今日は大晦日。後数時間で2010年は終わり新しい年、2011年が来る。勝手に・・・・・。この年の瀬は珍しく年賀状はだいぶ書いた。大掃除も終え、玄関には小さな鏡餅を飾り、「2011年 新春」と揮毫した和紙を張り出した。いつもながらの日常が過ぎていくだけなのに、何故か年があらたまると言うだけで、心身も何か改まるかのような気がしてくるから不思議である・・・・・。 恒例の「2010年 最後の望年会」を29日に僕の暮らす街で開いた。
今日は大晦日。後数時間で2010年は終わり新しい年、2011年が来る。勝手に・・・・・。この年の瀬は珍しく年賀状はだいぶ書いた。大掃除も終え、玄関には小さな鏡餅を飾り、「2011年 新春」と揮毫した和紙を張り出した。いつもながらの日常が過ぎていくだけなのに、何故か年があらたまると言うだけで、心身も何か改まるかのような気がしてくるから不思議である・・・・・。 恒例の「2010年 最後の望年会」を29日に僕の暮らす街で開いた。
約1年間にわたって進まなかったギャラリーへの写真作品のアップが、先月の12日から少しずつではあるが始まっている。現在、200点を超えたばかりではあるが、僕のネパール・ヒマラヤシリーズの初期作品を中心に未発表作品を大量に掲載する。当面は1000数百点になる予定である。その後、中国をはじめ、世界を撮った「地球巡礼」シリーズや日本を取材した「日本文学風土記」シリーズなども追加掲載していく予定である。 乞うご期待!!日々の「ブログ」とともに「ギャラリー」の方も時々は覗いて見てください・・・・・・・。
☆これから「ギャラリー」に掲載される作品の一部紹介です。
☆贈り物 続報!! 東京のYさん 素敵なアルパカのショールと泡盛の古酒ありがとう。 東京のNさん 自家製の美味しいみかんとピーナツをありがとう。・・・・・・・・ 合掌
この2日間は、家に篭って年賀状を書いていた。例年は正月明けてから田舎に帰って書くというパターンで決まっていたが今年はめずらしく年の瀬に書いているのだ。まだ200通ほどしか書いていないから、もう少し時間はかかる。この1年間の来し方を振り返りながら、そして新しい年の目標を考えながらのんびりと書くことにしょう・・・・・・。
ギャラリーを出て寒風の中を池袋へ急いだ。この夜、「みやらびY&I会」が、琉球料理と琉球舞踊の店「みやらび」で催されるからである。平たく言えば常連客の忘年会みたいなものだが、僕も世話人に名を連ねているからあんまり遅れるわけにはいかなかった。それに「サンデー毎日」の編集委員のYさんを誘ってもいたからである。幸い彼は仕事の都合で少し遅れてきたので、その時にはすでに僕はもう飲んでいたのだ。舞踊あり、琉球料理はコースで出てくるは、30度のオリジナル泡盛とオリオンビールは飲み放題ときているから宴はやたらと盛り上がるのは言うまでもないサ~。僕はYさんと「サンデー毎日」連載の「三国志大陸をゆく」のご苦労さん会のつもりでいたので2人でしみじみと語り飲んだ。Yさんは沖縄が大好きでよく行っているというので、この場の雰囲気にピタッリとはまったらしく気持ちいいくらいによく飲んでいた。宴が終了したあと2人で2次会へ夜の池袋へと繰り出したのは当然だろうね・・・・。Xマス・イブは一滴も飲まず、家に独りで篭っていたので岡本太郎ではないがこの夜は2人で「大爆発だー!!」 お し ま い !
