恵をもっていれば必ず克服できると確信する。

この間、家に篭って「三陸沖地震と宮沢賢治」という原稿を書き上げた。三陸沖大地震は歴史上、記録に残る大きな地震は4回ある。そのうち1896(明治29)年のM8.2~8.5で、死者・行方不明者21、959人を出した地震と1933(昭和8)年の死者・行方不明者3000人以上を出した地震がとくに被害が大きかった。この二つの地震と賢治の生涯の偶然過ぎる符合。賢治が生まれ育った土地柄と時代背景を考察してみたのだ・・・・・・・。

 

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13日だけ午後から出かけた。ひとつは新宿・柿傳ギャラリーで開催している(3月17日まで)「橋本誠やきもの展」だ。彼とは古い友人で久しぶりの再会であった。濱田庄司の民芸論に感化されて、日光市にオリジナルの「倒炎式穴釜」を作り陶芸に専念している。次に横浜の日本新聞博物館(045-661-2040)で5月8日まで開催している「大城弘明写真展 沖縄・終わらない戦後」を見に行く予定だったが11日の地震の影響で急遽休館になっていた。彼は「沖縄タイムス」の写真部長でかれこれ20数年前からの友人だ。沖縄に行けばよく飲む間柄である。これからまだ会場でのギャラリー・トークなどもあるのでぜひ、ご覧下さい。力のこもった写真展だからさ~。
この日、最終日となる烏里烏沙写真展「植物の宝庫・東チベット花紀行ー中国の奥地・横断山脈の生態環境と野生植物たち」に行った。12日に本来は彼のギャラリー・トークと懇親会を予定していたが、地震騒ぎのため、この日にしたのである。しかしやはり参加者は少なかった。写真作品は見ごたえがあったが、会場が光が丘の練馬区立「花とみどりの相談所」という場所なので鑑賞者が少ないのが残念だった。懇親会には写真家の宅島正二さんも駆けつけてくれて久しぶりの旧交をあたためた・・・・・・。

 

 

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今日午後2時46分、突然大きな揺れが襲った。地震には比較的馴れっことなっていることから、原稿を書いていたのを止め、まず電気ストーブを消して、仕事机の脇にある6段の本棚を手で押さえた。揺れがなかなか止まらずに回りの高い所に置いてあった小物が落下し始めた。コンピュターのルータも落ちた。危ないので窓のカギを開けていつでも飛び出せるように窓を開けはなった。隣家の奥さんが僕の名前を叫んでいる「小松さん、怖いよ~どうしたらいいの・・・・」落ち着いて外に出るようアドバイスした。僕も庭からいま住宅開発の工事中の現場へスリッパのまま飛び出した。しばらくの間、大地がゆらゆらと揺れて体を立たせているのがやっとだった。

新築工事中の建物はぎしぎしと鳴っていた。家に戻ると玄関にカギをかけたままだったので開かない。フェンスを乗り越えて表にまわり家に入った。部屋の中は本や仏壇の茶碗などが飛び散っていた。ガスも止まって使えなかった。大きな余震が次から次へと来るので、高い所の危ない物をすぐ下ろした。仏像やこけし、陶器など壊れ易いものなどをかたずけた。2階へ上がってみるとやはり扇風機などが倒れたりしていたので、倒れる可能性があるものをかたずけて、窓のカギを開けて非難の準備をした。寝床も物が落ちてこない場所に変えた。

