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[no.158] 2010年5月7日 「サンデー毎日」の連載、次回は5月11日(火)発売号! 写真家・藤井秀樹さん逝く。 体調管理のため酒を止めようと思いつつ・・・・・。

 


諏訪から戻った翌日の5日は、昼から(株)日立製作所発行の「uvalere」の連載”中国大陸巡礼ー長江流域”の最終校正の確認と次回の”少数民族の故郷”の打ち合わせのために編集者のY君が来てくれたので、例の「三福」で会った。こどもの日(母への感謝の日でもある)の祝日なのに来てくれたので、まずはビールで乾杯した。2時間程で終わり、4時からは6月3日から9日まで川越のデパート・アトレで個展を開催する「写真集団・上福岡」のSさんが作品構成をして欲しいとやって来た。僕の写真が飾ってある奥座敷を借りて作品のセレクトと構成をした。タイトルは「瀧巡礼」で日本の瀧、108の風景を撮影しているのだが、風土や信仰と結びつけている美しい作品である。写真展の成功の前祝いということでまた乾杯をした。



翌日の6日も新宿のコニカミノルタプラザで開催中の野町和嘉写真展「サハラ、砂漠の画廊」を見に行った。野町さんがいたので作品のことで少し話を聞いた。その後、銀座で3箇所写真・絵画展を巡り、(株)二コンへ行った。機材のことや「矢島保治郎」の企画書の説明などするためである。中国の写真家、烏里烏沙君と合流して、すぐ近くのライオンビアホールへ行って何でもいいから黒ビールで乾杯した。この日も急に夏日となり喉が乾いていたのだ。その後、池袋の「琉球料理・みやらび」であらためて泡盛で乾杯しなおしたのである。  この日、親しい先輩写真家の藤井秀樹さんが亡くなられた。社団法人日本広告写真家協会会長を長く務めた。すばらしい大胆な広告写真を次々と発表した時代の旗手でもあった。ここ10年ぐらいはカンボジアのこどもたちをモノクロでドキュメントの手法で撮影していた。東京写真芸術専門学校の校長も秋山庄太郎さんから引き継いでからずーと務めてきていた。何年か前、僕がその学校へ行った時に、セバスチャン・サルガドが来ていて、彼に僕を「ヒマラヤを取り続けているフォトグラファーだ」と紹介してくれて、固い握手をしたことが忘れられない。まだ75歳だったというから無念の極みだ。やすらかにお眠り下さい・・・・・。  合掌



今日、7日は酒は飲むまいと思って外出した。まずは上野・アメ横へ。中国の友人への土産物を買いに出かけたのだ。そして毎日新聞社へ。「サンデー毎日」編集部の編集委員のYさんとデザイナーのAさんと打ち合わせのために出かけた。第2回目の「三国志大陸をゆくー魏之国」は5月11日(火)発売ですので、ぜひご覧下さい(6月からは毎月第一火曜日の発売号となる予定です)。写真原稿を4回分渡し、気分が良かったのと昼飯を食べてなかったので腹が減ったこともあって毎日新聞の地下レストラン街で昼飯ついでに黒生を一杯やってしまったのだ。トホホ・・・意思のなんて弱いことか。せっかく都内に出かけたのだから気になっていた都立写真美術館でやっている「森村泰昌・なにものかへのレクイエムー戦場の頂上の芸術」を見に行った。ここで一言で感想を言い表すことはできないが、写真という表現についていろいろと考えさせられた。おもしろいと思ったし、ドキッとさせられた作品もあったが、とにかく見を終えて帰るときは気分は重く沈んでいた。外の横殴りの雨もさらにこころを暗くしたのである。写真家としての立位置を今後どこに据えるのか。これからの時代さらに鋭く問われるだろうと思った・・・・・・。というような不安な気持ちを吹き飛ばしたいと思い、我が家の近所の「三福」で、来週からしばらく食べれなくなる魚貝の刺身と鰯の丸干しで、芋焼酎を一杯やっていて、雨が上がったのを見計らってさ~と帰宅したのであった。

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