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2009年5月10日 田村茂と太宰治、そして春の津軽

海鳴りが夜どうし障子ふるわせる貧しき漁村の屋根低き部屋    健一

この拙い短歌は、今から30余年前、偏東風(やませ)が吹く季節、はじめて津軽の竜飛岬を訪れた時に詠んだものだ。 あれから5度ほど程訪ねているが、この春また旅をすることとなった。実はこの2月にも訪ねている。青森県下を強烈な低気圧が襲ったときである。青森気象台の観測始まって以来、第4番目の暴風で40メートルを超え、停電となった世帯は5万軒を上回った。そんな猛吹雪の中、編集者のK氏の運転で竜飛へと向かったのだから、行く先々で危険だから止めなさいと注意されたものだった。厳寒の津軽は何とか撮れたが、太宰治がふるさと津軽の一番美しいのは春だ。と書いたその季節にどうしても行きたいと思ったのである。その辺の気持ちをK氏はちゃんと心得てくれているからありがたい。今どきの編集者には見られない気骨があるのである。酒はまったくといっていいほど飲まないのだが・・・・・・・・。 太宰は小説『津軽』を書くために、故郷に向けて東京を発ったのは1944年5月12日。僕らは一日早い11日に出発することにした。本来なら太宰たちが満開の桜の下で花見をしたように、僕らもその気分を体感したかったが今年はとくに地球温暖化の影響で、開花が早く、すでに葉桜となってしまったようである。しかし、太宰の好物で「風のまち」蟹田の名産、トゲクリガ二とシロウオはまだ水揚げされているだろう。今回の旅の目的のひとつには、蟹田地方の人々が花見には絶対欠かせないというこの蟹を賞味することだ。でないと太宰の見た風景が立ち上がってこない。などと独断的に思い込んでいるのは僕だけか。

昨年来、取材を続けているこの企画は、僕が太宰を30年間追いかけてきた、いわば集大成にするつもりである。太宰治生誕100年の今年、「桜桃忌」には間に合わないが、9月末には新潮社から「とんぼの本」として刊行される予定である。また、この本は僕にとっては、特別な思い入れがある。それは写真の師、田村茂と太宰治の関係だ。太宰を撮った写真には、銀座・ルパンの林忠彦さんの写真の他は、全てといっていいくらい田村茂の写真であることはすでに多くの人に知られていよう。先生が亡くなってもう22年となるが、生きていれば太宰よりも3歳年上であった。多くの言葉を残してくれたが僕がいつも座右の銘としているものに「リアリズムとは、事象の深部を見極める事」。この言葉は色紙に何枚か揮毫していただき、いまも大切にしている。

太宰の小説『富嶽百景』の一節「富士には、月見草がよく似合う。」で知られる御坂峠からの夕闇の富士山
太宰の小説『富嶽百景』の一節「富士には、月見草がよく似合う。」で知られる御坂峠からの夕闇の富士山

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