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2010年1月16日 親愛なるヒマラヤの友・プナム マン プラダ君よ、やすらかに・・・・・

我が親愛なるヒマラヤの友・プナム マン プラダ君よ、やすらかに眠りたまえ・・・・・・・・


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上の写真はプナム君と最後の旅となった2008年9月11日から25日までの15日間に初めて使ってみたコンパクトデジタルカメラで撮影したものである。そのなかから彼と思い出深い地となった場所で撮った写真からいくつかをピックアップしたもの。カトマンドュウの彼が結婚するにあたり新築した家(左から2人目がプナム君)、亡くなったプナム君が荼毘に付されたパシュパティナート、カトマンドュウの街が一望できるスワヤンブナート、彼が好きだったポカラ、僕と何十回も取材したムスタンなど・・・・・・・。


プナム マン プラダ君がエベレストベースキャンプへ向かう途中の4400メートルの地で高山病になった日本人を救出するために、シェルパと2人で降ろしはじめて、3300メートルまで下がって来た時に突然倒れて亡くなってから間もなく一年が経とうとしている。僕はこの事について今まで多少は触れてきたが余りの衝撃で書くことができなかったのである。昨秋から彼と「ヒマラヤ祭事巡礼」の本格的な取材に入る予定だったが、それも全てキャンセルした。5年間でネワール族の代表的な祭りを取材し、僕の還暦にあわせてヒマラヤシリーズの最終章として出版しょうというのも彼との計画だった。が、その気力も正直失せてしまうほど僕にとってはショックであった。今までにも何人ものヒマラヤの友人たちが亡くなっているのだが・・・・・・。


プナムくんは、ネワール族で1966年8月10日生まれ。ネパールでは最高学府である国立トリブバン大学を卒業し、同時に日本語学校も優秀な成績で卒業している。僕とはじめて会ったのは90年代の中頃だから、彼が旅行社をはじめて間もない頃である。彼とあった人はご存知と思うが英語や日本語、タイ語をはじめ6ヶ国語を話すインテリでもある。彼は旅行社を経営する傍ら、僕が会長を務めている日本・ネパール写真交流協会の事務局長としても活動していて絶対の信頼をおいていた。ネパールや日本の写真家たちからもとても愛されていた。他にも奉仕活動としてカトマンドュウのロータリ倶楽部の会長なども務めていたのだ。そんなプナムが42歳の若さで新妻さえもおいて逝ってしまった・・・・・・。この晩夏には彼の地に行って、彼との約束を果たす為に、祭事巡礼の取材を再開しょうと思っている。プナムよ。君が大好きだったお母さん(一昨年病気で他界した)とともに僕らの行く末を見守っていてください。 合掌

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