写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2009年9月14日 『太宰治と旅する津軽』(新潮社)いよいよ9月25日発売!ご期待ください。

僕が20代の頃、同じ釜の飯を食った友人たちが、昨年創刊した「季論21」(発売・本の泉社)という雑誌の第6(秋)号のグラビアに掲載して欲しいと声がかかったので、その昔、苦楽をともにした仲間ではあるので協力することとした。ちょうど9月25日に『太宰治と旅する津軽』(新潮社)を発売するので「津軽ー太宰治生誕100年に寄せて」という8ページのモノクログラビアと1200字余りの解説を寄稿した。原稿を渡すかたがた十何年振りかで会った編集委員をしているという友人は、昔とちっとも変わらぬ人なっこい風貌で、お互いにすぐに青春時代にタイムスリップしたように話が弾んだ。池袋の飲み屋で一杯やりながら頭は白髪になったその友は「やはり昔の仲間はいいなあ~。みんなあったかいし、気持ちが通じ合えるよ・・・・」としみじみと語った。「季論21」に寄稿した一文をここに載せ、僕の新刊の紹介としたい。


2009年の今年は、太宰治の生誕100年である。太宰をはじめとした20世紀初頭に生まれた文学者を見ると、その多くが昭和文壇を代表する文学者となっているのに興味を覚える。1901年生まれの梶井基次郎、2年の小林秀雄、3年は小林多喜二、林芙美子、山本周五郎、4年は堀辰雄、6年に坂口安吾、7年は、中原中也などなど主な作家をあげていってもきりがない程、この年代に輩出しているのである。それぞれの作家たちの生誕100年のイベントがこの間おこなわれてきたが、太宰ほど多くの企画・行事が催される作家はいないであろう。日本映画だけでも3本が公開され、フランス人監督によるドキュメンタリー映画も公開されるそうだ。出版やテレビの特集番組も盛りだくさんである。まるで我もわれもと太宰ブームに乗っかって、悪乗りをしているかのようにすら見える。


実は、僕もそのブームにあやかったわけではないが、9月20日に『太宰治と旅する津軽』という本を刊行する。新潮社の「とんぼの本」のシリーズである。僕はライフワークとして「日本の文学風土記」を40年近く前から取材しつづけている。日本の近現代文学、作家の原風景を切り口にして、日本人の暮らしと風土を写真によって記録・表現しょうという試みである。太宰の故郷、津軽をはじめて訪れたのは、今から30年前の早春。その後、4度取材で旅し、生誕100年の今年、厳寒の2月と、太宰が名作『津軽』で旅したのと同じ季節の5月にさらに取材を重ねた。そうして完成したのが今回の本である。使用した写真は1980年からのものもあり、改めてネガから引き伸ばしたが、若き日のさまざまな旅情が思い返されて不思議な気がした。


この本のテーマは「ね、なぜ旅に出るの」 「苦しいからさ」・・・・・と太宰がもらした言葉にある。小説『津軽』を道標に、津軽半島に遺された太宰の望郷への旅の足跡を巡った。そして五度に及んだ自殺、心中の現場を訪ね、その日、そのとき、太宰の目に映った心象風景を追ったのである。さらに太宰の死の直前のポートレートを撮影した写真家田村茂と太宰治の二人の「無頼」について考察し、レポートを書いた。その作業のなかで、田村茂撮影の太宰の未公開の肖像写真を六葉発掘し、この本に初掲載したのだ。僕の写真の師たちである田村茂は太宰より3歳年長、土門拳は太宰と同年、藤本四八は2歳下である。こう考えると61年前に亡くなってはいるが、太宰は決して過去の作家ではない。僕らと同時代に生きた人間であるとあらためて認識したのであった。(定価1500円・税別、カラー124p、モノクロ16p A4版/表紙の写真は、三鷹で1948年2月に撮った太宰治<部分>田村茂撮影と、りんごの花と岩木山、2009年5月小松健一撮影)


20090914

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