近所の人たちはお年寄りが多いのでみな外に出て非難している。家の中は怖くて居られないと口々に訴えていた。「75年の人生の中でもこんな大きな地震は体験したことはない・・・・」と青ざめながら語っていた。上の写真は避難中に、僕の家の前の畑から撮ったもの。不気味な黒い雲が広がっていた・・・・・・。
今日は午後4時に東京印書館印刷の人と打ち合わせの約束をしていたが、僕の家に向かったが途中、地下鉄が全面ストップしたために延期した。先々週まで僕は、岩手県に取材に行っていたので、テレビのニュースに流れている岩手県内の被災状況は人事ではない。すぐに岩手の友人たちにメールをしたが返事はない。無事を祈るばかりである。群馬にいる一人暮らしの母や近くに住んでいる弟夫婦たちにも何度も電話をしているがつながらない。メールもしているが・・・・・。家族たちにも・・・・・。電話回線が混雑しているのだろう。
また、心配して電話やメールをしてくださったみなさん。上記の報告の通り僕は元気ですからご安心下さい。ご心配ありがとうございました。
このブログを書いている間にも大きな余震が続いている。今夜は落ち着いて眠れそうもない。お湯も沸かせないので冷酒でも・・・・・・・。みなさん、くれぐれも気をつけてください。







 

 

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上の写真は、ある朝の僕の食卓兼仕事机にもなるちゃぶ台。僕の元に来てからもう7~8年は経っている年代ものである。ある雑誌の編集室へ行った時に、「このちゃぶ台いいね。懐かしい、子どもの頃を思い出すね。欲しいな~」などと冗談に言ったら、1年後に編集長から「小松さんが使いたいと言っていたのでどうぞ」と送られてきたのだ。編集部で古道具屋で探して特集記事の撮影につかったらしい。それでもう使わないからとやはり明治期頃の皿5枚と一緒にちゃぶ台が送られて来たと言うわけである。いまではご覧の通り、すっかりと我が家に馴染んで、無くてはならない存在としてその位置を確保している・・・・・・・・。
今日3月10日は、66年前にアメリカの無差別爆撃によって、東京が火の海となり、一夜にして10万人以上が亡くなった「東京大空襲」の日だ。戦争の悲惨さを改めて胸に刻むとともに、犠牲者となられた方々のご冥福をこころから祈る日である・・・・・・・。 合掌

昨年11月に、上毛新聞社からオピニオン委員に委嘱されてから3回目となる原稿が3月13日(日)付けの同紙に掲載される。前回に続き郷土が生んだ希代の探検家・矢島保治郎のことを書いた。3度目となる今回は、矢島の探検を地元メディアの上毛新聞が積極的に報道して、後押ししたことを102年前の上毛新聞の紙面を探し、裏付けを取りながら書いていった。群馬県立図書館、前橋市立図書館、上毛新聞社、群馬県立文書館、国立国会図書館などあたったが該当する紙面は所蔵していなかった。唯一、県立文書館が個人所蔵の当時の上毛新聞の複写を持っていた。それを閲覧させてもらったのである・・・・・・・。記事の子細については、13日付けの新聞を読んでくだされたし。

僕が驚いたのは、本来持っているだろうと思われる団体や組織でなく、100年以上前の上毛新聞をきちんと揃えて保管していたのは、上州の片田舎のまったくの個人の方である。僕が閲覧させてもらったのは明治42(1909)年1月1日~5月31日までの紙面だ。この年に矢島は独り「世界無銭探検旅行」へと旅立ち、中国大陸を横断して、翌年に世界で初めて外国人として四川省からチベットの都・ラサへと入国したのだ・・・・・。
明治42年といえば、いま僕が取材している宮沢賢治は当時13歳で、盛岡中学へ入学した年だし、石川啄木だって23歳、北海道漂白の旅にようやく終止符を打ち、東京朝日新聞の校閲係として就職が決まった年であった。その当時の一地方紙をすべて保存していたこの櫛渕家の先祖とそれを守ってきた子孫の方々には、こころから頭が下がる思いがするし、こころからのお礼も述べたい・・・・・・・。僕などがこんなことを言える柄でもないのは重々承知ではあるが、とにかく言わずにはいられないのである。「ありがとうございます!」と。ただそれだけ・・・・。矢島保治郎の一人娘、仲子さんに13日の上毛新聞に載りますと連絡すると「13日は父の月命日です。なにかのご縁ですわね」と静かに語った・・・・・・・。






 

