写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2009年10月アーカイブ

県立土屋文明記念文学館で
県立土屋文明記念文学館で


秋麗の昨日、朝早くから上州へと向かった。「写真集団・上福岡」の田中栄次会長と役員の山本恵子さん、写真研究会「風」同人の鈴木紀夫さんの3人が迎えに来てくれたのである。目的の一つは、田中さんがここ数年にわたり撮影している彼の故郷でもある西上州を巡ることであった。最初に行ったのは前橋にあるギャラリー「ノイエス朝日」で10月31日から11月8日まで開催される「没後7年 麓惣介展」だ。ちょうど飾り付けの真っ最中であった。責任者の武藤貴代さんの説明を聞いて、僕はこの詩人であり、俳人であり、画家でもあった麓という人と作品がすっかり気に入ってしまった。僕の仕事部屋に彼の無我ともいえる作風の絵画を飾りたいと無性に思った。「藪椿かざしに童女観世音」「野仏と椿の音を聞きゐしか」(句集『愛惜』)藪椿をこよなく愛したという麓の句である。


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飾り付けに手伝いに来ていたこの企画展の発案者でもある岡田芳保さんは、武藤さんともども長年の親しい友人である。この2人に連れられて上州名物の田舎そばの店へ、遅い昼食をご馳走になった。二八そばと帯みたいな太いうどんの合い盛り。地物の野菜天ぷらなどが付いたボリュームたっぷりのメニューに一同大満足。その足で岡田さんが館長を務める群馬県立土屋文明記念文学館へ行った。岡田さんはこの春まで県立図書館館長も兼務されていた。さっそく現在企画展示されている「妙義・磯部地域の文学ー西上州を旅して」(11月15日まで)を案内してもらった。正岡子規、島崎藤村、若山牧水、与謝野晶子、吉野秀雄、大手拓次、中村不折、青木繁、松本清張など妙義、磯部にゆかりのある人々と作品、エピソードを紹介するとともに、歴史、民間信仰、芸術分野などにも対象を広げて切り結んでいる。その膨大な資料を前に、よくぞここまで集めたものだと感嘆した。常設展示の「土屋文明ひとすじの道」は猿山係長が案内してくれたが、こちらも貴重な資料がわかりやすく構成されており文明の幽遠な生涯が理解しやすかった。


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知識をたくさんお頭に詰め込んだあと、いよいよ斜陽となりつつある妙義山へと向かった。僕は妙義山を間近く見るのは、小学生の遠足以来であった。妙義山は、赤城山、榛名山の三山で上毛三山と称され、群馬県を代表する山岳である。また耶馬溪、寒霞渓とならび日本三大奇勝でもある。白雲山(1104m)、金洞山(1104m)金鶏山(856m)の三峰からなる表妙義の荒々しい岩肌が創りだした奇岩怪石の自然景観には、確かにこころ惹きつけられるものがあった。金洞山の山麓にある中之嶽神社をお参りした後、妙義山服にある「もみじの湯」の露天風呂で湯浴みして、釣瓶落としの上州路を後にしたのである。久しぶりに郷里の友人たちとも再会し、写真仲間と過ごした愉快な晩秋の一日であった。

 

台風20号が去った今日、日本列島、北海道から沖縄まで快晴の秋晴れ。まさにこうした天候を名実ともに日本晴れというのだろう。昨日、何十年ぶりかで映画のハシゴをした。2本、5時間を越える映画鑑賞であった。昔はどの映画館も3本立ては当たり前。時には5本立ての出血大サービスなんていうときもあったりした。今考えるとよくも飽きもせず、疲れもせずに真剣に見続けたものだと感心したりもする。みんな娯楽に飢えていた時代だった。50円玉を握りしめて町の映画館まで1時間以上かけて歩いた。、30~40円の映画館代を払い、残りのお金で、こうせん棒にうさぎ玉、せんべいやらなにやらを買って一日楽しむのである。どの映画館の入り口にも大抵は猿小屋などがあって子どもたちは物珍しそうに日がな眺めていたものであった。


