その他に新潮社の宮沢賢治本の担当のO編集者、筑摩書房編集局 部長兼編集長のNさんにも忙しいところを無理して来ていただき、久しぶりにゆっくりと飲みながら出版企画の話など聞いてもらった。さらに石川啄木没後100周年企画の写真スケッチ集の見積もりなどの打ち合わせのために古い友人のK印刷の幹部、Kさんとも会った。また、沖縄の友人、日本写真家協会の新人、「写真集団・上福岡」の仲間たちとも写真談議に花を咲かせたのだ。この間に病院へも行って軍医あがりの88歳の担当医から「長生きしたけりゃ酒をやめ~い」と長い説教をされたりもした。 こうして書いてみるとここ数日間でもさまざまな人と会い、その人たちからの何らかの影響によって生きながらえているのだとつくづくと感じ入った日々であった・・・・・・。
写真は中国・四川省で。(2009年12月撮影)
写真月刊誌「フォトコン」にもう2年間連載してきている「小松健一の写真道場」。その門下生の2人の個展がようやく決定した。2011年2月28日(月)~3月5日(土)、銀座のギャラリー・アートグラフで開催される。オープニングパーティや写真家のトークショーなども計画されているのでお楽しみに。さて、昨日その2人の写真展の最終的な会場構成、作品セレクトなどを八丁堀の日本写真企画本社でおこなった。岡山県玉野市から出川雅庸さん、奈良県から青木竹二郎さんの2人の門下生が駆けつけた。この2年間に毎月撮りためた数百点の写真を机の上に広げて会場壁面図にそって構成、セレクトをしていく作業である。青木さんの「人間都市ーHuman space in megalopolisー」からはじめて展示方法、大きさはどうするのかなど作者の意図とするものを聞きながら作品を絞り込んでいった。
次に出川さんの「水島ーMIZUSHIMAー」だ。この作品は展示数を多く見せることによってより作者の表現意図が伝わるだろうということとなり、青木さんと比べると写真点数は多くなった。出川さんは地元岡山市、玉野市などでも写真展を開催することを前提にパネルなどの展示方法を考えることにした。夕方になってようやく2人の作品セレクトと構成がほぼできあがったので、近くにできたばかりの「ちょもらんま」という中華料理がメインの店に行った。店長に「何故、ちょもらんまと店の名をつけたのか」と聞くと「エベレストのように世界一の居酒屋になりたいからです」と真剣な顔をでその中国人青年は答えた。そして「今日は何かのご縁です。餃子6個一皿が5円ですのでぜひ、食べてください」と笑顔で言うのだ。僕らはすぐに言葉に甘えて4皿、24個を頼んだ。そうしたら本当に一皿に大きい餃子が6個入っていた、それも美味しかったのである。〆て20円・・・・。なにか申しわけないような気がして僕はがんばって芋焼酎のロック3杯も頼んでしまったのだ。最後に坂本副編集と4人でこの2年間余りの互いの苦労と写真展成功を願って乾杯をし、すっかりと日が暮れた初冬の八丁堀を後にしたのだった・・・・・・・。
11月19日、「2010年度ぐんま山村フォトコンテスト」の審査会のために群馬県庁へ向かった。僕は上州へ行く時にはそのほとんどは各駅停車でのんびりと行くのだが、新幹線で来て欲しいという県の要望なので大宮駅から高崎駅までわずか24分を乗車した。高崎駅の改札には県の担当者が待っていてくれ車で県庁へ。群馬県庁へ来ると必ず食事するレストランがある。31階にあるインド料理の店だ。石焼鍋のカレーがなかなかいけて僕の定番メニューとなっている。そしてここからの眺めがまたいい。左から赤城山、正面の谷川岳を中心とした三国連峰など上越国境の山々、右手には榛名山系そしてその奥には浅間山とパノラマに見渡せる。坂東太郎こと利根川は真下をとうとうと流れているのだ。まだ本格的な積雪はないが冬になるとまるでヒマラヤにきたかのような風景が広がるのだ。はじめてこの風景を見たときに僕が原風景を求めてヒマラヤへ通った原点はこの光景かもしれないと衝撃を受けたのだった・・・・・・・・。
