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2009年7月16日 琉球文化に親しみ、国際交流をした贅沢な時の流れ 

この間、書いていた太宰治と田村茂の原稿がほぼ仕上がったこともあり、昨日、一昨日と珍しく、新宿、池袋へ出かけた。この秋、新潮社から『太宰治と旅する津軽』として刊行される。久しぶりの気合の入ったいい本になると思いますのでご期待ください。14日は写真研究会「風」の事務局長の鈴木さんと編集長の塩崎君との打ち合わせ。いよいよ「風」通信の創刊号ができました。このブログからも見れますのでぜひ、ご覧下さい。例会の度に発行しますので楽しみに・・・・・。打ち合わせの後、久しぶりに、「ゴキブリ横丁」や「小便横丁」などと呼ばれている終戦直後の焼け跡の闇市の雰囲気がいまだ残る新宿西口一角に行ってみた。今は「やきとり横丁」となって、ここ数年でめまぐるしく変わってしまって、外国人の観光スポットにもなっている。しかし何軒かは昔からやっている店が残っている。僕も焼酎一杯80円の頃から通っている馴染みの店が5~6軒はあって、4年程前まではほぼ毎日のように通っていた時期があった。2~3年ぶりの横丁は、狭い路地裏に這いつくばるように小さい飲み屋が軒を連ね、煙をもうもうと吐き出している光景は、以前と変わってはいなかった。


しかし、店の店員はほとんどアジア人になっていた。お客も外人が増え、時々ツアー客の団体が旗を持って店のなかを物めずらしそうに覗いたりもする。僕らは開店のときから来ている飲み屋へ入った。とゆうよりその前の路地に陣取った。店内は、以前はアルバイトをしていた中国人の女性が、娘さんも呼んで2人で切りもみしていた。焼き鳥の腕もすっかり上達していた。カウンターの客はカナダ人、スイス人、オーストラリア人、韓国人のグループに香港に長く暮らしていたという日本の女性。それにれっきとした日本人である僕ら・・・・・。ここは日本かと思ってしまう不思議な風景である。会話は、さまざまの言語が飛び交ってはいるが、そこは酒のみ仲間。結構理解しあえるものである。軽~く一杯のつもりが、すっかり国際交流を深めてしまったのである。


新宿の「やきとり横丁」で出会ったスイスの青年と通訳をしていた香港帰りの彼女と。(photo:toru shiozaki)

新宿の「やきとり横丁」で出会ったスイスの青年と通訳をしていた香港帰りの彼女と。(photo:toru shiozaki)


15日は、信州の安曇野へ用事があって、北海道の屈斜路から出てきた写真家の水越武さんと新潮社のK編集者と池袋で待ち合わせをした。東京芸術劇場前の噴水で。辺りは夕闇に包まれてはきていたが、まだ残照があり、恋人たちの絶好のスポットに、早変わりしつつある時間帯だった。僕は少し早く着いたので独りでそんな光景を楽しんでいた。それに時の流れの早さも感じていた。オジサン3人で待ち合わせする場所がちがうだろうとも思いつつ・・・・。この日は、仕上げた原稿渡しもあったが、水越さんが出した『わたしの山の博物誌』の感想を語る会の打ち合わせがメインだった。この沖縄の店も再開発される前の店からだから、かれこれ30数年は通っている。石川文洋さんの義理の妹さんが経営者だ。彼女は琉球舞踊の名手としても知られている。この日もお弟子さんたちが4曲披露してくれた。琉球料理の味もいいが、圧巻なのはこの店を愛した人たちのすごさである。色紙に書かれた文章や絵をひとつひとつ見るだけでも楽しい。店にはその一部が飾られている。佐藤春夫、壇一雄、新田次郎、江戸川乱歩、山下清、河合玉堂、草野心平、火野葦平、水谷八重子、馬場のぼる、滝田ゆうなどなど・・・・・そうそうたる面々たちである。その色紙の前に座ってゆっくりと飲んだ。水越さんといると何か古武士と盃を交わしているような緊張感をいつも持つ。不思議な存在である。水越さんは先日、ボルネオ島へラフレシアを撮りにいって、粘ったかいあって1メートルを超える巨大な花が撮れたと喜びの報告。そこでまた、2人でクース(古酒)を乾杯・・・・・。梅雨明けした宵は、こうして深けていくのであった。


池袋の琉球料理の店「みやらび」で記念写真をパチリ。若い女性の店員さんに撮ってもらう。

池袋の琉球料理の店「みやらび」で記念写真をパチリ。若い女性の店員さんに撮ってもらう。

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