写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.180] 2010年7月3日 (社)日本写真家協会創立60周年記念祝賀会に550人の人々が参加し、盛大に開かれた!!

このサイトが新バージョンになってから初めての更新である。実は長い記事を書いて何度か更新を試みたのだがアップされない内に全部消えてしまった。原因は僕の操作ミスであるのは、ハッキリしているのだが、自分でよくわからないのでとても不安である。その不安を抱えながらまたチャレンジをしているのである。

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さて、昨日の7月2日、社団法人日本写真家協会創立60周年記念祝賀会がウェスティンホテル東京で、548人が参加して盛大に開催された。この日の参加者は、JPS会員をはじめ、写真業界、出版業界、文芸美術界、マスコミ界など多岐にわたっていた。日本写真家協会は、1950(昭和25)年にプロ写真家の職能団体として、70人の職業写真家で創設されたのである。初代会長には、木村伊兵衛さんを選出した。その後、紆余曲折はあったが、現在は、文化庁所管の社団法人として名誉・正会員あわせて1800人の団体へと発展をとげた。僕も1986年の当時、三木淳3代目会長のときに、理事に選出されてから、藤本四八4代目会長の時まで、3期、約9年間にわたり理事を務めてきた。主には広報担当であった。会場には本当に久しぶりに会う面々がたくさんいて固い握手を交わした。それぞれに懐かしさがこみ上げてくるいい会であった。

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たくさんの人たちと旧交を温めたが、とりわけうれしかったのは僕が写真の師と仰ぐ一人である土門拳先生のお嬢さんの真魚さんと再会できたことだ。長年にわたって助手を務めた写真家の堤勝雄さんもいっしょであった。先生がまだお元気な頃、麹町のご自宅を訪ねたとき以来である。先生の思い出はなし、とくに大の仲良しだった田村茂先生と藤本四八先生とのエピソードを語るととても懐かしそうに「お二人の先生方は真面目でしたが、父は一番の不良でしたでしょ・・・・」と微笑まれた。黒柳徹子さんも数十年前、まだ飯沢匡さんがご存命のときに、お二人一緒に写真を撮らせてもらったことがあった。今回も真正面から撮らせてもらったが、以前と少しも変わらなくお若いのには驚いた。ドキュメンタリー作品を多く残している写真家の伊藤孝司さんとも何十年ぶりだったろう。彼の自宅のある桑名市を訪ねた頃は、まだお互いに若かった。今日から7月30日まで、”ポレポレ東中野”で上映される映画「ヒロシマ・ピョンヤンー棄てられた被爆者」の監督をしている。「写真だけではなかなか食えないので、いままで追いかけてきた朝鮮問題と日本にメスをいれた映画を作ったんです。少しヤケクソ気味ではありますが・・・・」と苦笑いをした。特別鑑賞券は1200円、トークイベントもありますので、ぜひ足を運んでみてください。(問い合わせ 03-3371-0088)

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 田沼武能会長、熊切圭介副会長、松本徳彦専務理事など現役員の人たち一人一人と固い握手を交わして会場を出た。著名なジャーナリストの岡井輝毅さんが「小松ちゃん軽く一杯いこうか?」と声をかけてくれたので、宮崎から参加していた(協)日本写真家ユニオン理事長の芥川仁さんを誘った。3人で近くの恵比寿ガーデンプレイスの中の店に入った。岡井さんさんから戦後日本写真史のさまざまなエピソードを聞いた。聞きながらの酒の肴は、おでんのはんぺん、大根、コンニャクに、カレイの一夜干しに、ホヤの刺身と浅漬け・・・・。みな歳相応の肴ばかりである。岡井さんは今年喜寿を迎えて、ますますお元気ではあるが、酒量はと言えば以前と比較するとずいぶんと落ちた。お体には充分気をつけてもらって、日本の写真界のためにもまだまだたくさんの本を書き続けてほしいと思う。他では聞くことができない貴重で愉快な話を聞くことができて、芥川さんと喜んだ。今夜は大人の酒席だったのでほろ酔い気分となって、それぞれの家路へと別れたのであった。

 

 

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