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2009年4月26日 鴎外も啄木も使った相馬屋の原稿用紙

小春日和となったこの日、久しぶりに神楽坂を歩いてみた。12月4日 神楽坂を歩いてみた矢来町にある新潮社のK編集室長と会うためであるが、メトロの飯田橋で降りて、ダラダラ坂の神楽坂を登って行ったのである。艶っぽかった神楽坂もここ数年で変貌し、東京のどこにでもあるような原色が氾濫する若者の町と様変わりしていた。三味の音色も、水打ちの路地も、芸者衆の艶やかな姿も消えていた。とくに残念に思ったのは歴史ある町の店がなくなっていたことだった。江戸中期からこの地で店を構えていた由緒ある酒屋が跡形もなく、広々としたパーキングエリアとなっていた。

文豪、夏目漱石が子どもたちを連れてよく食べにきていた西洋亭は、河豚(フグ)料理の飲み屋へ変わっていた。かつてご主人に芳名録を見せてもらったことがあるが、名だたる文化人がこの店を愛していた証であった。明治の文豪、森鷗外や坪内逍遥らも愛用し、石川啄木も死の数ヶ月前に、病床をおして、本郷から車屋を呼んで相馬屋の原稿用紙を求めにきたと日記に綴っている。その相馬屋はいまだあった。以前はよく、相馬屋オリジナルの原稿用紙を求めに来ていたが、久しぶりに店員さんに「ここの原稿用紙まだありますか」とたずねると、「はーい、ありますよ」と奥から持ってきてくれた。桝目の計の色が朱と緑とブラウンの三種類あったが、かつてよく使っていた朱と緑色のを求めた。200字詰め100枚綴りで1冊280円であった。少し値上がったなと思った。僕は大切な人に手紙を書くときに、いまでもこの相馬屋の原稿用紙を使うのである。
(2008年12月8日記)

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