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[no.165] 2010年5月27日 ジャーナリスト・岡井輝毅さんの喜寿を祝うために、新橋の「井筒」でしみじみと飲った・・・・・。

昨日、5月26日は「フォトコン」編集部の坂本太士君と同誌に連載中の「小松健一の写真道場」の7月号以降の打ち合わせを有楽町でした。同企画もいよいよ大詰めとなり門下生2人の個展開催の準備段階へと入ってきた。2008年12月号から2011年1月号までの予定だから足かけ26回の長期連載となった。ところで今日、都内に出かけてきた最大の目的は岡井輝毅さんの77歳の喜寿をお祝いするためだ。2人でしみじみと一杯やろうということになっていたからである。



岡井輝毅さんは写真界では知らない人はいないほど著名なジャーナリストである。本当は写真評論家と言ってもいいと思うのだが、本人が嫌ってこの肩書きは絶対に使わない。早稲田大学政経学部を卒業後、朝日新聞社入社。南米移動特派員やソウル支局長、「週刊朝日」副編集長、「アサヒカメラ」編集長など歴任して1989年に退社。以後フリーのジャーナリストとして写真評論の執筆、写真集の編集などを手がけてきた。主な著書には『評伝林忠彦・時代の風景』(朝日新聞社)で2001年日本写真協会賞年度賞、『土門拳の格闘』(成甲書房)で2006年日本写真協会学芸賞、『昭和写真劇場ー遥かなる時代の告白』の大著など多数がある。編集に携わり世に出した写真集は96冊。後4冊出して100冊にしたいと意気込んでいる。著書も後5冊は刊行したいと言う。



また、俳句同人誌「一滴」の代表を務める俳人でもある。この日、岡井さんと待ち合わせをしたのは新橋の烏森口のちゃんこ料理「井筒」。この店は岡井さんのお気に入りでもう35年ばかり通っていると言う。僕も岡井さんに連れられて、写真家の水越武さんと来てからすでに10数年になる。新橋へ来たときにはたまには顔をだす客である。「井筒」は言わずとしれた大相撲の井筒部屋の初代鶴ヶ峰関の女将さんが昭和42年に開店した。鶴ヶ峰といえばあの名横綱・双葉山の親友である。いまは長い間、井筒部屋の料理人をしていた野村龍二(70歳)さんが2代目の主人として店を繁盛させている。板場のなかには3代目を継ぐ息子さんも修業している。店のはし袋には、まわしの絵に「井筒部屋の唄」が3番まで印刷されていて関係を偲ばせる。以前に主の相撲甚句を聞いたことがあるがよく通る声で感嘆した記憶がある。




岡井さんと僕はちょうど20歳離れている。いわば親子の関係に近い歳の差の友人である。「アサヒカメラ」編集長時代から知ってはいたが、親しく話したことなどはなかった。親しく付き合うようになったのは20年前、何かのパーティーだった気がする。以来、よく飲み、よく論議した。だいたいは岡井さんの弁を僕が一方的に聞くことになるのであるが・・・・・。彼の書く文章は勿論好きではあるが、正義を貫くジャーナリスティクな人間性が何よりも好きで尊敬できる人である。酒の飲みっぷりも気持ちが良いほど豪快であった。ご自宅で夏に開く「トマト会」にも何度かおよばれした。奥様がまた美しく素敵な方である。「井筒」の焼酎のボトルに、この日の記念にと僕が「残雪の峠は風の音ばかり・・・・風写」と書いたら岡井さんがそれを受けて「風を聴くそぞろに偲ぶ初夏の喜寿・・・・輝生」としたためた。久しぶりに愉快な酒であった。岡井さんと別れてから長く通っている有楽町のガード下の「さつま」(創業昭和26年)と「銀楽」(創業昭和32年)へ顔を出し、一杯やって帰路についたのであった。

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