写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.176] 2010年6月20日 ”上州駆け歩き旅日記”(6月16日~19日)、日本最初の冒険家・矢島保治郎のご令嬢にお会いできた・・・・。

SDIM0899.jpg

 

6月16日から19日まで、故郷・上州へ行っていた。16日の朝、9時に「写真集団・上福岡」の会長をはじめ、役員3人が車で迎えに来てくれた。会長のT さんは、生まれ育った西上州をモティーフに作品作りをしているし、Sさんは日本の瀧108景を追い続けていることもあって、僕に同行してくれることになっ たのである。まず向かったのは、関越自動車道の本庄・児玉インターから降りて1時間半ほど走ると着く美しい自然と恐竜のまち・神流(かんな)町だ。この町 の宮前町長とは「群馬山村フォトコンテスト」の審査を6年前から一緒にしている関係で親しくしてもらっている。この日、町長が東京へ出張に行っているとい うことで、総務課の好青年がマイクロバスで町内を案内してくれた。神流七瀧めぐりや1億2000年前の大小の恐竜の足跡の化石が残る「瀬林の漣痕」など興 味深く見た。昼食に、町の食堂で食べたうどんも太くて歯ごたえがあり美味しかった。

 

 

日航機墜落事故で一躍有名になった上野村を抜けて1000m級の峠をいくつも越え、約3時間ほどかけて母の暮らす実家まで辿り着いた。しかし瀧を撮ってい るSさんが我が町の「不動瀧」を撮りたいというので夕暮れが迫っていたが瀧のある観音山へと急いだ。谷あいなので当りは薄暗かったが瀧は轟々と白いしぶき をあげていた。なんとそこに美しい女性が素足になって滝壺に入り、瀧から発生するマイナスイオンを全身で吸収するかのごとく両手をいっぱいに広げて立つて いたのだ。白いブラウスを着ていたので暗い滝壺に佇む聖女かと一瞬、我が目を疑ったのである。仕事を終えてからここに来たのだという。瀧の気を浴びている ととても癒されるので、時間を作っては瀧めぐりをしていると白い歯をみせた。僕が神流で撮ってきた瀧の写真を見せるとすぐに「白水の瀧でしょ。私も好きで 行きましたよ・・・」と微笑みながら答えた。この女性は、これから前橋まで帰るのだという。よほど瀧が好きでなければこういうことは出来ない。僕はこんな 時代閉塞のなかにもまだ、こうした女性がいるのだと思うと無性にうれしくなったのである。

 

 

翌17日は、前橋市在住の七宝焼き作家の斉藤芳子さんの案内で、榛名山麓に広がる「榛名高原邑」を訪ねた。そこに暮らしている翻訳家の和田さんを紹介して いただいた。いろいろと話すとユニークな人で共通の友人も多かった。すっかり意気投合して昼間から黒ビールを飲み、翻訳した著書をいただき、我が家の近く の天狗の湯・温泉で裸の付き合いまでしたのだ。この日、はじめて会った人なのに何故か旧知の友人のような気がした。18日は真ん中の弟の嫁が来てくれたの で、父の墓参りをして、僕の好きな蕎麦を食べに行き、前橋の「ノイエス朝日」まで送ってもらった。母も一緒に来た。この日は、以前にも何度かこのブログに も書いたが、今年でちょうど100年前、外国人としては、四川省からチベットに入った初めての冒険家・矢島保治郎さんの娘さんと会うことになっていた。彼 女も7月7日に出発する四川省の旅に共に行くことになったのである。3時からは陶芸家の高橋芳宣さんと斉藤芳子さんも合流して、旅の打ち合わせをした。夕 方、上州特有の夕立があった。書家の岡田芳保さんもやって来て、一番下の保険の代理店をしている弟の案内で、前橋市内の焼き鳥屋に繰り出して旅の前祝をした。

 


左から県立土屋文明記念文学館前館長の岡田芳保さん、矢島仲子さんと

19日の昼過ぎには一旦家に戻り、すぐに支度をして池袋の東京芸術劇場へと向かった。やはり7月の僕の旅に参加する人たちへの説明会を3時からすることに なっていたからである。現地コーディネートを担当する烏里烏沙君も来て、全部で8人が集まった。打ち合わせの後は、みんなで中国の大衆食堂へ。ここは安く て旨い店で最近頻繁に僕は使うようになった。みんなもとても喜んでくれた。とくに長年、講談社の前で中華料理店をしていたという城夫妻は喜んだ。7月の四川省の旅は、愉快なメンバーで楽しい旅になりそうである。


このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。