僕が審査委員長を務めてから5回目となるこの写真コンテストも年々応募数と作品のレベルが向上してきた。今年度は特に作品の質が高く賞の選考には審査にあたったみなさんとともにうれしい悲鳴をあげたのだった。来年2月2日から6日まで群馬県庁1Fホールで入選作品の写真展が開催されるのを皮切りに各所で巡回される予定だ。審査終了後、「ギャラリー・ノイエス朝日」へ行き、(株)朝日印刷の石川社長と2時間ほど矢島保治郎顕彰企画のことで話合った。以前からいろいろと相談にのってもらっているのだ。その後、上毛新聞論説室参与の小林記者と前県立土屋文明記念文学館館長の岡田さんが来てくれて久しぶりに一杯やった。この日は弟の家に世話になることになっていたので行ってみたら、そこにも地元の友人たちが来ていて鍋を囲んで盛り上がっていたのだった・・・・・。
翌20日は午前中に矢島保治郎の娘さんのNさんにお話を伺うことになっていたので、前橋のノイエス朝日に行った。長島秋夫木工展の初日だったので見せてもらった。気に入ったアフリカの木で作ったペーパーナイフがあったので買おうとしたらちょうどそこに来た日本写真家ユニオン会員の天川弘さんが「小松さん遠くまで来てくれたので僕がプレゼントしますよ」と言う。断わるのも悪いので天川さんは地元と言うことで甘えることにした。Nさんと一緒にきた七宝工芸作家の斉藤芳子さんが第61回群馬県美術展に行きましょうと誘ってくれたのでNさんと出かけた(芳子さんの娘さんが毎年入賞しているというのでその作品も見たいと思った)。会場の県立近代美術館ではちょうど石内都さんの「Mother`s」と「上州の風にのって」の写真展とコレクション展「現代の写真 うつすこと・うつされたもの」を開催していたのでこちらの方をメインに見ることにした。コレクション展はオノデラユキや大竹敦人、松江泰治、安田千絵などの写真だった。群馬県立近代美術館がこうした写真作品をコレクションしているのかと驚いた。石内さんの作品の一部は他の美術館から借りてきていた。ここでこれらの作品について評をのべる気もさらさらないが、県展と比べると鑑賞者圧倒的に少なく、入場料を払ったにも係わらずみな数分で会場を後にしてしまう姿だけが目に付いたことは記しておこう。遅い昼食に蕎麦を食べたあと、Nさんからじっくりと父・矢島保治郎のことを聞いた・・・・・・・。
夕飯は遅くなったが母の待つ実家で食べた。ここに来ると僕はやることが丸でない。犬の2代目五右衛門の散歩だけが唯一の日課だ。カメラを首からさげて家の周辺の五右衛門の散歩コースを回るだけだ。82歳を過ぎた母には元気な五右衛門を連れての散歩は無理なので、僕が帰省したときは何があっても散歩だけはするようにしているのだ。時々シャツターを切ろうとしても五右衛門がやたらと引っ張るので手ぶれをすることが多いがそれもしかないと諦めてもいる。21日には東京へ戻るつもりでいたが、考えたら今回も温泉に浸かってない。夕方おふくろを誘ってタクシーで近くの温泉場へ繰り出した。鉄分の多いここの湯はあまり好きではないが家から近いのと湯上がりに鮨で一杯という僕の計画のため致し方ないのである。1時間あまりゆったりと湯に浸かった後、母もよく知っているお隣さんだったおばさんが先代の女将で、2代目の大将が弟の友人という鮨屋へ行った。おふくろさんとこうして外で食事することはそうは多くないので、駄目倅の僕としてはうれしいのだ。親父とは2人で外で飲んだ記憶はあまりない・・・・・。母は自分より7~8歳若い女将と昔話に花を咲かしていた。僕はそんな母の横顔をみながら芋焼酎のロックをちびちびとやっていたのである・・・・・・・。
先日、受けた3つのがん検診の検査結果を聞きにいったが、「すべて異常なし」の診断だったのでほっとした。この歳になるとやはり多少は心配になる。親父も叔父も祖母もがんで死亡しているので・・・・、それも気にならないと言えば嘘になる。しかし今回は大丈夫だった。歯もしっかり治療したいので辛抱強く治療に通っている。年内に目途を立てたいのだ。ついでに薬局も回ってきた・・・・・。こう書いていくと何か飲みに行ってない日は、病院の梯子をしているように思われるが決してそうではありませんから誤解のなきように・・・・・。今朝は冷え込んではいたが久しぶりに太陽が顔を出したので洗濯をして干した。僕は洗濯物を「パーンパーン」と叩きながら干すのが昔から大好きだ。気分が爽快になるのである。時々前の道をとおる奥さんたちが何か不思議なモノをみるように見つめながら通り過ぎることがあるが、ちっとも気にしていない。自分が気持ちがいいのだから他人の目などはどうでもよいのだ~。
