写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2010年11月アーカイブ

 

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(写真はネパール・ヒマラヤ ムスタン地方カグベニ村の僕が20年来常宿にしている家からの光景。僕の遺骨はこの村の北を削るように流れるカリガンダキ川岸の谷間に散骨して欲しいと願っている。地元の酒・ロキシーとともに・・・・・・)


昨日、たまたま付けていたNHKテレビのアーカイブ番組で、1984年放映の「榊原莫山 野の書・土の書」とか言う番組の再放送を眺めていたら突然と詩ごころが湧いてきて以下のような俳句を漠然と詠んだ・・・・・。

口紅の拓本つくり冬うらら
早池峰の深山にひびく里神楽
餓死供養の石塔ならぶ冬田道   風写

中国・四川省の成都郊外の三国志の英傑・趙雲こと子龍の墓を詣でたときに、友人の女流書家が枯れ野のなかに倒れていた子龍の碑を思わず口紅を出して拓本を取ったことを思い出して詠んだ。後の句は先日、みちのくの旅をした時に出逢った光景を詠んだものである。不思議なもので何故、莫山の話を聞いていて詩ごころが急に湧いてきたのかは、僕にもよくわからない・・・・・・。

 

 

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この数日間、めずらしく多くの人と会った。基本的には仕事の打ち合わせや出版企画の営業などであるが、まったくもって関係ない場合もあった。写真展などもいくつか見てまわった。先ず3年ぶりに会ったのは、愛知の芸術大学を卒業して、この6月から都内の某有名スタジオに務めているHさん。前日に突然「明日、休みが取れたのですがお会いできますか・・・」と電話が入った。お昼頃に、ちょうど池袋で用事が終わるのでご飯でも食べましょう。と言うことで会うことになったのだ。彼女は大学在中の3年前、まだ20歳であったが、僕が審査員を務める「マリナーズ・アイ展」で3000点を超える応募作品のなかから大賞を受賞したのである。写真科を専攻している彼女の作品は、いままでになかった若い女性らしいしなやかな感性で海を捉えた魅力的な作品だった。写真展会場だった東京芸術劇場にモデルとなった友人と上京してきたときに、会って以来だった。話を聞くと写真家になりたくて東京へ出てきたが、毎日の仕事が午前2時、3時で、給料も7~8万の生活。自分の作品作りがしたいがとてもそんな余裕はないと言うことだった・・・・・・・。

僕はただそんな彼女の大変な話を聞き、「今日はともかく好きな物を腹いっぱい食べなさいね~」と35歳の歳の差のある友に言うだけだった。彼女が「写真撮ってもいいですか?」と言って僕のポートレートを撮ってくれたのが安酒場でホッピーをもっていかにもうれしそうにしている上の写真だ。数日後、彼女から「写真が撮りたくなりました。ありがとうございました・・・・」とメールが届いていた。「志を忘れずにがんばれ!」と願わずにはいられない。十数年ぶりに若き日の写真仲間とも会った。いま新宿のコニカ・ミノルタプラザで「山の民の祈りーパキスタン・カシミール被災地に生きる」(12月2日まで)を開催している写真家・森住卓だ。彼とは20代の頃、ある新聞社の写真部で同僚だった。歳は彼の方が少し上だが、写真部では僕が1年先輩だった。
土門拳、田村茂、田中雅夫、伊藤逸平、伊藤知巳先生等々そうそうたるメンバーが教える「現代写真研究所」ができると聞いたので森住君と会社に交渉してその第1期生として夜間部へ入所させてもらった。上司は「行かせるがどんなに仕事が忙しくとも絶対に休まないことが条件だ」と言ってくれたことは忘れられない。最初の1年目はクラスにカウンセラーという助手役がいて、僕が若き日の樋口健二さんで彼の方が愛知の岡崎から夜行で通ってきていた竹内敏信さんだった。お互いにフリーになってからも南新宿の古いアパートに共同暗室を作って苦労した記憶も懐かしい青春の1ページである・・・・・・・。

 

その他に新潮社の宮沢賢治本の担当のO編集者、筑摩書房編集局 部長兼編集長のNさんにも忙しいところを無理して来ていただき、久しぶりにゆっくりと飲みながら出版企画の話など聞いてもらった。さらに石川啄木没後100周年企画の写真スケッチ集の見積もりなどの打ち合わせのために古い友人のK印刷の幹部、Kさんとも会った。また、沖縄の友人、日本写真家協会の新人、「写真集団・上福岡」の仲間たちとも写真談議に花を咲かせたのだ。この間に病院へも行って軍医あがりの88歳の担当医から「長生きしたけりゃ酒をやめ~い」と長い説教をされたりもした。 こうして書いてみるとここ数日間でもさまざまな人と会い、その人たちからの何らかの影響によって生きながらえているのだとつくづくと感じ入った日々であった・・・・・・。

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写真は中国・四川省で。(2009年12月撮影)

写真月刊誌「フォトコン」にもう2年間連載してきている「小松健一の写真道場」。その門下生の2人の個展がようやく決定した。2011年2月28日(月)~3月5日(土)、銀座のギャラリー・アートグラフで開催される。オープニングパーティや写真家のトークショーなども計画されているのでお楽しみに。さて、昨日その2人の写真展の最終的な会場構成、作品セレクトなどを八丁堀の日本写真企画本社でおこなった。岡山県玉野市から出川雅庸さん、奈良県から青木竹二郎さんの2人の門下生が駆けつけた。この2年間に毎月撮りためた数百点の写真を机の上に広げて会場壁面図にそって構成、セレクトをしていく作業である。青木さんの「人間都市ーHuman space in megalopolisー」からはじめて展示方法、大きさはどうするのかなど作者の意図とするものを聞きながら作品を絞り込んでいった。

