写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.223] 2010年10月20日 都会のオアシス”銀座村”の板前・荻久保さんを偲ぶ会へ参加。昨日、中国四川省から帰り22日からチョモランマの撮影に行く烏里烏沙君と飲む・・・・・。

SDIM0442.JPG

SDIM0432.JPG

SDIM0443.JPG

SDIM0428.JPG

SDIM0454.JPG

SDIM0453.JPG

SDIM0457.JPG

一昨日の10月18日、銀座の和光デパートの裏の路地裏で30年間にわたり築地の鮮魚を中心に旬の料理をを手頃な値段で振舞ってきた銀座村の名物・板前の荻久保忠雄さんが急逝された。その荻久保さんを偲び奥様を励ます会が銀座で開かれたので参加した。1980年代後半の頃、コダックの銀座支店長が「小松さん以前、二コンに勤めていて今は居酒屋の女将をしている店があるので案内しますよ」と言って連れていかれてからの付き合いだからかれこれ20数年は経つだろう。銀座村そのものは30年間やったというが、3年前に突然と閉店してしまったのである。僕は銀座で写真展などをやった時は必ず貸切で使っていたし、一人でも銀座に出たときはよく行っていた。大将も女将もそして板さんの荻久保さんも本当に親しく接してくれたのである。僕にとっては大都会の心のオアシスであった。そんな店の板さんの荻久保さんが亡くなられたと常連中の常連が集ったというわけである。世話役のMさんが「小松先生はゲストですので必ず来てくださいね」と連絡をくれたので出席した。3年ぶりでほとんどの人が名前も知らないものの皆あっという間に打ち解けて多いに盛り上がった。盛り上がるのは荻久保さんが何よりも好きだっからである。何から何まで仕切ってくれた世話役のMさんと有楽町駅前の飲み屋でしみじみと荻久保さんへ献杯をしたのだった・・・・・・。

SDIM0469.JPG

SDIM0467.JPG

SDIM0463.JPG

SDIM0480.JPG

SDIM0479.JPG

10月19日朝、夕べの酒が残っている頭に電話のベルがけたたましくなった。布団に入ったまま受話器を取ると写真家の烏里君だった。昨夜、四川省の西南部から戻ったばかりでまた、22日から来月の10日過ぎまでヒマラヤのチョモランマ(エベレスト)の撮影に行くのだが、どうしても会いたいというので池袋まで出かけることにした。12月にフレームマン銀座サロンで開催する「チベット山岳写真協会第2回写真展」へ出品する作品を2点持って行った。烏里君も30点ばかり持ってきて見て欲しいと言うのでそのなかから聖なる山カイラスなど2点セレクトした。その後、彼が旨い中華料理の店に案内してくれて「三国演義」という10年ものの紹興酒をボトル2本空けた。料理の味もよかったので、写真創作の話から日中問題に至るまで2人でじっくりと話した。そしてもう一軒軽く行きましょうということになって、これまた20数年前からの友人である店に行った。店もすでに3箇所変わっているが年に何回かは顔を出す程度の客である。僕が西池袋に事務所を構えていた時代に彼女は店を出したばかりで、僕が暗室作業で深夜になって空腹のときに、おにぎりなどを食べに行ったのがきっかけだった。その頃小さかった3人のお子さんたちはみな成人して一人立ちしているという。ときどき店に手伝いに来ていたご両親も元気で一緒に暮らしていると聞いた。出かけてくる前に弟から電話があり、母が昨日、転倒して頭を怪我して何針か縫ったという。幸い大きな事故にはならなかったが、この夏にも転倒して肋骨にヒビが入ったばかりである。電話をすると声はやけに元気であった。この日、久しぶりに母を歌った曲を2曲歌った。歌いながら独り暮らしをさせている長男の責任を感じて胸がつまった・・・・・・・。

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。