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[no.150] 2010年4月19日 半泥子、土平の精神を継ぐ陶芸家藤村州二を観て、朗読家櫛部妙有さん、作家中村愿さんと語る。

17日の土曜日は、中国研究家で作家の中村愿さんと四谷三丁目で会う約束をしていたので午後から出かけた。彼との約束は夕方5時半だったのでその前に、今年の木村伊兵衛賞の受賞作品展をコニカ・ミノルタプラザへ見に行った。高木こずえさんの写真展である。じっくりと観たがやはり納得できるものではなかった。この手の手法は1920年代の新興写真運動のなかですでに表現されているし、近年多くの者が多様している類似性を感じた。90年前とは異なり今はデジタルの世界。コンピュータのなかでどうにでも処理できる時代だ。混迷している写真表現の時代だからこそ、革めて写真とは何かが、問われているのだと思う。こうした時代にブレてどうするのだと強く思った。高木さんが悪いのではない。彼女は彼女なりに一生懸命なのである。僕に言わせればはっきり言ってこうした作品を賞に選び、一層写真界を混乱させる者らが悪いのだ。コニカ・ミノルタプラザで同時開催していた他の2つの写真展の方に、僕は好感がもてた。そのひとつ竹田武史君の「茶馬古道」は、表現はオーソドックスではあるが、厳しい環境のなかで、茶を通して生きている民族が丁寧に取材されており胸を打たれた。こうした表現は、やはり時代を越えて僕は写真表現の王道に成っていくのだと思う。「過去のものだとか、ワンパターンだ」とか批判されようとも、写真という芸術ジャンルが持っている特性を最大限に有効的に生かしていくしか、他の芸術ジャンルと対抗していく術はないであろう。



僕は昔から陶芸が好きで、友人、知人も少なくない。その一人に坪島土平さんがいる。「昭和の光悦」とか「東の魯山人、西の半泥子」といわれた川喜多半泥子の唯一の弟子である。この土平さんが半泥子から受け継いだ「広永陶苑」の精神を継いだ3代目、藤村州二君の作陶展が新宿伊勢丹で20日まで開催されているので出かけた。僕は彼の第1回目の作陶展から見ている。今回は、師匠・土平の作品に似た力強さがでてきており、またそれを超えようとする葛藤が作品に見られてうれしかった。10年後、州二君がどんな風に化けているか。楽しみな新進気鋭の作家である。



中村さんと待ち合わせて行った場所は、僕も7~8年前まではよく通っていた路地であるが、まったく気づかないようなさらに奥まった路地裏で、世にも不思議な場所であった。一応、「喫茶茶会記」というらしいが、僕らが通されたのは、まるで忍者屋敷。茶道口というか、人一人がかがみこんでやっと入れるような入り口だ。僕などは這いつくばってようやく入ることができた。靴は手で持って入るのでる。そんな所に、朗読家・櫛部妙有さんも参加した。実は彼女を本格的に売り出す作戦会議なのだそうだ。僕に与えられた役割はいわゆる広報。彼女の写真などを撮影して大いにPRしてほしいとのこと。友人の中村さんのが惚れこんだ人だから間違いないであろう。できる範囲で協力することとした。僕も前に彼女からテープを送ってもらい小泉八雲の「耳なし芳一の話」や幸田露伴、宮沢賢治の作品などの朗読を聞いてみたが確かに不思議な言霊の世界に誘われいくような感じがしたのである。赤ワインを傾けながら中村さんの近著『三国志逍遥』(画・安野光雅/山川出版)の話や、2年後に生誕150年となる森鴎外の企画のコラボレーションなどの話に盛り上がったのは言うまでもない。

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