次に出川さんの「水島ーMIZUSHIMAー」だ。この作品は展示数を多く見せることによってより作者の表現意図が伝わるだろうということとなり、青木さんと比べると写真点数は多くなった。出川さんは地元岡山市、玉野市などでも写真展を開催することを前提にパネルなどの展示方法を考えることにした。夕方になってようやく2人の作品セレクトと構成がほぼできあがったので、近くにできたばかりの「ちょもらんま」という中華料理がメインの店に行った。店長に「何故、ちょもらんまと店の名をつけたのか」と聞くと「エベレストのように世界一の居酒屋になりたいからです」と真剣な顔をでその中国人青年は答えた。そして「今日は何かのご縁です。餃子6個一皿が5円ですのでぜひ、食べてください」と笑顔で言うのだ。僕らはすぐに言葉に甘えて4皿、24個を頼んだ。そうしたら本当に一皿に大きい餃子が6個入っていた、それも美味しかったのである。〆て20円・・・・。なにか申しわけないような気がして僕はがんばって芋焼酎のロック3杯も頼んでしまったのだ。最後に坂本副編集と4人でこの2年間余りの互いの苦労と写真展成功を願って乾杯をし、すっかりと日が暮れた初冬の八丁堀を後にしたのだった・・・・・・・。

 

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11月19日、「2010年度ぐんま山村フォトコンテスト」の審査会のために群馬県庁へ向かった。僕は上州へ行く時にはそのほとんどは各駅停車でのんびりと行くのだが、新幹線で来て欲しいという県の要望なので大宮駅から高崎駅までわずか24分を乗車した。高崎駅の改札には県の担当者が待っていてくれ車で県庁へ。群馬県庁へ来ると必ず食事するレストランがある。31階にあるインド料理の店だ。石焼鍋のカレーがなかなかいけて僕の定番メニューとなっている。そしてここからの眺めがまたいい。左から赤城山、正面の谷川岳を中心とした三国連峰など上越国境の山々、右手には榛名山系そしてその奥には浅間山とパノラマに見渡せる。坂東太郎こと利根川は真下をとうとうと流れているのだ。まだ本格的な積雪はないが冬になるとまるでヒマラヤにきたかのような風景が広がるのだ。はじめてこの風景を見たときに僕が原風景を求めてヒマラヤへ通った原点はこの光景かもしれないと衝撃を受けたのだった・・・・・・・・。

 

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僕が審査委員長を務めてから5回目となるこの写真コンテストも年々応募数と作品のレベルが向上してきた。今年度は特に作品の質が高く賞の選考には審査にあたったみなさんとともにうれしい悲鳴をあげたのだった。来年2月2日から6日まで群馬県庁1Fホールで入選作品の写真展が開催されるのを皮切りに各所で巡回される予定だ。審査終了後、「ギャラリー・ノイエス朝日」へ行き、(株)朝日印刷の石川社長と2時間ほど矢島保治郎顕彰企画のことで話合った。以前からいろいろと相談にのってもらっているのだ。その後、上毛新聞論説室参与の小林記者と前県立土屋文明記念文学館館長の岡田さんが来てくれて久しぶりに一杯やった。この日は弟の家に世話になることになっていたので行ってみたら、そこにも地元の友人たちが来ていて鍋を囲んで盛り上がっていたのだった・・・・・。

 

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翌20日は午前中に矢島保治郎の娘さんのNさんにお話を伺うことになっていたので、前橋のノイエス朝日に行った。長島秋夫木工展の初日だったので見せてもらった。気に入ったアフリカの木で作ったペーパーナイフがあったので買おうとしたらちょうどそこに来た日本写真家ユニオン会員の天川弘さんが「小松さん遠くまで来てくれたので僕がプレゼントしますよ」と言う。断わるのも悪いので天川さんは地元と言うことで甘えることにした。Nさんと一緒にきた七宝工芸作家の斉藤芳子さんが第61回群馬県美術展に行きましょうと誘ってくれたのでNさんと出かけた(芳子さんの娘さんが毎年入賞しているというのでその作品も見たいと思った)。会場の県立近代美術館ではちょうど石内都さんの「Mother`s」と「上州の風にのって」の写真展とコレクション展「現代の写真 うつすこと・うつされたもの」を開催していたのでこちらの方をメインに見ることにした。コレクション展はオノデラユキや大竹敦人、松江泰治、安田千絵などの写真だった。群馬県立近代美術館がこうした写真作品をコレクションしているのかと驚いた。石内さんの作品の一部は他の美術館から借りてきていた。ここでこれらの作品について評をのべる気もさらさらないが、県展と比べると鑑賞者圧倒的に少なく、入場料を払ったにも係わらずみな数分で会場を後にしてしまう姿だけが目に付いたことは記しておこう。遅い昼食に蕎麦を食べたあと、Nさんからじっくりと父・矢島保治郎のことを聞いた・・・・・・・。

 

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夕飯は遅くなったが母の待つ実家で食べた。ここに来ると僕はやることが丸でない。犬の2代目五右衛門の散歩だけが唯一の日課だ。カメラを首からさげて家の周辺の五右衛門の散歩コースを回るだけだ。82歳を過ぎた母には元気な五右衛門を連れての散歩は無理なので、僕が帰省したときは何があっても散歩だけはするようにしているのだ。時々シャツターを切ろうとしても五右衛門がやたらと引っ張るので手ぶれをすることが多いがそれもしかないと諦めてもいる。21日には東京へ戻るつもりでいたが、考えたら今回も温泉に浸かってない。夕方おふくろを誘ってタクシーで近くの温泉場へ繰り出した。鉄分の多いここの湯はあまり好きではないが家から近いのと湯上がりに鮨で一杯という僕の計画のため致し方ないのである。1時間あまりゆったりと湯に浸かった後、母もよく知っているお隣さんだったおばさんが先代の女将で、2代目の大将が弟の友人という鮨屋へ行った。おふくろさんとこうして外で食事することはそうは多くないので、駄目倅の僕としてはうれしいのだ。親父とは2人で外で飲んだ記憶はあまりない・・・・・。母は自分より7~8歳若い女将と昔話に花を咲かしていた。僕はそんな母の横顔をみながら芋焼酎のロックをちびちびとやっていたのである・・・・・・・。

 