啓蟄や指輪廻せば魔女のごと   鍵和田秞子

今日、3月6日は啓蟄。二十四節の一、陽暦の3月6日頃で、冬眠から目覚めた蛇や蜥蜴、蛙などの地中の虫たちや動物たちが這い出してくる陽気の頃をさしている。俳句では季語としてよく使われる。上記も知人の「未来図」主宰の俳人である鍵和田さんの句である。女性独特の感性が啓蟄の季語にうまく重ねあわされて表現されている。

 

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3月5日午後2時から銀座のギャラリー・アートグラフにおいて「フォトコン”小松健一の写真道場”修了展」の出品者の青木竹二郎さん、出川雅庸さんと道場主である僕の3人によるトークショーが行われた。会場には遠く奈良や浜松からなども大勢駆けつけてくれて始まる頃には、立ち見の人もでて大盛況であった。話の内容については、「フォトコン」5月号誌上に掲載されるのでご覧いただければと思う。本音で2人が語っているので、写真創作の上で役立つと思われる。ご期待下さい。

 

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昨日が最終日だったので2年3ヶ月間かけて続けてきた写真道場も終了するのかと思うと少し寂しい気もした。3人で記念に写真を撮った。搬出を終えてから出川さんを囲んで、「風」のメンバーや先日、浅草の神谷バーで知り合った友人たちと打ち上げに出かけた。青木さんは奈良から来てくれた写真仲間たちと食事に行った。僕はその前にキャノンギャラリーで開催している竹内敏信写真展「山河照抄」を見てきた。ちょうど竹内さんも奥さんと会場にいた。竹内さんは僕の突き出たお腹を車椅子に座ったまま撫でてびっくりした顔をしていた。そうだな~彼と出会って写真を学んでいた頃は、お互いにスマートだったからね。特に僕などはあの頃と比べれば倍近く太ったもの・・・・・・。びっくりするわけだよ。竹内さんが、一刻も早く元気に回復することを祈るばかりである・・・・・・・。

 

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この日はめずらしく、銀座・ライオン7丁目店に最初に行き、次は並木通りの三笠会館1Fのイタリアンバール・ラ ウ”ィオラ、そして創業60年になるバー・ブリックと銀座の老舗店を梯子した。途中、並木通りに建つ石川啄木歌碑の前で記念写真。ここはかって、啄木が勤めた東京朝日新聞社があった所で、「京橋の滝山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」の歌が刻まれている。
最後はいつもの池袋の琉球料理の店・みやらびさ~。

 

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W I N D S T I M E S 風通信 ♯010 2011.3.3
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次回写真研究会「風」例会のお知らせ
日時:3月26日(土)13時~ 
場所:世田谷区新町地区会館 
住所:世田谷区新町2-21-10

 
✿欠席の方は事務局までお知らせ下さい。
 
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石川啄木没後100年記念・写真スケッチ集「啄木への旅」(ぶどうぱん社)が刊行中
短歌:石川啄木、文:山本玲子、写真:小松健一のコラボレーション作品です!!
 
主宰は40年以上前から数々の作家を切り口に日本の風土を撮り続けています。その中
のひとり、石川啄木はおよそ100年前の1912年4月13日に27歳でこの世を去りました。今
回、石川啄木没後100年記念として刊行された「啄木への旅」は、石川啄木の短歌、石
川啄木記念館学芸員の山本玲子さんの文、主宰が長年通い続けている啄木ゆかりの地
の写真で構成されています。選ばれた10枚の写真からは、主宰の目線を通し、時代を超
えて啄木の思いに触れることができす。
 
以下、「啄木への旅」より主宰の一文を引用させていただきました。
 
「ダルマストーブが真っ赤に燃える渋民駅から雪の道を歩いて、北上川畔に建つ啄木歌
碑の前に立った時のことは、いまでも忘れられない。ーあれからすでに40年の歳月が流
れている。」
 