明日、「2010年度ぐんま山村フォトコンテスト」の審査のため群馬県庁へ行ってくる。終了後に「矢島保治郎生誕130年・没後50年記念 顕彰企画」のことで県内の企業家や文化人、ジャーナリストの人たちとも会って相談にのってもらうことになっている。何とか来年から本格的な取材に入りたいと思っているのだ。矢島の娘さんのN子さんへのインタビューも予定している。初冬の上州の風景も撮影できればとも思う。親父たちの墓参りも・・・・・・といろいろと予定を入れ過ぎて、いつもせっかく温泉天国の上州に行きながらのんびりと温泉に浸かったためしがないのである。まあ~、急ぐ旅でもないので自然体で、風のようにいってこよう~と。
(写真は中国・四川省の九寨溝で。2009年12月撮影。早朝の気温はマイナス10度まで下がった)
昨日、タムロンの写真同好会の第4回グループ写真展のオープニングパーティに出席した。日頃、お世話になっているからということもあったが、写真研究会「風」のメンバーであるTさんがこのグループの世話役をしていて彼女も力作を出品しているからである。神田古本屋街を久しぶりにのんびりと九段から歩いた。会場は「ギャラリーCORSO」(03-3556-3636)、期間は11月21日までだ。カメラメーカーで働く人たちがこうした写真を創作することに何らかの形で係わっているということはとても良い事だと思う。僕は少し遅れて行ったが写真家やカメラ雑誌の編集長、他のカメラ、レンズメーカーの担当者など大勢きていて賑やかであった。僕はあまり知っている人がいなかったのでシグマの経営企画室課長のKさんとゆっくりと話をした。Tさんはタムロンの広報・宣伝部長なのだから本来は、お互いにライバル社同士。しかし写真創作者という意味では、お互いによき仲間であり、ライバルでもある。僕はこういう関係はいいな~と思いつつ、くぴくぴとスパークワインを独りあおっていたのだ。Tさんのご主人が飼い犬2頭と一緒に写真展を見にきた。ワンちゃんが写真を見に来るのは愉快なのでTさんと記念にパチリ!・・・・でした。
夕べ盛岡駅の地下街で新そばと三陸のほやと背黒いわしを焼いたのを肴に、最後の一杯を朝日新聞盛岡総局のT記者と酌み交わして19時41分発の「はやて」に乗り込んだ。自宅に着いたのは22時半をまわっていた・・・・・。11月6日から9日まで、来年7月新潮社から刊行予定の宮沢賢治の本の打ち合わせと取材を兼ねてイーハトーブこと岩手県に行っていたのだ。今度の本で文章を担当することになったエッセイストの澤口たまみさんと打ち合わせがひとつの目的であった。もうひとつは、新潮社の担当編集者のOさんを宮沢賢治ワールドに案内することであった。6日は岩手山周辺、7日は花巻、早池峰周辺、8日は奥州、種山が原周辺、9日は盛岡周辺と写真を中心に報告するので今日と明日の2回に分けてレポートすることにする。晩秋から冬へと移ろうみちのくの風土を写真と文から味わっていただければ幸いである。
6日、12時半に盛岡駅でOさんと待ち合わせをした。彼女は前日から盛岡に入っており、別の本の企画案でKさんと盛岡市内の居酒屋を梯子して「呑み過ぎて頭がまだ痛いで~す」と僕の顔を見るなり頭をかいた。13時に澤口さんと待ち合わせなのでその前にレンタカーの手配を済ませた。はじめてお目にかかる澤口さんはすぐに「たまちゃん」と呼べるような愛くるしい人柄で想像していたとおりの女性であった。あいさつ代わりに固い握手を交わしてすぐに岩手山へ向かって車を出発させた。先ず向かったのは雫石にある小岩井農場。晩秋のみちのくの日差しは盛りが過ぎた山の紅葉を照らし、澄んだ空気はすでに冬の気配を感じさせた。姥屋敷を過ぎ、鞍掛山の麓、岩手山の登山口周辺の森を歩いてみた。霜にあたって少し萎びてしまった赤い実を口に含んでみたらすっぱい味がした。賢治が中学時代に友人と岩手山登山をした下山途中に泊まった山小屋があった綱張温泉のレストハウスで珈琲を飲みながら、今回の企画の思いを3人で語りあった。日陰にはまだ数日前に降った雪が残っていて肌寒かった。目の前に広がる秋田駒ケ岳などの山なみに沈んでいく夕日が透きとほるように澄んでいた。2人に僕がこの夏、何回も通い詰めた春子谷地湿原から見た岩手山を見せたくて車を飛ばした。やはりこの地からの鞍掛山と岩手山は雄大であった。2人も群青色に染まっていく空に聳える霊峰をいつまでも眺めていた・・・・・・。