先日、受けた3つのがん検診の検査結果を聞きにいったが、「すべて異常なし」の診断だったのでほっとした。この歳になるとやはり多少は心配になる。親父も叔父も祖母もがんで死亡しているので・・・・、それも気にならないと言えば嘘になる。しかし今回は大丈夫だった。歯もしっかり治療したいので辛抱強く治療に通っている。年内に目途を立てたいのだ。ついでに薬局も回ってきた・・・・・。こう書いていくと何か飲みに行ってない日は、病院の梯子をしているように思われるが決してそうではありませんから誤解のなきように・・・・・。今朝は冷え込んではいたが久しぶりに太陽が顔を出したので洗濯をして干した。僕は洗濯物を「パーンパーン」と叩きながら干すのが昔から大好きだ。気分が爽快になるのである。時々前の道をとおる奥さんたちが何か不思議なモノをみるように見つめながら通り過ぎることがあるが、ちっとも気にしていない。自分が気持ちがいいのだから他人の目などはどうでもよいのだ~。

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明日、「2010年度ぐんま山村フォトコンテスト」の審査のため群馬県庁へ行ってくる。終了後に「矢島保治郎生誕130年・没後50年記念 顕彰企画」のことで県内の企業家や文化人、ジャーナリストの人たちとも会って相談にのってもらうことになっている。何とか来年から本格的な取材に入りたいと思っているのだ。矢島の娘さんのN子さんへのインタビューも予定している。初冬の上州の風景も撮影できればとも思う。親父たちの墓参りも・・・・・・といろいろと予定を入れ過ぎて、いつもせっかく温泉天国の上州に行きながらのんびりと温泉に浸かったためしがないのである。まあ~、急ぐ旅でもないので自然体で、風のようにいってこよう~と。

(写真は中国・四川省の九寨溝で。2009年12月撮影。早朝の気温はマイナス10度まで下がった)

 

 

群馬県を中心に発行されている地方紙「上毛新聞」の11月16日(火)付けに、僕が書いた文章が掲載される。これは以前ににも書いたが「オピニオン21委員」というの委員を選任して、1年間にわたってそれぞれの分野の人たちが読者に紙面からさまざまな事を提言するのだという。その第1回目が僕に指名されてきたのだ。僕は上州が生んだ快男子・矢島保治郎のことを書いた。担当回数は6~7回あるというので、今後3回ぐらいにわたって書こうと思っている。第1回目は「100年前に世界無銭旅行」という見出しとなった。機会がありましたらぜひ、読んでいただきたい。今日の時代閉塞の現状は、彼が果敢にも上州の片田舎から20代の若さで世界に大きく羽ばたいていこうとしていた時代の状況とよく似ている。そんな現代だからこそ、矢島のような常識に支配されず、自らの価値判断に基づいた精神力、行動力が求められているのではないだろうか。特に青年にはロマンを忘れずに追い続けて欲しいと思っている・・・・・・・。

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上州・吾妻の実家の前に聳える岩櫃山。戦国時代の武将・真田昌幸の名城があつたことでも知られている。子どもの頃はよく遊んだ故郷の山だ。


 

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11月12日よりはじめて本格的に、このサイトの「ギヤラリー」に作品をアップし始めた。ソフトなどの大幅な改定は7月には終了していたのだが、実際に稼動させるとなるといろいろと大変で、僕自身もなかなかその気になれなかったこともあった。このままだらだらしていてもしょうがないし、このオフィシャルサイトを立ち上げるのに心から協力してくれた人たちにも申しわけが立たないと一念発起したのである。まずはサイトの管理者であるY君の事務所に行って使い方から手ほどきを受けた。この事務者は、写真家の塩崎君らが運営しているスタジオでもある。彼も来てくれて、まったくのコンピュター音痴の僕に対して丁寧に教えてくれたのだ。感謝!!当面、1000点をアップしますのでご期待ください。毎日数十点づつでもコツコツと、のろまな僕ですががんばっていきま~す。先ずは「ネパール・ヒマラヤ」の作品から始めるぜよ・・・・・・。

「写真家 小松健一のオフィシャルサイト」がスタートしてちょうど1年半余りとなる。いままでのアクセス数は18000回を超えた。これは1台のコンピュターから1日に何回アクセスしても1回としてしかカウントされない数字なので結構多くの人びとが見てくれていることになる。ちなみにこの1年間で、日本以外のどんな国からのアクセスがあったか調べてみたがこれにはちょぴり驚いた。以下ここに列記してみよう。ロシア、中国、カナダ、アメリカ、トルコ、フリピィン、ベトナム、タイ、ルーマニア、エストニア、ブラジル、チリ、ペルー、フランス、ネパール、オーストラリア、マレーシア、メキシコ、イギリス、ドイツ、イタリア、イラン、台湾、韓国の24カ国である。アフリカ大陸を除いてすべての大陸の国々である。僕はこの結果をみて「う~」と唸るしかないのだった。今やこういう時代なのだと。国境も民族もないのだ。いま日本では尖閣列島のビデオ流失問題が国会等で問題になっているが、改めて現代のデジタル・ネットワーク社会というものを再認識させられた思いがした。

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写真家の烏里烏沙君が22日ぶりにチベット側からのチョモランマ(エベレスト)撮影から2日前に帰国したので渋谷のハチ公前で待ち合わせをした。標高5000メートル以上の高地でのテント生活は堪えたらしく少し頬ガこけていた。「テントのなかでお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいるうちに中で凍ってしまうのですよ・・・」と笑っていた。しかしこの18日から来月の初旬までまた、中国の雲南省の山岳部に出かけるという。「体と家族はは大丈夫か・・・・」と尋ねると「小松さん来年1月に四川省とチベットの境辺りにまたいきましょうよ」などと言ってのけているのだ・・・・・。もうすっかりと冬色になってしまった渋谷の街は、若者ばかりで僕らには落ち着かない。しかし駅の近くで一箇所だけ昔ながら雰囲気が残り、ジャリタレどもが来て騒いでない場所がある。かれこれ30年以上前から来ている店もまだ何軒か存在している。そのひとつに烏里君を誘った。写真専門学校の授業を終えて塩崎君も駆けつけてきた。おでんや関さばの一夜干しで一杯やっているとアートデレクターの浅葉克巳さんが突然入ってきた。ぶらりと初めて入った店だという。すぐに「やあ~ご無沙汰しています。その節はありがとうございました・・・」とあいさつをした。烏里君も前に一緒に飲んで顔見知りだったらしく親しそうにあいさつを交わしていた。