自宅の裏手から眺めた空

自宅の裏手から眺めた空


先ず見たのは「ウ”ィヨンの妻ー桜桃とタンポポ」(監督・根岸吉太郎)だ。先の第33回モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞したばかりの注目作品である。原作は太宰治の同名の小説を中心に『きりぎりす』『桜桃』などの作品からのエッセンスを織り交ぜたもの。出演は、浅野忠信、松たか子など。僕はこの1年間太宰と格闘してきたこともあって、どんな映画に仕上がっているのか興味を持って足を運んだのだ。今どきの日本映画にあっては時代考証など丁寧に作られた映画だと思った。映像もキラリと光る美しい場面が何ヶ所かあった。主役の2人を中心に脇役もそれぞれ個性派の役者で固めており、演技にも不自然さはなく、混沌とした戦後日本の世界へ入って行くことができた。だが、・・・・いまひとつしっくりと来なかったのは何故か。それは多分太宰作品の本質への迫り方であろう。根岸の描き方もその一つではあろうが、僕が迫った太宰の世界とは、ちと異なるのである。それが見終わってから何か引っ掛かる要因なのであろう。しかし、僕は自殺はしなかったものの、生き様そのものは映画で描かれていた様と同じであったとつくづく反省したのであった。


ネパール・カトマンドゥから見上げた空

ネパール・カトマンドゥから見上げた空


その足で次の映画へと向かったのは、「沈まぬ太陽」(監督・若松節朗)だった。この原作となっているのはご存知、山崎豊子の同名の小説で、累計700万部の大ベストセラーである。今、毎日のニュースで話題となっている日本航空をモデルしたもので、実際におきた墜落事故なども鋭く描いているドキュメンタリー小説である。出演は渡辺謙、三浦友和、石坂浩二など豪華配役を揃えている。久方ぶりの日本映画の大作で、上映時間も3時間を越え、途中に10分間の休憩が入る映画も久しぶりであった。夜であったにもかかわらず観客が少なかったのは残念であった。確かに重い内容ではあるが、現代に生きる僕らとしては決して眼をそらしてはならないテーマだと思う。ぜひ見て欲しい。一言いえば、もう少し脚本を詰めるべきではなかったか、ということである。この映画の主人公のモデルになっている彼は、JALを退職後、プロ写真家となり僕ら日本写真家協会の仲間として、主に好きだった西アフリカのサバンナの動物たちを亡くなるまで撮りつづけていた。   合掌

この7日間は自宅からほとんど出なかった。最近あまり外出したくない傾向がある。引篭もりというやつか。人が嫌いになったわけでもないが、何故かあまり会いたくないのである。やたらと疲れるのだ。この一週間で一度だけ最寄り駅まで散歩がてらでかけた。それは同郷の編集者Y君が、来年の連載企画をもってきてくれたからである。馴染みの酒場で久しぶりに2人で一杯やった。故郷・上州やシベリア鉄道の旅など今度一緒に取材をしようなどと、芋焼酎の一升瓶を前に盛り上がったのである。


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さて、7日ぶりに都内に出たのは、立川志遊師匠の第42回志遊の会「しゆう同窓会」に顔を出すためである。僕はあまり笑わない男であるが、昔から落語がやたらと好きであった。人は意外に思うらしいが、以前はいくつかの寄席の常連会員でもあった。多い月は3~4度噺を聞きに足を運んでいた時もあった。今回の出演者は志遊師匠の高校時代の先輩、桂春雨師匠と大学時代の先輩、寒空はだか師匠の噺家2人をゲストに招いての鳴り物入りのにぎやかな会であった。ちなみに出身校の小石川高校のOBには、今をときめく鳩山首相や民主党小沢幹事長もいるのだそうだ。


