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[no,143] 2010年3月30日 中学時代の修学旅行で、米軍横田基地に向かって全校生で「沖縄を返せ」を合唱した!

一昨日、懐かしい中学時代の同窓生から突然便りが届いた。何かと封を開けて見ると同窓会の通知であった。前回はヒマラヤへ行っていたため、参加ができなかったので4年ぶりとなる。以前は4年に1度の開催だったが、50歳を過ぎてから2年に1度の開催にした。1回参加しないと8年間会えなくなることもあり、その間に恩師の先生や同窓生が亡くなったりしたのでこうしたのだ。それでも連絡がとれなくなる友いる。当時、僕が柄にもなく、生徒会長をしていたので、この時代の仲間たちにはとりわけ深い思いがあるのだ。今回の案内には、「-ふたたびの修学旅行へのおさそいー」というタイトルが付けられていて、次のような文章が綴られていた。「修学旅行のこと覚えていますか?山国育ちの私たちにとって、潮の香りや、枕元に届く波音など湘南の海はどれほど新鮮だったでしょうか。・・・・・光あふれる5月の海がたっぷり楽しめます・・・・・」


中国・四川省にある九寨溝の早朝

中国・四川省にある九寨溝の早朝


43年前の上州の山奥の中学校の修学旅行は、鎌倉・江ノ島であった。夕飯は冷たいハムカツに、中味のないさめた味噌汁だった。それでも女子生徒たちと夜の海で遅くまで遊んだり、他の中学校の生徒たちと喧嘩をしたり、ずいぶんと楽しかった思い出がある。幹事から「当時の写真があったら送ってください」と手紙が添えられていたが、あの頃はカメラなど持っている者などいるわけもなく、小学校も中学校も入学式と卒業式の写真があるだけだ。修学旅行も確か、江ノ島の海をバックに撮った集合写真があるだけである。僕がこのときの修学旅行で一番印象に残っているのは、米軍横田基地の見えるドライブインで昼食を食べた後、みんなで屋上に上って「沖縄を返せ」をスクラムを組んで合唱したことだ。「固き土を守りて、民族の怒りに燃えれ島、沖縄よ。我らと我らの祖先が血と汗をもて、守りつづけた沖縄よ。我らの国だ沖縄は、我らの島だ沖縄は、沖縄を返せ!、沖縄を返せ!」というような歌詞だったと思う。いまも口をついて歌えるから不思議だ。山深い田舎の中学生にとっても、当時の沖縄を米国から日本に返還させるという闘争には、同じ日本民族として感心があったのだろう。高い金網の向こうに鈍く光る米軍機に向かってあらん限りの声を張り上げて歌ったあの光景は。僕のほろ苦い青春の一コマであり、原風景でもある。

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