浅葉さんといえば、日本の広告の歴史上、名作といわれている数々のポスター制作をはじめ、中国・ナシ族の象形文字のトンパ文字の研究などその道では第一人者である。例えば民主党のあの円がふたつくっいてるロゴマークや長野オリンピックの公式ポスターも浅葉さんの作品である。西武百貨店の「おいしい生活」、「不思議 大好き」、「お手本は自然界」などのコピーとともに斬新なポスターは一世を風靡したので記憶にある人もいるだろう。そうした長年の作家活動が評価され、紫綬褒章、日本アカデミー賞、第12回亀倉雄策賞など多くの賞を受賞している。

いまから6年前に、その大アートデレクターに「日本写真家ユニオン」のロゴマークのデザインを依頼したのである。僕ガ担当だったので青山の事務所に何回も足を運んだ。「謝礼は数百万円はするのにどうするんだ?・・・」という心配する声もあったが、まずは当って砕けろの気持ちでコンタクトをとった。実際に本人に会うととても気持ちのいい人で、僕らが新しく結成するユニオンの主旨も理解していただき快く引き受けてくれた。ところでお礼なのですが・・・と恐る恐る言うと「いくら払えますか」というので僕は「多くても20万円が限界です」と率直に答えた。すると浅葉さんは「ではお金はいりません。ボランテアでやりましよう」とさらっと言った。一瞬「えっ!????」という感じになったが、では「僕の持っている秘蔵酒3本を持ってきますよ」と言ったら浅葉さんは「そっちの方がうれしいな~」と笑った。たまたまその時に持ち合わせていたネパールヒマラヤのムスタン地方で作ったりんごのブランデーをコップに注いで飲んでもらったら「これはいいね~」といかにも旨そうに飲んでいた。そんなことが縁となりその後、浅葉さんの得意な卓球なども一緒にやったことがあった。・・・・・・そんなことを渋谷のんべぇ横丁の一番奥まった小さなおでんやで浅葉さんと偶然に会って、思い出したのである・・・・。

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昨日、タムロンの写真同好会の第4回グループ写真展のオープニングパーティに出席した。日頃、お世話になっているからということもあったが、写真研究会「風」のメンバーであるTさんがこのグループの世話役をしていて彼女も力作を出品しているからである。神田古本屋街を久しぶりにのんびりと九段から歩いた。会場は「ギャラリーCORSO」(03-3556-3636)、期間は11月21日までだ。カメラメーカーで働く人たちがこうした写真を創作することに何らかの形で係わっているということはとても良い事だと思う。僕は少し遅れて行ったが写真家やカメラ雑誌の編集長、他のカメラ、レンズメーカーの担当者など大勢きていて賑やかであった。僕はあまり知っている人がいなかったのでシグマの経営企画室課長のKさんとゆっくりと話をした。Tさんはタムロンの広報・宣伝部長なのだから本来は、お互いにライバル社同士。しかし写真創作者という意味では、お互いによき仲間であり、ライバルでもある。僕はこういう関係はいいな~と思いつつ、くぴくぴとスパークワインを独りあおっていたのだ。Tさんのご主人が飼い犬2頭と一緒に写真展を見にきた。ワンちゃんが写真を見に来るのは愉快なのでTさんと記念にパチリ!・・・・でした。

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W I N D S T I M E S  風通信 ♯008
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写真展のおしらせ
 
千代田路子写真展「Abyss of time」
写真研究会「風」メンバーの千代田さんが、今月末より写真展を開催されます。
千代田さんより頂きましたご案内をお送りいたします。
 
また、小松主宰より「千代田さん個展、おめでとう!の会」企画していただきました。
オープニングの日は主宰のご都合がつかないため、開催中の金曜日決定しました。
そちらの情報も合わせてご覧下さい。

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皆様へ

タムロン 千代田です。来る11月30日から12月5日まで、四谷にありますトーテム
ポールフォトギャラリーで写真展を開催することになりました。
以前開催した写真展(近隣の荒川流域を撮影したもの)に引き続き、これも近隣の
関越道沿いの小さなエリアを撮影した作品14点を展示いたします。
お近くにお越しの際は、お立ち寄りいただければ幸いです。
ではどうぞよろしくお願いいたします。

日時:2010年11月30日(火)~12月5日(日) 11:00-19:00
場所:トーテムポールフォトギャラリー(地図参
住所:新宿区四谷四丁目22 第二冨士川ビル1F
TEL/FAX:03-3341-9341
HP:http://tppg.jp/
 
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「千代田さん個展、おめでとう!の会」のお知らせ
 
日時:12月3日(金) 17時30分~18時に写真展会場に集合。
千代田さんの作品を作者の解説を聞きながら鑑賞してから
19時に近くの店に移動して「おめでとう!の会」をやります。
当日、遅れる人は事前に事務局までお知らせください。
 
◎写真研究会「風」がスタートして初めてメンバーの個展です。
ぜひ、ご参加ください。次はあなたの番ですよ。
 
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Publisher_Kenichi Komatsu. Editor_Toru Shiozaki. © windstimes 2010

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千代田さんの燃えるような熱情の色・・・・・。みちのく花巻・鉛温泉「藤三旅館」の玄関で。先の写真とはカット違いです。(2010.11.8 撮影)

 

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宮沢賢治とゆかりの深い大沢温泉に泊まろうと思ったのだが、紅葉シーズンでか一部屋しか空いてなくて、やむなく鉛温泉にしたのだ。しかし、この温泉も僕は好きで以前に3~4回は泊まっている。あまり知られていないが宮沢家とは遠戚にあたり、賢治の童話「なめとこ山の熊」に、この鉛温泉のことが書かれている。鉛温泉といえば、作家・田宮虎彦がこの湯に1ヶ月間ばかりの長逗留をして生まれた小説「銀心中」が思い出される。伝承600年の歴史を誇る秘湯・鉛の湯が舞台だ。また近くに疎開していた彫刻家で詩人の高村光太郎もこの湯が好きでよく使っていたという。僕は18年ぶりぐらいであったが総けやき作りの3階建ての本館は昔と変わらないたたずまいをしていた。玄関に入ると「日本秘湯を守る会」の大きな提灯が掲げられていた。数年前に会員になったと主人が言った。各部屋も昨年リニューアルしたらしく以前の昭和16年建築のままの雰囲気は損なわれていたのが残念であった。

