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[no.233] 2010年11月11日 ” 晩秋のイーハトーブ紀行 ” 第2回目。花巻・鉛温泉、大沢温泉、奥州・人首、五輪峠、盛岡一高、光原社、そして石川啄木記念館を巡った・・・・・。
宮沢賢治とゆかりの深い大沢温泉に泊まろうと思ったのだが、紅葉シーズンでか一部屋しか空いてなくて、やむなく鉛温泉にしたのだ。しかし、この温泉も僕は好きで以前に3~4回は泊まっている。あまり知られていないが宮沢家とは遠戚にあたり、賢治の童話「なめとこ山の熊」に、この鉛温泉のことが書かれている。鉛温泉といえば、作家・田宮虎彦がこの湯に1ヶ月間ばかりの長逗留をして生まれた小説「銀心中」が思い出される。伝承600年の歴史を誇る秘湯・鉛の湯が舞台だ。また近くに疎開していた彫刻家で詩人の高村光太郎もこの湯が好きでよく使っていたという。僕は18年ぶりぐらいであったが総けやき作りの3階建ての本館は昔と変わらないたたずまいをしていた。玄関に入ると「日本秘湯を守る会」の大きな提灯が掲げられていた。数年前に会員になったと主人が言った。各部屋も昨年リニューアルしたらしく以前の昭和16年建築のままの雰囲気は損なわれていたのが残念であった。
鉛温泉といっても宿は「藤三旅館」一軒のみである。旅館の部と自炊の部に分かれてある。これは大沢温泉も同じだ。さっそく賢治も愛したという「白猿の湯」へ出かけた。地下2階から地上3階までが吹き抜けとなっている所にある。平均の深さが約125センチ、深いところは身長176センチの僕の首下あたりまであるから相当に深い。この湯は混浴だから以前に僕が入っていると突然入ってきたおばあちゃんが、まさかこんな深いとは思わずにおぼれそうになったところを助けたことがあった。ひとつの大きな天然岩をくりぬいたこの湯船は「日本一深い自噴天然岩風呂」なのだそうだ。賢治や光太郎がどんな思いでこの湯に浸かっていたを想像しなが僕も立ちながら湯浴みをした。他にも源泉がすべてことなる駆け流しの露天風呂など4つの風呂がある。目の前を流れる豊沢川のせせらぎを聴きながらゆったりと浸かるのも悪くはない・・・・・・。
僕が湯から戻ると湯上がりの浴衣姿のOさんは冷えた生ビールを前に「早くして~」とばかりの眼で僕を睨んだ。とりあえず乾杯をして6時という信じられないぐらい早い夕食とした。突然電話がかかりT記者が取材がいま北上市で終わったのでこちらに来るという。何と40分もかからないで到着した。相当車を飛ばしてきたのだろう。昨夜はそのまま職場に泊まり、今朝7時半からの野球の練習に参加して、そして今までラクビーの試合の取材をしていたのだという。「ゆっくりと温泉を浴びてから生ビールを飲み今夜は泊まっていけ」という話がまとまり、部屋も空いていたので取った。さてこれから・・・と言う時に新聞社のデスクから1本の電話。無常にも「仕事があるから直ぐもどれ!」・・・・・。彼は鉛温泉に着いてからまだ20分もたってないのに、トンボ返りで盛岡へ帰っていったのだった・・・・・・・。
信じられないくらい血潮のように真っ赤な紅葉に包まれた鉛温泉、大沢温泉を後にして、賢治が地質調査のために歩いた奥州市人首周辺へ向かって車を走らせた。以前は江刺市といってた町である。まずは「ESASI 賢治街道を歩く会」の事務局担当の佐伯研一さんを人首の自宅に訪ねた。彼の家そのものが数百年前の建築物で歴史的価値があるものである。佐伯さんは僕らの為に昼食を用意して待っていてくれた。この日、朝から賢治の歩いた道を辿って賢治研究家で岡山のノートルダム清心女子大学教授の山根知子さんや宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事の菊池善男さんたちもみえており、一緒に食事をした。山根さんは、賢治の妹、としについて研究をしているということだった。僕は「それはおもしろいですね。がんばってください・・・・」と励ました。ついでに僕が生まれたのは岡山だと言うとやたらと盛り上がった。帰り間際に佐伯さんが自身の研究ノート「宮沢賢治と江刺郡地質調査行ー気仙沼街道を中心としてー」をわざわざ小さく折って僕に渡した。彼の長年の研究成果である。
晩秋の風が吹き抜ける五輪峠。かっては南部藩と伊達藩との国境だった地である。賢治はここを通って寂しい詩を詠んでいる。そして賢治が通った旧街道などを撮影して盛岡へと戻った。編集者のOさんは今日帰るということなので最後に「モーリオの田舎料理」の店でご苦労さんの乾杯をして別れた。僕もホテルに戻り一眠りしていたら朝日新聞のT記者と宮古市局長のAさんが「最後の晩餐をしましょう」と訪ねてきた。僕も嫌いではないので当然のごとくまた、盛岡の夜に繰り出したのだった。
翌日は啄木、賢治をはじめとして岩手県が誇る各界のそうそうたる人物を輩出している旧制盛岡一中、現在の盛岡一高へ行った。T記者もカメラを持って同行した。ここに保存してある宮沢賢治や石川啄木の通知表を見せてもらい撮影するためである。通知表を見るとこの時期、賢治は決していい成績とはいえなかった。それは家の質屋を継ぐために父親からは進学は許されていなかったからでる。その後、賢治のはじめての出版となった『注文の多い料理店』の発行所である光原社を見て、若き賢治がよく歩いた材木町で遅い昼食をとった。そしてT君と別れて一人で石川啄木記念館へと向かった。学芸員の山本玲子さんは待っていてくれて、しばし啄木のことについて論じあった。そうしているうちにどちらかともなく「啄木没後100周年を記念して2人で何かやろうよ」ということになったのである。すぐできるのは「写真スケッチ集」。僕の写真に彼女が文を書き、啄木の短歌を入れ込むという3人のコラボレーションである。1989年来の友である彼女と啄木のひとつの筋目の年に、こうした仕事が共有できることが僕はたまらなくうれしかった。盛岡駅の地下街にある三陸の魚とそばを食わせる店に入って一人でやっているとT君が取材先から駆けつけてくれて、本当に最後の乾杯を2人でして別れたのであった・・・・・・。岩手で出会った多くのみなさん。こころからありがとう・・・・・・。
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