今日は世間様では、Xマス・イブ。明日12月25日がキリスト生誕の祝日なので今夜はその前夜祭というわけだ。降誕祭、聖誕祭、聖夜などとも言う。恋人たちなどは今夜をどう過すかが、最大の関心事らしいが、僕にはとんと関係がないので、今夜は珍しく禁酒して、独りで賀状でも書き始めようと思っている。近所のお百姓さんがほうれん草をたっぷり100円で売りに来たので、お浸しでもつくろう。それに上州・高崎駅でとり弁当を買ってきたのでそれでも食べょう~と。この駅弁当は、僕は全国の駅弁でも10指に入る弁当だと思っている。昔ながらの変わらない素朴な味でお薦めの駅弁である・・・・・・・。
午後7時過ぎの電車で帰京するつもりでいたが、一番下の弟の勝三が仕事で高崎辺りに居るかもしれないと思い電話したのが大きな誤りであった。友人たちと自宅ですでに盛り上がっていたらしく、「いま、ちょうど芳宣さんの蕎麦猪口で飲んでるんだよ・・・・」などと電話口で言う物だから、ホテルも予約している芳宣さんが、「渋川まで繰り出そう!」と言い出したのだ。後はご想像の通り。エイヤアーの後の祭りで、野となれ山となれ~だ。まず、弟の家で飲んでから近くにある居酒屋へ。但し、そん所そこらの飲み屋とはちいーと違う。焼酎の取り揃え方が半端ではない。全国の銘酒、珍酒、プレミア酒なんでもござれだ。僕もいくつか推選の芋焼酎をリクエストして取り揃えてもらっているからうれしい。マスターはプロ級の歌の上手さだから、カラオケも当然盛り上がる・・・・・。結局、芳宣さんは弟の友人が高崎のホテルまで送ってくれたのだがすでに時間は午前0時をはるかに回っていた。その後、僕は弟の嫁に捉まり、家に戻ってからえんえんと午前4時まで話を聞くはめになってしまった。弟はとうの昔に寝てしまっている。・・・・・でも、こうした機会はそうはあるものではないので、嫁であるMのさまざまな苦労がしみじみとわかって良かったと思った。しかし・・・・非常に眠たいのだ~。
・三十歩歩けた妻にポインセチア (宝海) ・そういえばもう居ない猫冬の雨 (光仙)
・花野とは祖父母も父母も居る処 (修一) ・狐火の故里いまはダムの底 (修一)
・指で押し買ふ気になりぬ海鼠餅 (瑞穂)
ということで僕の句は4点句と2点句が二つで、中原選では残念ながら取ってもらえなかった。句会の後は1年間を通じての年間最優秀賞と優秀賞の計3人の表彰がおこなわれた。僕は1点差で第4位だったのには驚いた。そして2010年の恒例の忘年会と続いた。毎回、ちゃんこ鍋を囲んでの会でこれがまた旨い。大将は先代井筒部屋の料理長だった人だから、やはり味は本格的である。最後のきしめんで上がりとなるのだがそれも出汁がよくしみていていけるのだ~。元気な人は中原さんを囲んでさらに2次会へ。近くにある俳句をご夫婦でしている「いそむら」に繰り出した。そして今度は魚料理。特に鰯の刺身と鰊の刺身が絶品であった。中原さんをはじめみんなはまた、日本酒をあおっていた。僕は相変わらず芋焼酎一筋に飲んでいたのである。師走の時雨に濡れながら、着物姿の道夫師匠と新橋・烏森の飲み屋街をとぼとぼ家路をいそいだのであった・・・・・・。
贈り物☆続報!! 鹿児島の写真家M君、僕の好物の共食いになりそうな霧島の黒豚詰め合わせありがとう。 金沢出身の写真家を目指しているYさん、沖縄・泡盛の20年物の古酒(クース)とネパールティーをありがとう。みんなでいただくね~。 合掌
庭にある4本の山茶花の樹がいま、満開だ。日曜以外は家の前で住宅建築工事がおこなわれていて朝から職人が入り騒音もあるのでリビングのガラス戸は空けなかったので、山茶花がこんなにも咲いているとは気づかなかったのだ。さっそく小枝を数本切って部屋に飾った・・・・・・・。