鉛温泉といっても宿は「藤三旅館」一軒のみである。旅館の部と自炊の部に分かれてある。これは大沢温泉も同じだ。さっそく賢治も愛したという「白猿の湯」へ出かけた。地下2階から地上3階までが吹き抜けとなっている所にある。平均の深さが約125センチ、深いところは身長176センチの僕の首下あたりまであるから相当に深い。この湯は混浴だから以前に僕が入っていると突然入ってきたおばあちゃんが、まさかこんな深いとは思わずにおぼれそうになったところを助けたことがあった。ひとつの大きな天然岩をくりぬいたこの湯船は「日本一深い自噴天然岩風呂」なのだそうだ。賢治や光太郎がどんな思いでこの湯に浸かっていたを想像しなが僕も立ちながら湯浴みをした。他にも源泉がすべてことなる駆け流しの露天風呂など4つの風呂がある。目の前を流れる豊沢川のせせらぎを聴きながらゆったりと浸かるのも悪くはない・・・・・・。

僕が湯から戻ると湯上がりの浴衣姿のOさんは冷えた生ビールを前に「早くして~」とばかりの眼で僕を睨んだ。とりあえず乾杯をして6時という信じられないぐらい早い夕食とした。突然電話がかかりT記者が取材がいま北上市で終わったのでこちらに来るという。何と40分もかからないで到着した。相当車を飛ばしてきたのだろう。昨夜はそのまま職場に泊まり、今朝7時半からの野球の練習に参加して、そして今までラクビーの試合の取材をしていたのだという。「ゆっくりと温泉を浴びてから生ビールを飲み今夜は泊まっていけ」という話がまとまり、部屋も空いていたので取った。さてこれから・・・と言う時に新聞社のデスクから1本の電話。無常にも「仕事があるから直ぐもどれ!」・・・・・。彼は鉛温泉に着いてからまだ20分もたってないのに、トンボ返りで盛岡へ帰っていったのだった・・・・・・・。

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信じられないくらい血潮のように真っ赤な紅葉に包まれた鉛温泉、大沢温泉を後にして、賢治が地質調査のために歩いた奥州市人首周辺へ向かって車を走らせた。以前は江刺市といってた町である。まずは「ESASI 賢治街道を歩く会」の事務局担当の佐伯研一さんを人首の自宅に訪ねた。彼の家そのものが数百年前の建築物で歴史的価値があるものである。佐伯さんは僕らの為に昼食を用意して待っていてくれた。この日、朝から賢治の歩いた道を辿って賢治研究家で岡山のノートルダム清心女子大学教授の山根知子さんや宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事の菊池善男さんたちもみえており、一緒に食事をした。山根さんは、賢治の妹、としについて研究をしているということだった。僕は「それはおもしろいですね。がんばってください・・・・」と励ました。ついでに僕が生まれたのは岡山だと言うとやたらと盛り上がった。帰り間際に佐伯さんが自身の研究ノート「宮沢賢治と江刺郡地質調査行ー気仙沼街道を中心としてー」をわざわざ小さく折って僕に渡した。彼の長年の研究成果である。

晩秋の風が吹き抜ける五輪峠。かっては南部藩と伊達藩との国境だった地である。賢治はここを通って寂しい詩を詠んでいる。そして賢治が通った旧街道などを撮影して盛岡へと戻った。編集者のOさんは今日帰るということなので最後に「モーリオの田舎料理」の店でご苦労さんの乾杯をして別れた。僕もホテルに戻り一眠りしていたら朝日新聞のT記者と宮古市局長のAさんが「最後の晩餐をしましょう」と訪ねてきた。僕も嫌いではないので当然のごとくまた、盛岡の夜に繰り出したのだった。

翌日は啄木、賢治をはじめとして岩手県が誇る各界のそうそうたる人物を輩出している旧制盛岡一中、現在の盛岡一高へ行った。T記者もカメラを持って同行した。ここに保存してある宮沢賢治や石川啄木の通知表を見せてもらい撮影するためである。通知表を見るとこの時期、賢治は決していい成績とはいえなかった。それは家の質屋を継ぐために父親からは進学は許されていなかったからでる。その後、賢治のはじめての出版となった『注文の多い料理店』の発行所である光原社を見て、若き賢治がよく歩いた材木町で遅い昼食をとった。そしてT君と別れて一人で石川啄木記念館へと向かった。学芸員の山本玲子さんは待っていてくれて、しばし啄木のことについて論じあった。そうしているうちにどちらかともなく「啄木没後100周年を記念して2人で何かやろうよ」ということになったのである。すぐできるのは「写真スケッチ集」。僕の写真に彼女が文を書き、啄木の短歌を入れ込むという3人のコラボレーションである。1989年来の友である彼女と啄木のひとつの筋目の年に、こうした仕事が共有できることが僕はたまらなくうれしかった。盛岡駅の地下街にある三陸の魚とそばを食わせる店に入って一人でやっているとT君が取材先から駆けつけてくれて、本当に最後の乾杯を2人でして別れたのであった・・・・・・。岩手で出会った多くのみなさん。こころからありがとう・・・・・・。

 

 

夕べ盛岡駅の地下街で新そばと三陸のほやと背黒いわしを焼いたのを肴に、最後の一杯を朝日新聞盛岡総局のT記者と酌み交わして19時41分発の「はやて」に乗り込んだ。自宅に着いたのは22時半をまわっていた・・・・・。11月6日から9日まで、来年7月新潮社から刊行予定の宮沢賢治の本の打ち合わせと取材を兼ねてイーハトーブこと岩手県に行っていたのだ。今度の本で文章を担当することになったエッセイストの澤口たまみさんと打ち合わせがひとつの目的であった。もうひとつは、新潮社の担当編集者のOさんを宮沢賢治ワールドに案内することであった。6日は岩手山周辺、7日は花巻、早池峰周辺、8日は奥州、種山が原周辺、9日は盛岡周辺と写真を中心に報告するので今日と明日の2回に分けてレポートすることにする。晩秋から冬へと移ろうみちのくの風土を写真と文から味わっていただければ幸いである。

