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2010年2月22日 名優・藤田まことさんの死を悼みつつ、亡き父に学んだ剣の道を思い出す日々・・・・・。

2月17日、大動脈瘤破裂で俳優の藤田まことさんが急死した。76歳のまだこれからという惜しまれる名役者であった。僕らの年代にとって藤田まことの存在は、テレビの普及とともに茶の間の人気者となった”スター”であった。日曜日の午後6時から始まる「てなもんや三度笠」を見ずには翌日の学校には行けなかった。教室では箒やハタキを腰にさして、上着の中に黒板消しを入れておき、机に上ってあの決め台詞をはきながら、「当たり前田のクラッカー」と黒板消しを懐から差し出すのだ。このポーズが誰が一番上手いか、みんなでやり合うのである。前田のクラッカーもずい分と食べた記憶があるが、口の中にやたらとクラッカーが広がってうまく噛めず、ムズムズしながら食べるのに苦労した。子ども心にはあんまり美味しくなかった。今もまだあるのだろうか?あの懐かしい味が・・・・・・。


金沢・その他 389


その後、「必殺仕事人」シリーズや「はぐれ刑事」シリーズ、そして池波正太郎の時代小説「剣客商売」シリーズなど彼の当たり役のテレビドラマは見てきた。肩肘はらない自然体の藤田の演技に好感を持ったのであろうが、それだけではない。終生芸を研き続けるという彼の芸人としての生き様に、カメラひとつで生きていく写真家として学ぶべきものを感じたのである。この間の藤田を追悼する歌番組をはじめいくつか見ていて、ふっと思ったことがあった。それは死んだ親父にどことなく雰囲気が似ているところがあるということだ。67歳で死んだ親父は、生前に似ているといわれた人に、東京オリンピックで日本の女子バレーボールチームを「東洋の魔女」と恐れられるまでに育て、金メダルに輝かせた大松博文監督がいた。もうひとりは、「クレジー・キャッツ」のリーダー、ハナ肇だ。僕も親父の笑い顔など似ているなあ~と思ったことはあつたが、藤田まこととは10歳ばかり離れていたせいか、似ているなどとは思ったことがなかった。それが今回追悼のテレビ番組を見ていて、ふっと親父が蘇ったような錯覚におそわれ、恥ずかしながら独り涙したのであった。酒のせいか、それとも歳のせいだろうか・・・・・。


コピー ~ 金沢・その他 272


話しは、変わるが藤田の剣さばきの上手さは、他の役者と比較してみればすぐ解ることだが群を抜いている。それは僕が若い頃、剣道に明け暮れていたから、少なくとも剣の握り方、素振りや立ち振る舞いなどで直ぐにわかってしまうのだ。とくに「剣客商売」の藤田が役する主人公の小太刀の使い方はすごくリアルである。実は僕は枕元に今も小太刀の木刀を置いていて、朝起きた時などに左手右手各百回づつぐらい素振りをしているのだ。「ビュービュー」と風を切る音が清々しい。僕の三兄弟は若い頃は、みな剣道では知られた腕前であった。無論上州という地方ではあったが。それはみな死んだ親父の強い影響があったのは言うまでもない。庭先で素足になって真っ暗になるまで、竹刀で毎日稽古、手の甲がいつも擦り剥けて血が出ていたことを思い出す。あの頃の親父は本当に強かった・・・・・・。  合掌

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