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2009年9月24日 ヒマラヤの赤い蕎麦の花が、今年も東京近郊の街に咲いたよ。

             巡礼の道赤く染む蕎麦の花   風写


僕がヒマラヤの蕎麦の花に初めて遭遇したのは、いまから20年前の8月の末のことである。場所はネパールの西北部、アンナプルナ山群とダウラギリ山群の北側、かって氷河であったカリ・ガンダキ川の上流、チベット国境に面したムスタン王国とよばれていた土地であった。ここにヒンドゥ教の聖地ムクティナート(標高3800メートル)がある。その巡礼の道が真っ赤に染まっていたのだ。最初、一面茶褐色の大地に忽然と真っ赤な絨毯が敷き詰められたようでわが目を疑った。「何だあれは!!??・・」が、その時の偽らざる僕の心境であった。


その桃源郷のような光景を1900(明治33)年に仏教の原典を求めて単身チベットへ向かった青年僧侶・川口慧海が、このムスタンの地に1年間ほど滞在して見ている。その時の旅行紀を読むと今もその光景は変わらない。「麦畑は四方の白雪凱凱たる雪峰の間に青々と快き光を放ち、その間には光沢ある薄桃色の蕎麦の花が今を盛りと咲き競う・・・・・」これは1904年に刊行された『西蔵旅行記』のなかの一節だ。僕はその光景を祖国日本でも見たいという衝動にかられ、幾度となくムスタンの人々から蕎麦の実を譲り受けてチャレンジしてみたのだ。上州の田舎の庭や東京の蕎麦屋の店先や埼玉の農家などで。しかし、そのどれもが失敗であった。芽を出し、花もいくつかは付けたのではあるが、高く伸びすぎて倒れたり、ほんのわずかしか芽を出さず、花が赤くならなかったり・・・・。もう日本の気候、風土ではだめなのか、とあきらめかけていた。


2年前に現地へ行ったときに、たまたまフィルムケースに2つばかり蕎麦の実をもらってきていた。そのひとつを欲しいという知人がいたのであげたのだった。その知人の父親が家の近くの畑に昨年蒔いて実を収穫し、さらに今年も蒔いて花を付けはじめたという。江戸川の支流にあたる利根運河の土手沿いにムスタン王国のヒマラヤの赤い蕎麦の花が一面に今年も咲き始めたとこの写真を送って来てくれたのだ(まだ一部咲き程度でこれからが見頃だそうだ)。うれしいではないか。ヒマラヤの風がこの大都会の近郊の街にも吹いてると思うと・・・。何故かしきりとヒマラヤの村々やそこに暮らしている人々の顔が想い浮かぶのである。ヒマラヤの赤い蕎麦の花を祖国の地に咲かせてくれてありがとう・・・・・・。ダンニャーバード!ナマステ!!(ネパール語で「本当にありがとうございます。感謝します」の意味。写真は2点とも伊馬流さん撮影)


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