夜は澤口たまみさんの友人で盛岡出版コミュニティーの編集者で作家の松田十刻さん、僕の古い友人であり、澤口さんの岩手県立博物館時代の先輩でもあったという石川啄木記念館の学芸員の山本玲子さん、それにOさんの雑誌編集者時代の元同僚でもあった朝日新聞のT記者が集まった。場所は、僕がこの夏きたときにすっかり気に入った店「モーリオの田舎料理・どん兵衛」だ。ご夫婦とも岩手山が好きで賢治と啄木が大好きというこの日のメンバーにふさわしい店だ。呑めば呑むほどに文学論やらジャーナリズム論やらはたまた恋愛論まで飛出しおおいに盛り上がった愉快な宴であった。この席では午後1時半まで粘った。そして一度解散してからT君と2人でさらに2軒梯子して最後は南部そばで〆てお開きにした。ホテルに戻ったのは午前3時を回っていた・・・・・・・。
翌朝は、昨夜の深酒をもろともせずに花巻方面に出発。まずは宮沢賢治記念館へ。Oさんと館長にあいさつをしてから一通り館内を見てまわった。学芸員の牛崎副館長は、賢治学会のシンポジュウムに出ていて不在であった。ちょうど賢治の『春と修羅』の初版本を大分の人が記念館へ寄贈している時で、館はごった返していた。80年前に父親が賢治に注文して直接大分まで送ってもらった本だという。80歳になる娘さんが故郷にあった方がと・・・・、記念館へ寄贈したのだ。その足で花巻農業高校内にある羅須地人協会の建物をみてから早池峰方面に向かった。途中、大迫で「早池峰賢治の会」会長の浅沼利一郎さんを稗貫郡役所を復元した建物に尋ねた。いまここはこの地方における賢治研究のセンターとなっている。2ヶ月ぶりの再会を互いに喜びながらしばし話は弾んだ。近くのそば屋で遠野地方で栽培をしている強い辛味が特徴の「暮坪かぶ」を摩り下ろしてそばにからめて食べる「暮坪そば」を食べた。新そばによくあった。
浅沼さんが力説する賢治の『風の又三郎』や「どんぐりと山猫」の舞台である場所をOさんに見てもらうために釣瓶落としとの競争で山道を巡った。火の又分教場跡地周辺や花岡岩の山の猫山などはとりわけ賢治の童話の世界のような美しさであった。日本にもまだこうした風景が残っていると思うとこれから先、50年、100年と子どもたちに遺していかなければとシャツターを切りながらつくづくと感じたのだった。山道は午後2時半を過ぎると急にあたりは暗くなる。3時を過ぎればまるで夕方。ライトをつけなければ前が暗くてよく見えない程である。僕らはさらに山の林道を抜けて早池峰山の登山口に近い所にでようとしていたが、たまたま出会った地元のおじさんに道を聞くと「とんでもねぇ、あの道はジープでも危ねぇよ。だいち熊がごろごろいるだ~悪いこといわねぇから早よけえれぇ~」と忠告された。そうでなくとも僕は熊に間違えられるので撃たれてはかなわないので早々に引き上げることにした。今夜の宿はここからは反対側の豊沢川上流にある鉛温泉だ。車で飛ばしても優に1時間以上はかかるだろうと思った。 ようやく湯煙の上がる宿に到着した頃は、すでにたっぷりと陽が暮れていた。宿の藤三旅館には煌々灯りが燈っていた・・・・・・・・。(明日へつづく)
次回写真研究会「風」例会のお知らせ
日時:12月11日(土)(土)13時~
場所:世田谷区 新町地区会館
住所:世田谷区新町2-21-10
*終了後、三軒茶屋・「味とめ」で”風の望年会”をおこないますので
こちらにもご参加ください。(欠席の方は事務局までお知らせ下さい。)
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写真研究会「風」8月例会の報告
8月21日(土)の例会は、午前中(出席者・小松先生、鈴木紀夫さん、森さん、山崎さん、
吉田)東京都写真美術館でJPS創立60周年記念写真展「おんな」を鑑賞しました。会場
には戦後の日本復興の歴史とともに、女性たちがどのように生き抜いてきたか、又、現代
の女性たちの姿、そして未来の女性像を予感させるような作品211点が展示されていまし
た。日本の歴史に残る名作も多数展示され大変見ごたえのある展覧会でした。
午後からは新町区民舘に場所を移し講評会が行われました。(参加者・鈴木紀・森・平元