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前座は、いま絶大な人気を誇る立川談春師匠の弟子立川こはるさん。美少年のような可愛らしい女性噺家、将来性のある切れのいい噺ぶりであった。半年分ぐらい大笑いしたのは、春雨師匠の上方落語。奥方の生の三味線入りなのが一層噺を際立てていた。いわゆるツボがはまったというヤツである。あまりに笑い過ぎて涙は出るは、鼻水は出るはで、タオルを出しての大変な騒ぎであった。志遊師匠の出し物は御馴染みの「饅頭恐い」と「富久」。真打になって更に芸が研きこまれたという印象を持った。さらなる精進をと願うばかりである。終了後、出演者たちと楽屋で一杯やった後、恒例の打ち上げにでかけた。(「第43回志遊の会」は2010年1月21日19時~、日暮里サニーホール)


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この日、いま一ヶ所廻ったのは、「金大偉映像空間インスタレーション展・幻視の風景」である。映像と音による幻想夢空間を銀座のジェイトリップアートギャラリー(03-3571-7818)で11月1日まで展開している。その特別ライブイベントがこの日あったのだ。金君の他に尺八の原郷界山さん、インド舞踊の山元彩子さんをゲストに、中国、インド、日本より喚出する融合の色彩をテーマにアジアの空間を演出していた。中国満州族出身の金君とは不思議な縁でつながっている。「また二人でコラボレーションをしたいね」と握手をして別れた。

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「芸術の秋」などと言うが、昨今の経済状況、不況のなかでは、なかなか芸術や文化に親しむことができにくいのが庶民の現状であろう。無論、僕も同じである。仕事柄それでもできるだけ、お金のかからない方法と企画をセレクトして足を運ぶようにしている。9月~今月にかけて、今まで行ったことがなかった催しものにチャレンジしてみた。その一つは、「TOKYO京劇フェスティバル2009」。京劇集団4団200名をこえる名優が競演する日本初の京劇芸術祭である。僕はそのなかで中国国家京劇院の「水滸伝・三打祝家荘」を観劇した。中国現地では、何度か見ているが日本公演は初めてであった。改めて異文化に対して理解することの重要性とその深さを認識させられた。


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もう一つは、「美輪明宏音楽会・愛」である。彼の歌う歌や、その言動には以前から興味を持っていたが、直接コンサートへ行くチャンスはなかった。今回、平日の昼間にもかかわらず会場を埋め尽くした人びとの層の幅の広さを見てもいかに美輪の人気が高いのかが、うかがい知れた。その魅力のひとつには、彼の飾らない語りにあるのだろう。実体験から絞り出すような戦中、戦後のリアルな話の一つ一つは、胸に突き刺さった。それは彼の歌う歌詞のなかにも表現されている。その筆述にし難い時代を経ていま、ようやく民衆がつかんだ真の民主主義という国の在り様を、美輪は高らかに賛歌として謳いあげていた。そして観客席の人々も立ち上がって”美輪ワールド”に共感していたのである。

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僕は、かれこれ20年程前に朝日新聞社から全日本写真連盟の関東本部委員という役を委嘱されている。当時、一緒になったのは、先年亡くなった佐藤明さんと大石吉野さんだ。僕は、ほとんど何も協力はできてないが、毎年開く「全日本写真連盟関東本部委員展」という写真展にはできる限り出品してきた。その出品者懇談会が朝日新聞東京本社で行われたので、本社ロビーのコンコースで開催されている写真展を見るかたがた参加した。会には理事長の田沼武能さんをはじめ多くの写真家が出席していたが、あいさつをすまし、すぐに退席して朝日新聞社から新橋演舞場の前を通って、歌舞伎座を抜け久しぶりに夜の銀座界隈を散歩してみた・・・・・。