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6日、12時半に盛岡駅でOさんと待ち合わせをした。彼女は前日から盛岡に入っており、別の本の企画案でKさんと盛岡市内の居酒屋を梯子して「呑み過ぎて頭がまだ痛いで~す」と僕の顔を見るなり頭をかいた。13時に澤口さんと待ち合わせなのでその前にレンタカーの手配を済ませた。はじめてお目にかかる澤口さんはすぐに「たまちゃん」と呼べるような愛くるしい人柄で想像していたとおりの女性であった。あいさつ代わりに固い握手を交わしてすぐに岩手山へ向かって車を出発させた。先ず向かったのは雫石にある小岩井農場。晩秋のみちのくの日差しは盛りが過ぎた山の紅葉を照らし、澄んだ空気はすでに冬の気配を感じさせた。姥屋敷を過ぎ、鞍掛山の麓、岩手山の登山口周辺の森を歩いてみた。霜にあたって少し萎びてしまった赤い実を口に含んでみたらすっぱい味がした。賢治が中学時代に友人と岩手山登山をした下山途中に泊まった山小屋があった綱張温泉のレストハウスで珈琲を飲みながら、今回の企画の思いを3人で語りあった。日陰にはまだ数日前に降った雪が残っていて肌寒かった。目の前に広がる秋田駒ケ岳などの山なみに沈んでいく夕日が透きとほるように澄んでいた。2人に僕がこの夏、何回も通い詰めた春子谷地湿原から見た岩手山を見せたくて車を飛ばした。やはりこの地からの鞍掛山と岩手山は雄大であった。2人も群青色に染まっていく空に聳える霊峰をいつまでも眺めていた・・・・・・。

夜は澤口たまみさんの友人で盛岡出版コミュニティーの編集者で作家の松田十刻さん、僕の古い友人であり、澤口さんの岩手県立博物館時代の先輩でもあったという石川啄木記念館の学芸員の山本玲子さん、それにOさんの雑誌編集者時代の元同僚でもあった朝日新聞のT記者が集まった。場所は、僕がこの夏きたときにすっかり気に入った店「モーリオの田舎料理・どん兵衛」だ。ご夫婦とも岩手山が好きで賢治と啄木が大好きというこの日のメンバーにふさわしい店だ。呑めば呑むほどに文学論やらジャーナリズム論やらはたまた恋愛論まで飛出しおおいに盛り上がった愉快な宴であった。この席では午後1時半まで粘った。そして一度解散してからT君と2人でさらに2軒梯子して最後は南部そばで〆てお開きにした。ホテルに戻ったのは午前3時を回っていた・・・・・・・。

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翌朝は、昨夜の深酒をもろともせずに花巻方面に出発。まずは宮沢賢治記念館へ。Oさんと館長にあいさつをしてから一通り館内を見てまわった。学芸員の牛崎副館長は、賢治学会のシンポジュウムに出ていて不在であった。ちょうど賢治の『春と修羅』の初版本を大分の人が記念館へ寄贈している時で、館はごった返していた。80年前に父親が賢治に注文して直接大分まで送ってもらった本だという。80歳になる娘さんが故郷にあった方がと・・・・、記念館へ寄贈したのだ。その足で花巻農業高校内にある羅須地人協会の建物をみてから早池峰方面に向かった。途中、大迫で「早池峰賢治の会」会長の浅沼利一郎さんを稗貫郡役所を復元した建物に尋ねた。いまここはこの地方における賢治研究のセンターとなっている。2ヶ月ぶりの再会を互いに喜びながらしばし話は弾んだ。近くのそば屋で遠野地方で栽培をしている強い辛味が特徴の「暮坪かぶ」を摩り下ろしてそばにからめて食べる「暮坪そば」を食べた。新そばによくあった。

浅沼さんが力説する賢治の『風の又三郎』や「どんぐりと山猫」の舞台である場所をOさんに見てもらうために釣瓶落としとの競争で山道を巡った。火の又分教場跡地周辺や花岡岩の山の猫山などはとりわけ賢治の童話の世界のような美しさであった。日本にもまだこうした風景が残っていると思うとこれから先、50年、100年と子どもたちに遺していかなければとシャツターを切りながらつくづくと感じたのだった。山道は午後2時半を過ぎると急にあたりは暗くなる。3時を過ぎればまるで夕方。ライトをつけなければ前が暗くてよく見えない程である。僕らはさらに山の林道を抜けて早池峰山の登山口に近い所にでようとしていたが、たまたま出会った地元のおじさんに道を聞くと「とんでもねぇ、あの道はジープでも危ねぇよ。だいち熊がごろごろいるだ~悪いこといわねぇから早よけえれぇ~」と忠告された。そうでなくとも僕は熊に間違えられるので撃たれてはかなわないので早々に引き上げることにした。今夜の宿はここからは反対側の豊沢川上流にある鉛温泉だ。車で飛ばしても優に1時間以上はかかるだろうと思った。 ようやく湯煙の上がる宿に到着した頃は、すでにたっぷりと陽が暮れていた。宿の藤三旅館には煌々灯りが燈っていた・・・・・・・・。(明日へつづく)

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W I N D S T I M E S  風通信 ♯007
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次回写真研究会「風」例会のお知らせ

日時:12月11日(土)(土)13時~ 
場所:世田谷区 新町地区会館 
住所:世田谷区新町2-21-10

*終了後、三軒茶屋・「味とめ」で”風の望年会”をおこないますので
こちらにもご参加ください。(欠席の方は事務局までお知らせ下さい。)

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写真研究会「風」8月例会の報告
 
8月21日(土)の例会は、午前中(出席者・小松先生、鈴木紀夫さん、森さん、山崎さん、
吉田)東京都写真美術館でJPS創立60周年記念写真展「おんな」を鑑賞しました。会場
には戦後の日本復興の歴史とともに、女性たちがどのように生き抜いてきたか、又、現代
の女性たちの姿、そして未来の女性像を予感させるような作品211点が展示されていまし
た。日本の歴史に残る名作も多数展示され大変見ごたえのある展覧会でした。