千代田・吉田)ゲストとして上海の取材旅行から前日帰国したばかりの山崎政幸さんも参
加されました。各自、個展・グループ展・雑誌のグラビアのための作品選び及び構成と明
確な目的があった為、大変効率よく講評会は進められていきました。平元さんは1年半撮
り続けた数百点の作品の中から50点に絞込みました。研究会に参加してから撮り始めた
という干潟は季節を追い日を追うごとに愛着もわき、こつこつと撮りためた結果が大きな
成果を生むということを学びました。タイトルも「名古屋・藤前干潟―いのちの物語」に決
定しました。千代田さんは年内開催の個展用に新たに幾つかの作品を持参されましたが、
鶴見線上の工場地帯とその周辺を撮影した作品は見ごたえがありました。千代田さんの
心の断片をも垣間見るような作品となりました。
森さんは以前から撮りためている野菜の花。どんどん円熟味も増しそろそろ展覧会として
開花される時期が来ているようです。
鈴木紀夫さんの「靖国ワンダーランド」が雑誌「季論21」の巻頭グラビア8ページに掲載さ
れるため その構成を行いました。みんなで意見交換しながら 紙面さながらに組まれてい
きました。山崎さんは最新の上海の情景をPCを使用して紹介してくださいました。
吉田は 昨年撮影したインドの作品を30点ほど持参しグループ展のために構成のご指導
をいただきました。
今回は 質問もいろいろ出ました。「写真に思いを載せる方法は?」という問いに主宰は俳
句での季語を例に説明をしていただきました。また、グラビアには縦位置の写真が比率とし
て多いなど実践的なことも学びました。
例会後はいつもの 三軒茶屋の居酒屋にて懇親会が行われました。今回は全員が参加
して途中から元メンバーの写真家・菱山忠浩さんも参加し更に写真談義に花が咲き夜は
どんどんと更けていったのでした。(吉田記)
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写真研究会「風」10月例会の報告
10月16日(土)風例会が行なわれました。出席者は 鈴木紀、加藤、平元、吉田の5名。
平元さんは今までの「藤巻干潟―いのちの物語」と新作「荒池」をモチーフとした作品30
点ほどを持参されました。背景を気にせず、視点を絞ることが大切という主宰の言葉に頷
いておられました。加藤さんは、今まで撮り貯めた在日朝鮮学校の作品をいよいよまとめ
る時期に入ってきました。構成はまた後日、時間を取るということになりました。
また何故自分がこの被写体に取り組んできたのか、論議して文章にまとめ始めることとな
りました。吉田は「誕生」という題名の作品を20枚構成で持参。最後は鈴木事務局長の作
品。この6~7年間、JRの青春18キップで北海道から沖縄までを普通電車を中心にして
旅をした写真日記です。年内にこの作品と中国、ネパールのモノクロ作品をバラ板印画紙
でプリントすると語っていました。
例会後は塩崎さんも参加して三軒茶屋の「味とめ」にて懇親会が行われました。(吉田記)
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写真展のおしらせ
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高田昭雄・紀美子夫婦写真展
「ヒマラヤに神々と暮らす人々」高田昭雄
「ヒマラヤッ子」高田紀美子
日時:2011年1月4日(火)~1月9日(日) 9:00~17:00
場所:エネルギアプラザギァラリー
住所:岡山市北区内山下1-11-1
JR御茶ノ水駅下車。聖橋方面出口へ。聖橋を渡り、右に湯島聖堂を見ながら真っ直ぐ進
む。最初の信号(交差点)を越えて、2つ目の路地を右折。15メートル程歩いた左側、前
に柿の木のあるビルがgallery bauhaus。駅から徒歩6~7分程度。
下記のURLにて展示会の詳細をご参照頂けます。
http://www.gallery-bauhaus.com/101104_collection3.html
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写真研究会「風」の2010年度合宿研究会の日程決まる!!