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翌日、秋気澄むこの日、春のお彼岸以来、行ってなかった多磨霊園へ行こうと思って出かけた。実は小松家の墓は、代々多磨霊園にある。17年前に親父が亡くなったのを機に、おふくろが墓参しやすい様にと田舎の家の近くに墓を作り遺骨を移したのだが、僕が持っていた親父の遺骨を分骨して多磨墓地にも入れてあるのだ。それでこうして年に2度ほど、お参りしているのである。一応僕が小松家の当主となっているので、この墓地の名義人となっている(写真を見てのとおり墓石もないが・・・)。大体、親から何一つ譲ってもらった記憶はないが、唯一この小さな墓地だけは、親父がまだ元気なときに、書類を手渡され頼むと言われたのだ。


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ご存知の通り多磨霊園は、日本最初の公園墓地であり、その歴史は古く、1923(大正12)年に開園されている。僕の家の墓は小金井門といわれる裏門を入ったすぐそば、その面積も猫の額ほどもないが、近くには菊池寛、中山晋平、亀井勝一郎、吉川英治、田山花袋、三島由紀夫、北原白秋、有島武郎、与謝野晶子、鉄幹、堀辰雄、向田邦子、江戸川乱歩・・・・などなど著名人を上げていけば切がないほどりっぱな墓がある。他に東郷平八郎や高橋是清など軍人、政治家たちも数え切れないほど眠っている。特に軍人、政治家の墓地は家が建つ程の広さである。12月からすでに20年間取材を続けている「三国志」の史跡を巡るために中国へ行くので、吉川英治の墓に参った。簡素で清清しい墓であった。近くにあった白秋、三島の墓参もして夕暮れの家路についた。

10月12日、爽やかな秋晴れの下、新潮社「とんぼの本」シリーズで、宮沢賢治の本の出版の取材のために、山梨県韮崎市へ向かった。今回の新潮社の担当編集者は、あのK編集者ではなく、岡倉天心の5代目当主にあたる僕もよく知っている新進気鋭の写真家O君の奥さんのTさん。実は彼女がまだ、大学を卒業して出版の世界に入ったばかりの頃からの知り合いで、ある雑誌で僕が森鴎外を連載していた時の担当者であった。津和野や小倉など取材に行ったこともあった。現在は2人のお子さんを育てながら、大手出版社のやり手の編集者となり、再びこうして一緒に仕事ができることを僕はとてもうれしく思ふ。


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何故、賢治で韮崎かと思うでしょうが、この町は武田の里や中田を生んだサッカーの町だけではないのだ。宮沢賢治に大きな影響を与えた保阪嘉内の生まれ育った町である。この10日~12日、韮崎市制施行55周年記念事業として、企画展「銀河の誓いは永遠にー保阪嘉内の足跡とアザリアの仲間たち」と記念の集いがおこなわれていたのだ。展示は、賢治が嘉内に宛てた手紙を中心に、資料や写真の本物が多く展示されていて見ごたえがあった。嘉内の長男にあたる保阪善三(右・83歳)さんと次男の保阪庸夫(中央・82歳)さんが待ち受けていてくれて会場を丁寧に案内してくれた。


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実は庸夫さんとお会いするのは2度目で、10数年前にご自宅を訪ね賢治の手紙類をすべて見せてもらったことがある。僕の著『三国志の風景』(岩波新書)の愛読者だといわれ、当時、韮崎相合病院の院長だったので仕事を終えてから居酒屋で楽しく一杯やった記憶がある。そんなこともあって今回の申し出も快諾してくれたのである。市内の嘉内のゆかりの地も2人で案内してくれるというので、恐宿だが甘えてお願いした。車の運転は庸夫さんの娘さんのご主人が買って出てくれた。展示会場の韮崎文化ホールは、嘉内が通った藤井尋常小学校があった場所、ここに銀河鉄道をイメージした「保阪嘉内 宮沢賢治 花園農村の碑」が建っている。