短歌 石川啄木 文 山本玲子 写真 小松健一
 
出版 ぶどうぱん社
定価 600円(税込み)
発行 2011年2月20日
販売・注文 (財)石川啄木記念館

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写真展のおしらせ
 
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フォトコン主催 小松健一の写真道場修了展
 
出川雅庸 写真展 「水島-MIZUSHIMA-」
青木竹二郎 写真展「人間都市-Human space in megalopolis-」
  
こちらの展示は開催中ですが、5日の14時からは小松先生、青木竹二郎さん、出川雅庸
さんによるトークイベントが開催されます。ともに参加は自由で参加費も無料です。
 
写真月間誌「フォトコン」の連載企画で、2009年1月から現在まで続く”小松健一の写
道場”の門下生、青木竹次郎さんと出川雅庸さんの2人がそれぞれにこの2年間追い
けてきたテーマを写真展にまとめたもの。青木さんは「人間都市ーHuman space in me
galopolis」。現在の巨大化する都市空間に生きる人間模様を追った。出川さんは「水島ー
IZUSHIMA」。自らが暮らすコンビナートの街・岡山県水島、変わりゆく環境のなかでも、
したたかに生きる人々をドキュメントしたものだ。僕の2年3ヶ月にわたる誌上での厳しい
指導にもめげずに、2人は自分のテーマと真摯に向き合い、作品を深めてきた集大成で
ある。ぜひ、会場に足を運んで批評をして欲しいと思っている。よろしくお願いします。また
時間があれば、オープニングパーティや写真家たちのトークショーにもお出かけください。
お待ちしています。(小松主宰ブログより)
 
日時:2月28日(月)~3月5日(土) 10:00~19:00
会場:ギャラリー・アートグラフ
住所:中央区銀座2-9-14
電話:03-3561-6109
 
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ともいき芸術浄土展
 
このたび、浄土宗芸術家協会では、宗祖法然上人800年大遠忌記念事業として東京
銀座 において美術展を開催することとなりました。 30名の当協会会員諸氏に宗祖法然
上人の念仏のみ教えを表現していただきました。ぜひ、この機会に皆様お誘い合わせの
うえ、会員諸氏の力作をご覧いただければ幸いです。
 
日時:2011年3月8日(火)~13日(日) 10:00~18:00
(初日11:00からテープカット、最終日16:00まで)
会場:東京銀座画廊・美術館
住所:中央区銀座2-7-18 銀座貿易ビル7階
電話:03-5848-8299
アクセス:地下鉄有楽町線銀座一丁目9番出口

日本画・洋画・写真・書・彫刻・陶芸・工芸
 
こちらには 京都在住の大橋紀雄さんが出展されます。
大橋さんは 合宿にも参加されている 風お馴染みの写真家です。また浄土宗の僧侶で
もあります。3月8日(火)には会場にいらっしゃいますので是非足をお運びください。

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烏里烏沙写真展 植物の宝庫・東チベット花紀行
 -中国の奥地・横断山脈の生態環境と野生植物たち
  
3月12日(土)午後4時~「風」のメンバーは、会場に集合!!
写真家・烏里烏沙さんを囲んで写真展の解説をしてもらった後、懇親会を開きます。
ぜひ、時間のある方はご参加ください。(主宰も参加します)
ご参加の方は、事務局・吉田までご一報ください。
 
日時:2011年3月9日(水)~13日(日) 9:00~17:00(初日12:00~17:00)
会場:花とみどりの相談所
住所:練馬区光が丘5-2-6
電話:03-5848-8299
アクセス:都営地下鉄大江戸線光が丘駅(A4出口)徒歩6分
入場無料
 
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2010年度 写真研究会「風」合宿・現地レポート!!
 
2月5日~6日の2日間にわたり「風」の合宿が群馬県伊香保温泉「ホテル金太夫」にて
開催されました。出席者は18名。風のメンバーのほかに遠方は長崎、岡山をはじめ大阪、
地元群馬からの参加がありました。また、中国・四川省出身の写真家・烏里烏沙さんは
奥さんとお子さんを連れて参加してくれました。
 
