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2009年8月2日 玉川上水の波間に見た霊魂たちは、何を伝えたかったのだろうか?

新潮社から9月25日発売予定の『太宰治と旅する津軽』は、デザイナーのページごとのレイアウトもほぼ終わり、いよいよ最終段階へときた。しかし、玉川上水の写真1点がどうしてもイメージに合わず、今春から3度目の撮影に出かけた。明日3日、最終的に印刷所に入稿することになっていたのに、僕がもう一度撮影に行きたいと言うものだから、K編集者もあきれながらも「もうここまできたのですから、とことんいい写真を撮ってきてくださいよ」と激励してくれた。1回目の4月同様、写真家の塩崎亨君が車の運転や機材までふくめて助手をかってでてくれた。撮影場所はすでにこの間、2回も取材しているので決めていた。2人で1時間ほど深い緑の玉川上水の流れのなかに入ったまま撮影を続けた。気づかないうちに、2人とも下半身はびっしょりと濡れていた。まず撮影したなかの1点をお見せしましょう。


20090802


実は塩崎君が持ってきたカメラは、デジタルカメラのなかでも最高機。ついこの前までボデーだけでも100万円近くしたもの。それに30万円近いレンズを装着して、一番流れが急な川のなかに三脚を立てて撮影した。水しぶきがかかるので心配したりしながら、絞りやピント、シャツタースピード変えながら何カットも撮りつづけたのである。足の感覚がなくなってきたので「よーしOK!」と撮影を終え、最後にこのブログ用にと僕のコンパクトデジカメで数枚手持ちで撮って終わりにしたのだ。腹が減ってきたので、塩崎君推奨の釜飯屋へ行き、「3日間限定 丑の日うなぎ釜飯」にありつき、遅い昼食とした。その後、彼の事務所へ行き、パソコンに撮影した写真を移し、セレクトをしたのだが、なんと最終的に5点残った全てが、僕のコンパクトカメラで撮ったものであった。「いったいあの苦労は何だったんでしょうかね」と塩崎君は少々むくれていた。しかし、その塩崎君もふくめて、その場にいた彼の仲間の写真家、デザイナーたちも異口同音にそれらの写真を選んだのだからしかながない。


玉川上水は、言わずと知れた太宰治が山崎富栄と今から61年前に、入水自殺を計った終焉の地である。当時は「人食い川」と呼ばれていたほど、水難事故が多かったと言う。大雨の後は狭い川幅いっぱいに激流が流れていた。今回撮った写真を画面で見ているうちに、何か波間に写っていると思ってよーく見ていると人の顔である。それも水底で叫んでいる苦しそうな女顔、男顔、顔・・・・・。みているうちどんどんふえてくるし、顔も変化していく。中には白骨化していき、髑髏だけになっていくものもある。そうして波間からおいで、おいでと女が手招きをしているように見えてくるのだ。一瞬、僕は我が目を疑い塩崎君をはじめ他の人にも聞くと「あっ見える。恐~い」と言うのである。僕は写真に向かって数珠をしている手を合わせた。一緒に見ていた女性の写真家も黙って合掌していた・・・・・・・・。梅雨も明けたかどうかはっきりしない蒸し暑い日々がつづいているので、ぼくが何かひんやりとした怪談話を作ってみなさんを涼しくさせようとしているのではありませんぞ。これは2009年8月1日に玉川上水で、本当にあった話なのです~よ。 クワバラ、クワバラ・・・・・・でも、今度の本は売れますように。    合掌


帰宅後、この夏はじめて花火をじっくりと見た。地元で毎年盛大におこなわれているらしいが、見たことはなかった。近くいた主婦が、「多くの市民の血税が一瞬にして夜空に消えていくと思うと、ただ綺麗だと喜んでばかりではいられないわね~」と突然話してきた。僕は飲んでいたビールが急に苦く感じたのだった。

帰宅後、この夏はじめて花火をじっくりと見た。地元で毎年盛大におこなわれているらしいが、見たことはなかった。近くにいた主婦が、「多くの市民の血税が一瞬にして夜空に消えていくと思うと、ただ綺麗だと喜んでばかりではいられないわね~」と突然話してきた。僕は飲んでいたビールが急に苦く感じたのだった。

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