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嘉内の眠る墓には、賢治と嘉内の短歌が門柱に彫られていた。ここからは「藤井平5000石」といわれた穀倉地帯だった嘉内の生家がある藤井の集落が一望でき、墓標の裏手は、南アルプスの峰峰が連なっている、正面には嘉内が愛した茅ヶ岳、北には八ヶ岳、南には霊峰・富士山が峻と聳えていた。僕はこれほどまでに気高く感じる富士を見たことがなかったので、驚いた。その後もいろんな場所をご案内いただき、最後は嘉内の生家で、現在は善三さんのご自宅である藤井の家でお茶をいただいた。南アルプスの稜線が夕日に染まり始めた頃、中央本線の列車に甲州ワインなどを買い込んで飛び乗った。僕が「賢治は独身を貫いたが、保阪嘉内が賢治の家内(サポーター)みたいだね・・・・」とTさんに言うと彼女は、若かった頃と変わらないコロコロとした笑い声をいつまでも車内に響かせていた。

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自宅をでてから今日で7日目、さすがに普段あまり人と接してないため疲れた。最後の日は別段予定がないのでゆっくりと朝を迎えさせてもらった。お世話になった高田さんの奥様も昨日から尾瀬の山々へ登山に行っている。7月に訪れた時にも日光の山々を縦走しに行っていた。ヒマラヤ、ニュージーランド、ボルネオなどの海外登山もこなす夫婦そろって山屋なのである。その高田さんが「先生、せっかくですから櫃石へ地魚を食べに行きましょう。中村さんの奥さんも誘って・・・」というので、いやしい僕は地魚に釣られてすぐに乗ってしまった。


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櫃石島は香川県坂出市に入る。この島は高田さんが2005年に発行した『橋脚になった島 1972-2004』の主な撮影地である。この写真集は消えゆく故郷の自然とくらし、文化や歴史を静かではあるが怒りをこめて32年間撮り続けた力のこもった著書である。櫃石島でも写真展を開催して地元の人びとから大変喜ばれた。僕も以前に訪れたことがあるが、とにかく彼は島ではいわゆる顔、誰もが知っているのである。現在、100世帯、人口250~60人というこの小さな島に、実は、人に教えたくない美味しい地魚料理・民宿がある。主人は漁師でその日上がった魚しか出さない。料理はこれまた備中美人の奥様の手になる。この日、卓に並んだ美味しかった幾つかを列記してみよう。まずは、刺身からカワハギ、真鯛、サザエ、タコ、ビングシなどをカワハギの肝に付けていただく。皿ものは、グチの南蛮煮、ビングシの煮付け。メインは絶品であった真鯛の塩釜。仕上げは鯛めしに鯛のうしお汁などなど・・・・。後は写真をみてちょうだ~い。あっそうそう、岡山駅で求め新幹線の中で食べた「下津井のたこ弁当」(700円)は、お薦めですぞ!。この旅は最後まで食い物の話でした。

昨日は県展前夜祭の後、10数年ぶりに会った高知新聞のOBたちと最後の土佐の夜をはしごした。今日で土佐とはお別れして、倉敷へと向かう。朝、岡山在住の写真家で「風」同人の高田昭雄さんが車を駆って迎えに来てくれた。先ずは、この日オープンした県展会場へ。そして俳人の伊丹三樹彦さんの門下生で「群青」同人、写真家の岩崎勇さんの指導する写俳の展覧会を見た後、JRP高知支部のメンバーたちと高知県立美術館で昼食を食べ、6日間いた龍馬の故郷・土佐を後にした。


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高田さんの車には、京都で宗教の研究会へ参加するという佐川の友人Yも同乗した。高松から瀬戸大橋を渡り、倉敷まで2時間足らず。確かに高速道路は料金は別にすると便利なもではある。僕が今回、倉敷を訪れた最大の目的は「写真家・中村昭夫の原点 1956-1964」を観るためである。昨年2月突然、病気で75歳で亡くなった。その2ヶ月前にも僕は彼を倉敷の自宅に訪ね僕の写真集『ヒマラヤ古寺巡礼』届け、話し合っていた。