5日の14時すぎから第一回目の作品合評会が始まりました。まずは遠方から参加の方
から順に北上していきました。作品はつぎの通り。山崎正幸(敬称略・長崎の路面電車と
その周辺、高田昭雄・湖底に沈んだ村と高校の吹奏楽部活動、高田紀美子・四国お遍路、
奥田健一・大阪模様、平元盛親・松前干潟といのちの沼。各作品とも自分の暮らしている
地域や人々への深い愛着を感じることができる力作が揃いました。

ひとり約30分の講評時間でしたが、主宰も休む暇もないくらい力のこもった熱心なご指
導をいただきました。17時半までで一旦休憩をとり、伊香保の温泉でさっぱりと疲れを癒
した後は、宴会場での夕食と懇親会が行われました。美味しい御膳のほかに主宰のは
からいで大きな日本海のお刺身の舟盛りを3舟もつけていただきました。美味しいお料理、
お酒で楽しく盛り上がり懇親会のカラオケでは主宰の「雪国」や烏里さんの奥さんとお子
さんの可愛らしい「アンパンマンのうた」も披露されました。

その後、21時から23時まで第2回目の合評会。塩崎亨・台湾アミ族の故郷、吉田加代・
ャンマー、冨樫東正・川崎の海での心象風景・ポートレート作品。 特に初参加の冨樫
さんの斬新な表現方法に関心があつまりました。その後、交流会となりワインや日本酒
を囲みほろ宵で語り更に皆が打ち解ける会となりました。

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6日は9時より11時までがベテラン組の合評会。森武司・タイのアカ族の人々、並木すみ
江・青梅の自宅周辺の自然、加藤陽子・在日朝鮮小学校の記録、鈴木紀夫・青春18キッ
プ・哀愁の旅、技術や、視点の熟練度に流石だなとの感を持ちました。他のひとの作品を
見ることでそれぞれが刺激を受け自分の個性の再認識や、いい点を見直すことなどが発
見できたのではないでしょうか。合評後は反省会・ミーティングが行われその中で
 
「今年の10月に目黒にあるギャラリーコスモスにて「風」創立3周年記念の写真展」
  
を行う事が全員一致で決定されました。全を振り返ると大変濃密で有意義な時間を
過ごせた合宿になったと思います。

合宿終了後は、伊香保温泉・石段の町を散策、撮影などしました。その後、バスで渋
川に場所を移し「ごくろうさん交流会」が行われました。主宰の弟ご夫妻、渋川在住の写
真愛好家の母娘も参加されました。上州の新鮮な野菜やきのこ入りの牡丹鍋。粉雪の
舞い散るなか少し冷えた体をぽかぽかと温めるお鍋でした。更に日本酒もすすみ2升以
上も飲み、歓談し大変盛り上がる宴となりました。 最後に再会とそれぞれの写真の対
する想いを新たにし帰路へ着きました。(吉田加代記)

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合宿に参加していただいた会員以外の方々からご感想を頂きました。
  
順不同でご紹介させて頂きます。送っていただいた皆さま、ありがとうございました。
 
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天川ひろし (協)日本写真家ユニオン在籍 (群馬県高崎市在住)
 
風の会の集いに参加させて頂きありがとう御座いました。事務局の鈴木さまから度々
研究会のご案内を頂いていましたが、この度、群馬県の伊香保が研究会会場との案内
状を頂、その日のくるのを心待ちしていました。
会員の皆さんの作品に会えて、教えられる事が沢山ありました。(写真)と言う聞き馴
れた言葉の重さを、改めて感じさせられました。会員の皆さん、一人一人、夫々が様々
にして個性と感性が融合して=その人柄が作品に表現され、作者の心境に感銘しまし
た。僕の場合は生活の糧を得る為の撮影業でしたので作品には=縁遠い仕事でした。
皆さんの刺激を受けて作品の創作に立ち向かいたいと思索しています。
 
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高田紀美子 (岡山県在住)

