写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.146] 2010年4月8日 花祭にHNK広島放送局の記者と広島・長崎の原爆写真を一日中見続けたのだ。

今日、4月8日は花祭。お釈迦様の降誕を祝う法会の日だ。仏生会とか釈迦降誕祭とか、お潅仏などさまざまな呼び方がある。今朝も4時頃には目が覚めてしまいなかなか寝付けなかった。あきらめて5時には起き出し、モーニング珈琲を飲みながら読書をした。最近、歳のせいか午後11時頃床に就くといつもこうである。でも「早起きは三文の徳」と言うが確かに原稿書きなどははかどる。いつもならもうそろそろお昼かな、と思って時計を見るとまだ8時前だったりするのだ。とにかく今朝は早く起きたのである。NHK広島放送局の記者が午前中から来ることにもなっていた。昨夜、都内に泊まって今朝早く出てきたという。10時半には大きなバックを引いてやってきた。何しに来たかといえば、原爆に関する写真や資料を見に来たのである。現在、HNKと広島市と研究者たちと共同で原爆の被害を解明するプロジェクト進めているという。その研究の柱が最新の技術を用いたキノコ雲の写真解析で、原爆投下から65年たってもまだ、未解明の原爆被害に光をあて、核兵器の恐ろしさ、悲惨さを後世に伝える番組だというので協力することにした。



話しは後先になったが、「で!、何故あんたの所へ・・・?」という疑問に答えよう。それは僕が「反核・写真運動」の事務局を担当しているからだ。1986年に日本のジャンルを超えた写真家550人が呼びかけ人となって発足したのが「反核・写真運動」。代表委員には、渡辺義雄、秋山庄太郎、春木栄、田中雅夫の各氏など。写真業界、写真評論家までもふくめたそうそうたるメンバーであった。運営委員には、東松照明、細江英公、丹野章、松本栄一さんたち。そして若かった僕もいたのだ。会の活動のひとつとして収集・保存しきたものに、被爆直後に31人が撮影した写真803点がある。ネガ、プリントのアーカイブだけでなく、数年前には、全ての写真のデータ化もした。その他、原爆に関する写真集や文献などを閲覧に来たのである。僕はもちろんた手弁当ではあるが、若いH記者の熱意ある取材に対して6時間も付き合ってしまった。彼が「今から広島まで帰りま~す」というので、タクシーを呼んでやった時には、もうすっかり空は西日となっていた。あわてて洗濯物を取り込んだが、後のまつりで冷たくなっていた・・・・・・。

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