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中村さんは、吉備という土地と風土へこだわり、その視点から作品を発表し続けた先輩写真家として敬愛していたので、もうかれこれ30年ほど前からお付き合いをさせていただいてきたのである。倉敷市立美術館の担当学芸員が写真展を案内してくれたが、全作品がビンテージプリントで印象的な企画展であった。11月8日までの展示だが、ぜひみて欲しいと思う写真展である。一地方からであってもこれほど普遍的でグローバルな視点で事象を捉えることができるという証明である。夜は中村さんの奥様と高田さんとで、瀬戸内の雑魚を食べに、いつもの様に倉敷の町へ繰り出したのであった。


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台風18号の影響で西土佐の沿岸はすごい高波が押し寄せているので、撮影に行こうと奈路さんに朝早くからたたき起こされて出発した。途中、彼の土佐湾の写真を参考にして和紙ちぎり絵の展覧会を「いの町紙の博物館」で、開催しているというので寄ることにした。いの町は土佐和紙の町として広く知られている。文献によれば927年に後醍醐天皇の頃、「延喜式献上品」として「奉書紙・杉原紙」を献納した史実があり、千年前の昔からこの地で製造されていたことになる。また、「土佐日記」で知られる紀貫之も土佐の国司として製紙業を奨励している。ここへ来るたびに土佐和紙の葉書や一筆書きを買うが、この日も葉書を30枚ほど求めた。


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その足で、窪川町へ向かった。途中見た海は、台風一過などはなかったような凪いだ海であった。青空に白い雲が浮かぶ土佐の海の光景は、蕪村の句が思わず口ずさみたくなるような風景である。窪川という小さな町には、純喫茶が33軒あるという。総じて土佐は喫茶店が多い土地ではあるが、この町は特に目立つ。20年以上前から通っている「田園」という純喫茶もすぐ前や近くにも喫茶店があるが互いに潰れないのだ。客の棲み分けができているらしい。午後2時頃なのにお客は引切り無しだ。山栗の蒸かしたのやらぶどうやらお菓子やら持ち寄って、美味しいコーヒーを一杯飲みながら隣近所なお年寄りたちが世間話をしているのだ。毎日来る常連客ばかりだそうだ。40年間やっている友達のTさんは、ボランティア精神もあるのだろう。隣ではご主人が手作りのパン屋さんをやっている。彼女は写真家・奈路さんの大の理解者である。黒潮鉄道・土讃線の特急「南風」で高知へ出て、夜は県展の前夜祭へ出かけた。何と670人もの写真家、作家たちが押し寄せて大変な騒ぎであった。審査員が来るのは珍しいらしく取り囲まれて、サインを求められるは、各自の作品批評をやらされるは、すごい熱気で「いごっそう」と「はちきん」は、やはりすごいなあ~とまたまた感心するばかりであった。


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3日間かかった県展審査日程は、一応終了したので今日からはフリー。前にも取材にきている土佐電鉄を撮りたくて、地元の写真家に助手をお願いした。明日早朝、台風が一番高知に接近するという予報がでているとおり、雨風は強くなり始めてきていたが何ヶ所かで撮影。県展の飾り付けに顔を出してから以前にからお気に入りの場所、「ひろめ市場」へ行ってみた。上州のおふくろや弟たちへ土佐の魚でも送ってやろうと思ったのである。昼飯もここで食べようと決めていた。土佐へ来てから毎日朝から鰹三昧であったので、口直しにと鯨のステーキ丼とのれそれとぞろめを食べた。