「風」の合宿に参加して
「風」の合宿、昨年の熱海にひきつづき、今回も会員外として参加させていただきまし
た。各自が明確なテーマをもち、個展や写真集をだすことを目標に100枚以上のプリント
が目の前にワーと並べられる。その中にズブの素人のワタシもいる・・今まで参加してき
たカルチャー教室や仲良し写真グループとは全然違う、目からウロコでした。
小松先生とは2000年にネパールの撮影旅行にご一緒させて頂いて以来、個人的にも
ご指導いただき、背中を押してもらって、なんと今年の1月、地元岡山で初の個展「夫婦
展」までやっちゃいました。
今回も昨年と同じテーマの「四国遍路みち」をみていただきました。2007年から歩き始
め、何とか写真に収めようと気がついたら必死に追いかけている熱い自分がそこにあり
ました。写真を撮ることを目的としたお遍路ははたしてほんもののお遍路かとのためら
もありましたが、今はお遍路をし、その結果、撮りたいものがあれば撮る。それでいい
と割り切っています。撮らされている作品が評価されているみたいです。何とかまとめた
いと思うようになりました。地方で写真を続けている私には刺激のある合宿、今後ともよ
ろしくお願いします。
 
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山崎政幸 (長崎県在住)
 
地方に居るとプロの先生に写真を見てもらう機会がほとんど無く、独りよがりの自己満
足で終わる事が多々有ります。今回の合宿で小松先生をはじめ皆さんに写真を見てもら
うことで自分の写真に何が足りなくて、どのような方向性を持って撮影していけばいいか
ヒントを貰いました。これからも少しづつですが長崎を撮っていきます。

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冨樫東正 (東京都在住)
 
今回、初めて参加させていただきました。合宿を通して、みなさんの作品作りに対する
熱意を深く感じさせていただきました。僕の写真も見ていただき、色々と勉強にもなりま
た、美味しい料理とお酒に囲まれた非常に楽しい合宿でした。飲みすぎて周りの方にご
迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫びしたいです。申し訳ありません。また近い
うちに作品を持って行きたいと思います。宜しくお願い致します。
 
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奥田健一 (大阪府在住)
 
今回初めて参加いたしました。皆様お世話になりました。この様な合評会では、クオリ
ティーばかりが先行して、内容が希薄な作品が集まることが多い。しかし、「風」はまった
く逆。撮影やプリントの技術は、5年もやっていれば誰でも身に付くもの。加えて、本来な
らば、表現が伴ってこそ成り立つもの。その様な意味では、貴重な存在なのではないか
と、思いました。
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編集後記
 
先月、神保町の古本屋を駆け足でめぐり、写真集をめくりまくってきました。カビくさくても
黄ばんでいても、写真のすばらしさを再認識させてくれる写真集がたくさんありました。
断しているとすぐに手に入らなくなってしまうと気合を入れて行ったのですが、結局お
当ての写真集は高くて手が出ませんでした・・・。
 
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Publisher_Kenichi Komatsu. Text by_Kayo Yoshida. Editor_Toru Shiozaki. © windstimes 2011

 

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土佐香美市夜須町で農業を夫婦でしている友人Fから、天塩に育て収穫したばかりの「夜須のフルーツトマト」が届いた。以前に一度だけ土佐の料理屋で、「お客さんえらい旨いトマトが土佐にもありますき~。いっぺん食べてみてつかーさい」と板前さんに言われて食したことがあった。そのときに驚くほどの歯ごたえのある食感、そして口の中にひろがった甘みと本来のトマトがもっていた土の香りがして感動した記憶があった。1個、500~600円はしたと思うが、高いという印象よりも「へぇ~こんなトマトを作る農民がいるんだ」と感心したのだった・・・・・・。

このフルーツトマトの特徴は、全国的にも日照時間が長い高知県夜須町の自然環境を最大限に生かし、太陽光を満遍なく果実に行き渡らせるために「立体栽培」をしている。これは世界的な技術なのだという。有機肥料を使い、生産者が約11ヶ月間付きっ切りで植物本来の生命力を最大限に引き出すために水分などの技術管理をしているのだ。受粉はマルハナバチがおこなっている。

さらに硬さ、糖度、酸度などの味に徹底してこだわり、生産者が自分で食して確認しながら品質をチェツクしている。選別も自らが行い、内容、外観、鮮度などをひとつひとつを目で確認して責任を持って箱詰めして、消費者へ届けているのである。
僕は何も夜須のフルーツトマトの広報担当ではないが、昨夏、岩手県・花巻南温泉郷の奥座敷ともいうべき台温泉の宿でたまたま知り合った若いF夫婦。それも脱サラで農業に飛び込んだ二人の情熱を知るにつけ、応援したくなるのあたりまえだぜよ~☆!!