昨日は友達の七宝工芸作家の斉藤芳子・恵美子親子が会員として出品している上野の森美術館の「第60回記念 流形展」に出かけた。行ってみたら写真部門もあり、その顧問が竹内敏信さんで委員には僕の昔の教え子もふくめて知っている人たちが何人かいた。絵画、写真部門はさーっと流して工芸作品をじっくりと見た。というよりも一番見ごたえがあり、面白くもあった。ちょうど娘さんの恵美子さんが会場いて、芳子さんも来ているとのことであったが、表彰式に役員として出席しているというのでよろしく伝えてもらった。僕が上野に来たら寄る蕎麦屋が鶯谷にある。公園を抜けて鶯谷まで冬日の中を歩いた。その店は昭和21年創業だから65年間この地で営業していることになる。「御手打天下御免・貸席公望荘」という店だ。ここの鴨せいろが旨い。板わさをつまみに焼酎のそば湯割りで一杯ひっかけて根岸の子規庵へ向かった。
昼からやっている立ち飲みなどの小さな店が並び、恋人たちが行き交うホテル街のなかの路地を通って何年かぶりに子規庵に行ってみた。いままで数回来たことはあったが人がいたことはまずなかった。しかし今回はちがった。現在、NHKで放送されている「坂の上の雲」の影響だと思うが、あの小さな子規の家に人がつぎつぎとわんさと押し寄せていた。僕は500円の参観料は払ったがとても部屋のなかに入れる状況でなかったので、寒かったが庭で小1時間ほどぼーとしていた。カメラの撮影は外も中も一切禁止だという。以前はもちろん自由に撮れた。僕はそこにいた係りの人に何故だめなか聞いてみた。彼は「よくわからいが、最近はデジカメで撮ってみんなインターネットなどに載せるからだ」と言う・・・・。「ビジネスでなく純粋に子規庵に行って感動したと写真入りで紹介するのはいいのでは・・・・」と僕がいうと何も答えない。僕はコンパクトカメラで何枚か撮ったが誰も何も言わなかった。他にも一眼カメラで撮影している人もいたがやはり注意をされていなかった。至る所に「撮影禁止」の看板を掲げているのだから、その理由を明確に示すべきと思った。プリプリ・・・。体が冷えたので、一杯と思って入った店は、肴も酒もまるで日本の居酒屋であったが驚いたことに中国の若い夫婦がしている店だった。がんばって勉強して、味つけや日本語、風習も覚えたという。牡蠣の燻製と山芋の取り合わせを肴に芋焼酎のお湯割を3杯も飲んでしまった・・・・・。
銀座に出て水谷章人さんのスキーの写真展を見て、写真弘社へポジの現像の上がりを取りに寄った。そして今日の目的でもあった「銀座村友の会」の忘年会へ顔をだしたのである。5年ほど前に閉めてしまった銀座の居酒屋の常連客の懇親会だ。僕もずいぶんと通ったが、店ではあんまり客と話をしたことがなかったので数人以外は知らない人ばかりだった。僕の席の前に座った女性に「君も行っていたの・・・?」と聞くとお父さんとお母さんに連れらて子どもの頃から来ていて、築地直送の刺身を良く食べていたという。現在20歳。来春から家の近くの幼稚園の先生になることが決まっていると若いお母さんが微笑みながら教えてくれた。若いということはそれだけで美しい、宝ものだ。お湯割を作ってくれたり、つまみを皿に取ってくれたり優しくしてくれたので、お祝いに酔っ払いおじさんが何枚か写真を撮ってやるね~。などと言ってパチリ!。未来ある彼女の前途をはじめ、酒飲み常連のみんなにも新しい年は幸多かれと祈るばかりである・・・・・・・・。彼女とお母さんにも断わったうえで若い女性ポートレートの4連発だぁー!!☆☆☆☆
ふ~う・・・・。昨日、写真集団・上福岡の今年最後の例会と忘年会が終わった。これで12月に入って8回目の忘年会をクリアしたが、後5回ある。さすがに今朝は胃薬を飲んだ。懐のなかも師走の冷たい北風が吹き抜けている・・・・・・。今年は珍しく年賀状の準備を早くすすめていて、今朝、硯に墨をたっぷりと擦って一句を揮毫し原稿をしあげて、近所の印刷屋さんへ入稿した。そういえば昨日、今日と二つの印刷会社が家に来て、3種類の写真集の見積りをお願いした。来年、我がぶどうぱん社からそれぞれ出版する予定の本である。そうだあんまり活動していないから忘れがちだが僕の家は「アトリエぶどうぱん社」という看板をもう30数年前からかかげているのである・・・・・・。どうぞ何かありましたらいつでもご用命くださいませ☆!!