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夕方からは高知から車で40~50分程の佐川町へ行った。ここは酒蔵「司牡丹」の町としても有名である。テレビ高知にいた友人の家に泊まることにしていた。佐賀町からも昔からの親しい写真家、奈路広さんが暴風のなか駆けつけてくれた。久しぶりの仲間との語らいは楽しいものである。13年前に石川文洋さんたちと写真塾を開いたうなぎの老舗「大正軒」へいった。女将も僕を覚えてくれていた。やはり96年の歴史があるこの店のうなぎは旨い。イチローも何度もオリックス時代には来ていたらしく写真やユニホームがたくさん飾られていた。深夜まで外の風の音を聞きながら、僕が「ひろめ市場」で買ってきた焼きさば一本寿司をつまみに土佐の芋焼酎を酌み交わしながら写真、人生談義をしたのである。

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ホテルのロビーに土居部長は、きちんと9時20分には迎えにくる。2日目のきょうも先頭開始。昨日336点まで絞りこんでいた中から、最高賞の特選3作品、褒状20作品、新人賞(30歳までで初受賞の人)、高知県美術振興会奨励賞(初受賞者)を各1作品選ぶのである。これは正直そうとうに悩んだ。すべての賞が決定するまでに3時間ほどかかった。その後、審査評のためのインタビューをして、疲れたのでいったんホテルに戻った。


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午後3時から高知新聞のホールで講評会。なんと台風18号が近づいているなか会場は満員の120人以上の参加者でムンムン。真剣な眼差しで熱心にメモを取る姿に僕は感動するばかりであった。僕の著書『ヒマラヤ古寺巡礼』、『太宰治と旅する津軽』も飛ぶように売れてありがたかった。終了後、県展無鑑査の友人や参与、高知新聞の歴代写真部長、スタッフなど20数名の人たちと土佐料理の店に席を移して打ち上げ会をした。ここでも高知の写真家の熱い情熱と酒豪に圧倒され、身もこころも打たれ、疲れたのであった。宿泊しているホテルの最上階にバーがあってそこのバーテンが土佐の「はちきん」の女性。彼女は昨年のバーテンダーの全国大会で入賞した腕の持ち主だ。長いカウンターに身を沈めて夜景を肴に静かに一杯やるとようやく落ち着いてきて、ゆっくりとベットにつけるのであった。


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10月5日9時30分より、いよいよ第63回高知県美術展覧会の審査がいっせいに開始された。写真の審査会場となる高知市文化プラザへ、迎えに来てくれた立会い人の高知新聞写真画像部長の土居さんと行くとすでにスタッフ20数名が準備を終え緊張した面持ちで僕を迎えてくれた。応募作品総数は1620点、ここ数年より応募者数とともに増加しており、審査員としても安心した。作品は全紙、全倍のパネル仕上げとなっており一点一点見ていくのに大変な労力がかかる。第一日目は、入賞、入選候補作品336点まで絞ることを目標として審査を開始した。他の7部門と比較すると圧倒的に応募作品数が多く審査に時間がかかるという。審査会場はし~んと静まりかえっているが、応募者の熱意がひしひしと伝わってきて僕は何度も汗を拭いながら作品と格闘を続けたのであった。


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午後6時過ぎ、ようやく一日目の審査を終えて土居部長が行きつけの小料理屋へ案内してくれた。僕は路地裏のこの店がすっかり気に入ってしまい、翌日も足を運んだ。とにかく親父さんの食材へのこだわりがいい。僕らは意気投合してしまった。これからも土佐へ行ったら必ず寄りたい店ではある。僕が旨いと思ったいくつかのメニューを紹介するぜよ。先ずは定番の鰹の刺身、しかしさらに旨かったのが鰹のはらんぼと鰹の酢じめに鰹せんべい。土佐のぶしゅかんという柑橘類をたっぷりと絞って食ったゴマ鯖のぶつ切り刺身も絶品。秋に取れる四方竹という小さな竹の子の丸かじり、ゆべしの味噌柚子漬け、ゴーヤの佃煮などなど。それらを火振りの栗焼酎でいただくと審査の疲れも忘れさせてくれるのである。