2人は唯一、トマトを育てるのに手がかからなくなる時期の7月中旬~8月中旬の1ヶ月間を好きなバイクで北海道から東北地方を旅するのがここ10年ほどの慣例なのだという。この生き方も素敵だなと思った。偶然に宿の風呂場で会い、1時間以上2人で話し込んでいて、夕食の時間を過ぎても風呂から戻らない旦那さんを心配した奥さんに言われ、女中さんが呼びにきたので話をやめたエピソードも、いまとなっては懐かしい思いである・・・・・・。
ぜひ、F夫婦の愛情たっぷりの「土佐香美・夜須のフルーツトマト」を食べてみてください。生のままでがぶりと噛み付きながらのビールは憎いほどいいね~。食に関しては体を張っても一家言を持つ、僕が推奨する一品だぜよ☆☆☆!!

お問い合わせ◎ JAとさかみ 土佐香美農業協同組合 http://www.tosakami.or.jp/

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昨日の2月28日午後6時から、銀座・ギャラリーアートグラフにおいて「フォトコン”小松健一の写真道場”終了展」のオープニングパーティがおこなわれた。僕も道場主ということで出かけた。写真展をした門下生である青木竹二郎さんは奈良県から、出川雅庸さんは岡山県玉野市から参加した。僕が行った5時半には、すでにたくさんの人が見えていて盛況であった。日本写真界の長老である丹野章さん、日本写真企画の取締役の黒部一夫さんなどをはじめ、大勢の有名アマチュア写真家たちが出席してくれた。写真展はとても好評であった。会も盛り上がって近くの2次会場へも約20名の方が参加。途中、藤森編集長のご両親が長野から参加してさらに宴は盛り上がっていた。僕が2人のために、この写真展に寄せた文をここに記して記念としたい。

二人の写真展によせて
「フォトコン」写真道場・道場主 小松健一

かっての写真雑誌の「月例コンテスト」は、応募する側と審査する側との作品を通してのコミュ二ケーションがあって、相互に信頼関係が生まれていた。そして応募者は単に「月例」での入選に一喜一憂するのではなく、作品のテーマを探し、自らの作品を深めていった。 結果として写真雑誌の「月例」は、写真家への登竜門となり、この場を出発点として日本を代表する幾多の写真家たちが育っていったのである。
しかし、昨今の写真雑誌のコンテストはどうであろうかー。この問いかけに真正面から応えてくれたのが、「フォトコン」の若き藤森編集長と坂本副編集長であった。それも前代見門とも言うべき、誌上での指導のみで個展を開催させようというある意味、無謀とも思える企画であった。
プロ写真家であっても個展を開催するということは、そう容易いものではない。それも2年間という制限の中にあってはなおさらである。その難題に対して、果敢に挑戦してくれたのが、青木竹二郎さんと出川雅庸さんの二人の地方在住の作家だった。二人とも「月例コンテスト」の年度賞作家であるからベテラン作家と言ってもよいであろうが、それでもこの2年間は、苦闘の連続だったと思う。途中、何度か行き詰って、この企画そのものを断念しょうかと思ったことも正直あった。
しかし、二人は、真摯にこの課題に向き合って、毎月数十点の新作を送り続けてくれた。その集大成が今回の写真展である。これを一つの契機に、二人には写真家として精進し、さらなる高みに登りつめて行ってほしいと思う。そして地域における写真文化の発展に寄与していただくことを心から願っている。
最後に、皆様からの二人の作品に対してのご批評をお願いするとともに、ご来場の御礼を申し述べる次第である。
本日は、本当にありがとうございました。  合掌

 

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