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[no.262] 2011年1月20日 大寒の日々、元気付けに栃木牛の焼肉、佐久の鯉のうま煮を食べた。写真スケッチ集「啄木への旅」最終校正を返し、印刷の段階へ。

 

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☆石川啄木一家が120数日間すごした函館の青柳町。その直ぐ近くを走る路面電車の「青柳町電停」、背後は雪にけぶる函館山。 (写真スケッチ集「啄木への旅」より)

 

今日、1月20日は大寒の日。二十四節気の一つ。小寒から数えて15日目、たいてい1月20日頃にあたり、冬のなかでも最も寒い日とされる。それでもここ数日は少しづつ寒さがゆるんできたような気がする。

大寒を詠んだ句はたくさんあるが、いくつか拾い出してみよう。

大寒の埃の如く人死ぬる   虚子       大寒と敵のごとく対ひたり   風生

大寒の火の気を断ちし写経かな   あき   大寒の一戸もかくれなき故郷   龍太

大寒や転びて諸手つく悲しさ   三鬼     大寒の胸こそ熱き血の器   駿吉

それぞれの時代は違えど置かれている立場から「大寒」を詠んでいるが、はたしてどの俳人の句が現世を生きている我々に実感として受け止められるか・・・・・・・。これまた各人によって異なることであろう。

 

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☆啄木がさいはての町と詠んだ釧路。「さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき」は実感できる冬の光景である。暮れなずむ漁港。(写真スケッチ集「啄木への旅」より)

さて、この間は17日に友人が「美味しい焼肉をおごるから出かけない」という誘いにのって銀座へ出かけついでに写真展をのぞいた。栃木牛の肉はどれもあんまり食べたことがない美味なものばかりではあったが、なにせお互いに寄る歳には勝てず、思うようにはハシは進まなかった。19日は日本全国の瀧を巡っている写真家が写真集を刊行し、写真展も同時に開催したいので相談したいと言うので彼の家まで出かけた。ご夫婦で信州・佐久出身ということで、奥様が鯉のうま煮を用意していてくれた。3日間煮込んだというそのうま煮はとても美味であった。僕は2切れも頂く始末であった。長野新幹線が開通以来、浅間山麓の湧水を利用した鯉を育てる池や沼がみな枯れてしまって、佐久の鯉があまり食べれなくなっていたので、久しぶりに出会えてうれしかった。むろん酒も進んだのは言うまでもないことである。

今日は朝から印刷所の営業の人が2人来て、「啄木への旅」の色校と文字校正を返した。これで24日には、本番の紙と印刷機で刷った本紙校正が出て、27日、28日が本番の印刷となる。印刷のときには現場へ僕とデザインを担当してくれた塩崎亨君が立ち会うことになっている。2月20日の石川啄木生誕125年の日には充分に間に合うこととなった。地元の「岩手日報」や「盛岡日日」などのメディアをはじめ、いかにPRができるかがひとつのカギとなろう。しかしこの件については、地元の啄木記念館の方に全面的にお任せするしかない・・・・・・・。時間ができれば僕も2月に盛岡の石川啄木記念館へ行こうかとも考えている。

 

 

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