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一週間ぶりに自宅に戻り、家の窓を開け放つと庭の4本の金木犀の花の香りがいっせいに部屋に充満してきた。強大な勢力を持った台風18号が襲来しているさなかの7日間の日々が走馬灯のように思い浮かんできた。幾つかの写真とともに記しておこうと思う。


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高知竜馬空港に着陸したのは、もうすっかり日は傾いた頃であった。空港から高知市内に入るまでの辺り一面は黄金色に輝く穂で、南国土佐も秋の気配を漂わせていた。土佐滞在中はお世話になるホテル日航高知旭ロイヤルに荷をおろして一休みしてから、第63回高知県美術展覧会審査員会が開かれる得月楼へと向かった。玄関には高知新聞社の常務さんらが出迎えに出ていてくれて恐縮した。主催者側は、社長、常務、事業企画部長さんら、審査員は僕と、日本画、書道の県外からの審査員4人。得月楼は明治3年創業の老舗料亭、多くの文人墨客や自由民権運動家たちが来客しているとともに、宮尾登美子著の『陽暉楼』の舞台としても知られている。土佐の初日から山海の幸を豪快に盛った土佐名物、皿鉢料理をご馳走になった。

 

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「塩崎・集中パソコン移動教室」の第二回講座を受けた。本来パソコンなどという代物は、大嫌いなはずなのに、と思うのは僕のみならず、僕を知る多くの人びとの共通した認識であろう。なのに何故??。それは僕にもわからない。たぶん自分の作品をより多くの人びと、より広い世界に発信したいという思いではないか・・・・・。その一つの手段としてインターネットが活用できるのではないかと思ったのである。だからまったくの未知の手探り状態でも、とにかくやってみようと決意して周りのみなさんに、さんざん迷惑をかけながもがんばっているのです。塩崎君をはじめ、多くの仲間のみなさんごめんなさい。一日も早くきちんと自分でできるようになります。・・・・・でも、どれだけの人びとが見てくれているのかなあ~と時折、不安が過ぎります。


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早いもので、今年もすでに今日で10月に入った。陰暦十月の異称では、神無月とよばれている。このカミナヅキについては諸説あるが、新穀により酒を醸す醸成月(かみなしづき)の意ともいわれているのが酒好きの輩たちにとっては、うれしい季節である。とかく日本人は何かとかこつけて酒宴をひらいてきた。花見酒からはじまり、月見酒、、雪見酒と・・・・と。たんなる呑み助の言い訳ではないかと思いたくなるような都合に好い風流ではある。この時期のことを他に、時雨月、神去月、初霜月などとも呼ぶと歳時記には記されている。

10月4日から土佐へ3年振りに行く。今回は第63回高知県美術展覧会の写真部審査員として依頼を受けたからである。この展覧会の規模やレベルは以前から全国でも有数のものとは聞いてはいたが、まさか僕などに声がかかるとは夢夢思ってもいなかった。資料として事務局の高知新聞社から送られてきた歴代審査員をみて、そのそうそうたる顔ぶれに、さらに驚いたのである。主な写真家を上げてみよう。浜谷浩、木村伊兵衛、伊奈信男、金丸重嶺、渡辺義雄、石元泰博、渡辺勉、岩宮武二、植田正治、奈良原一高、三木淳、林忠彦、細江英公、秋山庄太郎、稲村隆正、田沼武能、森永純、野町和嘉、江成常夫、立木義浩などなど・・・・・。

審査は5日、6日の二日間にかけておこなわれるが、他にも洋画、日本画、彫刻、立体作品、グラフィックデザインなど8部門の公募審査も合わせておこなわれる。9日から25日まで県立美術館と高知市文化プラザを会場にして、展覧会が開催される。僕も審査員として作品「土佐の記憶ー津野山神楽」を出品する。久しぶりの大好きな土佐への旅なので、のんびりと地元の友人たちと会い、鰹などを味わいながらいのちの洗濯をしてこようと思っている。

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(「高知新聞」2009年9月13日付朝刊紙面)

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