写真集団・上福岡は以前にも書いたと思うが、後2年で創立30周年を迎える。それも創立以来、僕が講師で顧問ときている大変珍しい一地方都市の写真団体である。延べで教えた生徒は1000人は超えていると思う。最初はこの市には、ひとつも写真サークルがなかったが、いまやここを卒業した人たちが核となってたくさん写真愛好会が誕生している。この30年間の中には、亡くなった方もたくさんいるし、この中で知り合って結婚した人たちもいる・・・・・・。さまざまな人生模様が描かれてきた会である。その会に今度新入会員が4人入った。そのうち女性が3人である。活気がでることを期待している。
2009年度最高賞は、瀬下太刀男さん。2010年度最高賞は、会長の田中栄次さんだった。2人へは、僕から四つ切のプリント作品を贈呈した。忘年会も創立以来続いていて、各自が持ち寄ったプレゼントを交換したり、蕎麦打ち名人の会員が年越しそばを振舞ったり、自家菜園の無農薬野菜のサラダや赤飯や漬物など持ち寄って皆で食べる大変楽しい会である。来年もいい写真を撮るためにがんばろー!!
今日、12月14日(火)発売の週刊誌「サンデー毎日」の巻頭グラビアに「三国志大陸をゆく シリーズ3 古戦場をめぐるー五丈原の風」が掲載されている。4月からシリーズで連載してきたが、残念ながら今号が最終回となる。ぜひ、手にとってご覧いただければうれしいです。地方によっては販売が明日になるところもありますのでご注意ください。いよいよ20年間にわたって取材を続けてきた「三国志巡歴」のまとめに入らなくてはとの思いが募る。それにしても後1~2回は取材をしたいと思っているが。来年が勝負だ。
いま同時に進めているのが、宮沢賢治の本と石川啄木没後100年記念の写真スケッチ集。それに企画中なのが森鴎外と石川啄木の単行本、「路面電車の走る街」はどうしても作りたい本だ。でもどれもが確定ではない。出版状況が年々思わしくなく、確実に売れるという確証がないと出版社も刊行に踏み切れないのである。そんな中で、いま一番売れっ子写真家といっていい石川直樹君が大型写真集『コロナ』(青土社)を送ってきた。昨年の『アーキぺラゴ』につづく群島・多島海シリーズであるが、今回の作品集は、”見えない大陸”といわれているポリネシア・トライアングルを10年間にわたって石川君が取材したもの。僕は前作よりも今回の『コロナ』の方が、彼が言わんとしているテーマが凝縮されていて解りやすかったと思った。若い世代の感性と活躍にはいつも励まされている・・・・・・・。
贈り物☆続報!! 東京のK団体さん、高級椎茸「どんこ」の詰め合わせありがとうございます。 東京のMさん、素敵なカシミヤのショールありがとう。 埼玉のSさん、美味しい小田原の干物セットありがとう。 埼玉のYさん、甘いりんごとみかんありがとう・・・・・・・・。 合掌
10日から銀座ではじまった「チベット山岳写真協会第2回写真展」へ出かけた。初日はオープニングパーティも開かれるので、顧問の僕としては行かざるを得なかったのだ。すっかりXマスの模様替えをした銀座の街を歩いた。銀座アートグラフ、キャノンフォトギャラリーと廻って会場に着くとすでに大勢の人たちでごったがえしていた。日本写真企画の石井社長をはじめ顔見知りの人たちが見えていた。懐かしかったのは若い頃、僕が会長を務めていた「ラテンアメリカ交流グループ」という250名ぐらいが参加していた団体があったが、そこの役員をしていたTさんが来てくれていた。彼女は当時、ロイター通信社の経済部記者をやり、その後写真部記者もやった。現在はある新聞社のモスクア支局の記者などを務めた夫と間に生まれた2人の子の母をしながらも辣腕経済記者として活躍している。通称「ラテ交」には若い新聞記者、出版編集者、俳優、映画人、フリージャナリストなどさまざまな人たちが集まっていてユニークな企画を実現し、ラテンアメリカの情報満載の機関誌「アルスール」も定期発行していた・・・・・・・。若き日のとても楽しかった思い出である。
