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[no.210] 2010年9月17日 第45回「志遊の会」・立川志遊師匠の高座を6月の国立演芸場いらい聞いた・・・・・。

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9月16日、冷たい秋時雨のなか、第45回「志遊の会」を今年6月に国立演芸場でおこなわれた独演会以来、聞きにでかけた。この夏、宮沢賢治の取材で東北へ行っていた取材費の清算と今後の打ち合わせのために新潮社のO編集者と会う目的もあった。彼女が大の落語好きで、志遊の噺をきいてから打ち合わせをしょうと言うことになったのである。この日、同じ日暮里サニーホールでは、三遊亭好楽師匠の会があり、上野広小路亭では桂春雨師匠の会があり、よく知る噺家の会が寄寓にも重なった日であった。この日の前座は、珍しく浪曲の東家一太郎、曲師は佐藤貴美江師匠で、ねずみ小僧次郎吉の少年時代の一席であった。寄席での浪曲は昔は盛んだったが近年は本当に珍しい。僕は若い頃から浪曲が好きでよく聞いていた。いまでも広沢虎造のテープを持っている。死んだ親父が下手な浪曲を唸っていたのが子ども心に影響を受けたのかもしれない。寄席での鳴り物はやはり華やかになっていい。さて、この日の志遊師匠の演目は最初は、「お化け長屋」で中入り後「抜け雀」であった。どちらも力演であったが僕はこの日の出来は「お化け長屋」の方に軍配を上げたい。終了後はいつも師匠を囲んでの打ち上げに繰り出すのだが、この日は俳句仲間の落語通の山本光仙さんと書家の豊田育香さんが来ていたので編集者のOさんと4人で、近くの立川流の噺家がよく集まる飲み屋へ行った。2時間ほどほとんど落語の話ばかりでずいぶんと盛り上がった。とくに今日の「抜け雀」の落ちについて議論は深まった。志遊師匠の「籠の鳥・・・・」という落ちでいいのかという論議だった。まだまだ名人の親を超えられない・・・・・という意味での籠の鳥だから、「身の自由を束縛されている者。特に遊女・・・」を指す言葉だからあの場合はやはり原本の方がいいのではないのか?などと高清水の熱燗をぐびぐびと空けながら熱く語っていた。僕は酎ハイで育香さんは生ビールで少し距離をおいて話をきいていたのである。この夜は、久しぶりにOさんともじっくりと話また飲んだのだった・・・・・・。

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