午後からは新町区民舘に場所を移し講評会が行われました。(参加者・鈴木紀・森・平元
千代田・吉田)ゲストとして上海の取材旅行から前日帰国したばかりの山崎政幸さんも参
加されました。各自、個展・グループ展・雑誌のグラビアのための作品選び及び構成と明
確な目的があった為、大変効率よく講評会は進められていきました。平元さんは1年半撮
り続けた数百点の作品の中から50点に絞込みました。研究会に参加してから撮り始めた
という干潟は季節を追い日を追うごとに愛着もわき、こつこつと撮りためた結果が大きな
成果を生むということを学びました。タイトルも「名古屋・藤前干潟―いのちの物語」に決
定しました。千代田さんは年内開催の個展用に新たに幾つかの作品を持参されましたが、
鶴見線上の工場地帯とその周辺を撮影した作品は見ごたえがありました。千代田さんの
心の断片をも垣間見るような作品となりました。

森さんは以前から撮りためている野菜の花。どんどん円熟味も増しそろそろ展覧会として
開花される時期が来ているようです。
鈴木紀夫さんの「靖国ワンダーランド」が雑誌「季論21」の巻頭グラビア8ページに掲載さ
れるため その構成を行いました。みんなで意見交換しながら 紙面さながらに組まれてい
きました。山崎さんは最新の上海の情景をPCを使用して紹介してくださいました。
吉田は 昨年撮影したインドの作品を30点ほど持参しグループ展のために構成のご指導
をいただきました。
今回は 質問もいろいろ出ました。「写真に思いを載せる方法は?」という問いに主宰は俳
句での季語を例に説明をしていただきました。また、グラビアには縦位置の写真が比率とし
て多いなど実践的なことも学びました。

例会後はいつもの 三軒茶屋の居酒屋にて懇親会が行われました。今回は全員が参加
して途中から元メンバーの写真家・菱山忠浩さんも参加し更に写真談義に花が咲き夜は
どんどんと更けていったのでした。(吉田記)

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写真研究会「風」10月例会の報告

10月16日(土)風例会が行なわれました。出席者は 鈴木紀、加藤、平元、吉田の5名。
平元さんは今までの「藤巻干潟―いのちの物語」と新作「荒池」をモチーフとした作品30
点ほどを持参されました。背景を気にせず、視点を絞ることが大切という主宰の言葉に頷
いておられました。加藤さんは、今まで撮り貯めた在日朝鮮学校の作品をいよいよまとめ
る時期に入ってきました。構成はまた後日、時間を取るということになりました。

また何故自分がこの被写体に取り組んできたのか、論議して文章にまとめ始めることとな
りました。吉田は「誕生」という題名の作品を20枚構成で持参。最後は鈴木事務局長の作
品。この6~7年間、JRの青春18キップで北海道から沖縄までを普通電車を中心にして
旅をした写真日記です。年内にこの作品と中国、ネパールのモノクロ作品をバラ板印画紙
でプリントすると語っていました。
例会後は塩崎さんも参加して三軒茶屋の「味とめ」にて懇親会が行われました。(吉田記)

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写真展のおしらせ

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高田昭雄・紀美子夫婦写真展

「ヒマラヤに神々と暮らす人々」高田昭雄
「ヒマラヤッ子」高田紀美子

日時:2011年1月4日(火)~1月9日(日) 9:00~17:00
場所:エネルギアプラザギァラリー
住所:岡山市北区内山下1-11-1


小松先生の誘いで2000年9月、遠い存在だったヒマヤラ・ネパールに行く機会がもてた。名
所、旧跡を巡る観光旅行でなく、その国の歴史や文化を学び、大きな自然に抱かれ、人と
して失ってはならないもの、真の豊かさとは・・自分を再発見する感動的な旅であった。湧
いてくる感動をファインダーに収めることなかなかできなかったが、2009年まで7回延べ100
日以上、二人でヒマラヤ山麓を歩いた記録で、二人のそれぞれの視点の違いを観ていただ
きたい。

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第2回チベット山岳写真協会展

日時:12月10日(金)~16日(木)  
場所:フレームマン・エキジビションサロン銀座
住所:東京都中央区銀座5-1銀座ファイブ2F

小松主宰が顧問を務めているので特別出品で2作品を出展。会長を務めている烏里烏沙
氏も2作品を出展しますのでぜひ見に行ってください。

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gallery bauhaus 4周年記念特別展 「THE COLLECTION」

日時:2010年11月4日~2011年1月29日
場所:gallery bauhaus
住所:東京都千代田区外神田2-19-14-101
電話:03-5294-2566

元会員の早川愛子さんが参加します。ニューヨークを題材とした作品2点が展示されます。

JR御茶ノ水駅下車。聖橋方面出口へ。聖橋を渡り、右に湯島聖堂を見ながら真っ直ぐ進
む。最初の信号(交差点)を越えて、2つ目の路地を右折。15メートル程歩いた左側、前
に柿の木のあるビルがgallery bauhaus。駅から徒歩6~7分程度。

下記のURLにて展示会の詳細をご参照頂けます。
http://www.gallery-bauhaus.com/101104_collection3.html

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写真研究会「風」の2010年度合宿研究会の日程決まる!!

日時:2011年2月5日(土)~6日(日)
会場:群馬県伊香保温泉・「金太夫」

*作家林芙美子の名作『浮雲』に登場する老舗旅館です。
詳しい日程や参加費などについては次号でお知らせしますので、この日を今から予定し
ておいてください。同人・会員以外の参加もできます。今回はオプションで会終了後、上
州の温泉などゆっくりと旅したい人は、2~3日でしたら主宰が案内してくれるそうですの
で早めにその旨お知らせ下さい。

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編集後記

先日武蔵野美術大学の学園祭に行ってきました。家から歩いていけるので、今年も見に
行ってきました。数年前の学園祭で写真のプリントを露店で売っている学生がいましたが、
今では読売新聞のカメラマンとして活躍されているようです。彼のクレジットが入った写真
を見ると嬉しくなります。
 
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Publisher_Kenichi Komatsu. Text by_Kayo Yoshida. Editor_Toru Shiozaki. © windstimes 2010