日時:2011年2月5日(土)~6日(日)
会場:群馬県伊香保温泉・「金太夫」
*作家林芙美子の名作『浮雲』に登場する老舗旅館です。
詳しい日程や参加費などについては次号でお知らせしますので、この日を今から予定し
ておいてください。同人・会員以外の参加もできます。今回はオプションで会終了後、上
州の温泉などゆっくりと旅したい人は、2~3日でしたら主宰が案内してくれるそうですの
で早めにその旨お知らせ下さい。
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編集後記
今朝、爽やかに目覚めて仕事場にしている一階のフロアーに降りてみるとブラインドに美しい影絵が浮かび上がっていた。愛用のSIGUM-DP1を取り出してシャッターを切ったのが上記の2点。初冬の朝日は鋭い光を放射してくるような切れを感じる。部屋全体をゴールドに統一しているので余計に輝きが乱反射しているのだろうか。お金とはまったく縁の無い生活をして久しいが家の中だけは”金閣寺”にいるようなのである。昨日、今日と病院めぐりだった。別段体調が悪いわけでないのでご心配は無用だ。歳の波には逆らえないので大腸がん、肺がん、前立腺がんの検査もしたし、定期的な呼吸器系の病院、内科、眼科それに歯科が加わった。大分前にすべて治療していた歯の部分にガタがきていて、また治療し直さなければならないのだ。こうしたことはやはり歳というか、人間の耐久年数が近づいている証なのだろう。だから決して恥じることでもなければ焦る必要もない。自然の法則に身をまかせていればいいのである。しかし、うれしいこともあった。体中の筋肉を調べたのだが全身の筋肉がすべて測定基準のMAXを超えていたのだ。グラフはすべて最高値を振り切っていたのである。測定に当っていた若い看護師さんたちは「わーすごい。こんなに筋肉がある人、みたことがないわ・・・」と僕の体を珍しそうにやたらと触るのである。僕も「えっ!」と驚きつつも若い美人の白衣の天使に触られるのは悪くないのでしばらくは触られるままでいたのだ。 「へっへっへっ・・・・・」。
今日は文化の日。小春日和の気持ちよい日だ。暦の上では11月は立冬で、陰暦の異称は霜月となる。この前までのあの暑さがまるで遥か彼方のことのように毎日が肌寒い。今週から来週にかけて宮沢賢治の故郷・岩手県へ取材に行くが東北のこの時期の気温をみると朝夕の気温はすでに3~4度となっている。もうそこまで冬将軍は忍び寄っているのだ。さて、文化の日のこの日は、秋の叙勲やら文化勲章やら僕らには全く縁がない表彰がおこなわれているが、一つだけうれしいニュースがあった。それは文化功労者に我らが写真家・細江英公さんが選ばれたことだ。写真家では渡辺義雄先生、石元泰博さん、田沼武能写真家協会会長につづいて4人目の快挙だ。細江さんはさらに俳句会「一滴」の同人仲間でもある。12月の句会の後の忘年会で祝う会をやろうという計画も進行中だ。細江さんの写真作家としての業績は世界的にも高く評価されているから文句ない受賞で、僕としてもこころから喜んでいる・・・・・・・。
と言うわけではないが2年ぶりぐらいに友人のMさんと池袋の沖縄料理屋で”デート”をした。この店は以前にもブログに書いたことがあるが僕が通いはじめてから20数年経つから池袋の通っている店のなかでも古い方だ。いい店はこの15年ぐらの間にほとんどが店を閉めてしまった。いまやこうした雰囲気のある店はこの池袋界隈でも小数派になってしまった。駅から1分程度で行けるというのも呑み助にとってはうれしいのである。大将は2代目で若い頃は店を閉めてからよく一緒に飲み歩いたものである。いまはお互いに歳を重ねてそれほどの元気はないが・・・・・・。Mさんはスキュバーダイビングもやるので沖縄へはよく行く、それで琉球料理と泡盛が大好きなのだという。そんなこともあって僕が2年ほど前に一度一緒にいった「あの店で会いましょう」と指定してきたのである。僕が待ち合わせの時間に行くとすでに独りカウンターで島酒をうれしそうに傾けていた。彼女は若い頃は池袋に近い所に暮らしていたのでこの町は自分にとって「青春時代の想いでの町よ・・・」といってまた島酒の盃を飲み干した。そして驕ってもらっうことになっている僕も「英公さんの栄光を祝して」などいいながらまた一杯、いやいっぱいかな・・・・・・・・。