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[no.256] 2011年1月4日 正月は田舎でお袋の料理を食べて、犬の”五右衛門”と初詣。そして矢島保治郎が中国から明治42年に「上毛新聞」へ送った記事を探した・・・・・。

 

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2011年元旦の朝も清々しく明けた。2度配達された年賀状を持って、お袋と一番下の弟夫婦が待つ実家へ向かった。僕はのんびりといつも各駅停車で帰ることにしている。缶チューハイ2個と柿の種を買って、4時間余りの列車の旅は楽しいものだ。読書はできるし、1時間程は眠ることもできる。富士山、浅間山、赤城山、榛名山、谷川岳をはじめとして、上越国境の白銀の山並みの風景も車窓から望める。この日は短い原稿も1本仕上げた。高崎駅の待ち時間を利用して上州そばも食べたのであ~る。何と有意義で愉快な各駅停車の旅なのだろうか。大体、車内はガラガラに空いているので足を自由に投げ出せるのもとても気持ちがいいもんさ~。

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夕方、駅に着くと弟の嫁が車で迎えに来ていてくれた。元旦は午前9時くらいからみんなが家に集まってきて飲み始めるのが恒例となっていたので「どうしたの・・・?」と思わず聞いたほどであった。今日はまだ集まっておらず、先程3人が飲み始めたばかりだという。例年は10人以上は来ていたのに、今年は弟たちを入れて7人だった。それでもビールの他に、日本酒2升、焼酎2升5合、僕が持っていった52度の中国の白酒を1本空けているから相当なペースである。 いつもは午前様まで飲んでいるが、この日は珍しく9時過ぎにはみな引き上げていった。年々みな歳を取ってきたということだろう。還暦を迎えた僕の先輩が一番年上で次に僕、後は後輩といっても弟が47歳で一番若く、後はみな50歳を越えている。世間的にはもういいオジサン連中なのだ。

翌日、翌々日と犬の「五右衛門」を連れて、近隣の村々の鎮守様である川戸神社と内出神社へ初詣に行った。3日はお袋も元旦に続き散歩がてらにと一緒に来た。昨夏に転んで肋骨を折って、秋には頭を五針縫う怪我をしたのだが、もうすっかり回復したらしくて背筋もピンと伸ばして歩いていたので安心した。年賀状の返事も書いてポストへ投函。 料理人をしているすぐしたの弟が珍しい渡り蟹の脱皮したばかりの柔らかい蟹とお袋の好物の数の子を差し入れてくれた。こんな渡り蟹は、僕もはじめてで足から甲羅まですべて食べれて何とも美味であった。蟹が脱皮する瞬間を漁師たちが獲るらしく、あんまり数は獲れない珍味なのだという。

実家では、犬の散歩以外やることがないので、1月16日付けの「上毛新聞」のオピニオンのページに掲載する「視点」の第2回目の原稿の執筆にかかった。明治42年の「上毛新聞」の記事を調べたいので、前橋市立図書館、群馬県立図書館へ行こうと思って電話をかけたが休館日だった。しかし当番の職員がきちんと対応してくれた。市立図書館には大正5年からのマイクロフィルムがあった。県立図書館の方は明治43年以降のものがマイクロフィルムで保存されていたが、僕が調べたかったのは明治42年、1909年の2月から4月の新聞記事である。上毛新聞社には残念ながらきちんと保存されていなかった。 いくつかの文献に明治42年の「上毛新聞」の記事の内容が書いてあるので無いはずはないと粘ったら、県立図書館にスクラップ帳になっているが矢島保治郎関連の記事の切り抜きが保管されていることがわかった。そこにめざす明治42年の記事があったのである。うれしかった。それを知らせてくれた職員の人も喜んでくれて、すぐにコピーをして送ってくれることになった。新春早々ありがたいことと心から思った・・・・・・。 合掌

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