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☆写真2点は、11月6日~9日のイーハトーブ・岩手県の取材で撮影したもの。1点目は岩手山麓の鞍掛山の森のなかで。2点目は啄木、賢治の母校である盛岡一中(現盛岡一高)の校庭で。

 

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今朝、爽やかに目覚めて仕事場にしている一階のフロアーに降りてみるとブラインドに美しい影絵が浮かび上がっていた。愛用のSIGUM-DP1を取り出してシャッターを切ったのが上記の2点。初冬の朝日は鋭い光を放射してくるような切れを感じる。部屋全体をゴールドに統一しているので余計に輝きが乱反射しているのだろうか。お金とはまったく縁の無い生活をして久しいが家の中だけは”金閣寺”にいるようなのである。昨日、今日と病院めぐりだった。別段体調が悪いわけでないのでご心配は無用だ。歳の波には逆らえないので大腸がん、肺がん、前立腺がんの検査もしたし、定期的な呼吸器系の病院、内科、眼科それに歯科が加わった。大分前にすべて治療していた歯の部分にガタがきていて、また治療し直さなければならないのだ。こうしたことはやはり歳というか、人間の耐久年数が近づいている証なのだろう。だから決して恥じることでもなければ焦る必要もない。自然の法則に身をまかせていればいいのである。しかし、うれしいこともあった。体中の筋肉を調べたのだが全身の筋肉がすべて測定基準のMAXを超えていたのだ。グラフはすべて最高値を振り切っていたのである。測定に当っていた若い看護師さんたちは「わーすごい。こんなに筋肉がある人、みたことがないわ・・・」と僕の体を珍しそうにやたらと触るのである。僕も「えっ!」と驚きつつも若い美人の白衣の天使に触られるのは悪くないのでしばらくは触られるままでいたのだ。 「へっへっへっ・・・・・」。

 

今日は文化の日。小春日和の気持ちよい日だ。暦の上では11月は立冬で、陰暦の異称は霜月となる。この前までのあの暑さがまるで遥か彼方のことのように毎日が肌寒い。今週から来週にかけて宮沢賢治の故郷・岩手県へ取材に行くが東北のこの時期の気温をみると朝夕の気温はすでに3~4度となっている。もうそこまで冬将軍は忍び寄っているのだ。さて、文化の日のこの日は、秋の叙勲やら文化勲章やら僕らには全く縁がない表彰がおこなわれているが、一つだけうれしいニュースがあった。それは文化功労者に我らが写真家・細江英公さんが選ばれたことだ。写真家では渡辺義雄先生、石元泰博さん、田沼武能写真家協会会長につづいて4人目の快挙だ。細江さんはさらに俳句会「一滴」の同人仲間でもある。12月の句会の後の忘年会で祝う会をやろうという計画も進行中だ。細江さんの写真作家としての業績は世界的にも高く評価されているから文句ない受賞で、僕としてもこころから喜んでいる・・・・・・・。

と言うわけではないが2年ぶりぐらいに友人のMさんと池袋の沖縄料理屋で”デート”をした。この店は以前にもブログに書いたことがあるが僕が通いはじめてから20数年経つから池袋の通っている店のなかでも古い方だ。いい店はこの15年ぐらの間にほとんどが店を閉めてしまった。いまやこうした雰囲気のある店はこの池袋界隈でも小数派になってしまった。駅から1分程度で行けるというのも呑み助にとってはうれしいのである。大将は2代目で若い頃は店を閉めてからよく一緒に飲み歩いたものである。いまはお互いに歳を重ねてそれほどの元気はないが・・・・・・。Mさんはスキュバーダイビングもやるので沖縄へはよく行く、それで琉球料理と泡盛が大好きなのだという。そんなこともあって僕が2年ほど前に一度一緒にいった「あの店で会いましょう」と指定してきたのである。僕が待ち合わせの時間に行くとすでに独りカウンターで島酒をうれしそうに傾けていた。彼女は若い頃は池袋に近い所に暮らしていたのでこの町は自分にとって「青春時代の想いでの町よ・・・」といってまた島酒の盃を飲み干した。そして驕ってもらっうことになっている僕も「英公さんの栄光を祝して」などいいながらまた一杯、いやいっぱいかな・・・・・・・・。

 

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田舎の弟から草津温泉の塩羊羹がたくさん送られてきた。この羊羹を製造しているのは、弟の友人で実家のすぐ近くの会社だ。実は弟から羊羹のラベルを新しく変えたいと友人である社長が言っているので僕に字を書いて欲しいと言ってきたのである。前にも弟が役員をしている社団法人「倫理法人会」の役員が使う名刺に「感謝」という文字を書いたことがあった。しかし今度は不特定多数の人々が買い求める商品である。とても僕の手には負えないと思い、友人の書家・豊田育香さんにお願いしたのである。そのラベルの書がこの写真だ。羊羹を製造している社長も大変喜んでくれたとのこと。豊田さんにはお礼に大量の羊羹を送ったという。しばらくは羊羹漬けの日々となるだろうね・・・・・・。豊田さんありがとう!!

「サンデー毎日」に連載中の”三国志大陸をゆくー古戦場をめぐる・「北伐」の旅その2”の発売が11月9日火曜日だ。地方によっては1日遅れて10日発売の所もあると思う。4月から続けてきたこの連載もいよいよ後2回を残すのみとなった。12月14日発売予定の”古戦場をめぐるー五丈原の風”が残念ながら最終回となると思う。ぜひお手にとってご覧いただければうれしい限りだ。話は変わるが、僕が育った群馬県地方をエリアとして発行している「上毛新聞」という100数十年の歴史がある地方新聞がある。この新聞に任期が1年で「オピニオン委員」の就任を頼まれた。11月1日の上毛新聞創立記念日から1年間の間に「視点」という1100字ほどの欄を6~7回担当して執筆するのだという。基本的には何を書いてもいいという。僕は「風来人である写真家の眼からみた”心の故郷”像を考察してみたい」とその豊富を書いた。第1回目は現在取材中の矢島保冶郎についての原稿を送った。まあ、偉そうなことはもとより書けないのは明確だから自然体で1年間取り組んでみようと思っている。上州を吹く抜ける風のようにね・・・・・・・。

 

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