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2009年8月13日 お盆の迎え火の思い出と『太宰治と旅する津軽』校了

今日から田舎ではお盆。亡くなった人たちをあの世から迎える日である。僕らが子どもの頃は、この季節は別な意味で楽しかった。家の前の道や辻に、この日に合わせてカマドを作るのである。山から粘土質の赤土をとってきて藁をまぜよくこねて、それぞれの形をつくるのだ。一番オーソドックスなのは、凹の逆の形だ。ここで夕刻になると迎え日の今日から、送り日の16日まで藁を燃やす。どの家もみなやる。この役割は、子どもたちである。そこで僕らはカマド作りに徹底して凝ったのである。形は本格的な炭焼きのカマドのミ二チュア版だ。大きな桐の葉などをカマドの屋根に敷いて何度も赤土を重ね塗りをしていくのである。もちろん煙突も大切でこれがうまくいかないとよく燃えない。最初は板の切れ端などを燃やしていたが、これではおもしろくないと山に入り松の木の瘤などに多い脂をとりに行くようになった。僕らはその松脂のことを「ひで」と呼んでた。黒煙が煙突からもうもうとたつのを眺めながら子どもごころに満足していたものである。松脂を取るときに鉈で過って左人差指をしたたかに切った。いまも僕の指に2センチ以上の傷跡を残して、確かな存在感がある。その傷跡を見る度に、友達の家々を回ってどのカマドがかっこいいか競い合ったりした懐かしい思い出が蘇るのである。


2年前の秋口に、久しぶりに知り合いの編集者から連絡があった。、2年後の太宰の生誕100年に出版計画をしているので、相談にのってほしいというものだった。その後1年あまり無しの礫でだったので、企画が流れたのだと思っていたが、昨年の晩秋に突然やるということになって本格的に動き始めてから10ヶ月間。この間、僕は太宰一本に注いできた。それが今日、表紙カバーが出来上がってようやく形となった。久しぶりに津軽にも厳寒の2月と春の5月に取材へ行った。その他、谷川岳や富士山、甲府、鎌倉、三鷹など太宰ゆかりの土地のほとんどを訪ねる日々であった。原稿も太宰と彼を撮影した僕の写真の師でもある田村茂のふたりの「無頼」についての考察を試みた。編集室長のK氏の協力がなければ成し得なかった仕事であったことは言うまでもない。心から感謝している。編集者にまだこうした魂を持った人がいると思うと僕もまだまだがんばらくてはと、励まされた。その本『太宰治と旅する津軽』(新潮社)は、9月下旬に刊行予定です。お楽しみに・・・・・・。


ようやく責了までこぎつけた『太宰治と旅する津軽』の原稿やゲラ(8月13日、朝)

ようやく校了までこぎつけた『太宰治と旅する津軽』の原稿やゲラ(8月13日、朝)


夕暮れに家の近くを散策した。疲れた目にやさしく映ったおしろい花。

夕暮れに家の近くを散策した。疲れた目にやさしく映ったおしろい花。

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