場所を移してのオープニングパーティには、在日中国大使館から3人の書記官が参加するなど出品者もふくめて賑やかであった。僕は少し早めに失礼したが、結局のところ会長の烏里烏沙君に電話で呼び出されて2次会に着き合わせられるはめとなってしまった。2次会では来年も引き続き写真展をやることで大いに盛り上がっていた。
大雪の節も過ぎ、いよいよ世間は師走本番といった感になった。巷の人々はすでに新しい年に向かって一斉に走りはじめているようなあわただしさが街に漂っている。しかし、僕はこんな歳暮だからこそ、自らの1年間をじっくりと振り返るいいチャンスなのではないかと思っている。ここ5~6年の間、僕は忘年会などには極力出席しないようにしていた。参加してもせいぜい1~2回にしていたが、今年はすでに決まっているだけでも10回はある。トホホ・・・・・出費も馬鹿にならないさ~。みな断わりずらいものばがりである・・・・。プラスさまざまな写真賞の受賞式と祝賀パーティーなどが重なっている。とても全部には付き合いきれるものではない。それでもこの間、第35回伊奈信男賞、第12回三木淳賞、第7回名取洋之助写真賞、第36回日本写真家協会賞の受賞式・パテイーには顔をだした。昨年、一昨年は海外取材に出ていたので、3年ぶりだった。今年の伊奈信男賞、三木淳賞受賞作品は正直あまり感心しなかった。
明日、12月10日から16日まで、エキジビションサロン銀座(03-5638-2213・銀座ファイブ2F)で「チベット山岳写真協会第2回写真展ーチベットと周辺の自然と暮らし」が開かれる。僕も顧問になっているので「風」をモチーフにした作品2点を出品している。ぜひ、銀座方面にお出かけの際は、覗いていただければうれしいです。昨日、日本写真家協会会員懇親会で懐かしい写真仲間に多く会って、しばし語りあった。会終了後、大分県から上京した写真家の高見剛さんや、北海道から参加した伊丸岡秀蔵さんたちと7人で飲んだ。高見さんは写真集の出版のために上京してきたのだという。山と渓谷社で決まりそうだと言うので乾杯をした。彼とは以前に湯布院で写真展をしたときにずいぶんとお世話になった。「日本の基地」の取材のときも一緒に同行してくれた古くからの友人である。またかって日本写真家協会の理事を何期か一緒にしたことがある伊丸岡さんが現在、中国の西北大学をはじめ5つの大学の講師をボランテアで務めているというのには驚いた。どの大学も西安周辺なので北海道から月1回ペースで通っていると言うのだから大変だと思った。
昨日は、写真研究会「風」のメンバーと写真展めぐりをした。最初に見たのは、今森光彦写真展「地球いきものがたりー小さな生命に出逢う旅」。品川のキヤノンギャラリーSで今月18日まで開催している。全4倍以上に引き伸ばされたプリントが並ぶ会場は圧巻ではあったが、なにか大味すぎるきらいがあった。彼の海外取材の傑作選のような気もした。「地球は、生命という循環があるから美しい。」というテーマは展示されている写真からは僕には伝わってこなかった。今森君とは2005年度の日本写真協会賞年度賞をともに受賞した仲だが、彼は以後一層メジャー街道を驀進している。僕はといえば相いも変わらずにマイナー路地裏を徘徊しているありさまである・・・・・・。
