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2009年12月26日 「冬の中国三国志大陸5000キロ走破の旅」の写真日記第1弾!(1日目から4日目まで)

僕の「中国・三国志巡歴」の20年にわたる総決算の取材というべき、今回の旅は正直、相当ハードであった。蜀の都・成都を起点に魏、そして呉の国で、僕がまだ取材を残している土地をはじめ、再度取材したい土地を網羅したコースだったのでその走行距離は約5000キロに及ぶこととなった。これを実質13日間で周るのだから・・・・・。ましてこの時期は冬の寒さが厳しい時である。それも運悪く大陸を異常寒波が包んだのである。3000メートルを越える山岳地はもちろん氷雪であったが、西安や南陽など平地でも吹雪に見舞われた。路面の凍結による事故、昨年の四川大地震による道路崩壊等の工事などによる悪路や大渋滞は、想像を超えるものであった。この旅の報告は写真と短いキャプションを中心として5回程度とする。本格的な文章は来るべき本の発行をもって報告としたいからである。


12月6日。日本から約8時間近くの飛行時間を経て四川省成都に19時に到着。初めての料理は屋台の麺の旨い店だった。

12月6日。日本から約8時間近くの飛行時間を経て四川省成都に19時に到着。初めての料理は屋台の麺の旨い店だった。


ホテルは武候司の直ぐ前、遅い夕食の後、少し街を散策した。

12月6日。ホテルは武候祠の直ぐ前、遅い夕食の後、少し街を散策した。


12月7日。成都市街地から60キロほど離れた世界遺産・都江堰。

12月7日。成都市街地から60キロほど離れた世界遺産・都江堰。


都江堰の街で遅い昼食をとった。湯でもの、蒸かしもの料理が多く口に馴染んだ。

12月7日。都江堰の街で遅い昼食をとった。湯でもの、蒸かしもの料理が多く口に馴染んだ。

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夕方、市内へ戻ってから武候祠と昭烈帝廟へ行った。

12月7日。夕方、市内へ戻ってから武候祠と漢昭烈廟へ行った。


12月7日。チベット民族の歌や踊りの繰り広げられる店に流れて大いに烏里君を中心に盛り上がった。

12月7日。チベット民族の歌や踊りの繰り広げられる店に流れて大いに烏里君を中心に盛り上がった。


12月7日。最後の店はイ族の女性の店で歌もうまかった。ビールはこの店を合わせて一晩で80本空けた。

12月7日。最後の店はイ族の女性の店で美しく歌もうまかった。ビールはこの店を合わせて一晩で80本空けた。


12月8日。綿陽の街で昼食。たくさんの茸と牛の生肉の鍋料理が旨かった。

12月8日。綿陽の街で昼食。たくさんの茸と牛の生肉の鍋料理が旨かった。


遅くなったので急遽、剣閣関の町に泊まった。屋台街で夕食に在りつけた。

12月8日。遅くなったので急遽、剣閣関の町に泊まった。屋台街で夕食に在りつけた。


12月9日。昨年の四川大地震の最大の被災地だった青川県は、まだいたるところに、救援テントが張られており、人々はそこで暮らしていた。

12月9日。昨年の四川大地震の最大の被災地だった青川県は、まだいたるところに、救援テントが張られており、人々はそこで暮らしていた。


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