次に向かったのは、六本木の富士フイルムフォトサロンで開かれているAPA創立50周年記念写真展「Made in Japanー現代を代表する226人の写真家が捉えた日本」だ。僕も依頼があったので、「琉球・OKINAWA-平和の礎」を出品した。主な出品写真家は、田沼武能、竹内敏信、田中光常、木村恵一、白旗史朗、テラウチマサト、Baku斉藤、須田一政、海野和男、芳賀日出男、芥川仁、水谷章人、南川三治郎、桑原史成、丹地敏明、杵島隆、織咲峰子、熊切圭介、橋口譲二、栗原達男、細江英公、中谷吉隆、木下晃、立木義浩、大石芳野、管洋志、沼田早苗の各氏ら226人である。こうしたそうそうたる写真家たちがAPA創立50周年を祝うために作品を提供して協力したのにもかかわらず、展示方法があまりにひどかったのにはがっかりした。特に作品の近くに撮影者を明示していなかったのには驚いた。会場の隅と置いてあるチラシには撮影者名があったが、展示作品の所に作者名がなければほとんど意味をなさないと思った・・・・・・。(12月17日~24日まで同サロンの大阪会場で巡回展) その後、マガジンハウスから出版した同名の写真集(3800円)はきちんとした物で、作者のコメントも日本語と英文で載せてあり、APA創立50周年にふさわしい出来であったと思った。
☆APAとは社団法人日本広告写真家協会の略称
すっかり日が暮れてXマスのシーズンが近づいたのか六本木の街路樹にはイルミネーションが灯りはじめていた。最後に向かったのは千代田路子写真展「Abyss of time」だ。四谷のトーテムポールフォトギャラリー(03-3341-9341)で、今月5日(日)まで開いている。千代田さんは「風」のメンバーなのでこの日、有志でささやかなお祝い会を計画していた。写真は彼女のモチーフである日常の光景のなかから「生死感ーそして再生」というテーマに挑んだものだ。やや消化不足と言う面もあったが全体としては見ごたえのある写真展だった。千代田さんの独特な感性にさらに研きをかけていってほしいと思った。「風」のメンバーは鈴木紀夫事務局長、塩崎亨編集長と菱山忠浩元会員が集まった。(株)タムロンの広報・宣伝課のYさんと新宿二コンサロンで個展「The long and winding road」を6日までを開催している古賀無太郎君も参加した。会場近くの韓国居酒屋でマッコリとケジャンなどオール韓国料理で写真談議が大いに盛り上がった。飲み足りな~いとさらに2次会へ繰り出したのは言うまでもないね。このメンバーでは・・・・・・・・。
歳月の流れるのは誠に早いもので、もう今年も12月。つまり師走だ。極月や春待月ともいう。11月29日から昨日の2日まで上州の地をふたたび訪ねていた。亡き父の妹の横浜に暮らす83歳の伯母を連れての里帰りである。僕にとっては、父であり祖父母だが、伯母にとっては父母であり、兄や弟たちの遺骨が納まっている小松家の墓参がその大きな目的であった。待ち合わせ場所で会うことができず、伯母は高崎駅前の交番でお世話になるなどハプニングもあって、予定時間を2時間余り上回ったが無事に弟の修二が板長をしている伊香保温泉・金太夫に着いた。夕食前には保険会社を経営している一番下の弟の勝三が母を連れて到着した。勝三の連れ合いは急に熱がでて来れなくなったったが修二の嫁は参加して賑やかな夕食会となった。金太夫は伊香保温泉の老舗旅館として知られていて、古い歴史を誇っている。また多くの文人にも愛された湯である。作家・林芙美子の名作『浮雲』にも登場する旅館だ。久しぶりに母、伯母を囲んでの兄弟水入らずでゆっくりと飲み、語り明かした・・・・・・・。